小堺高志 FILE#1-19-03
12月の中旬からエル・ニーニョの影響と思われる大雪が降り始めた。数回のストームは2週間でマンモスに約7フィートの積雪をもたらし、12月の積雪としては史上3番目と公表されている。ここ南カリフォルニアでもクリスマス時の積雪で毎日通勤時に見るローカルの山々は雪化粧している。
師走に入り、会社のクリスマス・パーティーなどで私は週末にスキーに行けなかったが、佐野さん、斎藤ちゃん、原ちゃんは2週間前に一度行っていた。しかしフットボールの時期に入り、もともと≪スキーを履いたギャンブラー≫と私にからかわれるほど熱心な博徒である彼らはお目付け役である私がいないと嵐の中一滑りしただけでラスベガスに行ってしまったのであった。今年のホリディー・シーズンは元旦が水曜日と週の真中にあるため、30、31日と休みを取ると5日間の連休となる。その上、私の家では家内が日本に帰国するので私としても気がねなくスキーにいける。とは言い、気がねしながら行くか、気がねせずに行くかは私の心の問題であり家内にとっては「またスキー?」といずれにせよ諦めの心境かもしれない。帰ったらお寿司でもご馳走しよう。
12月27日の夜、私は佐野さんとサンタモニカから出発する。原ちゃんは彼の友人と別の車で我々を追う。原ちゃんは最近飲酒運転をお上から咎められ、もっか判決待ちの身分、酒好きの彼が『飲んだら乗るな、飲むなら乗るな』を厳守中である。感心な事に先日の我々の忘年会でも、せっかくのドンペリを舐めただけであった。それだけに車の運転を心配せず飲みまくれるマンモス行きは彼にとっても待ちに待った憂さ晴らしの場であり、飲み物調達係りの原ちゃんは当然今回一段と気合が入っているはずである。
ホリデーが分散している為、道路は驚くほど空いている。雪がちらつく中、実質5時間でマンモスのコンド、シャモニーに着いた。しかし駐車場に空きスペースがない。クリスマス時に降った大雪でパーキングの周りには除雪された雪が高い壁を作っている。その狭くなったパーキングにスキー客が多く押し寄せた為、満車状態で車を停める場所がまったくないのである。こんなのは初めての経験である。ホリデーシーズンのせいもあるが、一番の理由はこの雪である。雪が降ったと聞いただけでじっとしていられない人が大勢いるのである。恐るべしエルニーニョ。大雪=スキーヤー喜ぶ=スキーヤーがマンモスに走る=マンモス儲かる=駐車場たらない。という図式が成り立ち、喜ぶのはマンモス・スキー場だけであり、スキーヤーは混んだら混んだでいろんな不便を被るのである。なんとか表の公道にスペースを見つけて車を停める。
約45分遅れの午前1時前に原ちゃんが知り合いの大西さんと着いた。荷物の降ろしを手伝いに行くと、やはり彼の車からは酒屋の配達車かと思うほどたくさんのビールやワインが箱入りで出て来るのであった。
翌朝、ぱらぱらと朝から雪が降っている。時たま突風が吹き抜け雪が舞い上がっている。昨夜は3時過ぎまで飲んでいたので起床は8時過ぎ、スキー場に着き、滑り出したのは10時くらいであった。この2週間で7フィートの雪をもたらした嵐のお陰でゲレンデは何処も彼処も充分すぎる雪に覆われている。踏みつけるとキュッキュッと鳴く雪は気持ち良く、最高に近いコンデションと言える。しいていえばまたしても風である、風の為、山の上半分は開いていない。。朝最初に乗ったリフトを風の抵抗を正面に受けながら下りようとした時、異常な息苦しさを感じた。「ちょっとタイム」どうやら風邪を引いて鼻が詰まっているのと、息も出来ない強風を顔面に受けたため、呼吸困難症を起こしたようである。ここは高度が高いため風邪を引いていなくとも運動するには酸素不足を感じるのであるが、風を避けて口でゼイゼイと呼吸を整える様はいきなり無様である。
それでも滑り出せばなんとかなって来た。5日間の最初の日から風と風邪の直撃を受けることとなった、無理をせずに行こう。
昼にマッコイ・ステーションで、前回会った嘉藤、斎藤コンビに会う。もう一人、一緒に来ていたのが、彼女が来ると必ず雪が降ると言われている「雪女・まゆみさん」彼らのスキー仲間で一番元気な女性だと言う。雪はいよいよ激しくなってきた。そうか、今日の雪はエル・ニーニョの影響と思っていたが、彼女の所為かもしれない。
今回も彼らは夜中の2時にロスを出発して、スキー場のパーキングでオープンを待ち8時半から滑り出し、午後3時頃帰路につくという19時間スキー旅行だそうである。そのうち約10時間は車に乗っている事になる。先週も同じスケジュールで来たというから、これはスキーが好きでなければ出来ない我々以上のスキー野郎である。雪女まゆみさんは30日にまた戻ってくるというので今回はまた更なる新雪が期待出来そうである。
彼らと一緒に午後3時まで滑ることにする。マンモスで大概、瘤が出来てバンプ斜面になるところはフェース・リフトの右、ウェスト・ボールと呼ばれる斜面と、キャニオン・エクスプレスの右にある一部、ダウンヒルと呼ばれる斜面である。大きなバンプがある時にはウェスト・ボールは私には途中で1−2回くらい休まないと下りられない長さであるが、ダウンヒルの方はシーズンに入り体力が付いてくると一気に下りられるコースである。嘉藤さんはさすがに安定したすべりでフォールラインを舐めて斜面の下まで行った。続く私は4分の3ほど下りた所でギブアップ、風邪の所為もあるが息が尽きてしまった。それだけ無駄な動きもしているのであろうが、バンプコースの上に立つとつい余計な力が入ってしまう。
彼らと別れてコンドへ戻ると吹雪はますます激しさを増している。松の枝が大きくしなる。吹き上げられた雪が渦を巻いて舞う様が、雪女の舞を思わせる。そんな中をスパに行こうと言う人がいる。窓からスパの一部が見えるが、確かに何人かこの吹雪の中で入っている。スパとかサウナは家にあれば普段意外と使わないもので、私のタウンハウスにも付いているがもう3年くらい使っていない。環境が変わるマンモスに来た時はほぼ毎回使っている。温泉と同じようなリラックス効果があるのと、スパに浸かりながら飲むビールが美味いのである。とりわけまだ日本から来て日の浅い今回のゲスト大西さんは珍しい機会と乗り気である。風邪をひいているがとりあえず熱はないし、サウナで温まるのも鼻の通りを良くするかもしれないと、私も少しだけ付き合うことにする。屋外にあるスパまで30メートルほどあろうか。この氷点下の吹雪の中を駆け抜けるのはなかなか根性がいる。スパは水温摂氏38度ほどあるがサウナなどがある管理棟のすぐ横、吹きさらしの屋外にある。サウナのなかで服を脱いで水着ではいる。水面下はいいが、水面からでた頭はどの人を見ても髪の毛には雪が積もって白い帽子を被っているようである。私もこんな吹雪のなかで入るのは初めてである。スパの淵においたビール缶も忽ち雪をかぶる。皆さん白髪が似合う年になったね、などと思うのであるが私の頭にも雪がかなり積もっている。風もあるから雪見酒などと言う風流はない、しいて言えば頭上に渦巻く雪の舞を見ながらの雪中酒である。雪はいよいよ激しくなり、こういう時出るのが大変である。猿が卿温泉に雪の中で温泉に入る野猿がいるが、出たいが出られない彼らの心境が分る。幸いここにはすぐ隣にサウナがあるので、サウナでがんがんに温まってサウナの中で服を着るというのが冬マンモスでスパに入る場合の正しい対処法である。
夜中に何度か起きては外を見る。ひょっとして数年に一度の好条件が今回揃うかもしれないのである。新雪に青空。これがスキーヤーのあこがれである。
朝まだ暗いうちに外を見ると雪は止み、風もほぼ収まっている。そして夜間にかなりの積雪、テレビをつけてスキー情報を見ると18インチの新雪、予報は午後から晴れとなっている。皆を起こして8時半のオープンの時間に間に合うように朝食を用意する。すぐ前に止められた私の車がテールランプの部分だけを出して、雪の中に埋まっている。スキー場まで歩いて5分である。私と佐野さんは他の二人を待つ事が出来ず、すぐに8番リフトに乗る。眼下のまだあまり荒らされていないゲレンデが我々を誘う。スノーボーダーが膝までの新雪の中で動けなくなっている。今日は何処を滑っていいはずであるが、最初の選択を私は間違えたようである。8番リフトから25番に行くつもりであったがそちらに行くには緩斜面をかなり行かなければならない。この新雪ではスキーが進まない。予定変更してまだ原ちゃんたちのいるキャニオン・ロッジの方に下りたのだが、膝までの新雪は深すぎてこの斜面でもスキーが浮かずに潜ってしまう。もう少し傾斜がきつくスピードに乗れればいいが、なかなかそのスピードにならないのである。それでも柔らかい新雪の感触がかなり楽しい、完全なパウダー(軽い粉雪)とはいかず、結構重いので深みにぶつかるとバランスが崩れ難しい。佐野さんが雪の中に埋まって消える。立ったと思ってカメラを向けるとまた消えた。
午後から他の2人と合流する。太陽が出て来て青空が広がるが、相変わらず山の上半分は雪崩のコントロールのためまだ閉ったままである。時たま人工雪崩を起こす為に撃たれる大砲の音が山に響く。ゲレンデのコンデションは一年に一度あるかないかと言うくらい良い最高の状態である。
フェースリフトから5番リフトに抜ける斜面にあまり荒らされていない雪を発見、私が先頭で滑り下りる。チャイナ・ボールと呼ばれる斜面の端にふかふかの新雪が残っている。
新雪の上で雲に乗ったような感覚を楽しむ。これが捜していたスキーの醍醐味である。その後コヨーテという斜面を下りるつもりであったが、立ち止まって後から来る、他の3人を待っていたら佐野さんが私の手前で5番リフトへの最短コースを取るつもりか右のドライクリークの方にショートカットを始めた。そちらに行くと林があり、かなりの絶壁があるのを知っている私は大声で止めたが既に皆、佐野さんについてそちらに向かって下り初めている。今から引き返すのは更に大変である。しょうがなく私もそちらへ方向を変える。林の中、どちらに進んだらいいか迷っている様子。コースの取り方次第では崖の上に出てしまうのである。私はスキーを岩の上に乗り上げながらも、それでも一番下り易そうな所を抜け谷底のドライ・クリークに出ることが出来た。そこから上を見るとわずかな高さではあるが林の中、急な崖がある。佐野さんと原ちゃんが木の間でその崖をどう避けようか苦労しているようすが窺える。私はここから彼らがどう抜け出すかじっくりと見せてもらうことにする。なんせ私が選んだコースに付いて来ないでこのコースを選んでしまったのは彼らである。そのうち2メートルくらい佐野さんが崖を落ちた様子。残念ながら木が邪魔をして頭から落ちる所を見損ねた。もちろん下はふわふわの雪であるから心配ないが、これもコースを選び間違えたのが原因で自業自得である。新雪は楽しい、時間を惜しんで3時半くらいまで滑り続ける。
3日目はマンモスと同じ経営であるジューン・レーク・スキー場に行くことにする。原ちゃん達は友達と会うとかでマンモスに留まるため、佐野さんと二人で8時半にコンドを出てジューン・レークに向かう。ジューン・レークはマンモスから約30分ほど北に走った風光明媚な所にあるスキー場である。経営がマンモスとおなじインターウエスト社のため今季から同じマンモスのシーズン・パスを使えることになっている。マンモスと言う有名なスキー場に近いため、なかなかこちらまで足を伸ばす人はいないが、名が知れ渡っていない割には良いスキー場である。駐車場も空いていてリフトのすぐ近くに車を停める事が出来た。ここは最初のリフトを降りたところがメインロッジになっており、そこから上が本格的なゲレンデになっている。大雑把に言えばそこから右左にゲレンデが分れ、右側のジューン・マウンテン・サミットの山頂に向かうリフトと左のレインボー・サミットの山頂に向かうリフトに分かれる。それぞれの山頂から下りて来るコースは何本かあり、結構広く長いコースである。一般的には左は初心者、中級者用のコースが多いが、右の上のほうには上級者用のコースもたくさんあり、飽きさせない。総じて林の中にあるコースが多いのでマンモスのように風に悩まされることも少ないようである。ちょっとメインのコースから外れれば場所によっては大きなゲレンデ上に、見えるスキーヤーは我々だけという申し訳ないくらい空いているスキー場なのである。日ごろ混雑したマンモスで大きな顔をしたスノーボーダーに押されながら滑っている我々はこんなに広いゲレンデを貸切状態で使わせていただくのはやはり申し訳ない気持ちになってしまい、『申し訳ない、申し訳ない』と言いながら滑るのであった。まずは右から順に滑る事にする。マンハッタンというコースはグルームしてあり、長さもあり最高に気持ち良い。その後グルームしてない上級者コースを滑ってみるが雪が重くかなり体力を使うので2本くらいでグルームしてあるコース中心のスキーに変える。
昼休みにロッジの食堂にはいると、谷に向かって食堂の側面がすべてガラス張りになっていて、そこからは座ったまま眼下にジューン湖と、右手遠方には有名なモノ湖が見える。ジューン湖の向かいには名も知らぬ美しい雪山がそびえる。
ここからの眺めはすばらしく、お金を出しても見合う眺めであるが、またまた申し訳なく思いながらもお金を使わずに持参のサンドイッチとビールそして魔法瓶に入れた熱燗をいただくのであった。
午後から少しバンプになった林に囲まれた長いコースを滑っていると、30メートルほど後ろを付いて来ていたはずの佐野さんがいくら待っても姿を見せない。ちょうどそこは少し起伏になっていて下からは30メートル上の様子がみえない。周りには誰もいない。5分ほど待って来ないのでそのまま滑り降り、もう一度同じリフトに乗り、同じコースをたどってみる。こんな時大概佐野さんはコースを外れて林に入り込んだか、スキーの金具とか、メガネとかの持ち物のトラブルである場合が考えられる。それとも誰かにぶつけられたというのがあったが、ここでは木にぶつかる事はあっても人にぶつかるのは稀のような気がする。
姿が見えない。どうもコースから外れて森の中に入ったようであるが、それらしき跡が見つからない。しかたなく一人でのジューン・サミットの側のリフトに移動し、2本ほどなるべく佐野さんが見つけ易いようにリフトの真下を滑っていると、リフト乗り場で佐野さんを発見。やはり滑りにくい斜面を嫌って、森の中をカットしてジューン・サミット側のリフト乗り場に行こうとして身動きがとれなくなり苦労してやっとゲレンデに出て来たとのことであった。
ジューン・レークはこれが3回目、なかなかいいスキー場である。機会があったらもっと頻繁にこちらにも足を伸ばそうと思う。
大晦日、雪女の仕業か外はまた朝から雪が舞っている。滑り始めたが冷たい強風と豪雪で、とても滑れる状態でなく一度マッコイ・ステーションに避難する。窓からフェース・リフトを見ながらの天候待ちとなる。リフトもほとんど止まり外で滑っている人も少ない。マッコイ・ステーションは天候待ちの人でいっぱいだが、ガラス窓の隙間から雪が吹き込んでいる。暖房も弱く寒い、食べ物は高い、変な所でケチるインターウエストにもっと客を大切にしろと言いたい。最近この会社のマンモスでの儲け一辺倒主義が気になるのである。ジューン・レークは同じ経営ながらロッジも暖かく。我々はロッカー代しか使わなかったが物価も安い。マンモスも初代オーナーであったスキー野郎マッコイさんの、その精神を忘れないで欲しい。
気が付けば窓の外が明るくなって来た。今年最後の滑り、今行くしかない。気合を入れて外に飛び出すと風も弱まり太陽が時たま顔を出す絶好の瞬間、今年最後の淡い日光の降り注ぐなかスタンピーアレイを滑り下りる。
カウント・ダウンでハッピー・ニューイヤー!シャンペンで乾杯。新年も良い雪に恵まれ、良い年でありますように。
元旦の朝、大西さんは今日は休み。我々3人は初滑り、午前中いっぱい滑る為にゲレンデに向かう。5日目ともなるとスキー場に向かう佐野さんは通風が足首に出たとかで痛々しくポールを杖代わりにビッコを引いている。私は風邪でぜいぜい言っているし、二人ともスキーヤーというより病院に向かう病人の体である。それでもスキー場に向かうのは、やはり我々もかなりのスキー野郎なのである。佐野さんは膝の軟骨が減っていてここ数年3日も続けて滑ると症状が出始めスローダウンしなければならないのだが、今季は膝の調子は良いそうで元気に私と同じペースで5日目を滑ろうとしている。今回は膝の痛みでないので、何でもスキー靴を履くとギブスを付けた状態になり、支障なく滑れるのだという。たしかに滑っている時はビッコを引いていない、華麗なすべりを見せてくれる。そして我々と滑って4シーズン目の原ちゃんも最近さらに上手くなった。カーブスキーの特性を掴んで、逆らわずに力で回そうとしないのがいいのかと思う。
25番リフトに向かう途中で一度二人とはぐれ、9番リフトで二人に会う。9番リフトはマンモスで一番長いリフトで林の中を滑るところが多いワイルドなコースである。リフトの上から何処を滑るか斜面を読む。リフトの終点から左側に長い尾根が続き、その何処から滑っても9番リフトの乗り場に戻ってこられるようになっている。中間に雪崩の跡がある。3人それぞれ、その尾根から続く広い斜面のどの部分を滑るか読んでいるが、知らない斜面ではないので暗黙の了解でいまは互いに言わず、その時を待っている。私はあまりリフトから離れない斜面を滑ろうと思っていた。リフトから離れれば人は少なくなるが、新雪はすでに荒らされている。今日は決して良い雪質ではない。雪が重く、行けば行くほどリフト乗り場に戻るのは大変になる。雪質は何処も一緒であろう。ならばリフト沿いを滑るのが賢明と私は読んでいた。
9番リフトの滑り出しはダブル・ブラックダイヤモンドで、かなりの急斜面である。そこをトラバスして先の尾根へと進むが、そのトラバスをやめて何処から滑り出すかが問題である。一番先を進んでいた私が予定通り一番先に滑り出す。途中で止まり見上げれば広い斜面が一望出来る。私よりさらに尾根の先に行った原ちゃんも下り始めた。佐野さんはもっと先へと進んでいる。
一番先に降りた私は二人が下りて来るのを待つ。二人とも苦労の割に良い雪には出会えなかったようである。佐野さんは雪崩の後も滑ってみたそうだが滑れる状態でなかったと言う。それは私には分っていた事である。「一度雪崩に遭ってみたいものだね」などと恐ろしい事を言う。どうも雪国育ちでない人は雪崩を甘く見ているようである。圧縮された雪は破壊力があり、大量の雪が降った直後や春に急に暖かくなった時、雪崩はスキーで一番気をつけなければならない自然現象である。
これだけスキー通いをしていてもなかなか良い雪に恵まれる機会はない。また恵まれても温度によっては一日で雪質は換わってしまう。今回の雪は瞬間マンモスで一年に一度あるかどうかと言う良い雪で、まさにスキー三昧での5日間であった。
モハベ砂漠でロスに戻る我々の前方に今年最初の太陽が沈む。嵐のあとの澄んだ空気のせいかやけに美しい夕焼けである。日没があって、日の出がある。朝太陽が昇るたびに日が改まり、このあたりまえの事が繰り返され2002年が2003年に改まった。
願わくは、このスキー三昧がいつまでも続くことを祈るが、せめて今年も良いスキー三昧が出来ますように。なにせ良いスキーが出来る為には健康で、食べて美味く、飲んで美味くなければならない。スキーを続ける友人・家庭の人間関係がよくなければならない。経済面を支える仕事が順調にいかなければならない。これが新年の願いのすべてである。そんな事を思いながら2003年元旦の日没を見送るのであった。