2004年11月20日
いつの間にか季節は11月となり、またスキーのシーズンが始まった。マンモス・スキー場の公式なオープニングは11月12日である。しかるに今年は10月の後半に大きな嵐が数回襲い、積雪がどんどんと増え続け6フィートとなりスキーヤーもスキー場もこれ以上待てないとばかりに、非公式に10月22日には一部オープンしてしまった。
10月としては10年ぶりの大雪というが、私の記憶にはこんなに早くからのオープンはない。
11月の第一、第二週末と2週続けて、佐野さん、原ちゃんと初滑りに行く。このところ少し体調を崩して運動を自粛していた私にとり、今期は基礎体力的に準備の出来ないままでのシーズン入りとなってしまった。途中 “九州ラーメン”で食事をしてフリーウエーに乗る。私の運転で疲れたら交代であるが、道路は相変わらず混んでいる。我々の3人の間では大雑把な役割が決まっている。佐野さんがコンドを提供し、原ちゃんが外食と飲み物の負担、私が自炊の食材と料理、車の提供、そして何よりも大切なエッセイ係である。例外もあるが原則この役割で我々のスキー三昧は続いている。
夜中にマンモスの街中につくと、道路の端には除雪された雪が50センチほどの壁を造っている。この10月の積雪がずっとこの調子で続いてくれたら今季は素晴らしい雪に恵まれる事となるが、とり合えず良いスタートである。
シャモニーのコンドは今夏、外観が改装された。私は改装後、始めて見る事となったが、すっかり綺麗になっていた。
朝遅く起きて、9時ごろまだこの時季キャニオン・ロッジが開いていないのでメイン・ロッジに向かう。風もなく雲ひとつない快晴である。久しぶりで見るマンモスの山は一面充分な雪に覆われ、白く青空の中に立っている。すでにかなりの車が止まっていて駐車場は一杯、と思ったら運良くスタンピー・アレーのリフト乗り場正面の一番いい場所に一台分のスペースがあった。ラッキー、幸先のいい初滑りである。
雪を踏んでリフトに向かって歩くと雪が鳴る、思いのほかドライでいい雪なのが分かる。リフトの上から見ると何処も彼処も白銀の世界、これがすべて10月中に降った雪であり、11月始めの景色とは思えない。まずは足慣らしでこの斜面を下りてみることにする。
確かめるようにゆっくりと体重を移動して大きなターンを描いてみる。だんだんと細かいターンに移りながら約半年ぶりのブランクを埋める。先に行った私は途中で止まって二人を待つ。
追いついた2人と「いいね!」と思わず期待した以上の雪に感謝。
佐野さんは歳を考えず2週間前の山歩きとその後のテニスで無理をし過ぎて膝と肘を痛めており、もっか回復中である。スキーシーズンの前に他の運動で無理をして膝を悪化させるパターンはすでに何度も繰り返していることであるが、懲りずにまたやってしまったようである。でも今年はそんなに悪くはないようで結構滑れている。私は喉のポリープを2度とって全くトレーニングをすることなく、いきなり山に来ている。そして不摂生の原ちゃんであるから、すぐに休憩が入るのは止むを得ない。休憩の後ゴンドラで山頂に上がり、コーニースを下りる。ここだけ風が集まるところなので突風である。しばらく風に背を向けて風が弱くなるのを待つが、変わらない。ともかく滑り始めようと斜面に向かうと、滑り出しの斜面はめちゃくちゃに荒れていて大きなでこぼこだらけである。これは斜面の選択間違いであった。
昼休みの後、今度は山頂を左に行きデーブス・ランという急斜面をおりる。9番リフト乗り場の上に出て5番リフトの下の斜面を滑る。5番リフトは開いていないが斜面には充分な雪があり、少しコースを外れるとパウダーっぽい雪が残っている。雪の量としては全山オープンしても良い量がすでにあるが、従業員の確保とかでイントラ・ウエスト(マンモスの経営会社)としては無駄なコストはかけたくないのであろう。我々はシーズン・パスがあるが、今期は普通に買ったら一日券が63ドルである。経営母体が変わってから、なんでもビジネス第一の姿勢が感じられるがいやである。客があってのスキー場、もっと客に儲けを還元してもらいたいものである。
日曜は朝から雪で視界が悪い。2回ほど滑ると、ほとんど見えない状態になり、早々に引き上げた。
翌週は木曜から佐野さんは頼さんと先にマンモスに行っていた。私は原ちゃんと金曜の夜マンモスに向かう。
土曜の朝、佐野さんが確保していたメインロッジのロッカーに履き替えた靴を入れ先にゲレンデに向かった佐野さんを原ちゃんと追う。混雑したロッカーの前で佐野さんを見失い、どちらの出口からゲレンデに向かったか原ちゃんと立ち止まっていると、通りかかったマンモスのホストが「何か探しているのですか?ゲレンデへの出口?」と聞いてくるので思わず「マコ(佐野さん)!」と私が小声で言い、原ちゃんが「我々、ここ初めてなもので」などと余計なことを言うものだからゲレンデへの出方を丁寧に教えてもらう羽目に。私はここには百回くらいは来ていると思うけどね。
今日は正式なオープニング・ディーで11時半からメインロッジでシャンパンの振る舞いセレモニーがあった。「イントラ・ウエストは儲けているんだから、もっと高いシャンパンをだせよ」とかといいながらも結構いただいたのである。
嘉藤組がリフトの上から声をかけてくれたので合流して何本か一緒に滑る。彼らは『ホワイト・マウンテン』などという素敵なグループ名前をつけたそうだ。我々は差し詰め同じ山でも姥捨て山かというくらい故障者と、病み上がりと、ビール漬けの3人であるから3−4本滑るとすぐに休みにはいるのである。それでなくともフットボール・シーズンの今は佐野さんと原ちゃんはすぐにテレビの前で座りこみフットボール中継を見たがる。
5番リフトの斜面に行くとグルームされ均されたゲレンデと、自然に滑られて荒らされてバンプになった斜面とがあるが、どちらも良さそうである。佐野さんはゲレンデを、私と原ちゃんはモーグルの出来るバンプ斜面に向かことにする。上から見た通り結構深いバンプが並んでいる。私が先に行き原ちゃんを待つ。雪が柔らかいので面白い。原ちゃんが珍しく逃げないで積極的にバンプ斜面を攻めて、良い滑りをしている。リフト乗り場で佐野さんと合流するとグルームされた斜面も今日一番のお勧めだというので、もう一度佐野さんの滑ったコースを滑る。申し分のない雪質で、ショート・ターンで滑ると疲れるが満足感が味わえる滑りが出来た。でもその後は酸素を求めてパクパク状態になった呼吸と脈拍を整えるためにしばらく立ち止まらなければならない。
ショート・ターンが上手く決まると満足感がある。私が若い頃のスキー技術の最終目標はウェンデルと呼ばれる、細かいターンを左右に切りフォール・ラインを行く滑りであった。そして今でも私はどんな斜面でも安定したショート・ターンを描く事を一番に心がけている。しかしゲレンデで見る今のスキーはスノーボーダーと同じ大きな狐を描くスピード感のある滑りが主流になりつつあるように思う。風を切って滑る爽快感はあるが、それは出来るだけ細かいターンを極める満足感とはまた別のもののように思う。状況にあわせていろんな滑りを楽しむと言うことで良いのかも知れないが、良い雪に会うとついターンの回数の多い体力的に厳しい滑りをしてしまうのである。
暫く激しい運動を控えていた私は運動量が少なくても体調維持効果のあるヨガの教室に最近通い始めた。日本でもブームになっていると聞くが調べたら私の家から5分以内でいけるところに2箇所教室を開いているところがあった。
週に一度のペースであるが、すでに一ヶ月くらいになり、家でも時間があればやるようにしている。スキーの後シャモニーに戻り、全員でヨガ教室をやる。インドを発祥の地とするヨガはアメリカでも幾分モダンな形で広められ、各地に教室がある。座禅と同じルーツと思われる胡坐を組んでの呼吸法から始まるヨガは心身の疲れを取り、癒しの効果がある。
スキーをしない登山家 頼さんは昼間は山歩きをしたりして過ごしている。夕食後散歩に行くと言うので私も同行する。外は満天の星空である。ぐるりとまだオープンしていないキャニオン・ロッジのあたりを歩いてシャモニーに戻ると佐野さんも外に出てきた。3人で裏の方にある普段我々が使わない屋根つきのスパに行って見る。無線で原ちゃんを呼んだら原ちゃんも来手、彼だけジャグジーに浸かる。まだ早い季節なので他のスキー客も少なく、ジャグジーに入る人は他にいない。
日本では方々で野生の熊が住宅街に出て来て人を襲って、話題になっているが、ここでも熊はでる。コンドの敷地内まで来る事もある。佐野さんは外に出ようとしたらドアが開かず、誰かがドアを外から押さえているのかと思ったら熊だったという接近戦をしたことがある。日本の熊は住む場所を追われ、食料がなくて人家の近くまで食べ物を探しに来て、人間と遭遇してどうしたらいいか分からず襲ってしまうのだと思う。アメリカの自然公園の熊はキャンプ地等で人間を見る機会が多いのか人間慣れしていて、人間をみたら彼らから逃げていく。基本的に彼らは人間が怖いのである、よって彼らが餌を探す行動時間は真夜中が多い。
翌朝、今日は雪になるというのでシャトル・バスでメイン・ロッジに向かうと車内で昨日一緒に滑ったペニーが話しかけてきた。正直ゲレンデでゴーグルをしていた彼女をバスの中で認識するのは不可能に近いが、こちらの東洋人3人は彼女からは認識し易いであろう。昨日一緒に滑ったペニーだと名乗られないと分からないのはしょうがないことであるとお許し願いたい。彼女はオーストラリア人で、15歳の娘はマンモスでレースの合宿をしているという。彼女もいい滑りをするスキーヤー一家である。
午前中いっぱい、5番リフトを中心に滑る。まだ体力的には昨シーズン一息に滑り降りれた斜面を下りるのに2−3回の途中休憩を入れる有様である。しかし佐野さんと原ちゃんはその間マッコイ・ステーションで休んでいた。フットボールを見るためとは言い、私より駄目である。
395号線を南に下ると左右に雪山を望む。遥かなる山頂近くの雪面を見ながら、あのバージン・スノーを滑ってみたいと思いを馳せるのであった。
完