スキーに魂を売る          小堺 高志    2010年 1月11日

 

クリスマスにマンモスに滑りに行って以来、お正月を家で過ごした私は、次のマンモス詣が1月の第4週末と聞いていた。雪の良い時に一ヶ月滑れないのは寂しい。佐野さんたちはお正月にマンモスにいっているが、その後、ずっとシャモニーのコンドは他の人が使っているため使用できない。

 

そんな時、嘉藤さんからお誘いがあった。「宿が取れず、日帰りだけど、行きますか?」と日帰りでマンモスまでスキーに行こうという悪魔の誘い。

マンモスまで日帰り?そこまで私はスキーが好きだっけ?

結局、1ヶ月間滑れないより日帰りでもいいと、この誘いに乗ることにした。

今回、男二人に同行するのは、かほりさんという女性。

 

金曜には軽くお酒を飲んで早々と8時半には寝た。そして早朝2時には起きて、2時45分に嘉藤さんが家に迎えに来てくれた。電話を受け、真っ暗の中でゲートに出ると、どうも車から出て迎えてくれる頭数が一人多い。暗闇でよく見れば、何でこの人が居るの?仏の斉藤(太)さんが私の荷物を持って車に詰め込んでいる。

 

二人とも先週のお正月をマンモスで過ごしているので、斉藤さん一度は嘉藤さんのお誘いを断るメッセージを入れたそうだ。その後 嘉藤さんから電話があり、行くというまで電話を切ってもらえず、泣く泣く行くことにしたそうである。眉唾な話ではあるが、どちらかがスキーに魂を売った人物である。

 

嘉藤さん、斉藤さんとはもう8年ほど前、マンモスの中腹マッコイステーションの食堂で近くのテーブルで食事をしていた彼らに僕の方から声をかけた。その後二人の姿を頻繁にマンモスで見るので一緒に滑る機会が増え、友達になった。嘉藤さんは長野のスキー場の生まれで早くから競技スキーで活躍していた。その後ここマンモスでスキーインストラクターをしていたこともあり、マンモスに知人、友人が多い。

 

嘉藤さん、斉藤さんは、今まで何度かマンモスへ日帰りしたという話は聞いたが、さすがの私もマンモス日帰りは始めてである。キロに換算すると片道520キロ、往復で1040キロもある。滑っている時間より車で走っている時間の方が遥かに長い。

まったく、そこまで良くやるよと思うが、スキーに魂を売ってしまった二人はすでに何度か日帰りで1040キロの道を一人でも行ったこともある。今回は運転手が多いから楽なもんだと嘯く。

 

同行のかほりさんは10年近く前から嘉藤さんらは知っていたそうだが、駐在員の妻として8年ほど日本に帰ってからの出戻りなので、私は一緒に滑ったことはない。しかし、私の参加しなかった先週のお正月の連休にはマンモスに来ていたそうである。やっぱりマンモスが良いという。日本のスキー場は一日中ほぼ同じコースを滑り続けるのに対し、マンモスは一日中違うコースを滑られるのが大きな違いだという。

 

嘉藤さんの車は今期から新車のトヨタセコイアである。ナビゲーターは勿論、DVD,サイドミラーの霜とり、日よけマスク、スキーロッカー、100W電源、アイポット用の端子、と普通でないあらゆる装備がされている。これすべてスキーのための投資である。

私が予備ドライバーで嘉藤さんと斉藤さんが交代で運転してくれる。さすがにこの時間帯は道路が空いている。



夜明けとニューカーを運転中の嘉藤さん 

シャモニーのコンドから私のスキーをピックアップして、8時前にはスタンプアレーの駐車場に車を停める。まだ時間が早く数台の車が止まるだけ。着替えをはじめると、隣の車の若者達は朝からビールを飲みながらのスキー支度である。

我々も着替えて朝食のおにぎりを食べていると、数台隣に山口さん夫婦と戸川さん夫婦の車がついた。彼らは昨日から来てモーテルへ泊まっている。月曜まで滞在するそうで、日帰りなどを考えない、まともな一般的スキーヤーである。

 

リフトが動きだすのは8時半からである。私はこの時間からリフトの開始を待つのはほとんど経験がない。

まだゲレンデには人っ子一人いない。すこし曇りぎみであるが、風がなく温かい。クリスマスの時はまとまった雪が降ったが、年末に30cmほど振って以来、ほとんど雪が降っていない。その雪もずいぶん前回より溶けている。一番雪が降らなければならないこの時期にこの状態はスキー場にとり深刻な問題である。これから毎年こんな気象傾向がさらに強くなってくるのだろうか?



マンモス全景と人っ子一人いないスタンプアレー。朝からビールの隣人とスキーブーツを履く嘉藤さんかほりさん 

8時半にリフトに乗る。嘉藤さんが「じゃあ、足慣らし行きましょう」と滑り出す。後を追う、足慣らしがいきなりノンストップかい?

斉藤さんに「今日は何本くらい行きそうですか?」と聞くと「2時まで滑るとして、スキーに魂を売っている嘉藤さん、20本は越えるでしょうね」との事、「しかし、実は悪魔封じの御札があります。どうにも付いて行けなくなったら嘉藤さんの耳元でこう囁くんです『嘉藤さん、ビデオ 撮ってあげましょう』あの人は撮られるのが大好きですから、それで時間を取ってその間に休むんです」

 

その間にもリフトに乗り滑り続ける。かほるさんはかなり上手いスキーヤーである。「男勝りの滑りをしますね」これはスキーヤーには褒め言葉である。聞けば彼女のお父さんは60年代の後半、長野山岳会とかのヒマラヤ登山隊の隊長を務めたことのある医師。スキー一家でもありそうとう山に魂を売った方であるらしい。

休みなくほぼノンストップで滑り続けるので、かなりの距離を行く。1時間ほど休みなく

滑って嘉藤さんが言う。「足慣らし出来たので、やっとスキーに乗れて来ました」。えー、今までは何だったのだ。

フェースリフトから、マンボを降りましょうか、と話していたのが、リフトを降りる時には、山頂にゴンドラで上がってデービィスランへという話に変わっていた。デービィスランは急斜面なので足に来る。リフトの上でまた悪魔の囁きを受けたようである。

 

嘉藤さんに付いて行くにはショートターンしている間はない、今日はショートターンを封印して、大廻り中廻りでともかくで距離を行かなければならない。嘉藤さん、斉藤さんはスキーでマイルエージを貯めているらしい。5番の斜面でとうとう悪魔封じの御札を取り出す。「さー、ビデオ撮りましょう」やっと嘉藤さんが止る。ゆっくり時間をとってビデオ撮影に入るのがコツらしい。



やっとビデオ撮影のためにスローダウン、今週末ゲレンデはがらがらである 

昼食をとるため45分ほど休む。

斉藤さん、そう遠くない将来、退職後に日本に帰り、スキー場の近くで余生を送る予定を進めている。

斉藤さんは家事、洗濯、掃除、料理はパーフェクトである、意外と日本に帰って料理も洗濯も出来ない20代の茶髪ギャルと結婚でもしたらお似合いかも、などとからかう悪い奴ら。

 

午後からは山口さんの奥さんをいれ、5人で滑る。また、ゴンドラを使って山頂へ。今日はまた空いているので何処もリフト待ちがないので、休めないで余計に疲れる。12番リフトへ抜けて何度か滑る。やっとスローダウンして嘉藤さんにアドバイスを貰いながら滑る。私はまだ谷足に体重の多くをかける、古い滑り方をしてしまう。特に左足の山スキーに体重が乗っていない。ここ数年すこしずつ滑りを変える努力はしているが、細かく気にしながら滑ると私の滑りはまだまだなのが分かる。



 

今日はメインロッジ前でスノーボードの大会が開かれている。この大会はバンクーバー・オリンピック前の大会で全米からオリンピックに参加の決まっている選手が何人も出場している。

マンモスには子供達のスキーヤー、スノーボーダーを育てるプログラムがあり、全米から 英才教育を受けるために留学している子供もいる。その成果でマンモスから毎回数人のオリンピック選手が出ている。



ゴンドラから見たスノーボードの大会が行われているスノーパーク
 

2時に滑り終え、帰路に付く。今度来るまでにもっと雪が降って欲しい。

7時に帰宅して、別れ際、「また日帰りしましょう」、と二人。

「イヤだよ、今回は特別」。「でもそれが普通になるんですよ」と、やっぱり二人ともスキーに魂を売っている。1020キロだよ、日帰りはおかしいでしょう。
帰ってインターネットでこの片道520キロの距離がどのくらいになるのか調べてみた。新幹線の東京駅から新大阪駅までを車で高速道路を走るとちょうど片道520キロだそうである。これを早朝3時に出て、8時に着いて6時間スキーをして、夜7時に帰宅したことになる。

わー、オジサンスキーデビルにのこのこと付いて行く同じ穴のムジナにはなりたくない、と思いながらも、悪魔の囁きが耳元で聞こえるのである。

「あんたもスキーに魂を売りなさい」と。