せせらぎ              小堺高志    file#2001-6-1

マンモス・スキー場は今年5月30日がラスト・ディーである。例年並の総積雪量があったにも関わらず5月中にマンモスが閉まってしまうのは私の記憶するここ10数年では初めてである。5月26日からのメモリアル・ウイークエンドの3連休は今シーズン最後のスキーに、3泊4日で行くつもりであったが、お腹の具合が悪く、参加の是非を出発の前日まで決められずにいた。やはりスキーシーズンの最後は締めくくりたいので、日曜に帰る2泊の予定で参加することにした。今回は我々の釣りの師匠であり、元ヒマラヤ登山隊員である頼さんが奥さんのメリルーと水曜からマンモスに行って待っているはずである。
連休前の金曜日のフリーウエイはいつにも増して混雑している。1時間半ほど遅れて出た原ちゃんと連絡しあいながらマンモスへと向かう。最近は日暮れが遅く、8時過ぎにやっと日が落ちて、山の上には絵に描いたような美しい三日月が輝いている。今日の夕飯はインデペンデントに新しく出来たレストラン「フォルトライン・ステーション」に決めていた、ここは前を通るたび、いつも混んでいて気になっていたがなかなか寄る機会がなかったのである。入り口を入ると席に案内してくれるはずのフロント係も、ウエートレスも見当たらない。内装はちょっとスポーツ・バー風で、壁にはしゃれたアンテックや、絵が飾られて、生演奏の音楽が流れている。バーのカウンターに行くと、廻りの人がお店のシステムを教えてくれる。教えられたカウンターに行って、オーダーを入れると出来たら持ってきてくれるという。引換券があるわけでなく本当に店内の我々を捜して持ってきてくれのかと訝るが、そう言うシステムらしい。廻りの客が皆フレンドリーで、席に付くと草々、いまピザを頼んだところなのに隣の席の女性が「ピザ余っているから良かったら食べる?」と聞いてくるので、丁重にお断りさせていただいた。ピザは考えずにラージを頼んだため、すでに廻りの席のラージ・サイズを見てびっくりして、ミデアムサイズで十分だったと後悔していたのである。予想どおり佐野さんと半分食べたら残りはお持ち帰りとなった。雰囲気も良いし、値段も安い、また街道筋にお気に入りのレストランを一軒見つけてしまった。

ビショップに入ると街の中をカウボーイ・ハットとブーツの出で立ちの男達が大勢闊歩している。このメモリアル・ウイークエンドはビショップでは有名な「ミュール・ディー」というお祭りが催され、全米から自慢のミュールを連れた人達が集まるのである。 "ミュール"とは馬とロバの合の子の動物である。期間中、パレードやら、草競馬、品評会などが行われ、モーテル、ホテルは何処もいっぱいである。
マンモスに近づきフリーウエイを下りてすぐ、50メートルほど前を横切る小鹿に出会う。10メートルほどに近づき、後ろの車に注意を促すつもりでホーンを鳴らすと、驚いた小鹿はその場で大きく飛び上がると闇の中に消えていった。11時半ごろシャモニーに着くと頼さん夫婦が待っていた。思ったよりパーキングのスペースが目立つ、客をビショップに取られているのか?それとも不景気かな?

翌朝、5時半に起きてまずは釣りのためクロウリー湖に向かう。途中 頼さんとはぐれてしまったが、佐野さん、原ちゃんと釣りをはじめる。この湖にはミゼットと呼ばれる、藪蚊の一種が、湖畔の藪に大量に住んでいる。その数が半端でなく、わんさかと黒い影のように飛び交っている。幸いこの虫は刺さないのでいいが、知らない人はその蚊にそっくりな見てくれに車から出られないであろう。この豊富な虫を食べてここのトラウトはどこよりも早く大きくなるのである。よってクローリー湖での釣りは大物ねらいである。それだけに釣りとしては難しいし、時間、場所と運に左右される要素も多い。結局9時45分までがんばって佐野さんが一匹上げただけであった。

コンドに戻り、着替えてスキーに向かうと、メイン・ロッジには今シーズン最後のスキーを楽しもうというスキーヤー、スノーボーダーが思いのほか多く来ており、駐車場はほぼいっぱいであった。2週間前と比べ雪はさらに少なくなって雪面の代わりにゲレンデ周辺に地面が目立つ。リフトに乗って上から何処を滑るかスキー場全体の状況を見るに、ゲレンデとしてはスキー場の下部は雪の絶対量が少なく他から雪を持ってきてゲレンデを作っているような状況である。場所によっては3−5メートルほどの幅に絨毯のように雪を敷き詰めた廊下のようなゲレンデ部分もあり、雪量は山の上部に行かないと十分でないようである。この暖かさで雪解けのせせらぎがゲレンデの下から聞こえて来そうである。フェース・リフトを滑って少しのモーグルをやる。雪質は悪いが慈しむように残雪を丁寧に滑ってみる。佐野さんの膝もほぼ完治したようであるが、残念ながら今季スキーシーズンは今日で終わりである。ゴンドラで山頂にあがる途中、下をみると山頂直下のゴンドラの右下急斜面に今日のうちでは一番雪質の良さそうなコースがある。そして一人のスキーヤーがそのバンプいっぱいのコースをノン・ストップで下りて行く。私もそこを下りることにする。

合わないスキー靴ほどスキーヤー泣かせの物はない。私のスキー靴は金具が取れ4月初めから直しに出していた。そのため先回何度か一時的に使ったスキー靴があわず、痛い思いをしたのである。3シーズン使ったので、来シーズンは新しい靴を買うつもりであったが、すぐに直るものであれば今シーズンの終わりまで使えたらと、スポーツ・シャレに持っていったら、そのまま靴はメーカーに送られた。「不良品として無料で直させていただくが、パーツがないので、もし直らなければ来シーズンのニューモデルを差し上げます」と言われていたのである。それはラッキー、さすがノルデカ、私、今後もノルデカを生涯愛用させていただきましょうと心に誓ったものであったが、先日「直りましたから取りに来てください」と無情の連絡があり、がっかりして「もう、ノルデカは買うものか」と再び心に誓い直したところであった。早くも来シーズンのニューモデルが気になる。でも今日は少なくとも直った靴で、靴に泣かされることなく滑れる。

ゴンドラを降りると周囲には今の季節らしくスキーヤー以外の、景色を見に山頂に上がってきた家族づれが目立つ。ゴンドラの近く、コースの入り口に立つと15メートルほど先まではコースが見えるがその先は急に落ち込んでいて山頂からはコースの先が見えない。滑り出すと見えなかった部分が見えてきた、急なバンプでしかも2メートル幅くらいの狭いシュートになっている。どうやら先ほどゴンドラから見たコースはもう一本左側であったようで、ここはゴンドラの真下で、コース上部は身長くらいの深く大きなバンプが続いている。今日は雪が少ないのであまり面白いコースを滑れると期待していなかったのだが、このバンプはそれなりに楽しむことが出来た。さて最後はもう一度山頂に上がり、3人で上級者コースでは一番ポプュラーなコーネスを通り、メイン・ロッジに滑り下りことにする。雪が重く疲れるが、最後は決める。先頭で滑った私は後から続いて下りてくる原ちゃん、佐野さんを迎える「お疲れさん、来シーズンも宜しく」。こうして今シーズンは終わった。

午後2時には再び釣り人に戻り、マンモス・レークと呼ばれる山の中腹にある一群の湖に向かう。今度は頼さんも一緒である。ツイン・レーク、レーク・マミー、レーク・ジョージ、高度の高い松林の中にあるついこの間まで雪の中に閉ざされていた美しい湖群である。雪解け水を集めた透明の水面が美しいが、私はいまだに釣りの成果なし。第1投、湖畔の木に囲まれた足場の悪い狭い場所からのキャスティングで錘とミミズはあらぬ方向へ飛んでいってしまった。気がつけば斜め後ろの木の枝に、頼さんと原ちゃんが跳んで行って隣の釣り人に謝りながら取ってくれる。私も後ろにキャスティングしたのはこれが始めてである。湖の景色はきれいだがあたりがなく、結局その後もう一度クローリー湖へと移動する。
佐野さんが19インチ(50センチ弱)の大物ブラウン・トラウトを釣り上げる。佐野さんのお父さんは釣り好きで釣りの最中に脳溢血でなくなった、そんな父親を持つ佐野さんは天才的に"合わせ"が上手い。合わせとは魚の引きに合わせて竿を引いて釣り針を魚の口にフックさせる行為であるがこれが早すぎれば針が掛からないし、遅すぎれば餌を取られたり、針が深く飲み込まれてしまったりする。佐野さんの合わせは絶妙であり、シングルフックの針ではたいがい理想的なところにフックする。私は外れることの少ないトリプルフックと呼ばれる、3方向にフックのついた針を使うことが多いが、これだと極端な話、魚が針を完全に飲み込んだころ上げて良く、難しい合わせは必要ない。前回もぶち込みで寝ていたら佐野さんが「引いている」というので慌てて合わせたら早過ぎてばらしてしまい、「今後は針がお腹の中で消化されたころ教えてくれる?」と文句を言ったものであった。

コンドに戻り私は大忙し、魚をおろし、ご飯を炊き、鱒のイタリア風フライと塩焼き、そして牛肉の塊をすき焼き用にスライスして、すき焼きを作って、シャワーをあびる、これを一人で1時間15分で仕上げる。

日曜日、私だけ午前中に帰る予定であるが、私には今だ釣りの成果がない。今朝釣れなければスキーシーズンの終わった今、次のシーズンまでマンモスに来る予定のない私は、釣りのライセンス$29を払って手ぶらで帰ることになる。とうとう私は我々の間で「釣堀」と呼ばれ敬遠さえていたマンモス・クリ−クの橋の下に行くことにする。ここには大物はいないが誰でも釣れる最後の選択である。すでに3人の日系人の親子が陣取っていたが,我々の釣り人は私一人なので一番下流に入れてもらう、目の前に魚が泳いでいるのが見える。最初はなかなか私には掛かってくれない。先の3人は次々に釣り上げ、30分ほどでリミットの一人5匹を釣りあげ帰り支度をはじめる。おばさんが帰りぎわに餌のサーモンエッグを「ここはこれが一番いいのよ」と日本語で言って私にくれていった。そして餌と仕掛けを変えたら私にも最初の獲物が掛かった。歓声をあげてくれる皆さん。頼さんはほとんど、チャッチ・アンド・リリースといって釣った魚を放すことが多いが自分でフライ・フィシングに使う偽餌を巻いているので、その出来映えやら、魚の反応が気になるらしく、ここでも私を指導しながら自分でも竿を取り出す。そのうち夢中になった頼さん私を教えていたはずが、ついつい私より前に出て竿を振り回しているのであった。
釣れ始めてからは、実質15分くらいで5匹を釣り上げ、リミット、これはまさに夢にまで見た「入れ食い」ではあるが、「釣堀」で釣っているようであり、たしかにありがた味はない。頼さんには「ハッチェリー(放流用の魚の養魚場)で買ってきたようなもんだね」と言われるが、幸い私はスキーヤーとしてのプライドはあっても、まだ釣り人としてのその種のプライドを持つほどにはいたっていない。付き合ってくれた皆に礼を言って一人帰路に付く。振り向けば半分土色に覆われたマンモスの山が見える。来シーズンまでアディオス!

時間はまだ朝8時である、この時間帯に私がロスに向かって走るのは珍しい、一人の気ままなドライブ、途中ちょっと寄り道しながら帰ることにする。温泉、日系人強制収容所「マンザナ」などを頭に想い浮かべる。ビショップの手前でいったんフリーウエーを降りて傍らの道をはしる。小川が流れ、春の新緑がまぶしい。小さなリスが何やら大切そうに口にくわえ、道路を横切る。雪解け水のせせらぎで出来た小さな沼地の、木陰になった水面に涼しげに何処から来たか鴨が一羽憩っている。

ビショップを過ぎ、いつもの温泉に行くと時間が早すぎて開いていない。200メートルほど離れたオープン・スペースの温泉にいってみるがぬる過ぎて入る気がしない。ふと気が付けば目の前に3人の白人のおじさん達が全裸で文字どうりぶらぶらしている。ヌーディスト主義の人達であろうか、しかしご多分にもれすヌーディストはこのおじさん達だけ、私はそうそうに立ち去りました。

インデペンデンスの南に戦時中の日系人強制収容所のひとつ「マンザナ」がナショナル・パークとして保護されている。最大どき1万人以上の日系人がいたというここはフリーウエーのすぐ傍らにあり、何度か入り口付近は寄ったことがあるが、今日は奥まで入ってみる。荒涼とした砂埃の舞う土地である。案内図に従い一周してみると想いの他広い土地に収容所というより、町が造られていたことが分かる。病院、お寺、劇場、消防署…等々。しばし戦時中の日系人達の生活と運命に想いを馳せる。シェラネバダ山脈の最高峰マウント・ホイットニーが目の前に望める。この間まで真っ白な雪に覆われていた山々は、今は僅かな残雪を残し、紺碧の空を背景にコンクリート色の岩肌を見せている。
しばらくこの山々ともお別れである。思い返せば11月初めのオープニングより今季もよく通ったものである。各自、それなりに得るものがあるシーズンであったと思うが、佐野さんは無理をして膝を壊して2ヶ月くらい存分に滑れない時期があった。これが今季我々スキー仲間の一番の予想外の出来事であった、これを教訓として来季のコンデション作りに役立ててくれたらと想う。互いに朋があっての楽しいスキーである。でも念願のカナダにスキーにいけたから、まーまーのシーズンであったろう。私はシーズンまるまる大きな故障なく滑れたことがなによりである。今シーズンの教訓を来シーズンに生かすとすればスローガンは「暴飲暴食を慎もう」かな?

忙しく仕事に追われる週日にふと立ち止まった時、一服の清涼感をあたえてくれる心のオアシス。私の場合そのオアシスは冬は週末に訪れるゲレンデであり、夏の間は心の中で雪面に描くシュプールである。すると身体が反応し、夏の暑さを忘れ、心が和むのである。耳を澄ませばせせらぎが心に染みる。

バックミラーに映る遠くの山々が薄い空色のフィルターをかけたように霞んで行く。やがて前方に見えるシェラマドレ山脈を越えると暑い夏が始まる。

おわり