小堺 高志 12・1・2008
春に痛めた腰がよくならない。だいぶ良くなって来ていたのだが3週間ほど前にスキーシーズン前の体力つくりで通ったワークアウトのクラスでまた痛めてしまった。どうも身体をひねる動作が良くないようである。
ドクターに用心のため、見てもらったら「レントゲンではそんなにダメージは現れていないので、安静にしていれば治るでしょう。まだ腰の傷が固定してないので数ヶ月は激しい運動は控えるように」と言われてのスキーシーズン入りである。
その腰痛のため、今期は11月第2週のスキー場のオープニングディーにマンモス詣出来なかった。ここ何年かオープニングはずっとマンモススキー場で過ごしていたのに、私に付き合って佐野さんも行かなかった。そんなこんなで初滑りがサンクスギビングの連休となってしまった。例年盛大に盛り上がっていたサンクスギビングのマンモスであったが今回原ちゃんは参加できないし、サンディエゴのカール一家もメキシコにクルージングに行くので今回は来ないという。なんとも活気のないスキーシーズンの幕開けであるが、それでも水曜日の午後、マンモスへと向かう。
3時半には会社を抜け出し、久しぶりに佐野さんと二人だけでマンモスに向かう。マンモスではエルセントロから、菊池さんと若い日系2世のリチャード安芸国が合流する。
私は腰をいたわりながらの様子見のスキーであるが、私より気になるのが10月22日に腰にセラミックを埋め込む手術を受けた原ちゃんである。原ちゃんは手術後1ヶ月もたつのにまだ痛みが抜けないで苦しんでいるという。痛みは私たちにはどうすることも出来ないが、せめてこのエッセイを読んでいる間でも、痛みを忘れて心をゲレンデに遊ばせることが出来たら、と言う思い出をこめてエッセイを送らせてもらう。
10月始めに始まった株の暴落で、あらゆる処に不況感が蔓延している。それでも最近ガソリン代が安くなったので遠出する人が多いのか道路が混んでいる。会社から佐野さんの所まで1時間、5時に佐野さんの家を出てからさらに2時間半というものバンパー トゥー バンパーの混みようで、歩いた方が早い状態が続く。サンタモニカから我々がトンネルと呼ぶ14号線の合流点手前までで、2時間半というのは記録的な沈滞である。
昨夜はエルエーは雨であった。運転中、時たまウインドーに雨があたる。この水分がマンモスに落ちれば、かなりの大雪であるが、スノーレポートでは昨日は5センチほどの雪しか降っていない。持参のおにぎりをぱくつきながら今日は食事の休憩をとらないで運転する。
途中佐野さんに運転を代わってもらい、ほぼ休みなしで走ってマンモスに着いたのは真夜中の12時であった。コンドの駐車場には10cmくらいの新雪が積もり、ライトに照らしだされ美しい雪景色を見せている。
荷物を運び込む。思いのほか駐車場に車は少ない。出がけに見たフリーウエー上のたくさんの車は何処に行っちゃったのか?我々の45分遅れくらいで菊池さんとリチャードが着いた。
佐野さんの持ってきたおでんを肴に私はビールと日本酒を飲みながら明日の食事の下ごしらえをする。佐野さんは最近作り方を教わったというカクテル。それから結局3時過ぎまで起きていた。
ところで私のエッセイには酒を飲むシーンが頻繁に出てくる。ひょっとして私はかなりののん兵衛でアル中かと思われているのかも知れない。確かに酒は好きでかなり飲めるが、実際は週に4日はアルコールを飲まない日がある。そしてそのほとんどはビール1本とかワイン1−2杯くらいのことが多い。徹底して飲むのはスキーに来た時だけである。確かにマンモスではかなり飲んでいるが、それでも二日酔いになるほど飲んでいる訳でなく、翌日にはちゃんとゲレンデに出て滑っている。
翌朝起きたのは9時ごろ、寝起きの悪い皆がそろってゲレンデに向かったのは10時過ぎ。シーズンパスを受け取り、スキーをしないでメーンロッジで雪見酒というリチャードを残し、ブロードウエーのリフトに乗ったのはすでに11時である。
ゲレンデは思いのほか雪質も、雪量も今の季節としては良い。そのままフェースリフトの乗り場へ滑り降りる。短い距離であるが、腰を労わり、最初はそろそろと滑る。それからリフトを乗り継ぎフェースの裏側に滑り下りる。ここでまた腰を痛めたら今シーズンスキーを棒に振ることにもなりかねない。原ちゃんについで私までシーズン落ちしたのではスキー三昧が成り立たなくなる。2週間前までは立っているだけでもきつかった時があった。私の今期のスキーを左右する大切な最初の一本である。
大回りで、なるべく上下の衝動が腰に伝わらないように滑る。とりあえず痛くない。途中で何度か止まりながら、ゆっくりとスタンピーアレーの広い斜面を下りていく。ついつい細かいターンをしたくなる気持ちを抑えながら下まで降りた。無理をしなければ何とか滑れることが分かったのでほっとする。しかしガラスの腰であることに変わりはない。もう一度上がるとフォッグが出始めたので、そのままメインロッジに下りて昼休み兼ビールタイム。
すがすがしい朝の雪景色 今期最初のリフトを待つ サー行ってみよう
まだ2本しか滑っていないが滑れることが分かり、気分はいい。ビールを飲みほろ酔い気分、この時が一番いい。リチャードとは一度野球を観に行き、その後一緒に飲んだことがある。佐野さんがリチャード、安芸国、横綱などと数種の名前を話の中で使うものだから、いい加減に聞いていて、再会するまで3つが同じ人物を指すと分からなかった。
ヨッパッラって来た私は若いリチャードに、「君は私の正体をまだ良く知らないだろうけど、実は私は酒癖の悪い二人のブレーキ役である」などとカマスのである。
午後からスキーをもたないリチャードも入れてゴンドラで山頂にあがってみる。彼はすでに一度ゴンドラに乗っている。ノンスキーヤーはゴンドラ一回山頂への往復で21ドルだという。高い。一度下に下りてしまっているので厳密には彼はもう一度チケットを買わないといけない。しかし見つかった時の言い訳を3種類くらい考えてゴンドラ乗り場へむかう。3人でリチャードを囲むようにしてわんさかわんさかと進むが、横綱級の横幅は隠しきれない。まずは佐野さんが係員に話しかける。私と菊池さんがブロックしながら係員とリチャードの間に入る。3人がゴンドラに乗る、佐野さんが乗る。見事な連係プレーで、佐野さんが切れる、リチャードが暴れるという最終シナリオまで行くことなく横綱ゴンドラ作戦は成功した。
ゴンドラの上から見てもすでに山全体が雪に覆われていて、例年から比べるといいスタートであるのが分かる。リチャードはアルゼンチン生まれで13歳までアルゼンチンで育っている。一緒にゴンドラに乗ったスキーヤーが互いに何処から来たかという話から、アルゼンチンで滑ったことがあるという話になる。彼はプロスキーヤーでフィルムの撮影のためにアルゼンチンなど南米で滑ったことがあると言う。さらにスキューバーダイビングで海にも潜るというので、私が「空は?」と聞いたらスカイダイビングもするという。空、陸、海のスポーツを網羅する人は、なかなかいない。スリルを求めるタイプのスポーツマンである。今のところ無事にやっているという彼にエールを送り山頂で別れる。
私はといえば、ともかく無理をしないスキーで、年末の連休まで繋げるのが当面の目標である。
ゴンドラで山頂に向かう ここがマンモスの最高度地点
リチャードのリクエストで最後の日に予定していたカレーを作ってあげることにした。サイドディシュにはさんまの甘酢あえ。ぶつ切りにしたさんまを塩コショウして、片栗粉をまぶし、フライして、スライスした玉葱と黒酢と砂糖少々の醤油に漬けて数時間置いて味をなじませたらできあがり、玉葱のエキスが沁み込んでうまくなる、私の好物である。そしてサラダ。
まずはシャンペンで乾杯して食事、今回はなかなかいいワインが数本ある。例年と比べるとスキー客も少なく静かにDVDの映画を見ながらサンクスギビングの夜はふける。
朝7時、まだコンピュータールームが開いていないが、駐車場の車の中からならワイヤレスのインターネットに繋がる、ニュースとメールのチェックをしていると目の前に朝日が昇る。インドのムンバイでのテロのニュースが出ている。平和なマンモスは昨日以上に青空の綺麗な快晴である。
今朝は10時前に出て、まずはキャニオンロッジをのぞいて観る。係りの人に聞いたらこの連休にはまだキャニオンロッジはオープンしないという。もう一嵐来ないと駄目らしい。今日はスタンピーから入ってまずは5番に行って見る。キャニオンロッジに向かうコースと山の裏側以外はほとんどオープンしている。
今日はリチャードとは昼、中腹のマッコイステーションで11時半ごろ会う約束である。ゴンドラで上がってくる彼にワインとビールの入ったリュックを渡す。
快晴で雪質は良い。腰の具合もよく、気分良く滑る。ついつい小さな瘤を乗り越えながらモーグルっぽいショートターンまでしてしまう。でも2本滑ってマッコイで休憩。
早めの休憩でリチャードがワインを持ってくるのを待つ。
突然、斉藤(太)さんが現れる。今回は一人で来てモーテル6に泊まっているという。嘉藤さんは今オーストリアにスキーに行ってるし、急に思いたった時、一緒に来てくれる人がいないらしい。朝から12本滑って足が痙攣しそうという斉藤さん、一緒に来る人が居ないのは、その辺に理由があるような気もするのである。こう言いながらも実は斉藤さんと一緒に滑るのは楽しい。しかしこちらにペースを合わせているようで合わせていない斉藤さんの滑りは、途中で追いつくとすぐに先に行くのでまた追わなければならない。これが時には、自分に優しいスキーに慣れている我々に苦痛なのである。でも斉藤さんと言う人間は好きなのである。ホッケーもやっている斉藤さんは歳に似合わずスポーツマンで我々より体力がある。太目といってもかなりの固太りでいらっしゃる。
約束の時間11時半になっても、なかなかリチャードがこない。しかし誰もそうは言わない。「なかなかワインがこないね」と言う。斉藤さんが、「ワインとビールを運ばせるために21ドルも払わせてマッコイまで来させるとは、酷い人たちだね」というので、「いやいやワインを運んで来い、なんて言ってないですよ、ワインとビールが入ったリュックを渡して、マッコイまで来たら景色がいいし、気持ち良いから昼食はそこで取ろうねと言っただけ」。「それはワイン持ってマッコイに来いと言ってるのと同じでしょう」という斉藤さんに、そういう意見もあるのかと一応聞いておく。20分ほど遅れてワインとビールが届いた。マッコイステーションの目立たない場所にあるテーブルで、おおっぴらにワインを開ける。持ち込みでは少し気が引けるのでワインに斉藤さんが折り紙した兜をかぶせて隠したつもり。やはり雪山を見ながら飲む酒は美味いのである。
窓いっぱいにゲレンデを観ながらワインを飲む 山頂にて
朝の12番リフト下が良かったという斉藤さんの案内で午後からはそちらに行くことになった。12番周辺は林の中なので雪の付きがいい。私は昨日4本滑ったから、今日は5本の予定だったが、情け容赦ない斉藤さんがガラスの腰の私を引き回す。気が付けば、かなり普通に滑ってしまっている私。「またエッセイで私のこと悪く書くんでしょう」という斉藤さんに、「行の間を読んでください、斉藤さんに対する敬愛の念に満ち溢れているはずです」と言ったが、またまた山中引き回しの刑を受けた私達である。
最後にもう一度5番に行く。ゴールドラッシュの下の斜面が思いのほか良かった。少し凸凹があり、雪も柔らかで気持ちよく滑れた。
夜、斉藤さんを招待して夕飯を食べる。メインは最近自慢のイタリアン豚肉丼。斉藤さんが自分の家の小さな庭で有機栽培で育てたというライムを使ったマルガリータを作ってくれるが、これが絶品である。有機栽培とは、時たま酔っ払った斉藤さんがかける小便らしい。糖尿の糖分も入っているらしい。
コレクションの一部 今日のイタリアン 右端が斉藤先輩
土曜日、今日は今までより早い9時にコンドを出発する。キャニオンロッジが開いていないので毎日11時とか10時にスキー場の駐車場に着いても。車を停める場所がなく苦労する。昨日は私らを降ろしてから車を停めるスペースを探しに行った菊池さん、車を停めてからシャトルのバスが来なかったそうで、スキーブーツで1キロも歩いてきた。毎日出発時間が1時間ずつ早くなった結果、今日は4番のローラーコーストの乗り場近くに車を停めることが出来た。
朝のうちは雪質がいい。ついつい腰痛持ちであるのを忘れハンデイなしの滑りをしてしまう。でも斉藤さんがいないうちは2本滑ったら休むようにしている。10時の休みから早くもビールが出てくる。さらにウエストボールの瘤を滑って昼休み。なるべく上下のショックが腰に伝わらないように気をつけて滑っているが、なんとなく大丈夫そうである。マッコイで魔法瓶に入った焼酎のお湯割りを飲んでいると約束通り斉藤さんが現れる。すでに今朝から10本以上滑っているという鉄人である、でもやはり鉄人もシーズン初めで足が痛いらしい。
午後からゴンドラで山頂に行くと強風で前に進むのが大変である。それでもデーヴィスランという最急斜面に行こうと珍しく佐野さんが言うので私も付き合う。出だしは良くないが後半は柔らかい雪が付いていた。言い出しっぺの佐野さんは滑り出しの凍ったコンデションに後悔していた。
今日も5番リフトの斜面がいい。グルームされていない斜面も雪質がよく気持ちいい滑りが出来る。その後、私はこれ以上腰に負担をかけないように皆と別れてミルカフェの前の雪上のリクライニングシートに座って休む。一度スタンプアレーを滑り、その後30分ほど椅子でうたた寝していると皆が引き上げてきた。
今日は実家がエルセントロで日本食レストランをやっているリチャードが夕飯を作ってくれるというので私はリラックスして休めると思ったら、コンドに帰ってもリチャードが行方不明である。私の車を貸してあるが夕飯の食材を買いに行く以外、今日彼はずっと部屋にいたはずである。車には私の薬がはいっていて、この薬を飲む前後1時間はお酒が飲めない。斉藤さんがピッチャーにいっぱいのマルガリータを作ってくれたのに飲めないので、ジャグジーに入ったりしていると、5時くらいにリチャードが帰ってきた。なんと12時から3時まで初心者のスキークラスに入っていて、その後、街に買い出し行ったのだという。それは惜しい事をした、知っていたら全員で冷やかしに行ったのに。
マッコイステーション前の眺め ディビスランの途中から見上げる ディビスランの途中からし下を見る
デイビスランを見上げ、一休み 5番リフト上の斉藤さんと佐野さん ゲレンデを見ながらうたた寝
リチャードが「斉藤さんは 佐野さん、小堺さんとはいつから知り合いなのですか?」と聞く。斉藤さんが「30年少しになりますよね」と来るので「そう、私は斉藤さんにオシメを替えてもらった事があるから」と受ける。怪訝な顔のリチャード。実際は佐野さんと斉藤さんに共通の友人がおり、佐野さんはその頃出会っている。私はその共通の友人までは知っていたが、斉藤さんとは黄色い糸が繋がらなかった。その後佐野さんと共に再会したのは数年前のマンモスのここマッコイステーションであった。それも最初は私と斉藤さんと滑っていた嘉藤さんが知り合いになり、その後だいぶしてから佐野さんと斉藤さんは過去の接点に気づいたのである。
30年もエルエーに住んでいると何処かで黄色い糸に結ばれた共通の友人に行きつくことがある。黄色い糸とは友達関係を繋ぐる友情の糸である。友達の友達が友達になることはよくある事で、とりわけこの狭い日系社会の異国の地に住んでいると黄色い糸の存在を実感する。時には遠い日本の肉親以上に強い支えにもなる。
そんな黄色い糸で結ばれた原ちゃんがいないスキー三昧は寂しい。
ここに何時でも原ちゃんが戻ってこられる場所がある。あせらないで、来期にはまたゲレンデに立てるよう、1年後の復活を夢みて無理をせず回復に努めて欲しい。
このエッセイを読んだ人全員に、原ちゃんに回復のパワーを送ってくださるようお願いしたい。
連休4日目の日曜日、9時から2時間ほど滑って帰路に付く。
この時期、思っていた以上に良いコンデションでスキーが出来たことに感謝する。また黄色い糸に結ばれたスキー仲間でマンモスを滑りたい。
真っ白なマンモスがバックミラーに消えていく。
フェースのフリフト下り場にて 巨漢の横綱と巨人の菊池さん 帰路に見た夕焼け
完