スキーの神様                         小堺 高志              2008年 3月19日 

 

2月3日にヨーロッパから帰って余韻を楽しんでいるうちに2月も終わってしまった。次のマンモス行きは3月半ば、だいぶ間が空いているので久しぶりにローカルのマウンテンハイにひと滑りしに行く事にした。ここのスキー場はウエストとイーストに分かれており、今回の狙いはイーストサイドの駐車場正面にある200メートルほどの急斜面、ここには良いバンプ(瘤)が出来ているはずである。

今回は足慣らしの次のスキーへの繋ぎなので一人で10時ごろ出かける。出掛けから天候が悪い。やがて小雨が降ってきた。マウンテンハイは大丈夫か?

 

マウンテンハイまでは丁度100マイル(160キロ)1時間45分くらいで到着、山の反対側に位置するスキー場は晴れていた。私って晴れ男かと最近思っている。さて、駐車場から斜面をみてガーン、正面斜面にバンプがない。ぜんぶ削られている。

気を取り直して12時から滑り出すと、ローカルも侮りがたい、ここのマウンテンハイ・イーストのコースは長さが2キロある。リフトラインもほとんどない。いきなり飛ばして9本、原ちゃんの3日分を一気に滑る。

一休みしてシャトルバスで5分ほどのウエストサイドに移動してみる。ここに来るのは5年ぶりくらいである。シャトルを降りると、長いリフトラインが目の前に。これはだめだと。一本だけ滑ってイーストに戻る事にする。ここウエストは8割がスノーボーダー、南カリフォルニアのスノーボードのメッカになりつつある。コースもスノーボードパークが充実しているが、スキーヤーのことはほとんど考えてくれていないようである。そして、ともかく混んでいて、若いスノーボーダーばかり、早々に退散してイーストにもどる。イーストではそれでも半分くらいはスキーヤーである。

 

イーストでさらに原ちゃんの1日分くらい滑って。3時半にはあがったが、1ヶ月間ほとんど運動してなかったので太ももが痛い。でもローカルでは、それなりに目立つらしく、パトロール員と、日本語を話す韓国人に「さっき、見ていたけど上手いですね」と声をかけられた。

 

パトロール員に聞いたら、ここはスノーボーダーのためにバンプは出来るそばから削っているそうで、今後もここではモーグルを滑れる可能性はなくなってしまったようである。ここは2時間以内で来れて、山道の運転がないのが良かったのであるが、またしばらくは来る事もなさそうである。

ローカルよりマンモス、マンモスよりカナダ、カナダよりヨーロッパと私のスキーも年月と共にエスカレートしてきたが、スキーを突き詰めたらそういう事になるようである。

帰りはダウンタウン経由、今また話題になっている三浦和義のロス銃撃事件の舞台はこのフリーウエーのすぐ横である。


    
マウンテンハイ 正面の壁
 

3月14日、久しぶりにマンモスに向う。サンタモニカの佐野さんのところで6時の待ち合わせ、例によって原ちゃんは20分ほど遅刻。原ちゃんとは去年の暮れから会っていなかった。季節外れの新年の挨拶を済ませ、出発する。一週間前に冬時間から夏時間になったので、7時近くまで明るい。今回、天気予報ではかなりの確率で土日とも雪になると言っている。雪は欲しいが吹雪いては欲しくない。理想は我々が着く前、あるいは夜間にたっぷりと降って、我々が滑るときは晴れて欲しいのであるが、スキーの神様にお願いしても、そんな機会はシーズンに一度くらいしか下さらない。

夜中の12時半ごろシャモニーのコンドミニアムに着くとエルセントロからの菊池さんがすでに着いてビールを飲んで我々の到着を待っていた。100%スノーと聞いていたのに雪は降っていない。スライドを見ながらのスイスでのスキーの話などで2時過ぎまで起きていた。

 

朝方4時ごろから雪が降りはじめ、朝、外にでると2インチくらい車の上に雪が積もっている。約6cmとは微妙な新雪である。急斜面に行ったら、下の固く凍った雪が出てしまうが、穏斜面では新雪そのものを滑れる。この倍くらいの積雪が欲しい。朝一番に8番リフトで少しバンプのあるレッドウイングを滑ってから西側へ移動していく。やはりまだ下の固い雪が気になる。5番リフトの下は15cmくらいの吹き溜まりがあり、とてもいい。結構ふわふわ感があり、楽しめる。今朝は空気が冷たく、顔が寒波にさらされてめちゃくちゃ冷たい、痛い。たまらず覆面をかぶる。スタンピーに移動してマンボを滑ると。このくらいの斜面で今の時間だと完全に新雪が覆っていてコンデションはいいが、滑りこまれるに従い下のがりがり雪面が出てくるはずである。

中腹のマッコイステーションの向かいのフェースを滑る。コンデションは所々ガリガリで今一であるが裏側の斜面は雪崩のコントロールが終わっていないので開いていない。やがて人口雪崩をおこす、「ドーン!」という花火のよう空砲が鳴り響き、午後からは開きそうな気配である。

佐野さんが遠くからみて、「ウエストボールのバンプは削られて平らになっているよ」と言っていたが、実際に滑るとバンプはあった。モーグルを滑られるので私としては嬉しい。

この一本を下りて皆はこのまま休みに入るというが、私はまだ滑り足りない。ウエストボールを下りる途中、私が先に中腹まで下りて、佐野さんを待っていると、ご老体に鞭打って佐野さんがバンプを乗り越えながら滑ってくる。休まずに下りてくるので、これはかなり無理をしているはず。

やはり、佐野さんがバンプにつまずいて足をとられ、一回転して私の目の前に落ちてきた。片一方のスキーが外れて5メートルほど上にあるので取りに登らなければならない。立ち上がって大丈夫らしいのでそのまま休みに入ると言ってた佐野さんを、放って置いて私はリフト乗り場に向かう。リフトに乗ってウエストボールを見ると佐野さんはまだ同じ場所でばたばたしている。その後、原ちゃん、菊池さんとともにマッコイに休憩にはいった。私はさらに2本ウエストボールを滑ってマッコイにはいる。そこには嘉藤さん、斉藤()さん、沼ちゃんと久しぶりに会う仲間達と、千田夫妻と山口さんがそろって昼食を採っていた。

佐野さんが言う。「目の前でこけたのに助けてくれなかった。小堺氏とは長い付き合いなのに、今日始めて薄情な人だと分かった」ちゃんと無事な事を確認しているからね。怪我していないのに一人で立ち上がれなかったら、スキーは出来ないでしょう。

斉藤さんの駄洒落を聞くのも、去年の暮れ以来である。

ついついビール、焼酎、がすすむ。すでにたっぷり休んでいる嘉藤さんらが先にゲレンデに出ていく。私はお酒がはいったら急に眠気が襲う。

    
朝のパーキング                レッドウイング                新雪の感触

目が覚めたら隣のまったく知らない人におはようといわれる。「?」、周りを見渡したら知らない人たちに囲まれていて、仲間は誰もいない。20分ほどテーブルにうつぶせて寝ていたようだ。皆薄情者である。さては睡眠薬をもられたかと思っちゃう?外に出ると沼ちゃんがいて、「おはようございます、皆3番あたりで滑っていますよ」と教えてくれる。

 

リフト乗り場で嘉藤さん、斉藤さん、千田夫妻と山口さんと合流。また雪が降り始めている。佐野さん、原ちゃんが見当たらないが、嘉藤さんペースに恐れをなして、何処かに雲隠れして、シニアペースで滑っているのであろう。嘉藤さんは今シーズンはかなり体重を落として体が軽く、ますます休みなく滑りまくれるらしい。

雪質のいい斜面を探しながら、何本か滑るうちに山頂へ行くゴンドラが動き出した。メインロッジからゴンドラに乗り、山頂で下りると、山頂の積雪量を示すポールがかなり埋まっている。まだまだスキーシーズンは続きそうである。コニースを滑ると結構深い雪がついているが、荒れた急斜面である。時間はいつの間にか3時を回っていた。佐野さん達はどこを滑っているのか、いや、もうキャニオンロッジへ戻って飲んでいることであろう。嘉藤さんたちと別れてキャニオンロッジに向う。途中のアクトの斜面に私好みのパンプがあって気持ちよく一気に下りる。しかし、足は嘉藤さんペースでかなりがたがた。一度半日ローカルで滑っているとはいい、本格的な一日スキーは2月1日のスイスで滑って以来である。3時25分、キャニオンロッジに入ると皆が待っていた。私がロッカーの鍵を持っていたので、ちょっと待たせてしまった。

   
   嘉藤スキー教室                                            覆面姿の私

 

シャモニーに戻り、私以外はすぐにジャクジーに行き、私はシャワーを済ませ、夕飯の支度をにかかる。そこにいきなりアントンが訪ねてきた。佐野さんからアントンを呼んでいるとは聞いていたが、こんな時間に来るとは思わなかった。アントンはキャニオンロッジでクレープの屋台を出しているフランス人である。5年ほど、ここで商売をしているが、スキー場の経営サイドと更新の契約ができず、今期限りでマイアミへ引っ越す予定を立てているところだと言う。

私が30分ほどアントンの相手をしていると、やっと戻った佐野さんサウナで着替え、水着を忘れてきていた。

 

全員そろって、ワインで乾杯。4人分のディナーを5人分にするのは毎度の事で問題ない。アントンは日本でクレープの屋台を出せないかと聞いてきた。もし似たような屋台ビジネスをしている人がいて興味を示せば可能性はあると思うが、なにか特徴を出さなければ、日本でのブジネスは簡単ではない。少しリサーチをしてあげることになった。

向かいのカールが顔を出す。義理の娘、スェーデン人のシンシアの妹がスェーデンから友達を連れてきているという。挨拶だけしたが、いずれも金髪美人である。

飲み足らない原ちゃんが台所の棚にある焼酎を取ろうとするが、届かない。「はい背の高い人!」で菊池さんの出番。北海道で牛乳を飲んで育った菊池さんは日本人としては大男である。この身長15cmの違いは台所では、取れるか取れないかの違いになる。ワインに砂糖をいれて温めたグーパインをつくって飲んでみる。スイスでスキーの後飲んでいた飲み物、自作で作ってみたがなかなかいける。

アントンは5歳の息子にスキーを教えてきた。今ではかなりの急斜面も下りてくるという。子供にはスキーを教えたい。テーンエイジャーになってスノーボードをやりたいといったらスノーボードをやったらいいが、それまではスキーをやらせるという。私も大賛成である、最初にスノーボードを始めた子はボ−ダーの友達ばかりで、改めてスキーを始めようという環境にない。しかし、子供の時スキーを覚えた子はスノーボードをするようになっても、また時たまスキーを履いている姿を我々は何度も見てきている。


翌朝、6時くらいから雪が降り出した。風はないが2時間ほどで10センチほど積もった。私は早く滑り出したいが皆さんの腰が重い。やっと8時半にゲレンデにむかう。私が外に出ると雪がやんだ。やっぱり晴れ男か?雪が降って欲しい時になかなか天気予報が当たらないのは私のせいと思えば腹も立たない。

 

昨夜アントンが朝食をご馳走すると言ってたので。挨拶をしてクレープをオーダー。アントンはここで一日200個以上のクレープを売っている。単価7ドルから9ドル、材料費は20%位か。季節的な物とはいい、残りの半年を遊んで暮らせるくらいの収入になる。しかしこのままでは世界の美食が集まる日本では売れない

外は雪が激しく降ったり、止んだりの天候である。

雪が降っているにしては風がないので視界が利く。昨日よりさらに雪が降って雪質は良い。

勇んでリフトラインに並んだ我々の後ろで

佐野さんがシーズンチケットを忘れてきたと言う。宿のシャモニーに戻ってくるという佐野さんを置いてキャニオンロッジエックスプレスに乗る。「これで、もし佐野さんが宿まで戻って結局、シーズンパスがポケットに入っていたよといって、帰ってきてもちっとも驚かないよね」と意見が一致する我々3人。 


    
2日目も朝は雪                クレープ屋さんのアントン

 リフトからみると朝方降ったグルームされていない新雪がそこら中にあり、我々を待っている。佐野さんを待つ間の一本はアクト、新雪ででこぼこのバンプはかなり覆われ、ほとんどショートターンで一直線、まだ荒らされていない端の方はふかふかで気持ち良い。原ちゃんが続く。

キャニオンロッジのリフトラインから佐野さんに無線で呼びかけると「もう、キャニオンロッジに入ってます」というのでまた薄情者と言われるから待つことにする。

 

新雪の時、最も雪が深いのがアッパークリークである。ここはマンモスの中央部にあり、谷になっているので全体が吹き溜まりになっている。昨日は開いていなかったそのアッパーリークが今日は開いている。しかし今はアッパ−クリークの上部まで微妙にガスがかかっている。5番リフトを下りると視界が悪い。でも見えないわけでなく斜面のでこぼこが見え難いという程度。私が先頭でゆっくりと、中位のターンで進む。3分の1くらい下りたところで振り返ると、誰も付いて来ていない。最近はこのパターンが多い、3人が追い付くのを待つ。

ここから先はパラダイスである。視界も良く、雪もいい。ショートターンでフォールラインを攻める。フォールラインとは水が流れるがごとく、細かいターンで真っ直ぐに滑り降りることである。私的には今回一番の新雪斜面である。谷の下で皆さんが滑ってくるのを見ていると、菊池さんが滑ってくる。去年スキーを新しくしてから、なかなか力強く良い滑りになっている。もう少し脇を閉めればさらに良くなる。脇が広すぎて手の振りが大きい。佐野さんが来る。得意のパターであるショートターン。二人ともこの雪を堪能しているのが分かる。

そんな中おかしい行動をとる人が一人。原ちゃん、せっかくのこの斜面を右へ右へとカットしている。そのまま5番リフト乗り場に戻って3人を待つと、リフトラインに入ってこない。どうやら視界が悪いから下へ行こうと言ってる。視界が悪いのは上の一部だけで、ここより下に下りたら初心者コースになる。私としては下の斜面は何時でも滑れるから、折角のこの雪にもう少し挑戦したい。5番で戻ってもう一本滑ってから下へ降りようと言うと、佐野さんと菊池さんは合意したが、原ちゃんはコースが見えないからいやだという。薄くガスがかかっているのは滑り出しだけで、ほとんどは曇っているだけなのだが、下で会うことにして原ちゃんを残して5番でもう一度あがる。今回はリフトの下に出てクリークへ下りる。視界は昨日より良いと思うが、人それぞれである。


    
                             アッパードライクリーク

わずかに日が射してきた。原ちゃんと落ち合って、キャニオンロッジへ戻る。8番を滑って、佐野さんと原ちゃんは休憩に行く。菊池さんと一本レッドウイングの瘤を滑るが、少し下の固い雪が出ていてあまり良くない。さらに一人で8番のブルーレイを下りる。ここはマンモスで一番低い標高にあるブラックダイヤモンドで急斜面がキャニオンロッジからも見え、8番リフトの乗り場のところに降りてくる。いつもはここには私の好きな瘤が出来ているのだが、今日はない。普通にターンしながら下りて、ちょっと物足りない。

 

そこで8番リフトから見えた22番とキャニオンエクスプレスの間に出来た瘤斜面に向う。ここは普段アクトで下りてしまうので、あまり来る事がない22番リフト乗り場に続く斜面で、深いバンプが出来、ほとんどグルームされることのない斜面である。アクトを通り過ぎてその斜面の上に立つ、上から見ると斜面的にはアクトと同じくらいの勾配であろうか、しかし細かい瘤が長く続いている。呼吸を整えて滑り始める。スピードに乗り遅れないよう、瘤を攻める。瘤の上に立つように前へ前へと体を進める。スピードが出てきたら雪を蹴ってスピードをころす。もう少しで瘤斜面が終わりと言うところで体力的に限界。かなり直線的に今期のモーグルとしては一番の出来であったかも。これは誰かに見ていて欲しかったが、誰もいない斜面である。

時間を見ると11時15分、集合時間まで後15分ある。調子に乗ったところで、この滑りをもう一度と同じコースに戻る。しかし、甘くはなかった、足に疲れが出ていて先ほどと同じコ−スなのに全くスピードに付いていけない、惨敗である。スキーは奥が深い。11時35分、キャニオンロッジに帰ると佐野さんがいて、原ちゃんと菊池さんは私を追って滑りに出たと言う。しばらく待つが、なかなか戻らない。原ちゃんは張り切らないで良い時に張り切って、その頑張りを普段出して欲しいものだね。と佐野さんと話していると11時55分、やっと二人が戻ってきた。何でも25番まで行っちゃったという。どこにそんな元気を隠していたのか?ともかく、降ったり止んだりではあったが、久しぶりの良い雪を堪能した。


    
 

スイスから戻って1ヶ月半がたった。スイスに出かける前はアルプスを6日間滑るのだと、トレーニングに励み、体力をつけてかの地へ向った。実際6日間滑り続けた。そして帰ってからは緊張感がなくなり、トレーニングをしていなかったので、この週末のマンモスでのスキーではすっかり筋力が落ちているのを感じた。

今改めて、あのアルプスでのスキーの日々が私のスキー人生のハイライトであったような気がする。おそらく体力的なピークは、だいぶ前に超えているが、トレーニングと熟練でカバーして気持ち的にも最高の状態で臨んだスイス行きであった。これほど充実したスキー旅行はなかった。これを超えるスキーはこれから先にあるであろうか?そう考えると今までの長いスキー人生の頂点を越えた気がした。同じメンバーの佐野さんと同じ場所に戻っても、あのように出会い、偶然、スト−リがすべてパーフェクトはそろわないであろう。

これからはゆっくりとその頂点から降りていけたら良い。ゆっくりとゆっくりと50数年かけて上ってきた斜面を何年かかるか分からないが下りていく。人間の体力、筋力は一ヶ月使わなかったら、確実に衰える、そして年齢的にも体力はだんだんと衰えていく事は否定できない。それは悲しい事ではあるが、これからもスキーが続く楽しみでもある。まだまだ、歳を重ねて体力が落ちても、それなりにスキーの神様に付き合って頂きたいのである。

それがあのアルプスのスァース フィーでの感動的なラストランの意味だったのである。

 

今回はこの編、「完」でなくあえて「つづく」と入れさせていただく。

 
つづく