ラスベガスとモルモン

          小堺 高志  file#99-12-30

庭先の松の木にリスが松の実を食べに通ってくる。ガサガサと松の枝の間から音が聞こえ、食い散らした松ぼっくりの殻が地面に落ちて来て庭を汚されるのは困るが、たまに見える愛くるしい姿は心をなごませてくれ、その姿を見ると許してしまう。

相変わらずあまり冬の寒さを感じさせないながらも、12月も第4週となるとここロスアンジェルスでも、人工的ながら季節感を感じさせてくれるクリスマスの飾り付けで住宅街の夜景が賑やかになり、パーティーに行く人、街のデコレーションを見るため車で流す人等、皆 なんとなくうきうきとし、騒々しさを増す。我が家でも猫を飼うようになって以来、ここ数年出していなかったクリスマスツリーを出し、1日がかりで飾りつけた。我が家の猫は思ったほど光り物には反応しない。

ドライな冬で、未だに南カリフォルニアにはほとんど雨が降らず、スキー場は人工雪でなんとかオープンしてはいるが、スキーヤー泣かせの冬である。もちろん一番泣いているのはスキー場であろうが、良質な雪に会うには北にいくしかない。

12 月23日夕方 佐野さんと ラスべガス経由でユタ州にスキーに向かう。第三メンバーの原ちゃんは日本で不幸があったとかで急に帰国し不参加、今回は総勢二人だけというスキー旅行である。23日はベガス泊まりであるが、この時期、ベガスは混んでいるため一泊だけという条件ではなかなかホテルが取れない。しかし私の渡米したばかりのころ出会った古い友人で元私のルームメートでもあったノブやんが今夏から、アメリカ最大の日本食の卸問屋、ジャパンフードでベガス地区の責任者として単身赴任しており、彼のアパートに泊めてもらうことになっている。

おりしも満月、ちょうど満月に向かってベガスへと走る。この連休を今や世界最大のテーマパークであるベガスで過ごそうという人の車の流れがフリ−ウェーを埋め尽くすテールランプの赤い流れとなり、何処までも続く。荒涼とした砂漠とよばれる地帯を走るが、時たま家の灯りをクリスマスのライティングの豆電球が囲み、いつもより人の息吹を感じさせる。

10 時ごろベガスに着き、スターダストでノブやんと落ち合う。この欲望と誘惑の街でどんな生活をしているのかと、興味のあるところであるが、話を聞けばいたって地味に家族のためにひたすら働く日本のお父さんである、仕事一筋?いやいやあのノブやんがそんなはずはない、“世間の眼は騙せても元ルームメートである私の眼は騙せないぞ!”、とは思うが、大学生の子供を二人も持つ父親は「子供のため」が生活の大半となっていくのは何処の父親も一緒か?がんばって働いているようだ。

ノブやんのアパートは中心部からすこし走った郊外にあるが、郊外にどんどん立派な住宅街が伸びているのに驚くばかり。アメリカで一番の急成長を続けるベガスのパワーを垣間見た気がする。久しぶりにあったノブやんと午前 1時半ごろまで話して ベッドに就く、ノブやんは明日のクリスマスイブも夜7時くらいまで働きそれからロスへ帰宅するという。

24 日、イブである、ノブやんと別れ、ベガスから1時間ほど北西にある、リーキャニオンというスキー場に向かう。砂漠の町ベガスのこんな近くにこんなすてきな山があると知らなかった、いつの間にか高度が上がり、後ろの眼下に砂漠、やがて目の前に針葉樹林をいだいた渓谷が現れる。どうもスキー場らしい場所が見えないが、前に来たことがある佐野さんが「あの道路が閉鎖になっている所の奥にスキー場があって、まだ開いていないようだ」というので、近くにあるレストランで遅い朝食を取る。山小屋風でなかなか眺めも良く、雰囲気の良いレストランである。インターネットではスキー場は開いていると言っていたがと不思議に思いながらもスキーをあきらめ戻ろうとすると、途中にスキー場の案内が出てきた。どうりで私の永年のスキー人生を覆すような場所にあるスキー場だと思っていたのだが、これは佐野さんを信じた私が悪かった。リーキャニオンはもう一つ奥の谷間にあったのだ。しかし、なんとも雪が少なくて 中級者用の斜面しか開いていない。ちょっと我々が滑るには退屈過ぎるということで、早めにユタへ向かう事にする。

その前に二人ともスキー場のロッジのトイレを使う。用を足していたら 水の流れが悪い、突然、昔ノブやんと出会ったロスのリトル東京での事を思い出した私は笑いを堪える事ができなくなった。その思いだし笑いの内容とは ………….。その頃 今は松坂屋デパートや、ニューオータニホテルなどがある一角に、数軒の安ホテルがあった。日本から着いた私は中米に立つ2ヶ月ほどをそこで過ごした。その宿には留学生や旅行者やら怪しげな日本人が多数暮らしており、夜な夜な店の閉まった2番街でブルース リーの物まねやらさまざまなパフォーマンスが行なわれていた。その中に柔道家で語学スクールに通う友さんがいた。彼は私らの松島ホテルの向かいアランホテルの住人であったがある日、大量のうんちをしたそうだ、そして水を流したが流れない、そこは二階のトイレだったのであふれたら大変なことになる。水位は上がってくる、便器は詰まったまま、そこで思わず彼は便器に手を突っ込んでうんちを掴んでしまったそうな。その気持ち分からんでもない。

スキー場のトイレから漏れる不気味な含み笑い、誰かに聞かれたかもしれない。

さて我々はベガスのあるネバダ州から一部アリゾナ州を通りユタ州にはいる。 途中なにもない森林のなか 1本だけクリスマスの飾り付けをされたクリスマスツリーがある、アメリカ人のユーモアのセンスが光る一例である。

目的のブライアンヘッドスキー場はベガスから 3時間半くらい、宿泊地シダーシティーまでは2時間40分くらい、一時間の時差があり、シダーシティーに着き、前にも泊まったことがあるホリディインにチェックインする。ブライアンヘッドは私にとり今回が3回目、佐野さんは5回目である、他にユタでは我々は4年前、2002年のオリンピック地であるソルトレークシティーの周辺スキー場にも遠出をしている。スパでからだをほぐし、食事に出ようとするが、今日は クリスマスイブ、ホテルで調べてもらうが、なかなか開いているレストランがない。ホテルのフロント係の人が、サンドイッチを作ってくれた。もし何処のレストランも開いていなかったらこのサンドイッチでさびしくイブの夜を過ごすしかない。しかし来るたびに思うがユタの人はフレンドリーである、州民の90%がモルモン教徒であるという、“旅人にやさしく”というのも、モルモンの教えに基づくものらしく、その意味で次のオリンピックもかならず成功するであろう。街に出てみるとマーケットも開いている。そして、ビールも買えた、モルモンの人はお酒もコーヒーもタバコも嗜まない。これもモルモンの教えである、しかしモルモン教徒は一夫多妻制が認められていると聞いた。

運良く開いている一軒の中華レストランにはいり、まずはビールをたのむ、しかしモルモンの教えか酒類は出していないと言う。しかしビールが飲みたい、今日はイブである、ビールが飲みたい。おぅ、そういえば先ほど買ったビールが車の中に。オーダーをいれて、佐野さんと交代で、なにげなく駐車場にむかい、 1カンのビールを一気のみする。空腹にしみわたる、でてきた料理は期待していた以上に美味いものであった。こんな片田舎の中華レストランでも隠れた名シェフがいるのであろうか、今日の夕飯はあたりであった。ホテルに戻って聖なる夜をビールで過ごす。表には2日程前に降ったと言う雪が2インチほど、一応はホワイトクリスマスと言えるのかな?

翌日はクリスマスの日、快晴である、約 40分ほど離れたスキー場に向かう、途中からすっかり雪景色となり、思ったよりコンデションは良さそうである。雪景色のなか落葉した大きな一本の木の下に、さびれた小屋が立っている、昔見た西洋のクリスマスカードそのままの風景だ。途中で鹿が現れる、これもトナカイに見えない事もない。

スキー場は空いていた。家族づれが多く、ここはユタではちょっとした隠れたスキー場である、あまり人が来ないがこぢんまりとしていて、それでいて上級者も十分に楽しめる。

雪質はユタで言う シャンペンスノー、シャ ンペンの泡にたとえられる軽い雪である。寒いので 3日前の雪が10センチくらい一部そのまま新雪の状態で残っている。新雪を滑るのはスキーヤーの究極のたのしみである、ちょとだけその気分を味わえた。サンタクロースがスキーをしていて、「クリスマスそして新年おめでとう」といいながら皆にキャンディーをくばっている。

佐野さんは前回のレークタホで悪化した膝がまだ100%でなく、幾分かばいながら、休みを多めに取っているが、かなり良くなったようだ。リフトの下を滑っていると久しぶりにリフトのスキーヤーから声がかかる。見られていると止まろうと思っていたのに止まれない、ついつい無理をして後でゼイゼイいうことになる。

昼食はホテルからもらったサンドイッチ、隣で 4歳くらいの女の子が包装から出したばかりの人形をいとおしそうに抱いている。サンタクロースからの贈り物であろう。

4 時くらいに上がり、一度ホテルにもどる、ラジオからはジョンレノンのクリスマスソングが流れている。、クリスマスの夜、食事のできるレストランを探すが、状況は昨日よりも悪い。

昨夜開いていたレストランもほとんど閉まっている。色々聞いて廻ったところ、街中で開いているのは我々のホテルのすぐ近くにあるデニースだけのようである。当然すごく混んでいて約2時間半待ちとのこと。ホテルに戻って待つことにする。その間この夜のために佐野さんが持ってきたワインを飲むことに。しかしワインオープナーがない、フロントにきくと「買ってくるから一寸待っていてくれ」との事、えっ!我々のワインを開けるためにオープナーを買ってくるって?やがて本当にオープナーを買って届けてくれた。申し訳なく思いながらも、これもモルモンの教えかと有難く使わせてもらう。しかし一夫多妻制である。

翌日スキー場につくと、少し雪がぱらついている。思いがけない雪である。

今回あまり防寒用の用意をしてこなかったので、寒さが身に凍みる。山頂は風が強いが山麓はまあーまあーで結構楽しめた。今日はまたベガスまで戻らなければならない。

夕焼けの中をベガスへと向かう。狭い地平線に夕日が沈む、何層かになった雲の間がピンク色に染まるり、道路以外あまり文明の匂いをさせない薄暗い中を走り続ける。、やがてそんな自然の法則を破るようなベガスの灯りが見えてくる。最初は一面に広がる山火事の残り火のように、さらに 20分も走り街中にはいると万華鏡を覗いたようなネオンの渦の中に巻き込まれる。まずはバリーズのスパにいってサウナに入り汗を流し、着替えをする。ドライ、ウエット、スティームの3種類があり、白樺の香りを吹き出すスティームサウナがいい。ベガスは現代のカラカラ浴場か、ベニスあり、パリ、モンテカルロ、ニューヨーク、古代エジプト、ローマ帝国、南太平洋の島 等 いろんなテーマをもったホテルが並ぶ。やがて今のローマのカラカラ浴場のように、いつかベガスも廃墟になる日が来るとは佐野さんの説。

とりあえず、我々も今日はその繁栄に浴する。今年オープンしたパリスに行ってみる。佐野さんは年間 12回くらい来ているのでベガスの事を良く知っている。パリスはその名のとおりパリの町並みをテーマに作ったカジノで全体がパリの街角風につくられ左右にレストラン、ワイン屋、パン屋、様々なお店がフランスのありふれた商店街風に並ぶ、通りの上には空と雲が描かれ、屋外を歩いている様に錯覚させる。そんな石畳の広場にスロットルマシンやらカードテーブルなどが置かれている。そしてカジノの上には実物の約2分の1、50階建てのエッフェル塔がそびえる。べラージオの噴水ショウをみて、食事の後ダウンタウンにいく、ここは歩いて次々と違うカジノにいけるので、カジノのはしごをする。4時間ほど遊んで今回も少し勝った。

翌日 27日、朝食にスターダストでバフェをとる。入ってからシャンペンブランチであることを知るが、昨日も良く飲んだし、今日は長いドライブをしなければならないのでシャンペンはパスする。

さて、後はロスへと戻るだけ。 1月5日には日本からやはり24年前にリトル東京で出会って以来の友、貞やんが来る。二日休みを取って、1982年までの在米中の7年間 私のスキーメートでもあった彼をマンモスに案内する事になっている。

クリスマスを留守にしてしまった分、新年にかけて奥さん孝行をしなければ。そういえばモルモンの複数の妻を持つ人は奥さん孝行もそれだけ大変と言うことか、羨ましいだけでもないか。

皆さんはどんなお正月をお過ごしでしょうか。

A HAPPY NEW MILLENNIUM.