小堺高志 12月9日2002年
過ごし易い気候が続いている。肌を刺す冷たいスキー場の空気が恋しく思えるこの頃であるが、季節感のないここロス・アンジェルスでは、スキーシーズンの到来を感じさせるものは夜見上げる冬の星座オリオン座くらいである。
マンモスの今シーズンのオープニングは11月7日木曜日である。実質的なオープニングは週末である土曜日11月9日。これは春から決まっていたことであり、例え自然の雪が降らなくても人工雪でスキー場は予定通りオープンするはずである。
今年は寸前まで自然の恵みがなく、人工雪によるゲレンデが一面くらいの寂しいオープニングになるのかと思っていたら、7日からカリフォルニア中部地方に大きな嵐が来た。佐野さんから電話で「この週末にかけて5フィートの大雪だよ!」と嬉しい連絡を受けるが雪は水物、お化けと一緒で見るまで信じない冷静な私である。 …はずである。
金曜日のロス・アンジェルス地域は朝から絶え間なく雨が降っていた。この大量の雨が全て雪になれば5フィートの積雪も夢ではないと思われる。マンモスに向かう道中も、かなり強い雨が降り続けている。気分はすっかり初滑り、めざすは5フィートの新雪である。
しかし、幾分気温が高い。北に向かう車の窓から手を出しても一向に空気が冷たく感じられないのである。
今年はエル・ニーニョの影響が出るといわれている。前回のエル・ニーニョの年には湿った雪が多く、ローカルのスキー場では雨に降られたりで安定しない雪質であったが、マンモスはエル・ニーニョの恩恵を受け大量の雪が降ったと記憶している。
395号線を降り、マンモスの市街手前からやっと雨が雪に変ってきた。風が強く、時おり突風となり正面から雪が襲う、ヘッドライトに照らし出された雪が舞う。いきなり冬将軍のお出迎えである。吹雪いていると意外と雪は道路に定着しないので、面倒なチェーンを着けることなくシャモニーのコンドミニアムまで到着することが出来た。駐車場には既に思ったより多くの車が止まっている。こんな嵐のなか、それでも初滑りを待ちわびた我々のようなスキー野郎が大勢いるようである。着いてまずやる事と言えば、持ってきたシャンペンを開けて新しいスキーシーズンを祝っての乾杯である。例によって乾杯の理由はなんでも良いと言えばなんでも良いのであるが、今回は一貫してオープングという大義名分がある。「今シーズンも楽しいスキーが出来ますよう。乾杯!」
翌日から滞在中の2日間は突風を伴う吹雪であった。朝から外に見える松林の枝が強く揺れている。マンモスはこの風さえなければ素晴らしいスキー場なのであるが、いつも風には悩まされる。風のためにせっかくの雪がゲレンデにつかず、どこかに飛ばされてしまうのである。そんな時、風に晒されているゲレンデに残るのは『シィエラ・ネバダ山脈のセメント』と呼ばれる凍ったガリガリのスロープである。
この季節に自然の雪に恵まれる事自体、感謝すべき事であるから文句は言うまい。
それでも山全体には2フィートほどの新雪があり、吹き溜まりや林の中にはけっこう良い雪もあるのだが、突風のために全面オープンとはいかず、メイン・ロッジ前の3つのリフトしか開いていない寂しいオープニング・ディーであった。そのリフトも風のため激しく揺れ、頻繁に止められる。長いリフト待ちの後、久しぶりの雪の感触を楽しみながらゲレンデスキーを楽しむ。まだコースから外れるといろんな障害物があり、石や切り株やらを踏むことになるのでグルームした斜面から外れられないのである。それでも滑り初めとしてのゲレンデはまずまずのコンディションである。嵐の中、身を刺すような寒さでシーズンの到来を感じ、嬉しくなってしまう。この程度の寒さは最近のウエアは進歩しているのでその日の気温に合わせたウエアを選び間違えなければまったく問題ない。
限定されたゲレンデしか開いていないので、早目に切り上げることにする。二人が上がった後、マッコイ・ステーションの裏の斜面にいい雪が付いているというので、最後の一滑りに私だけ向かう。風がいよいよ激しくなり雪が横殴りに吹き、またリフトが止まってしまった。いつものように5分くらいで動き始めるだろうと高をくくていたら、これがなかなか動き出さない。10分を過ぎ、動いている時を想定しての充分な防寒服でもこうやって寒風に晒されるとだんだんと寒さが堪えてくる。さらに10分が経過し、一番手薄な指先、足先、顔などから温度が奪われて行くのが分る。風さえなければ体感温度は10度くらい高くなるのであるが、風はいけない。隣のスノーボーダーの若者も「寒いぞ!、早く動かせー!」と叫んでいる。ピシピシとあたる雪混じりの寒風から顔を守る為、腕で顔を覆いひたすら耐える。
その間約25分のリフト停止はひょとして私の経験では最高記録かもしれない。下に降りると目の前の駐車場に停めた暖かい車の中で二人は私の不幸をみて、「いやー、最後の一本付き合わなくて良かったネ」と安堵していたのであった。「佐野さん、貴方がマッコイステーションの裏にいい雪があると言うからいったのに、こんな寒い思いをした割にたいした事なかったよ」と抗議しても後の祭りである。
2週間後、サンクスギビングの4連休、11月27日水曜の夜に再びマンモスに向かう。今日、向かいのコンドのユニットを持つカールの一家もサンディエゴからマンモスに向かっているはずである。連休の初めで郊外に向かう道路は何処も車でいっぱいである。マンモスへの到着は午前2時であった。ビールを飲んでいるとカールがドアをノックした。引退後、映画俳優の仕事を道楽でやっているカールは、また映画の撮影に入っており、サンタアナの競馬場周辺で既に4週間撮影を続けており今回は馬主の役だという。この日は夜9時半まで撮影をしていたのでマンモスに今ついたばかりだという。よってサンディエゴにもどり友達の船から新鮮なマグロを手に入れる暇がなく今回は冷凍の切り身のマグロを持って来たとのことであったが冷凍焼けしており、刺身に出来る新鮮さはなっかた。カールの奥さんバージニアは火曜日に付いてひたすら謝肉祭ようの
サンクスギビングの夕刻、例年のようにカールの友達が集まってくる、すでに会った事のある人や初めて見る顔、あいかわらずこの夫婦は顔が広く友達の層が厚い。今回もドイツ人、ハンガリー人と国際色豊かな顔ぶれである。昨年も会ったことのあるナンシーさん、彼女の夫ジョンさんの姿が見えない、聞けば今年なくなられたという。昨年までここでのサンクスギビィングのディナーに欠かさず出席されていたのに残念である。ジョンさんは82歳であった。1952年にサン・ディエゴ・スキークラブを創立し、このクラブは今ではサンヂエゴからオレンジカウンティーにかけ多くの会員を持ち、アメリカ・スキー協会の末端組織でもある。50年以上前、サン・ディエゴ・からマンモスまで12時間をかけて曲がりくねった道を来て、駐車場の車の中で泊まったり、歩いて山頂に登り、スキーを楽しんだそうである。その頃のスキー仲間の一人が、マンモス・スキー場の創業者である、マッコイさんであったそうだ。一昨年までスキーをされていたが、まさに一生スキーを愛し続けたスキー野郎であった。
遅い時間にカールの息子エリックが友達のジャーミーと着いた。5年間のスウェーデン留学から帰って3度目の冬、我々とは丁度一年ぶりの再会であるが相変わらず白夜で鍛えられた所為か、夜が更けるほどに元気になる。エリックは我々の影響か、日本文化に興味を持ち、今は錦鯉にはまっていて、自宅に20フィートの池を掘り錦鯉を20匹ほど飼っているそうだ。本を読み、我々よりはるかに鯉に関する専門知識を持ち、いまやなかなかの趣味人とお見受けした。
しかし鯉は飼いならせても、恋は上手くいかずスウェーデン人の奥さんとはもっか別居中で離婚訴訟の最中と聞いた。 今回初めて一緒に来たジャーミーは2年間日本に海軍の兵隊として滞在していたそうで、「世界中で日本が一番大好き、また戻りたい」といって憚らない。何しろそれまでテキサスを出たことのなかった田舎者であるから東京の生活は刺激が強すぎたようである。聞けば兵隊として横須賀に駐在していた彼は夜な夜な六本木くんだりまで出勤していたそうである。「出勤?」「そう、六本木のクラブで働いていた」と言う。しかし彼はアンクル・サムのしもべ、星条旗に忠誠を誓いお国のために出兵している兵士であったはず。アメリカ軍の規律から言っても、日本の出入国管理法から言っても合法に働けるはずがないのであるが、彼は「どちらもダメで、どうせ駄目なら何でもあり」と訳の分らない理論を吐くのである。ほとんど犯罪者である。しかしテキサスの田舎カーボーイも六本木界隈で磨かれ、日本での環境に適応し皆に好かれていたようで、日本での2年間を懐かしんでいる。軍隊にはそんなに忠誠心をもたないアメリカ人のジャーミーも「世界中のどの国より日本と日本人が大好き」と嬉しい事をいってくれるので私としては不法労働の件は目をつぶってあげたいのである。
12時を廻った。何しろ夜に強い二人のペースに巻き込まれないよう我々おじさん軍団は自衛、防衛するのみである。この2匹の夜の蛾はスパで貰った女の子のコンドのユニット番号を3つ持っていて、「この後15分ずつそれぞれの部屋を訪れて、それから街に飲みに行く」と言う。この若者パワーには呆れる限りであるが、当然夜の蛾は朝には弱い。
土曜日の昼マッコイ・ステーションでランチを摂っていると隣のテーブルの日本人から声をかけられた。先シーズン話したことのある斎藤さんと嘉藤さんであった。二人とも我々と同じくロス・アンジェルス方面から遠くマンモスまで頻繁に通い続ける中年スキー野郎である。
改めて紹介しあった後「午後から一緒に滑りましょうか」とスキーヤーとしては当然の成り行きとなる。もう一人、彼らのスキー友達で地元マンモスに冬の間暮らしているというケーオーさんを交え6人で彼らの今日のお奨め、12番リフトに向かう。今日は山の上部は霧に覆われ視界が悪いため下の方でコンデションの良い雪を捜して行くことになる。
彼らの言う通り12番リフトの下は他と較べれば結構良い雪が付いていた。次にどのリフトに乗るか滑り始める前に声をかけ合い、そのリフト乗り場に向けて一斉に滑り降りる。今回は全員のレベルがかなり高い。
リフトに乗る組み合わせを変えながら話したところによれば嘉藤さんは長野県の出身でお父さんはスキー学校の校長をしておられたそうで、兄弟もスキー選手、自身もインストラクターの資格を持つスキー野郎である。彼が中心になって30人くらいのスキークラブを作っているそうで、我々と同じくらいの頻度でマンモスに通っているようである。斎藤さんはそのメンバーの一人で最初は嘉藤さんのスキーに付いていくのが大変であったそうだが6年間一緒に滑り続け、今では年齢を感じさせない力強い滑りをして何処でも滑り下りていく。
ケーオーさんは日本語を話す韓国系のスキーヤーで5時間かけて雪山に登り滑り降りるとか、雪中に10日間テント暮らしで過ごすとか、話を聞けば聞くほどワイルドで人間離れした人である。すべりも独特のワイルドなスタイルで飛ばしていく。
嘉藤さんもそうだが一般にレース経験のある人はスピードに乗った滑りをするが、私の仲間は基本的に私の影響でスピードを殺した細かいターンを楽しむ滑りである。スピードを追っても、回転の細かさを追っても身を入れた滑りをするとやはり体力の勝負になる。スキーはゲレンデを選べば年齢に関係なく家族が一緒に楽しめるリクレーションスポーツであると同時に、ハードな滑りを追求するスキーヤーにとり100メートルを全力疾走するほどの激しいスポーツでもある。
シーズン5日目、そろそろ体力的に慣れてこなければならないのであるが、今シーズンの私はいまだに運動不足を感じる。正直にいえばあまりシーズン前のトレーニングをしてなかったので例年になく息が乱れるのである。モーグルなどは、滑っている間呼吸するのを忘れていたんじゃないかと思うくらい呼吸が荒くなる。シーズンは始まったばかり、まだ無理をせず、暫くは休み休み滑るしかないのようである。
今回の最終日、4日連続で滑ることは私にとっても久しぶりである。スキーは午前中の2時間と決めて、8時半から滑り始めると、昨日の積雪をグルームした雪質は無風、低温のため凄く良い。雪が良いと左右に振ったスキーが気持ち良く戻って来る。
原ちゃんが珍しく先頭を行く、長い斜面なので最初は幾分大きなターンで体力を温存しているようである。佐野さんが続く、私が追う。私は佐野さんの跡をトレースして行く。やがで佐野さんが小回りのターンに入っていく、私も続く。長い斜面をすべて小回りのターンで刻むのは結構体力の要る大変な運動である。雪質が良いため思わず4日間の疲れを忘れて一気に滑り降りてしまう。気持ち良い一本であった。これを最後とキャニオン・ロッジに戻るリフトに向かうと、丁度すれ違いになった嘉藤さんが 「一本行きましょうか?」と声をかけてくれたが、ちょっと残念な思いを残しながら「もう帰りますから、また!」と別れる。
早めにマンモスを出た我々は、ビショップの KEOUGH'S温泉によって湯治をしてゆく。連休でもっと混んでいるかと思ったが、ほぼ我々の貸切状態であった。暖かいお湯が疲れた全身を癒してくれる。これで長いドライブがなければもっとリラックス出来るのであるが、まだ4時間のドライブが残っている。
雪山を離れると先ほどまでいた雪景色が夢の中での出来事のように温泉の湯煙と共に消えていく。帰りの道路、右手にはついこの間登ったマウント・ホイットニーがすっかり冬化粧をしてその高峰を見せている。山頂は寒風が吹き荒れているようであるが温泉で温まった我々にとり、車の外に見える雪山は絵に描いた風景のように現実味のないものにと換わっていた。
明日からまた忙しい師走の仕事が待っている。