小堺高志 2003年5月27日
最近、野良猫に慕われている。私が帰ると、家の隣の空き地に野良猫が待っている。私のあげる餌を期待しているようである。最初はかわいそうな野良ちゃんと思い、家の飼い猫が好まないキャット・フードを捨てるよりましと与えていた。飼い猫でないので、あまりなつかせて毎日私の餌を期待されると困るので、心を鬼にして3日に一回しか餌をやらないように心がけている。雨が降れば、どこで雨宿りをしているのかと気に成るが、最近やっと、そんな野良ちゃんにも過し易い季節となってきた。
1月2月に積雪の少なかった今年はどう言う訳か4月になって突然大雪が降り、とうとうマンモスでの観測史上4月中のトータル積雪量としては最高の92インチという記録を作ってしまった。そのため4月に何度か行ったマンモスでのスキーは思いがけない良い雪に恵まれ、春は何処の真冬でもなかなかない新雪を滑れたのである。
5月になって初めてのスキー行きは5月9日の夕方、佐野さんのところに集合して原ちゃんと3人で出発。先月終わりにフィッシング・シーズンがオープンしたため、途中で我々の釣りの師匠である 頼さんをピックアップして総勢4名で北に向かう。
4月に夏時間になり、すっかり日が長くなったが、食事をしてランカスターに着く手前で日が沈む。砂漠の夜空は澄んでいて星が美しい。
このところ、ちょっと寝不足であった私はモハベを過ぎると眠くなってきた。ロンパインの手前で、たまらず運転を変わってもらう。久しぶりに我々のマンモス行きに加わった頼さんが私の新車は初めてなので運転してみたいというので変わってもらうことにする。後部座席でうとうとしているが、通い慣れた道、だいたいどの辺を走っているかはなんとなく分かる。マンモスの街中に11時半くらいに入りコンドまで後2−3百メートルというキャニオン・ロードに入ったところで、頼さんと助手席の原ちゃんが「熊だ!」と叫ぶ声に起きて前方を見ると丸々と太った黒熊が車の7−8メートル前方の道路を横切っている。夜中にゴミ箱をあさりに出てきたようだ。
熊は道路を渡ると立ち止まり、振り返ってこちらを見ている。絶好のチャンスとカメラを取り出そうとすると、なんと頼さんちょっとスピードを緩めただけでそのまま車を走らせて行く。すぐに戻るわけにもいかず。「珍しく熊を観察出来たのに、止まらないで行くなんて」と全員から運転手の頼さんにブーイング。その後、我々の間では山男の頼さんのこの不可解な行動を“熊が怖かった説”と“熊を見慣れていて珍しくなかった説”が入り乱れ、真相は今だ闇の中である。我々の期待を裏切り、頼さんは反省はしている様子であるのでそれ以上は攻めないことにする。
土曜日の朝、佐野さんが釣りに行く頼さんをホット・クリークというフライ・フィッシングの川に送って行く。時間的には30分で帰ってこられる距離であるが、なかなか帰ってこない。スキーの用意をして待つこと1時間半、やっと佐野さんが帰ってきた。頼さんのペースに巻き込まれなかなか放流出来なかったとか。
さて今回、前日に季節外れの1フィートの雪が降った。しかしこの時期、半日 陽が照れば午後はスプリング・コンデションのベタ雪になり、翌朝は硬い凍った雪になる。期待しないまま、9時ごろスキー場に向かう。4月一杯で歩いて行けるキャニオン・ロッジは閉まってしまったので、スキーのリフトに乗るには約4マイル離れたメインロッジか、その少し手前のミル・カフェーのあるスタンピー・アレーのリフト乗り場まで車で行かなければならない。
スタンピー・アレーの駐車場にスペースを見つけ、靴を履き替えリフト乗り場に行く。
第一声が「すっごい良い雪だよ」踏んだ雪がまだ粉雪で生きている。リフトから下に見えるまだあまり荒らされていない斜面とスキーヤーの上げる雪煙を見ればこれから滑る大体の雪質が分かる。リフトを降りると、さらに上に行くフェース・リフトの乗り場への短い斜面を滑る。実際に滑り出すと、思った以上に上質な雪質である。フェースの斜面や、いつもはでこぼこのバンプの出来るウェスト・ボールも新雪にたっぷりと覆われている。しっかりと反応のある柔らかい雪で、滑っていると思わず笑顔になってしまう。リフト・ラインで待っていると、どのスキーヤーも満面の笑顔で降りて来る。
ドライ・クリークから5番リフトへ移動するが、どこも真冬のような雪質で、まさに儲け物の春スキーである。雪がいいと思い道理にターンを切れる。
ゴンドラで山頂に出ると、いつもなら階段を数段下りてゲレンデに出るのに、今回はそのまま水平に表に出てしまう。階段が雪に埋まっている。さらに表に出た正面には4メートルほどの標識塔が立っているのであるが、先月来たときは60センチほど雪面から出ていたはずであるが、今回は探さないと見えない。かろうじて先端が10センチほど雪面から出ていた。つまり、この時期、例年ならどんどん雪解けが始まっているべき時に、5月になって先月より積雪が増えているのである。こんな5月は私がマンモスに通い始めて20数年になるが始めてである。
今日は午後からは釣りをするため、12時半くらいには、スキーの部を終了して頼さんをホット・クリークに迎えに行く。谷の上から無線機で頼さんを呼び出すと、やがて谷から上がってくる。そのままクローリー湖に向かい釣りを始める。ビールとワインを飲みながらの釣りを楽しむ。今日は魚の食いが悪い。それでも原ちゃんが一本釣り上げた。今年は予算削減で放流数が少ないのではないかと言う意見があるが、そうであれば釣れないのはブッシュ大統領がイラクでお金を使って予算を減らしたからである。
翌朝早く、5時半ごろすでに頼さんは起き出して、釣具の用意をしている。それも静かにしている訳でなく「起きろ、起きろ、早く起きろ」とばかりに容赦のない物音を立てている。仕方なく私が起きると原ちゃんも起きた。頼さんは「あれ、起こしてしまったかな?」などと言うから、確信犯である。原ちゃんは今日はスキーはせず、頼さんと半日フライ・フッシングをするというので私が釣り組みの二人を送っていくことにする。
釣りの季節になってスキーと両方楽しめるようになるとスキーと釣りへの力の入れようが各自違ってくる。原ちゃんの場合フライ・フィッシング7でスキー3。佐野さんがスキー6の釣り4。私はスキー7の釣り3くらいであろうか。
佐野さんとスキー場に行くと昨日から一日で雪質が変わっていた。昨日の午後、一度融けた雪は夜間の冷え込みで硬くなっている。それでも日中の温度が低くてあまり解けなかった山頂のほうは、ガリガリの雪でなくまだましである。ゴンドラを使って山頂にあがる。ゴンドラの真下、クライマックスと言う最難関のブラック・ダイヤモンドになる斜面を滑るとかなりでこぼこになっている。このくらいの急斜面で、でこぼこだと小回りのターンを切るのはとても難しい。斜面を読みながらのジャンプ・ターンになってしまう。再び山頂に戻り、次に滑ったコニースは急斜面でもグルームされ均されている斜面なので、はるかに滑り易い、ショート・ターンを決めてみる。10時くらいになると下の斜面も固かった雪が解けて、ちょうど滑りやすい状態になって来た。ウエスト・ボールのモーグルを何度か滑り、今日も早めにあがる。
釣り場のホット・クリークに頼さんたちを迎えに行くと、スキーの終了の時にはあった私のフィッシング・ライセンスが見当たらない。佐野さんに厭味を言われながら探すと、車の中、座席の間に挟まっていた。コンドに戻り、帰り仕度をしてマンモスを後にする。
40分ほど走ったビショップの街でランチのために止まると、佐野さんが「マンモスに財布を忘れた」という。免許も入っているので戻ってあげることにするが、私がライセンスをなくしたと思った時にはあれほど厭味を言った佐野さんがすっかりおとなしく、「今後、誰かが何か忘れても一切非難しません」というので、ここは私も紳士協定を結ぶことにする。今後、歳と共にどんどん忘れ物の多くなる我々は非難しあうのは止め、互いに支え合いましょうというなんとも友情溢れる協定である。
忘れ物は結果的に出てくれば、すべて良しである。探しても出てこない時は紛失物であり、これは困るが、幸い何時も出てくるからこれは忘れ物ではなく一時的に置き場所を忘れたという“度忘れ”であろうか?
季節外れの春の新雪がすべてを覆い隠してくれた。うららかな春の週末であった。
2週間後、メモリアル・ホリデーの3連休、残り少ない春スキーを楽しんで来た。釣り場で車のキーをトランクに入れたままロック・アウトするという、大失態を演じたが、前回の紳士協定のため皆さんに暖かく見守られ、感謝する。
ホット・クリークの清流の中に湧く温泉に久しぶりに入る。連休のため50人ほどの入湯者がいて、大変な盛況であった。ここは川を流れる雪解け水と川底に湧く熱い温泉が川の中で混ざり、ちょうど良い湯加減の場所を探しても、冷たくなったり、熱くなったりという、なかなかスリリングな温泉である。温泉からあがる時は冷たい流れを横断して戻らなければならず、結果的には決して温まれない温泉なのであるが、いっさいが自然のままで、そのユニークさではなかなかお目にかかれない温泉なのである。
今年のスキーシーズンは6月22日が閉場日と聞いた。おそらくもう一度、週末に滑ったら私達の8ヶ月におよぶ今スキーシーズンは閉じる。帰りにみるセラネバダ山脈の雪線もかなり高度をあげ、緑が増している。車の窓をあけると、夏の風が飛び込んで来た。