小堺高志 file#4-3-2001
早くも 3月となりスキーシーズンも後半となった。カリフォルニアの今年の冬は例年より降水量に恵まれた WET WINTERであり、雪も2月にかなり降ってスキーヤーとスキー場にとっては、良いシーズンである。私はカリフォルニアに大雪が降っていた時 、カナダにスキーに行っていたので、其の前後のマンモスの今季一番良い雪を逃した感がある。
3 月10日11日のウイークエンドにマンモスの宿を押さえてあるが、カナダから帰って佐野さんが元々弱っていた膝をテニスとジョギングでさらに酷使して痛め、ここ 10日間ほど、ひどいびっこを引いている。何とか週末までには治したいと医者に行っていたが、この週末に間に合いそうもない。木曜になってもまだ結論が出せずにいたが、私はこの時期何としても滑りたい。半ば強引に佐野さんには、スキーでなく温泉に湯治に行くのだ、ということで説得して、ともかくマンモスに向かうことにしたのは、金曜の朝になってからであった。佐野さんが滑れないので原ちゃんに声をかけたら喜んで行くという、その後 斎藤ちゃんも午後4時になってから参加をしたいと言ってきたので久しぶりのフルメンバーでの出陣となった。
今回はカールもサン・ディエゴから来ているはずである。
夕方 6時前、サンタモニカから私と佐野さんが先に出発、まだ佐野さんは痛々しくびっこを引いている。この歳になると (佐野さんのことですぞ)一度壊すとなかなか治らない。まして膝の間接はすでに軟骨が減っているので、完治は望めない。いかにだましだましスキー人生を全うするかであるが、痛めてから苦労するより、痛めそうな所をプロテクター等を使って保護して痛めないようにする方が効果的である。私は若いとき体操で痛めた手首、背中、そしてその後スキーでひねった膝に問題を抱えているが、スキーの時には痛くなくても常にプロテクターとテーピングを欠かさず、サイボーグ状態で保護しているのでここ数年は特に故障でスキーが出来ないという事態には遭遇していない。しかし佐野さんは膝に抱えた爆弾が最近時たま爆発して、歩くのもままならぬ状態に陥ることがある。しかも、その爆弾だんだん火薬の量が増えているようである。「スキーでなくテニスやジョッギングで痛めていたのではこれは、スキーヤーにとり自爆である」と言うようなことを道々言うのであるが、スキーに関しては私の説教も素直に聞いている。
ロスを出る時から外はすごい大雨である。途中、原ちゃんの携帯から連絡が入るが、彼らは私たちの車より一時間位、後ろを走っている。原ちゃんの車は途中からラス・ベガスに進路変更をすることもあるので着くまで安心出来ない。
ビショップの手前にクーガ温泉がある。 「佐野さん、ここに降ろしていって、日曜に帰るとき拾ってあげるから、 2日間温泉に浸って湯治している?」とスキー三昧ならぬ温泉三昧を提案するも、ここは砂漠の中、周りに何もない寂しい僻地にある温泉である。スキーが出来なくとも、雪のゲレンデを見ているだけでも癒されるだろう。温泉は帰りに入る事にしてマンモスへと走る。
ビショップの先から雨が雪に変り、 395号線を降りてマンモスの町中にはいる所でチェーンコントロールの検問が始まるところであった。チェーンコントロールとはここから先の道路はチェーンを履いているか、 4WDの車でないと先に進めません、というポイントで、道路で車を止めてチェーンを付けさせるのである。しかしまだ始まったばかりでパトカーも出ていない。道路上の雪もたいしたことなく、私の経験から宿のシャモニーまでは問題なく走れると判断してそのまま通過する。午前 12時15分、シャモニーに着くと、この嵐に関わらず、すでに駐車場はほぼ一杯であった。そして向かいのカールのコンドのドアの前には予想どおりマグロの入った大きなアイスボックスが置いてある。俳優業を時たまやっているカールは最近話題の「トラッフィック」にも保安官役で出演していると聞いている。今日はすでに就寝しているようである。ビールを飲んで待つことしばし、午前 1時ごろ原、斎藤両氏がラス・ベガス・の誘惑に打ち勝ち、無事に我々に合流する。
翌朝、約 10CMほどの新雪のなかをゲレンデに向かう、可哀想ではあるが佐野さんは見学である。今朝のマンモスは珍しく新雪をグルームしていない。 16番リフトに乗ると眼下にはまだ手付かずの新雪がコース全体を覆っている。リフトを乗り継いで上まで行っていると、どんどん新雪が荒らされてしまうので 16番リフトを降りてすぐに一本滑り降りる事にする。積雪がもう少しあったらいいのだが、贅沢は言えない 10CMでも新雪にシュプールを描く感覚が味わえて満足である。 5番リフトの乗り場を見ると、まもなく開きそうなので、新雪を滑るためリフトラインに並んで 15分ほど待つ。待った甲斐があり一本目は良かったが、その新雪もすぐに荒され、結構湿った重い雪なので運動不足の原ちゃんには堪えるようである。斎藤ちゃんは最近腕を上げスキーが面白くなったようで、私の後ろをよく付いてくる。
山頂は雲に隠れている、視界が悪く、今日はあまり上には行かない方が良いかも知れない。かといって中級者向けの斜面だけでは面白くないので。中腹のなるべく人の滑らない斜面を選んで何本か滑る。雪は重いが旨く雪に乗れば急斜面でもエッジが効くので面白い。
午前中開いていなかった、山頂へのゴンドラがオープンしたので午後山頂に上がる。山頂は風があり、いまだにかなり視界が悪い。二人にどのコースを選ぶか聞くと、私にまかせるというので、何時もと違う裏に下りるコースを取るが、足下も見えないほど視界が悪く風もあるので皆、前の人に付いて進んでいくしかない。前の人の人影で滑る方向を決め、そこまで降りたら次の人影のあるところまで進む、という具合いであるが、段々前方の一団の進み方が遅くなる。どうやら前の団体も何処を滑っているか分からなくなってきたようだ。もちろん山のどの辺にいるかは分かっているのであるが、コースのどの辺にいるのかが周りが見えなくて分からないのである。それでも下りていくと突然視界が開け、 9番リフトの降り口に出た。私としては最初からこの九番を滑るつもりで来たのであるが、雪が重いのでかなり無駄な体力を使うであろう事は想像出来る。他の二人もここまで来たら選択肢なしで滑り下りるしかない、そして思った通り運動不足の原ちゃんと久しぶりのスキーの斎藤ちゃんは、日頃の不摂生がたたり、かなり厳しそうである。このコースは長いので二人とも途中から極端に休みが多くなって来る。雪のコンデションが湿って重くターンに、余計な力を必要とし体力を消耗する。いつもグルームされているか、パウダーの軽い雪になれたスキーヤーにとり , たしかに疲れる雪質である。いやいや、新潟の重い雪で育った私といえど、疲れるのである。
新しく出来たジュピター・スプリングのロッジで長い休みをとると、この日の体力はほぼ使い終わったようである。佐野さんの待つキャニオン・ロッジに戻る。ゲレンデの終わり、ロッジの前の椅子に陣取った佐野さん、来るスキーヤー、来るスキーヤーに「雪の具合いはどうだい ?」と聞き続けていたようである。雪の前で滑れないスキーヤーはお預けをくらった犬のようである。早くよくなって欲しいが、じっとしていられない人だからちょっとよくなるとすぐ無理をする、先日も少しテニスをやったそうである。
さて、早めに宿に戻った我々は一杯飲みながら私と斎藤ちゃんはカールの持ってきたマグロの解体に取り掛かる。カールはサンディエゴ・スキークラブの 副会長であり、昼に会ったら、「今回は恒例のレース大会に運営者として来ているので、今日も明日も朝 6時半にはゲレンデに行って準備をしなければいけないので、夕食時に皆にジョインしたい」という。「おい、それって飯だけ食わせてくれて言う事か ?」と思うが、マグロを持って来てくれたし、食糧は十分あるので、オーケーする。今夜は牡蛎鍋とマグロの刺身とソテである。
夕食時、毎回いろんなゲストを連れてくるカールの今日のゲストはサンディエゴ・スキークラブのメンバーでハイウエーパトロールの デスパッチ(配車)をやっているという女性である。彼女は生まれてこのかた、生の魚は食べたことがないという、またまた我々の格好なターゲットである。アメリカ人には生魚を食する事に対し二通りの人種がいる、日本食にはまって「寿司・刺身大好き何でも来い」という食通と、最初から「私は生の魚は食べれない」と思いチャレンジをしてみる前に拒否反応を起こしてしまう人である。そしてこのような人に出会う機会に恵まれた我々は何としても刺身の一片を口にいれて貰いたいのである。今までもカールの友達にはマンモスで始めて刺身を食べてすっかり気に入りその後、寿司屋通いをしている人もいるのである。
さて,まずは佐野さんが「我々はハイウエーパトロールの人とはチケットを切られる時しかお付き合いがないから、基本的にハイウエーパトロールの人は嫌いである」と宣言した上で、彼女の刺身に関する不安を聞く、こういう人達は生の魚は生臭いという固定観念を例外なく持っている。生臭いのは外側の皮のヌルヌルと古くなった魚であり刺身には新鮮さが第一条件であり、料理人により適切に処理された新鮮な魚肉には生臭さはない事を臭いを嗅がせて確認させる。そして欠かせないのが「わさび」である。この香辛料に関しては偏見のあるアメリカ人はいない、わさびは醤油と合わせることで生の魚をマリーネし味付けし、さらに殺菌効果をもち、食あたりを防ぐ。この辛さは唐辛子とちがい継続性がなく、喉元を過ぎれば辛さは発散され胃壁をダメージすることもない、といった説明にかなり安心しその気になってきたようである。
いよいよ私が 1センチ四角に切ってあげたマグロの一片を、わさび醤油に浸け彼女は恐る恐る口に運ぶ。第一声は「あら、生臭くないわ」第二声は「とっても味わい深い食べ物」彼女の持っていた刺身に対する観念は大きく変ったようである。そして彼女の使いなれない箸は、次の刺身の一切れへと伸びていたのであった。
いまアメリカで寿司やさんに通い詰めるアメリカ人はかならず何処かで知り合いから同じような洗礼を受けて寿司好きになってた人達であるから、我々はまた日本食文化を世界に広めたことになる。翌朝、我慢できなくなった佐野さんは滑るという。とりあえず無理をせず緩斜面を滑ってみようということなので私の膝のプロテクターを貸してあげて、皆でスキーを持ってあげ、キャニオンロッジに行く。もしプライドを捨てれたらおんぶをして連れて
行ってあげたいくらいである。
16番リフトから、そのままそろりそろりとミル・カフェに降りて佐野さんにはそこで待っていてもらう。しばらくウェストボールのバンプ斜面を滑って斜面中腹にあるミッド・シャレに休憩に入ろうとすると佐野さんが上がってきていて外の椅子に腰掛けている。ここからは目の前に 5番のリフトとその下のバンプ斜面が見えるので小休止のあと、我々の滑る姿を佐野さんは見ることができる。
最近斎藤ちゃんがスキーの腕をあげた、「最近うまくなったよねー」の声に「いえいえ、皆さんのまねをしているだけで、皆さんのおかげです」と謙虚な斎藤ちゃんの一言に「ほー、まねが出来たら大したもんだよ」とか「俺はそんな滑りはしていないよ」とかと、他の 3人はいやな奴に豹変するのであった。
帰りに温泉に寄っていくつもりなので10時半にはキャニオン・ロッジに向かい移動を始める。佐野さんはなるべく斜面のきつくないコースを選んで進む。途中、モーグルの斜面がある、佐野さんは遠周りをして下で待っている。斎藤ちゃんが一番手で滑り始める、回転は少し大きいがかなり安定してきた、見えなくなった彼を追い原ちゃんが行く。原ちゃんも最近少しモーグルのコツを掴みかけたとかで、調子の良いときにはスピードを殺してきれいな滑りをする。頃合を見計らって私も降りて行くと、二人とも上から見えなくなったすぐの斜面で瘤に飛ばされ引っ掛かっていた。私は一気に下まで降りて佐野さんと後の二人が降りてくるのを待つ。やがて降りてきた二人は一言ずつ言い訳をするのであった。フムフムと聞いてあげる。
途中から佐野さんを残しもう一本 22番リフトの正面のダブル・ダイヤモンドの斜面を行こうということになり再びリフトで上がる。 22番リフトの下はかなりの急斜面で、しかもバンプがある。しかし雪が柔らかいのでそんなに滑り憎くはないはずであるが、普段上手そうに滑っている人でも急斜面に行くとかなり粗が出てくる。疲れも出ている二人はかなり滑りに粗が目立ち苦労している。今回のエッセイも私だけずいぶん良い格好をしているじゃないかと非難があるかも知れないが、何をいわれようが雪の上では上手い者が勝である。後半最後の一滑り,私はあえて二人と分かれ、より深いバンプと急斜面のあるリフトの真下に出る。当然ここはリフトからのスキーヤーの眼が集まる場所である。呼吸を整えていると、上から若いモーグラーが元気に飛ばしてくる。こういう人が私の前を滑っては困るんだよね。しばらく観客の眼から残像が消えてくれるのを待っていると、中年のもっと巧いスキーヤーがスピードのある安定した滑りですっ飛んでいく。私はすっかりやる気を削がれてしまい、その後を私が滑っても上からの視線を感じられない。 だから言ったでしょう、雪の上では上手い人が勝つって、その言葉が我が身にもどり、ここでは私は惨敗でありました。
帰り道、ビショップの南の温泉に浸かって湯治をして行く。今日は地元の子供たちが大勢温泉プールで騒がしく戯れている。前回はがらがらで裏寂れた田舎の湯治温泉といった雰囲気があったのだが、今回は残念ながら子供の遊び場である。
翌週末、マンモスに戻ると、すっかり春であった。佐野さんもずいぶん良くなり 2日間滑ったがまだ本調子でなく、かなり抑えて滑っている。雪は春独特のザラメ状で ,すごい勢いで溶けているが分かる。私はこの時期のゲレンデは方々にモーグルを滑るバンプがあるので嫌いではないが、先週と打って変ってともかく暑い。汗をかきかきスキーをする。リフト乗り場の係員の制服もアロハになっている。今年のカリフォルニアの春は一気に夏の様な気温となり、雪解けのペースが速すぎる。やはり雪国の春はしたしたと雪の下からゆっくりと訪れて欲しいものなのである。