2004年5月30日
4月最後の週末にマンモスに行く。今回はフィッシングのオープニング・ディーと重なり、私と佐野さん、そして釣り師、頼さんの参加は決まっていたが、斉藤ちゃんと原ちゃんの参加が決まったのは出発前日になってからであった。このメンバー5人が揃うというのは3年ぶりくらいであろうか。
もちろんスキーと魚釣りが目的であるが、もうひとつ我々には今回やらなければならないことがあった。
シャモニーのコンドミディアムが昨年から改装にかかっているが、とうとう来月からこちらの棟も外側の工事が始まることになり、家具等にビニールシートを被せ、スキーを持ち帰らなければならないと言われている。例年6月初めまで滑っているのに、今年はそんな訳でまだスキー場は開いているし、雪もあるのに、以降約半年間、泊まるところがなくなるため、実質今回が今期最後のスキーとなりそうなのである。
夕方6時ごろ、サンタモニカの佐野さんの所をマンモスに向かい出発し、サンタモニカ・マウンテンを越えたラセダで頼さんをピックアップする。頼さんは相変わらず準備万端で釣り竿を何本も持って我々の着くのを待っていた。いつもここからフリーウェー14番までの道が混んでいる。特に金曜の夕方は都会を離れる車が多く、なかなか前に進まないので、マンモスに向かう全行程でも一番いやな場所である。そんな我々の思いを知ってか、頼さんが「今日は14番までフリーウェーを使わずに違う道を行ってみよう」という。頼さんの地元であるから運転手の私は頼さんの言うままに車を転がす。そのうち「私も行ったことがない道なんだがね」などと恐ろしいことを言い出す。「えー!」と思わず顔を見合わせる私と佐野さんに、「でも、大丈夫 きっとつながっていますよ」などと慎重な山男らしからぬ発想。
頼さんの指示どおりバルボア・ブルーバードを北に進む、新しい道で広く、そんなに込んでいないで走りやすい。やがて405号線のフリーウェーが右前方に見えてきて、我々がトンネルと呼んでいる405番と210番のジャンクションが見えて来た。さらに進むとフリーウェーの下をくぐり北側に抜けて、14番に合流していく。
「頼さん、これは近年にない快挙、これでマンモスに行くたびに我々は30分くらい時間をセーブ出来ますよ」と先ほどまでの態度は何処へやら、頼さんを奉るのであった。
途中で後から来る原ちゃんの車と連絡を取り合いながら、モハベで夕飯を摂ることにして食事処を探す。この街のファースト・フードやレストランはほとんど行っているが、今回は 入ったことのないチャイナ・ボールという中華ビュッフェのレストランに入ってみることにする。
入ってすぐ分かる、はっきり言って失敗である。なんとも売れていない店で私たちの他には2人しか客がいない。料理はドライになりかけた中華料理が残り僅かというかんじで並んでいる。ビュッフェであるから食べ放題ではあるが、値段が書いてないのが不気味であるが、こんなところでぼられることもあるまい。やがて原ちゃんと斉藤ちゃんが追いついて合流するが、彼らはおにぎりを持ってきたそうで、ビールを一杯付き合っただけで食事はいらないと言う。それが正解であろう。
翌朝はお腹を空かせたお魚が我々の釣り針に付けた朝食を待っているというフィッシングの解禁日である。
5時半くらいに起きて、レーク・クローリーに向かう。今回もいやらしくも湖への道の入り口に解禁日だけ入場料を徴収するためのレーンジャーが陣取っている。すでに一年間のライセンス代として一人32ドルも払っているのにさらに車一台7ドルもとられた。どうせ元を取れない私は今年もライセンス代と言う高い魚を買うことになるのである。
すでに7時近くなっている。それでも湖の畔に我々5人が入り込む場所があった。さっそく用意してポチャンとお魚に餌を投げ込んでやるが、なかなかあたりがこない。周りの人にもほとんど釣れているようすがない。魚は飢えていないのか?我々は釣った魚を今夜の酒のつまみにするつもりなので気分はかなりハングリーである。
魚のいないところに餌を垂れても釣れるはずがないから、釣れる釣れないは時の運である。確かにひいてから合わせるタイミングは腕であるが、置き釣りの私など、魚が餌を飲み込んでほとんど胃袋に達した頃合わせるのであるから、運以外のなにものでもない。そして今のところ今年は釣りの運がないようである。それでも5人もいれば少しは運の強い人がいる。原ちゃんのところに間抜けな魚が2匹、斉藤ちゃんにも一匹釣れた。原ちゃんは去年釣りの運が良かったので、昨年のオープニング・ディーのチャンピオンということになっていたが、今年も運良く、たま間抜けな腹をへらした魚の目の前に餌が落ちてくれたようである。
それにしても、お金を払っているのだからレーンジャーの人件費以外に もっと魚の放流にお金を使ってもらえないものか?最近の連邦、州政府の予算削減はこんなところにも響いているようである。まー、根源はブッシュがイラクでお金をつかっているからであろう。イラクでぶっ放す砲弾一発分の金額をこの湖の魚の放流に使ってくれたら、ここに居るすべての釣り人がリミットまで釣りを堪能できるというものである。
さて、9時半ごろスキー班は一度釣りを止めて着替えてキャニオン・ロッジに向かう。このロッジも今週の週末で閉まってしまう。まだ朝のうちで少し硬いが雪はたくさんある。日差しは柔らかく暖かいので半そでや半ズボンで滑っている人もいる。今の季節はモーグルが面白いが、皆の意見もいれなければならないので、良い斜面を探して、結構広く、いろんな斜面を1本くらいずつ滑ることとなる。
釣りと違ってスキーには まぐれ当たりも数打てば当たるもない。まぐれで上手く滑れたというのは聞いたことがない。偶然があるとすれば雪質が良いか悪いか位である。
午後2時ごろスキーを切り上げ再び釣りの用意をしてホット・クリークに行き、釣り班の頼さんと斉藤ちゃんに合流する。ここはフライ・フィッシュの地域で、釣った魚は戻さなければならない、チャッチ・アンド・リリースと言われる場所である。釣った魚に餌をあげて、放してやるなど私には納得のいかない釣りであるが、やればそれなりに、魚とのやり取りがあって面白いのである。
その日の夕食は魚を酒の肴に乾杯。ワインを飲みながら明日の予定を決める。明日は原ちゃんも釣り班に鞍替えするとのことで、スキーをするのは私と佐野さんだけ。スキーシーズンも残された時間は少ない。そこで佐野さんに提案をする「今の季節、雪質が悪くて、面白いのはモーグルだけ、私としては、今の季節もっと集中してモーグルを滑りたいんだけど、明日はコース選びをすべて私に任せて2時間みっちり滑ってみない?」
酔っ払いの会話は何処まで信じて良いのやら分からないが、翌朝私と佐野さんは9時頃にゲレンデに向かう。今日はみっちりと充実したモーグルを2時間滑るために、身軽に、ビールの携帯もなしである。まずは8番のリフトでレッド・ウイングのモーグル斜面にむかう。尾根部分は朝からの日差しで滑りやすい雪質になっている。モーグル斜面の上で止まり「ここまでは思ったより良いね」と佐野さん。ことのほか朝の太陽に照らされて柔らかくなったグルーム斜面が気に入ったようである。この下のモーグル斜面は勾配がないのでバンプ(凸凹)も比較的小さく滑り易い斜面であるが、その分細かいターンが要求される。問題は尾根部分と違って、まだ日照時間の短いここの雪がどのくらい柔らかくなっているかである。私が先に滑り出す。まだ硬い、雪が硬いとエッジが効かないのでスピードを殺せず、身体が遅れてしまい、スキーが先に行き飛ばされてしまう。「もう1時間しないとモーグルに適した状態にならないね、後で戻ってくるとして、南斜面の25番リフトを滑ってこよう」と25番に向かう。ここで我々は南斜面と北斜面の違いをさまざまと思い知らされる。南斜面は先ほど滑ったモーグル斜面より2時間以上前から太陽に照らされている。25番の斜面はあまり人がいなくて、綺麗にグルームされているので、適当に柔らかくなった雪はすごく滑りやすい。右側を滑る佐野さんもびっくりして、この斜面に喚声を上げている。しばらく止まることを忘れて滑り降りる。やっと止まった二人は思わず「いいねー!」
これからはアイシーな朝はここの斜面であると季節も終わりになってから知らされるのであった。しかし今日の斜面選択をまかされている私の今日の目標はモーグル三昧である。キャニオン・エックスプレッス・リフト下のバンプのあるダウンヒルと呼ばれる斜面に向かう。先に私が斜面右側を降りてみると少し硬いが何とか滑れる。途中で止まって佐野さんにオーケーのサインを出す。左側斜面を滑った佐野さんは雪がまだ固かったようである。左側はすこし前まで樹の影がおちており、太陽のあたりが十分でなかったようである。そんなわずかな違いが雪質を変える。
時間はすでに10時半、コンドで釣り班と落ち合うのは11時半といっていたので残り45分くらいである。
ここで佐野さんは夕べの計画に反してフェース・リフトに行って来たいというので、別々に滑ることにする。11時15分ごろキャニオン・ロッジのバーで会うことにして別れ、私はこの斜面に残り、時間の許す限り滑り続けることにする。佐野さんと別れるなりノンストップで滑り降りるが、モーグルが出来るパンプがあるのはダウンヒルの途中の一部だけ、それ以外は比較的なだらかな斜面である。よってモーグルの前後は軽く流すスキーになるがモーグル斜面は気合を入れて滑る。今日はリフト乗り場にラインはない。全く待たずにリフトに乗ると高速のキャニオン・エックスプレスは6分間で終点まで運んでくれる。一息で滑り下りると4分でリフト乗り場に戻れる。リフトに乗っている間が休憩であるが、結構きつい。このワンラウンド10分を時間一杯繰り返す。
昔、体操をやっていた高校時代、恩師の加藤先生に『疲れ切ったときに身体を動かしてみると、無駄な力が抜けて力の有効な使い方が分かってくる』と教わったことを思い出す。
パンプを越えターンが終わったときの姿勢だけを気を付けて滑る。前に膝を出して高い姿勢を保つ。だんだん良いリズムが採れてくる。コントロールできる速度が速くなってくる。凸凹の谷から谷になってしまう滑りを山から山に変えてみる。難しいが挑戦することが楽しい。佐野さんと別れて5本目を滑り終えると11時20分である。身体も心もっと滑りたがっているが、もうあがらなければならない時間である。
バーに行くと佐野さんが待っていた。ブラディー・マリーで乾杯してコンドに戻る。
今日は釣りもスキーもやらなかった斉藤ちゃんが本格的な蕎麦を昼食に用意して待っていてくれた。食後に皆で家具等にビニールシートをかけ、コンドを後にする。
これで今シーズンは終わりと思っていたスキーであるが、もう一度5月15,16日の週末にマンモスに戻り残り少ない残雪を楽しんできた。シャモニーのマネージャーであったアンジェロが今月からホリゾンズというリゾート・コンド群の責任者となり、佐野さんが連絡を取り、空いている部屋のオーナーズ・ゲストということで一泊25ドルとクリーニング代という特別料金で使わせてあげるという了解がとれたからである。彼と良い関係を築いてきた結果であるが、私もシャモニーでは彼に何度も夕飯の差し入れをしてきたのである。
ホリゾンズはシャモニーよりスキー場から少しはなれているがとても綺麗な施設であった。
ピークには200ドル以上もするという6人は泊まれるユニットを2人で贅沢に使わせてもらった。
雪はまだあるがスキー客は少なく、深く削られたパンプは難しい。前回自信をつけたモーグルの滑りも、改めて難しさを感じるということの繰り返しである。
帰りに日系人強制収容所のマンザナに寄った。先日あたらしい記念館が開館したばかりで、当時の時代的背景の説明や、展示物があり、結構入館者がいて驚いた。
ほとんどすべての財産を没収され、各自バックひとつでここに収容された日本人、日系人は、約一万人にもおよんだ。先の見えない生活のなか、この季節シェラネバダ山脈の山肌に消え往く残雪を見て何を思ったことであろうか?そんな過去を運び去るように乾いた砂漠の中を春の風が撒いていった。
完