2月17日006年 小堺 高志
月光に照らされた車体がヘッドライトなしでも走れるのではないかと思わせる白い道路上に影を落としている。まもなく満月であろう、左側にはシェラネバダ山脈の雪山が青白く照らされて夜空に浮かんでいる。時間は午後7時、私の車は月明かりの中をマンモスへと急いでいた。
今日は2月10日、トリノオリンピックの開会式がある。予定では午後3時前には佐野さんの所を出発して8時の開会式をマンモスで見るつもりであった。しかし佐野さんから、『車をぶつけられたので、少し遅くなる』と言う連絡があり、佐野さんのところで落ち合ったのはすでに4時近くであった。事故の方は怪我もなく大した事ないが、車の右側がへこみ、ドアが開かない。
どう考えても8時の開会式には間に合いそうもないので、途中でテレビを見られるところを探して少しテレビを見ていこうということになり8時少し前に着いたロンパイの町で通りからレストランやバーでテレビのある所を物色しながら進む。一軒のバーにテレビがついているのが外から見えた。今回は斉藤(細)ちゃんの息子ブライヤンが一緒で未成年の彼はバーには入れないので車の中で待っていてもらい、ジェイクス サルーンなる初めて寄るバーに入っていく。玉突き台があり5−6人の客がいるが、ここはビールとワインだけをサーブするお店であった。生ビールを頼み、何かつまみが無いかと聞けば袋に入ったポテトチップしかない。テレビをオリンピック中継する3チャンネルに変えて貰うと、トリノからの中継はやっているが、まだセレモニーは始まっていない。どうやら本格的に始まるのは9時からのよう『ここはレッドネック(保守的アメリカ人)の店だね、早々に出て例の所までいこうか?』ということになり、車に戻り先を急ぐ。9時少し前にビッグパインに着いて、例の店『ロシーズ』と言うお店に入る。ここは向かって右側がレストラン、左側がバーになっていて今から8年前、同じような状況下、飛び込みで入り、長野オリンピックの開会式を見せてもらったお店である。バーに入るとカウンターの向こうには見覚えのあるマイクが居た。少し話すと8年前の長野オリンピックの開会式の時に飛び込んできた日本人の我々のことを覚えていて、歳月を経て、再びオリンピックの開会式の日に突然訪れた我々を歓迎してくれた。奥にはパーティー用のプライベートルームがありテレビがある。そこなら未成年が入っても良いと言うのでブライヤンを呼んで開会式を見る事になった。ここは時間が止まったように何もかも8年前と変っていない。大型テレビもそのままで画質が悪いのはしょうがない。1時間ほどいて、日本選手団の入場行進と、聖火の点火をみて、『次のオリンピックでまた会いましょう』と冗談のような挨拶をしてマンモスへ向かう。
夜中に原ちゃんがまりちゃんと到着、総勢5名である。このところ2週間くらい新雪が無く暖かい日が続いている。あまり雪質は期待出来ないかもしれない。
トリノオリンピックをテレビで見る 8年ぶりのマイクと
翌日は朝から雲ひとつない晴天であるが、少し雪が柔らかくなるのを待って、9時半くらいにゲレンデに出る。日当たりの良い25番を行くがまだ少し硬い。5番リフトの斜面に降りると予想に反して雪質が良い。普通は25番の方が先に柔らかくなるのに、5番の斜面の方が雪質が良いのは5番の方の雪は昨日解けなかったということか。一度解けた雪は雪質が変ってしまうが、解けなければいつまでも粉雪に近い雪質を維持する。思いがけない良い雪に気持ちよく一気にリフト乗り場まで下りる。少し大きめの弧を描きながら左右にゆっくりとしたリズムでターンする。なだらかな斜面では少し体重移動するだけでスキーは右へ左へと切り替わり方向を変える。と簡単に言えるがここまでになるには相当時間をかけ雪の上にお金をばら撒いて来た結果である事は言うまでもない。スキーのエッジがしっかりと雪面を捉えているのを感じながらターンを繰り返す。後半は少し細かいターンに変えて雪の感触を楽しみ、そのままリフトラインに滑り込む。佐野さんと原ちゃんがリフトラインに入ってくるのを待って「意外にも、良いよねー」と迎えると、二人もアドレナリンを垂れ流したような顔をしている。
何本か滑って、いつものようにマッコイステーションに行って昼休み。今日は珍しく知り合いのスキーヤーがいないが、11時半に佐野さんがマッコイステーションでシェリーと会う連絡を取っていた。原ちゃんも彼女とすでにクリスマスに会っているが、私は初めて会う、すでに2ケ月近くスキーもせずマンモスのコンドを転々としているハワイ出身の日系女性である。電話を入れるとまもなくシェリーがランチを手に現れた。小柄な女性で昼ごはんをマッコイステーションで食べるだけのためにゴンドラに乗ってここまで毎日やってくるという。スキー場のコンドは冬の間何処も予約が一杯で、マンモスの予約センターで空き部屋を探してもらっているので週単位くらいで滞在先を移動している。今は私たちのシャモニーのすぐ隣、セントアントンに滞在していて、今日も同じセントアントン内で違うユニットに移動しなければならないという。モーテルに行けば安いものをモーテルはいやだという。見てくれは地味な格好をしているのに佐野さんに依れば彼女は東部の有名なプライベートの女子大を出ているので間違いなく裕福な家庭の出だという。クリスマスに佐野さんと原ちゃんが会ってからどう考えても一万ドル以上使っている。カメハメハ大王の末裔か、はたまた、あのバックには現金が一杯詰まっているのじゃないかとかいろんな想像をしてしまう。何しろ「スキーもせずなぜ、ここにいるのか?なぜここでなければならないのか?」 と聞いても「ここの雪山が気にいったから」といった禅問答的な返事しか返ってこない。
シェリーを今夜の夕食に招待して我々はゲレンデに戻る。ゴンドラで山頂に行くと周りの雪山を包む澄んだ青空が美しく、まったくの無風状態であった。マンモスの山頂が無風状態などというのは長年通って2度くらいしか見た事がない。麓に下りるといつに無くリフトラインが長い。その理由が分かった、ワシントンとリンカーンの誕生日で学校が2週続けて月曜が休みになる。それとロスアンジェルス周辺のスキー場は暖冬で全滅に近く、普段マンモスに来ないローカルのスキーヤー、スノーボーダーが大挙してマンモスに来ている。そのためかルールを守らないスノーボーダーが多く、今年になってマンモスでは例年になく事故が多発していると聞く。
8番リフトの下、レッドウイングにモーグルを滑りに行く。ここはちょうど良い斜面で程よい大きさの瘤が出来ている。見ると6人くらいのモーグラーが繰り返しこの同じ斜面を滑っていた。先頭の一人がモーグルを教えているようだが、その人がやたら巧い。
マンモスにはスノーボーダーのチームがあり、今回のトリノオリンピックのハーフパイプにも男子2人、女子2人の選手が地元のチームから出場している。だから地元チームが滑る時スノーパークにいけば、オリンピック選手クラスのスノーボーダーの演技を見る事が出来る。しかし、モーグルは常設のモーグル斜面もチームもなく、ずば抜けて巧いモーグラー(モグラではありません、モーグルをやる人です)をマンモスで見る事はほとんどない。今回見た人は今まで見た中で1,2を争うくらい巧い。最初にこのコーチが滑って見せて、ひとりずつ滑らせて、長いアドバイスをそれぞれのモーグラーにしている。少しでも参考になればと盗み聴こうとするが、それほど近くに行く事も出来ずよく聞こえない、手振り身振りをみて想像するしかないが、大切なのは状態を高く保って滑ること、高い姿勢から瘤を膝のクッションで受けて、瘤を越えたら直ぐに前方上に伸び上がる感じで次の瘤に備える事と説明しているようだ。言うは易し、行なうは難しである。言われた通りに出来れば誰でもオリンピック選手であるがそうは行かない。
巧いモーグラーは頭の位置が変らず、下半身だけがバネのように動く。教えられている人達もかない巧いのであるが、このコーチは別格であった。その後、気をつけて練習するが瘤が少し大きくなったり、スピードが出るともう思う滑りが出来ない。
原ちゃんとミルカフェで 山頂は珍しく無風状態
夜、シェリーが食事に来る。食後、佐野さんと散歩がてら直ぐ隣のセントアントンに泊まるシェリーの部屋を見せてもらいに行く。セントアントンは直ぐ隣の建物であるから、下手をすると同じシャモニーのはずれのユニットに行くより近い。
一人で’泊まるには贅沢すぎる二階建ての2ベッドルーム、シャモニーよりワンランク上のコンドで清潔で広い。テレビも立派なのが3セットもある。オリンピックの女子モーグルが始まった。モーグルという種目はアメリカで始まった私が見たいオリンピックの種目の一つ、何といっても我々との一番の違いはスピードであろうか、スピードのあるモーグラーには成れなくとも、安定して綺麗に瘤を克服できたら良い。
早速佐野さんが変な事を言い出す。「我々は5人で1ベッドルーム、貴方は一人で2ベッドルームもありベッド数も4つもある、貴方が向こうに行って換わっても良いと思わないか?」佐野さんは冗談で言っているのに世間知らずのシェリーは本当に換って上げても良いという感じ。そこで私と佐野さんがここに泊めて貰うことになってしまった。佐野さんが寝袋を取りに帰って、我々が一階を使わせてもらって、オリンピックを見ながら寝てしまったのであった。
日曜の朝、私と佐野さんは8時ごろに朝帰り、コーヒーを飲んでゲレンデに出る。スノーボーダーのブライヤンは昨日から風邪気味で今日は休み。私は朝から昨日見たモーグラーの滑りとオリンピックで見たモーグル競技のため燃えていた。朝からモーグル斜面を探してウェストボール、ザアクトを滑り他の二人に「10時になったら8番リフトに行ってレッドウイングの瘤を昼まで滑るから」と宣言する。途中、昨日見たモーグラーを22番斜面でみつけた。昨日より急で大きな瘤の斜面でもスムースな滑りを見せてくれる。競技としてのモーグルは人工瘤なのでリズムが取り易いが、自然に出来た瘤は不規則で大きさも違う、取り分け22番リフトの下は急で大きなバンプがある。そこを競技モーグルのようにフォールラインを滑るのはかなりの腕前のモーグラーである。他の生徒達は昨日の斜面のようには行かない。スピードが出ると付いていけなくなり飛ばされてしまう。
レッドウイングの瘤斜面を昼までの1時間半滑り続ける。高い姿勢を保つ事を常に心がけ滑るが、直ぐに効果は出ない。大切なのは目標を持って滑り続けることである。
スピードをおさえて滑ればそれなりに滑れるが、モーグルは難しい、それだけに少し巧く滑れた時の快感も大きいのである。
原ちゃん 佐野さん
帰りの車の中で佐野さんの持って来た「なつかしのフォークソング全集」のCDを聞きながら夕暮れの中を走る。フォークルセダーズ、ビリーバンバン、吉田卓郎、五輪真弓、私が高校時代に聞いた懐かしい曲の全集である。夕焼けが綺麗なので写真を撮ろうとシャターチャンスを窺がうが、本当に綺麗な夕日は青春時代のように一瞬で撮ろうとした時にはもう消えていた。懐かしい曲がその戻らない一瞬を思い出させる。果かなく脆いガラスのような思い出。その時、消えていく夕焼けの反対側の山陰から突然、突然満月がふわりと浮かんで来た。
日が沈んだら、月が昇る。ドラマは終わりではない。
完