スキーシック       2月3日2006年           小堺高志

 

昨年のサンクスギビングの連休以来、2ヶ月ぶりのゲレンデへの復帰である。スキーヤーにとり一番良いこの時期に雪の便りを聞きながらも、スキーにいけないのは辛いものであった。ホームシックと言う言葉があるのだから雪を思い憧れる状況を表すスキーシック(スキー病)と言う言葉があっても良いと思う。 

12月12日に胃の上部を狭める腹腔鏡による手術を受けた。この手術で何度も喉に出来た腫瘍を作る原因である胃液が喉に上がるのを防ぐことができ、順調に行けばこの病気から完治ということになる。

一月になっての検診で胃の方も喉の方も『手術後の経過順調でもうほぼ心配ないだろう』と言われ、次のU.C.L.Aでの予約はずっと間が空いて4ヵ月後である。まだ少し長く話すと風邪で喉を傷めた時のような軽い痛みはあるが、確実に良い方に向かっているようである。完治までもう少しである。

 

1月27日金曜日夜7時、先に出た佐野さんはもうマンモスに着いている頃である。トーレンスの家を出て原ちゃんと今回のゲスト雅美ちゃんをピックアップするためレドンドビーチに向かう。実は彼女に会うのは今日が初めてである。彼女は駐在員の妻として4ヶ月ほど前にこちらに住むようになったばかり。私のホームページを見つけ、アメリカのスキー事情についていろいろと私にアドバイスを求めて来ていたスキー大好き女性である。初めての海外生活で、冬になったのに日本でスキー仲間と通っていたようにはスキーにいけず、私とは違った意味で雪の知らせを羨ましく思い、スキーシックに罹っていた。

今回出発の日の午後になって誘いのメールを入れて見たらすぐに「是非ともお願いします」と連絡があった。会った事が無くても私のホームページで私とそのスキー仲間のことは知っていたから、迷うことなく参加を決めたようだ。ガーディナーで蕎麦を食べて、いつもより遅い時間8時40分ごろの出発になったが、かえって渋滞が無く快適に進む事が出来た。モハベを過ぎると頭上に満天の星空が美しい。着いたのは午前1時20分頃、久しぶりのマンモスは雪に覆われ、パーキングも車で一杯である。荷物を入れていると佐野さんが起きて来た。明日は少し雪が降るそうである。

 

朝起きてコーヒーをいれ昼食用のサンドイッチを作っていると嘉藤さんと佐々木さんが来た。佐々木さんは夕方には帰るが、嘉藤さんは今夜はうちのコンドに一晩泊まる予定である。コーヒーを飲むと二人は一足先に出かけ、我々も簡単な朝食を摂って後を追う。外は雪が降り始めている。キャニオンロッジ・エクスプレスのリフトで上に上がるとこの辺はいつもながら風が強い、マスクで顔を覆う。リフトを降りてすぐ5番のリフト乗り場に移動する。乗り場で振り返ると皆が下りてくる。簡単な斜面であるが始めて雅美ちゃんの滑りを見せてもらう。基礎のしっかりした雪面を捉えた良い滑りをしている。これでスキー歴4年というから日本で良いスキー仲間を持っていたのが分かる。5番リフトを降りるとまた5番リフトに戻るためソルトゥードを下りるが視界が悪く足元の雪面が見えない。滑っているとまっすぐ立っているのか斜めに立っているのか自分の姿勢が分からない。初めは病み上がりのため目眩がしているのかと思った。サングラスをゴーグルに替えるが見えない事に変りは無い。この状態は苦手である。雪と風で上の方に行くリフト、ゴンドラは止まっているし、ここから山頂は雲に覆われていて見えない。しばらくは視界の良い麓で滑るしかなさそうである。

 

マッコイステーション近くのフェースリフトに移動するとまもなく加藤さんと佐々木さんが合流する。風が強いので今日は林の中の斜面の方が雪が付いて雪質が良い。上の方はまだ視界が悪くて開いていないが麓のコースを滑ると足元の雪面が見えて滑り易くなってきた。嘉藤さんはオーストリア国家検定スキー教師などを友達に持つプロに近いスキーヤーであるし、佐々木さんも北海道育ちのインストラクター。豪華メンバーである。

嘉藤さんを先頭に私、佐々木さん、雅美ちゃん、佐野さん、原ちゃんが滑る。雅美ちゃんも4年目とは思えないスキーで付いて来る。

 

私はずっと静養をしていたため、11月末にスキーに来た時から2ヶ月間、まったく運動をしていなくて12ポンド(約5キロ)体重が減っていた。体力的にはもちろん、筋肉もかなり落ちている。それでも滑りたい思いは誰よりも強い。しかし時折、足が付いて来なくて足がもつれるのである。でも心配していたお腹の手術の方はスキーをしていて全然気にならないほど回復していた。久しぶりに思い切り滑れそうである。

雅美ちゃん曰く、巧く滑れた時は胸の辺りにアドレナリンが吹き出るのが分かると言う。他の人に言うと笑われるそうだが、その感覚は私にも分かる。彼女はよほど待ち望んだスキーなのであろうニコニコしながら滑っているのが印象的である。スキーシックを治すにはこれしかない。 

昼マッコイステーションに行くと一階に皆が集まっていた。斉藤(太)さんは今回ホッケー仲間の総勢9名で来ていて、初心者のレッスンから皆さんのエンターテイメントまで忙しそうである。午後2時半ごろ佐々木さんが帰るので嘉藤さんは荷物を取りにいくため先にあがる。佐野さんと原ちゃんも一緒にザ・ビレッジに行くというので私は雅美ちゃんと4時近くまで滑ることに。彼女は足が強く疲れ知らずのようであるが、私は2ヶ月の休養のツケを払わなければならない。午後になると降り続けていた雪が3インチほど積もり、ローラーコーストを行くと雪質としては最高に近くなってきた。疲れが足に来ているがリズムに乗って来るとなかなか止まれなくて、つい無理は承知で足の限界まで攻め続けることとなる。4時近くまで滑って久しぶりに丸一日のスキー三昧であった。

 

コンドに戻って夕飯の準備をしているとカールが来た。彼は向かいに自分のコンドを持っているがレントアウトしていて今回は客が使っている。そこで我々の所に一晩の宿を頼んできていた。今回はサンディエゴ スキークラブ主催のレースに参加のために来たが、すでに10年以上前にリタイヤして、悠々自適に暮らし、時たま映画に出演している。1月の第一週にはマンモスで冬季オリンピック用のアメリカンオンラインのテレビコマーシャルの撮影があり参加していたそうで、2月10日からのオリンピックの放映時にはテレビにカールが映るはずである。そんな訳で総勢6人は少し狭いが、幸いマンモスにオープンした寿司屋にコンサルタントに来ている佐野さんの知り合いが借りているモーテルに空きが出たので食後、佐野さんと原ちゃんがそちらに移動するとこになり私が車で送っていく。雪は止んでいるが道路はかなりつるつる状態であった。

 

翌日、朝から風も無く晴天である。今日はもう帰らなければならないがコンディションが良ければいつもより少し遅くまで滑りたいと言うのが皆さんの希望である。佐野さんと原ちゃんは少し遅れて来たので、私は嘉藤さん、カール、雅美ちゃんと先に出てリフトが動きはじめる8時半から滑るつもりで8時10分にはすでにキャニオンロッジに着いていた。私は昨日チューンナップを頼んでいたキャニオンロッジ内にあるスキーショップにスキーを取りによる。前回岩の上を滑って裏面がぼろぼろになっていたのが綺麗に直りワックスされていた。やる気満々で25番を朝一番で滑るために8番リフトに乗る。8番リフトを降りて25番リフトに向かうと、今朝はグルームされている所よりされていない所の方が雪が柔らかく良い。25番をもう一度もどる。コースの端のふわふわ雪の上を行くと気分は最高、嘉藤さんがすぐ横を行く、そして雅美ちゃんとカール。真っ青な空の下、真っ白なまぶしい雪、そこを自由に滑るとアドレナリンが出る瞬間である。

昨日閉まっていた山頂が開いて、やがて山頂のデーヴスランに最初のスキーヤーが現れたかと思うと、瞬く間に蟻の子のように現れたスキーヤー達にバージンスノーは荒らされていく。

 

5番リフトを降りてリフトの下を滑る。グルームしてないコースであるが私は雪が良い時はオフピストの方が好きだ。このコースの上部は風が強くて雪の付きが悪いが下部は荒らされてはいるが、まだふかふか雪が残っていて、この浮き沈みする感触が大好きである。私だけ一本違う筋を行き、下で合流する。嘉藤さんもこの雪に満足そう。

フェースリフト周辺で佐野さんと原ちゃんを探すがなかなか見つからない。ここでの二人の行動パターンは熟知しているつもりであるが姿が見あたらない。原ちゃんが無線を持っているがちょうど電気切れになってしまい連絡がつかない。電話も応答がない。

嘉藤さんのアドバイスを受けながら4人で滑り続ける。そしてゴンドラで山頂へ向かうためラインに並んでいたらやっと原ちゃんから電話が入った。マッコイステーションで休憩中であるという、休憩に入るのが早過ぎて長すぎるから会えなかったのである。後で落ち合うことにして、山頂から一本滑ることに、山頂で記念撮影後、カール、雅美ちゃんに付き合ってコーネスから降りる嘉藤さんと別れ、私はクライマックスを降りる。ここはダブルブラックダイヤモンドである。雪は深く気持ちがいいが、急斜面なので疲れる。

昼やっとマッコイステーションで佐野さん達と合流、しかしたっぷりと休みを取った彼らは休んでいる我々を置いて先に出かけてしまった。斉藤()さんと会い、ここで斉藤さんと一緒に帰る嘉藤さんと別れる。休憩後カール、雅美ちゃんとローラーコーストなどを何本か滑った後、5番の裏に下りて8番の上に回り込んでキャニオンロッジに下りて終わるつもりである。5番に乗るとリフトの下に午後1時の集合時間に合わせキャニオンロッジに向かう佐野さんと原ちゃんを見つけ声をかけたが、我々はそのまま予定通り裏側に降りていく。雪は最高で気持ちよく滑る。後半カールに先に行ってもらったがそれが失敗、キャニオンロッジへ戻るには8番に向かって左へ左へとカットしていかなければならないところを下に下りすぎた。しょうがなく一度イーグルへの平坦なコースを下り、イーグルの6人乗りリフトに乗り、8番のコースに戻り最後の一本はレッドウイングの小さな瘤を滑る。これで病み上がりのおじさんは体力を使い切ってしまったが瘤はやはり面白い。キャニオンロッジに着くとちょうどスキーを脱いでいる佐野さんに会った。お疲れさまでした。

  

 雅美、私、カール、嘉藤の諸氏

シャモニーのコンドを後にしたのは午後2時を回っていた。ビショップを過ぎた頃、佐野さんがマンモス滞在中に何度かメッセージを残していたシェリーという女性から電話が入った。この変わった女性の事を佐野さんの話を元に記録しておきたい。

佐野さんがクリスマスから1月2日までシャモニーに滞在していた時、夜のリクリエーションルームで、ソファーに寝ている日系人の女性を見つけ、「ここは10時には閉まりますよ」と話しかけたところ、「オーマイゴッド!」と起き上がり、話しているうちに知り合いになった。その後も何度か会い、佐野さんが2週間前にマンモスに来た時もまだマンモスにいた。彼女はスキーヤーでもスノーボーダーでもない。ハワイの裕福な家庭の出のようで、ボストンの有名大学を出て、サロモンブラザーズと言う有名投資会社で働き、その後ハワイに一度戻って、しばらく働いていたが仕事をやめ、一人でハワイから流れ流れてマンモスに着き、佐野さんと会った時にはシャモニーに部屋を借りていた。ここが気に入ってしばらく滞在したいと言うのは良いが、スキーもせず、一人で一泊2百ドルもする宿を借り、ユタのカーソンから借りてきたSUVのレンタカーをほとんど使う事が無いのに、いまだに借りっぱなしにしている。そして昼はゴンドラでマッコイステーションに上がって来て高い昼食を食べていくと言う。佐野さんはこの世間離れしたお嬢さんをまずはこの高いスキー場のコンドを引き払い街中のモーテルに移る事、そしてレンタカーを返してバスで移動する事をアドバイスしてきたが,いまだに、コンドに住み、モーテルはいやだ、今度は2ベッドルームの一泊400ドルの所に移りたいだのと言っている。

佐野さん「貴方は旅行者なんだから、二部屋も要らないでしょう」

シェリー「一部屋は衣類を入れとくの」

佐野さん「一部屋分も衣類があるわけ無いでしょう」

シェリー「でも狭いところはいやなの、だからモーテルはだめ」

佐野さん「、、、、、、、、、、? それよりずっとマンモスにいる間メッセージを残していたのに、なんで帰りがけの今になって連絡が来るの?」

シェリー「2日間メッセージを聞かなかったもん」

佐野さん「貴方のメッセージの返事は何時も2日遅れだね」

シェリー「大体、なんで何時も週末しか来ないの?」

佐野さん「シェリー、普通の人はね、月曜から金曜までお仕事なの」

こんな調子であるが仕事を探してライトエイド(日本の駅前薬屋さんのチェーン店のような所)に求職の申し込みをしているそうである。たとえ就職出来たとしても、絶対に使う金額の方が多くて赤字生活になろうが、あまりお金にはこだわっていない様である。大体がアメリカにはオーバークオリファイドという言葉があり、その職種に対して必要以上の資格がある人は採用されないことが多い、分かり易く言えば大学教授が工事現場の職に願書を出しても、「貴方にはもっと相応しい職業があるでしょうから採用できません」と言われるのである。私がマンモスからしばらく遠ざかっていた間に、佐野さんのレーダーがまた面白い人を捉えたようである。今回は会えなかったが佐野さんには「次回はマンモスに着く2日前にメッセージを残しといたら?」と言ったのである。

 

さて、雅美ちゃんは嘉藤組の今回参加していなかった雪女ことマユミちゃんと良いライバル、じゃなく、良いスキー友達になれると思う。雅美ちゃんは熱心だから巧い人と滑ればどんどん吸収して上達する、年齢もかなり近いし、どちらも休み時間を削っても滑り続けていたいタイプ、絶対に面白い戦い、じゃなく、一緒に滑ったら良いスキーが出来ると思う。 、、、、、と、煽るだけ煽って、この続きは近く嘉藤さんに是非セットアップして頂きたいものである。

 

マンモスから帰った翌日からまたスキー病が出てきた。スキー病の重症者にはアドレナリンの特効薬も効き目があるのはその日だけである。冬の間はこうして、また次のスキー行きを思い悶々とした日々を過ごすのである。

スキーがそれほど奥深く面白いスポーツであると知った人はすでにスキー病に罹った人である。そして私の周りには私以上に重症の人が何人もいる。嘉藤さんなどほぼいつ行ってもマンモスで会うが、6時間かけてマンモスに来て6時間滑って6時間かけて帰るという離れ業も厭わない人だからスキーシックとしては重体の病状である。私も喉の病気から回復しつつある今、もう一つの病気、スキー病の方は治る気配は無いなと思うのであった。