(カナダ編) 小堺高志 4月6日2003年
2月にほとんど雨の降らなかった南カリフォルニアに3月初めに2日ほど雨が降った。毎日見るローカルの山並みも雪化粧している。しかし季節は確実に冬から春へと変わりつつある。そしてこの時期、昨年から勧めていたカナダへのスキー旅行を実行に移す時が来た。
ここ連日、ニュースではアメリカのイラク攻撃の時がいつに成るかと話題にされている。そのためか飛行機で移動する人が少なく、格安航空券を購入することが出来た。バンクーバーまで往復で税込み198ドルである。3月7日出発、目指すはカナダ西岸バンクーバーの郊外ウイスラー・ブラックコンのスキー場である。
ロスアンジェルス空港、エア・カナダのカウンターに夕方5時に着き佐野さんと原ちゃんを待つ。出発は7時20分であるがテロ対策のため航空会社からは少なくとも出発の90分前にチェックインする様にと言われている。私は思いのほかスムースに空港に着き時間を潰していると5時40分ごろ他の2人が着いた。チェックインすると荷物ごとそのままカウンター横にある臨時検査場に送られ検査員による厳しい荷物の検査が始まった。旅行かばんを開け、スキーケースに入れたスキーまでいったん取り出し、再び封印するという作業に手間取る。それは我々、今話題の北国の人々と彼らから見たら同じにみえるかもしれないが、「我々より怪しい奴がいくらでもいるだろう」とちょっと怒りのポーズ、でも心はうきうきである。空港内のファースト・フードで簡単なハンバーガーの夕飯を済ませ、ビールを一杯。気分はすでに旅モードであるが、相変わらず ここの空港内のお店は従業員の接客態度が悪い。時間通り飛行機は夜の空へと離陸する。
2時間40分の飛行でバンクーバーの空港に到着する。私は前回佐野さんとスキーに来て以来2年ぶり3回目のバンクーバーである。原ちゃんと空港内でビールの飲める処を探すがそれらしきお店はすでに閉まっている。空港を出るとすぐ道路を隔ててレンタカーのオフィスがある。日本車の 4輪駆動を予約していたのが、手違いで該当車がなく「フォードのエスケープになってしまうが良いか?」と言われ、同じ4輪駆動なのでオーケーする。佐野さんの運転で市内に向かう、外は雨である。
宿泊先は前回と同じバンクーバーの一等地、スタンレー・パークの入り口にあるウエスティン・ベイショア・ホテルである。夜中の 12時少し前にチェックインして喉を潤しにホテルのバーに向かうが わずかな差で、すでにラスト・コールされておりサーブできないと言う。飲めないと言われるとどうしても飲まないと眠れない。佐野さんがホテルの人からまだ開いているお店を聞いてきて小雨の降る中、歩いて街に繰り出す。4ブロックほど歩くとジョウジアというと通りがあり、結構まだ開いているレストランが並んでいる。カクテルのネオンサインを見つけて入り、生ビールをピッチャーでオーダーする。マネージャーの他は一組しか客がいない。やはりテロの影響と不況で今年は観光客が少ないと言う。
ロスと違って観光国カナダでは誰もがフレンドリーである。ホテルに帰って午前 1時半ごろ就寝する。
翌朝、かもめの鳴き声で起こされ、 7時45分に私の運転でウイスラーへと向かう。天候は曇り、スキー場まで約1時間半のドライブである。入り江沿いに左側に海を見ながら走る。右手はほとんどカナダの原生林が残る。ちょっと郊外に出ただけでカナダは自然の宝庫である。40分ほど走ると「屋外スポーツの首都」と謳うスカミッシュというこの道筋で唯一の町らしい町がある。ここは釣り、バード・ウオッチィング、山登り、岩登り等さまざまなアウトドア・スポーツが出来る町らしい。道路はここまでは海沿いの海面レベルを走っており、ここから海岸を離れる。さらに50分ほど林の中を走るとウイスラーである。ウイッスラーでも海抜は680メートルしかないので、ここからの道も起伏は少しあるが、曲がりくねった山道ではない。
ところで空港に着いた時、オリンピック・マークを沢山見て、2010年の冬季オリンピックをバンクーバーに誘致している事を知った。スキーの会場は当然ウイスラー・ブラックコンである。我々はバンクーバーのナイト・ライフが好きで、バンクーバーに宿をとり毎日スキー場まで通う事を選んだが、バンクーバーからウイスラーまではこの道路しかない。スカミッシュまではまずまずの道路であるが、アメリカの道路と比べると狭い。スカミッシュから先は 2車線の粗末な道路である。オリンピックが誘致出来たら1メートル$5,000ドルかけて道路の整備をしなければならないそうで、ラジオによれば自然保護、財政難を唱える反対派が多く、賛成派がわずかに反対派を抑える程度で、その点で国民の80%が賛成している韓国に誘致競争で押され、もっか態勢不利になっているそうである。
ウイスラーに着くと 3日分のチケットを購入する。ここはマンモスのスキー場と同じ会社の経営なのでマンモスのシーズンパスを見せると半額になる。3日間でスキー・リフト代はアメリカドルにすると約70ドルと、お得である。
前回来て、山全体の概要はだいたい分かっているつもりであるが、なにせ大きなスキー場である、各自地図をもち、今回は 5マイル届く携帯無線機を持って来ている。麓のウイスラー・ビレッジから左に見える山がブラッコン、右の山がウイスラーである。チケット売り場のある広場からそれぞれの山に向かうゴンドラが互いに30メートルほど離れた位置から出発している。今日は右側のウイスラーを滑ることにしていたので我々もゴンドラ乗り場の長い列に並ぶ。ゴンドラでは日本人の女の子たちと乗り合わせる。みんな若い、バンクーバーにホーム・ステイして1ヶ月語学スクールに通う仲間と週末のスノーボードに来たのだという。後に知ることとなるが、バンクーバーには日本人向けの語学学校がとても多い。アメリカより安く、治安が良いということで宣伝し、日本から多くの語学留学生を受け入れているそうである。25分ほどゴンドラに乗るとラウンドハウス・ロッジという終点につく、しかしここが山頂ではない、さらにマンモスのスキー場くらいあろうかという大きさのウイスラー山頂がその先にそびえる。ゴンドラ乗り場は小雨が降っていたのに標高1850メートルのここでは小雪の舞う天候に変わり、ゲレンデに出てスキーを履くと雪質はなかなか良い。今回こちらに来る前、毎日ウイスラーのスキー・コンデションと天候をインターネットでチェックしていたが、今年のアメリカ大陸東岸は寒波と大雪に襲われているのに、西岸は暖かく雪が少ない、スキー場としては自然に恵まれない年である。とりわけウイスラー・ブラッコンは我々の来る数日前、久しぶりに7インチの新雪が降ったのでこのコンデションとなったが、それがなかったら、かなり悪いコンデションでのスキーとなっていたはずである。条件が揃えばヘリコプター・スキーも考えていたが、おそらく今回は天候に恵まれない4日間となりそうである。
途中のゴンドラ・ステーションから乗ったインストラクターが最もポピュラーだというエメラルドというリフトを中心に滑りはじめる。すこしアイシーな部分もあるが十分に数日前の新雪にカバーされている。グルームされた斜面の横にモーグル斜面がそのまま残されているのが嬉しい。今日は私がリーダー、地図を見ながら私がコースを選んで先頭を行く。
思いのほか雪は軽いが、土曜日なのでポプラーなゲレンデのリフト・ラインは長い。
昼食を摂ってウイスラー村の隣にあるクリークサイドに下りる斜面を滑っていると、途中でショート・カットするように林の中にスキーヤーが入った跡がある。雪が良いのであまり人の滑らないそんな斜面を滑りたく思っていた私は入ってみることにする。ここに来る途中ちょっと下のほうにコースが見えていたので少し滑れば下のゲレンデに出られるはずである。私が滑ったら佐野さんと原ちゃんも付いてくる。 30メートルほど気持ち良く滑るとその先は急にきつい斜面になり林になっている。二人に待つように言って先に進んでみる。斜面はさらに急なり、林が行く手をさえぎる。横滑りで少し右に迂回しながら下りてみるがさらに傾斜は急になり密集した林で先が見えない。滑れる状態ではないが無理をすれば下りられるかもしれない、行くか戻るか思案のしどころである。もう一度地図を見ても、その先がどうなっているか土地勘がないので地形が分からない。登って戻るのは大変だが正確な位置が分からない以上戻るのが賢明と判断し無線で上の二人に退却を伝える。登りは50メートルほど登れば済むことであるが、そのまま強行に先に進んでいたらもっと苦労することになっていたように思う。リーダーの適切な判断であると自画自賛するが、15分も山登りをさせられた二人に言わせれば、知らないコース外に入ったのはリーダーの判断ミスである。「わるい、わるい、今夜の食事前のドリンクは私のおごり」で勘弁してもらう。
一般コースへ戻り、一休みしてハーモニーというリフトでさらに上に行く。ここも人気のあるコースで長いリフトラインになっている。佐野さんの膝は今のところ調子が良い様である。彼はつい2週間前、膝が悪化して歩くのも大変で皆を心配させたのであるがなんとかカナダ旅行に間に合うように回復していた。今日を入れて 4日間滑ることを思えばリフト待ちで休むのも必要である。何せどのコースもほとんど始めて滑るコースのようなもので新鮮な感覚でついつい気合を入れて一生懸命滑ってしまうのである。3時ごろ下に向かって帰路につくが、これがまた嬉しく成るほどの長い道のりである。
朝来た道をバンクーバーに戻る。着替えた後、ホテルの前にある有名店カルデロズで私のおごりで食事前の一杯。このレストランはすでに私は 4回くらい来ている。海の上に突き出た桟橋のうえに建つレストランである。ビールとともに生牡蠣を2ダース頼み、醤油とビネガでぽん酢を出してもらう、新鮮でうまい。
その後5ブロックほど歩いてロブソン通りに行くと、ここは日本レストランが何件も並んでいる。こんなダウン・タウンの一等地に日本食のお店があるということはバンクーバーにはかなり昔から日系の移民が居たということであろうか、その後移民した中国系の移民はダウン・タウンからは幾分離れた一角に大きな中華街を造っている。「いざかや」という名の居酒屋に入り熱燗とつまみで温まり、ラーメンを食べてホテルに帰る。
テレビのニュースがウイスラーでスノーボーダーが 4人、コースをはずれ迷子になり助けられたというニュースを流していた。あのまま行っていたら我々がニュースになっていたかもしれない、やはり今日のリーダーが良い判断をしたということか?行くか戻るか、自然が相手の場合、早い段階で戻ることも大切なことである。
翌朝 6時に起きると外は雨である。かなり激しく降っている。ニュースではウイスラーへの道は雪が降っているという。私の運転で昨日より少し早めの7時にホテルの前を出発する。スタンレー・パークの中を抜け、ライオンゲート・ブリッジを渡り北に向かう。やがて雨は雪に変わり道路をシャーベット状の雪が覆い始める。
アメリカのマイル表示に対しカナダはメートル法を取っていて車の速度計も道路の標識もメートルである。すでにマイル表示が身についている我々には時にはメートル表示は感覚を鈍らせられる。カナダの道路はアメリカの道路と比べ車線が狭く状態は悪い、とりわけウイスラーに向かうこの道はまだまだ整備の余地がある。いつもカリフォルニアのフリーウェーを70−80マイルで走っていると、雪道とは言い、カナダでのメートルをマイルに換算するといつもならもっとスピードを出しても良いように思えてしまう。だいたい周りの車に合わせたスピードで走ることになるが、今日は新雪を滑れると思うと幾分気が焦る。いつの間にか道路も真っ白になり、時たま対向車線を除雪車がすれ違う。バンクーバーで聞いた話ではどんどん除雪するので雪が降ってもチェーンはまず必要ないとのこと、しかも我々の乗る車は4輪地駆動である。エスケープは初めて乗るが、タイヤは全くのノーマル・タイヤ。オートマのトランスミッションが自動的に切り替わるとき幾分ラフに繋がるのとサスペンションが幾分軟らかいのが気になるが、やがて普段の運転ではそれも忘れていた。4輪駆動の設定を自動設定にする。これで必要なときは4輪駆動に自動的に切り替わるはずである。
スカミシュの少し手前で前を大型バスがのろのろと走っている。道路が狭くなかなか追い越し車線がない。やがて道路が広くなり車線は雪で隠れて見えないが、追い越し車線があるようで、前の車が次々とバスを追い越し始める。私も左に出てアクセルを踏む。スピードとしては 40マイル、65キロくらいか。後で気が付けばそこはいつの間にか下り坂の左カーブとなっていた。突然後輪が流れるのを感じ軽いカウンターをあてる。3−4回右左に振れアクセルを踏むが車は反応しないまま大きくスピンをして滑り続ける。こうなると運を天にまかせるしかない。道路の横は幸い幾分広い路肩になっていて、その向こうは雑草林である。横滑りでスピードもかなり落ち、路肩に入りやっと止まりそうになった時、ゆっくりと車体が横倒してしまった。ここで横転するとは思わなかったが車高の高い、このようなスポーツ・ユテリティー・カーは横転しやすいといわれているのは周知の事実である。ゆっくりと横転したのでいたって冷静で怪我はない。他の二人に声を掛けるとなんともない大丈夫だという。今の状態を見れば道路を塞いでいるわけでなく、これ以上転げ落ちるようなところでもなく、一応安定した状態にある。一安心してエンジンを切って車の外に出ようとシート−ベルトをはずす。
まず私が左のドアから車外に出る、位置的にはフロアのデコボコに足を掛けて上に登り天井のドアを開けて出ることになるのでドアが重い。地面に飛び降りて他の二人が出るのを待つ。その間にも通りがかりの車が4台ほど停まってくれて、次々に安否を尋ね様子を見に来てくれる。大げさに車が横倒しになっているので怪我人が出たと思ったか、 6人ほどが駆けつけてくれたので大丈夫だからと丁重にお礼を言う。その中の一台、東洋人の地元の二人の若者が携帯でレッカー車を呼んでくれるというのでお願いする。車を見れば6人もいれば起こせそうだが皆さんの手をこれ以上煩わせるのも気が引ける。その間も何台かの車が止まろうとしてくれるが大丈夫だからと合図をして、行ってもらう。凍結した道路状態はこれ以上ここに車が停車したら他の車まで巻き込んでしまう恐れがある。
雪はいよいよ激しく降っている。 30分ほどでレッカー車を廻すと言われたが、立っているとだんだん寒くなってくる。やがてレッカー車がパトカーと供に来てくれた。パトカーから降りた若い警官が一人、交通整理をするが、僅かな間にも雪は積もり、さらに道路状態が悪くなり3台ほどスピンする車やら路肩に突っ込む車やらが続出する。タイヤがロックした状態で道路上をゆっくり滑って流れてきた車がなんとパトカーにぶつかってしまった。たいした被害でなかったが、曲がり道の下り坂ということで、パトカーを見てブレーキをかけて滑り出したのかと思う。スピードが出ていなくともこの状態である。警官が現場の手前に発炎筒をたき、やがて除雪車が来て道路の雪を削り、砂撒きをしてくれてやっと安心できる道路状態になったが一時はこちらに突っ込んでくる車があるかもと、注意を怠れなかった。
レッカー車からワイヤを架けて引っ張ると車体は簡単に起きた。車は右サイド前方がわずかに凹んでいるだけで、それも良く見ないと分からない程度のダメージである。エンジンを掛けるとすぐにスタートし、車体、下回り共にそのまま走り続けて問題ないと思われる。しかしまだ警官のレポート作成を待たなければならない。激しく降る雪に、パトカーの中に招き入れられ、警官がパソコンに情報を打ち込むのを待つ。すべての処理、手続きが終わったのは 9時頃であった。トータルで1時間少し費やしたが、この手の事故としては不幸中の幸い、すべてが真っ白な雪の中でスローモーションのように起こり、巻き込んだ車もなく、物にぶつけることもなく、受けた衝撃といえば椅子から転げ落ちたくらいのショックしかなかったので小さな打撲傷すらもない。慣れない道で慣れない車、スピード感をなくし、下り坂に気づかぬままオーバースピードでカーブに入ってしまったのだから完全に私の運転ミスである。雪道の運転にある程度自信を持っていたが、4輪駆動を過信もしていた。4輪駆動は雪の深みにはまった時は強いが、走行中はほとんど性能に違いはないのである。だいたい自動設定にしていたので其の時4輪駆動になっていなかったのであるが、カーブに入る前にシフトを一つ落としておいたら、4輪駆動になっていてもう少し早くアクセルをあおっていたら、立ち直せていたかもしれないと思うし、実際5秒くらいの間に、スピンに入った以上、サイドブレーキを引いた方が早くスピードを落とせるかとも思ったのであるが、足回りが柔らかいので、これが一番よい結果だったのであろうと率直に幸運に感謝する。
さて警官が言うにはウイスラーへの道は今しがた閉鎖されたという。ここでまた「行くか戻るか」である。とりあえずガソリンを入れなければならないので 10分くらいで着くと思われるスカミッシュまで行って、朝飯でも食べながら結論を出すことにする。スカミッシュにあるホテルのレストランで食事をしながら この後どうするか考える。行くか戻るか、おそらくそんなに待たないで道路はオープンすると思うが、このままウイスラーに向かっても雪のため着くのは正午近く、それから上に上がって滑り出すのは12時半、帰りは日曜日で地元の車が多い上、雪のためさらに1時間くらいいつもより余計にかかると思うと、3時頃には上がりたい、そうすると実際滑れるのは2時間ちょっとが良いところである。正直言って4日間とも昨日並のペースで滑るのもきつく感じていたので、今日はバンクーバーに帰って休日にしょうという結論が出た。行くか戻るか、昨日の一件で我々は少し学習していたのであった。
バンクーバーに帰る途中、入り江にあるフェリー乗り場にフェリーが入ってくるのが見える。この美しいホースシュー・ベイというフェリー乗り場でフリーウェーを降りてみることにする。そこは入り江の奥がヨット・ハーバーになっていて、庭付きのボート・ハウスなどが浮かんでいる。その傍らに感じの良いレストランが建っている、薄っすらと雪のかかった芝生と苔の生えた立ち木、鏡のような海面に映る雪山、美しい風景と色合いに足が止まる。
レストランのバーに寄って一杯ずつドリンクを飲んで、再びバンクーバーへの道を戻る。すると今度はサイプレス・スキー場という標示が出てくる。今日滑れなかったスキーヤーとしては、素通り出来ない。このローカルのスキー場を見てみることにする。霧の中、山を登るとそこは地元のスキー客で駐車場は一杯であった。霧が濃いので様子を見ただけで帰ることになったが、良ければひとり滑りするつもりはあったのである。スタンレー・パークを一回りしてホテルに帰る。
一休みしてホテルの室内プールとサウナに入る。大きなガラス窓の向こうにスタンレー・パークが見える。ここは客室数 250くらいのバンクーバーで一番いい場所に建つホテルである。カナダの主な観光の季節は夏であり、夏のホテル代の相場は冬の倍くらいに跳ね上がると言う。我々の部屋は11階、デラックスな角部屋で夏に来たらかなりすると思うのであるが、冬料金で安くなった上に、佐野さんの仕事上の付き合いのあるバンクーバーの会社のシンディーという日系人の女性のご主人、スタンさんがここのホテルの客室マネージャーをしているので2年前同様、さらに申し訳ないような割引価格を貰っているのである。時たま、我々の部屋の窓のすぐ横を水上飛行機がかすめて行き、目の前の海面に着陸する。部屋の窓一面に映画のシーンを見ているようで面白い。この部屋の窓からはバンクーバーのビル街、湾、対岸のノース・バンクーバーのビル街、夜にはノース・バンクーバーのさらに西にあるナイターをやっているローカル・スキー場の灯りなどが一望に見えるのである。
小雨が降っているが‘ヨウショクヤ“という洋食食堂でカツカレーなどを食べた後、若者の街、イエール・タウンに繰り出す。歩いて20分ほどであるが、バンクーバーのダウン・タウンのビル街を歩く。そんなに馬鹿高いビルはないが、なんとなくアメリカのダウン・タウンよりまとまって清潔感と統一されたテーストがある。この時間に結構歩いている人がいるのがアメリカとの大きな違いである。帰りはタクシーを捕まえてホテルに帰る。
さて再起復活の3日目、早めに起きて午前7時前にホテルを出る。今日も少し雨が降っている。ウイスラーまで行けば雪になるのかと期待したが、ずっと雨のままであった。今日はブラッコムを滑るつもりでいたので、朝食をブラッコムの中腹にあるグレシャー・クリークと言うロッジで食べることにして、とにかくゴンドラで上に上がる。霧の中、雨は途中から予想通り雪に変わった。滑るのに雪ならオッケーであるが問題は視界である。コンデェションを調べると、ここから下は霧が出ているが、上は比較的視界が良くて、一番山頂部分はまた視界の悪い雪模様と2段に分かれた雲が山を包んでいるようである。食事の後、私のお気に入りコースである“7番目の天国、 7th Heaven”と名づけられたコースに向かう。移動中、5歳くらいの ちびっ子が一生懸命私の前を行く。あのくらいの年のころ私も兄貴の後を付いてスキーをしていたのを思い起し、微笑ましく心の中で声援を送る。
ここはまさにスキーヤーの天国、瘤斜面とグルームされた斜面、すでに荒らされてはいるが新雪が適度に残る変化にとんだ面白いコースである。2本滑って佐野さんと原ちゃんは山頂の山小屋で休憩するというので、私だけ二人を置いてもう一本行くことにする。
滑り出しは視界が悪く雪が降っているが、少し下ると視界が晴れる。柔らかい雪が残った中くらいのパンプを選んで滑る。今回は幾分雪が重く、もう少し深いパウダー・スノーが欲しいところであったが、スキーヤーにとりこんなコースを滑るのは挑戦であり楽しみである。そしてそのコースが長さ、雪質、斜面、天候がすべて理想に近かったら言うことなしであるがすべての条件が揃うのは難しい。それでも理想を追い、その感覚を実感するためにカナダまで来たのであり、たとえそれが叶わなくても、それだけの価値があると思う。
無線で連絡を取り合いながら二人と落ち合い、今度は反対斜面の氷河の上のコースに降りる。氷河といっても雪が覆っているので普通のコースなのだが、それでも崖の一部にマンモス・スキー場では見ない青い氷河の断片が見えた。何本か滑って朝食を食べた同じロッジに戻り、ビールで乾杯して下界へ降りる。霧で視界が悪いが、休み休み滑っていると時たま視界が広がる。ここから左へ左へと滑り降りていくとウイスラー側の上り口まで戻れた。
バンクーバーでの夜はダウン・タウンのビル街にある日本食レストランに繰り出す。その帰り道、海岸沿いを歩いてホテルへ向かうが、この辺のバンクーバーのダウン・タウンは海岸沿いに高層アパートが建ち、海との間が美しい芝生とイングリシュ・ガーデンに囲まれた歩道になっている。ロスのマリナデルレーなどよりはるかに綺麗で統一されている。2年前30万ドルくらいから買えたウオーターフロントのアパートが50万ドルくらいになり、建設ラッシュはまだ続いている。
3月11日、今回カナダ最後のスキー日であるが、外を見るとまた雨が降っている。安全運転で朝7時前に出発する。昨日と同じくウイスラー・ビッレジは雨、ウイスラーサイドを上に上がると激しく雪が降っている。それでも視界は霧がないので昨日より良い。しばらく滑ってラウンドハウス・ロッジで休憩をしているとウイスラー・マウンテン・オリエンテーション・ツアーという無料ツアーの情報を見つけた。オリエンテーションと言うからにはあまりこのスキー場を知らない人にこの山でスキーをするにあたって必要な情報を与えてくれるツアーだと思うが、11時半にラウンドハウス前に集合というのがタイミング的にちょうど良いので参加してみることにする。
集合場所に行くとすでに30人ほどが集まっていて、やがて係員が出てきて説明をする。「これから何組かのグループに分かれ、それぞれにホストが付いて山を案内してくれます」
「今日は天候が悪いので山頂へのツアーはなく、初心者レベルと中級者レベルでの案内になります」とのことで、ここから山を見ながら説明してくれるのではなく実際にガイドが付いて一緒に滑りながら山を案内してくれるようだ。
このツアーは初心者と中級者レベルがあり、3組くらいの初心者のグループがホストに先導されそれぞれのコースに散っていく。今日は最後に残った我々の7人グループが唯一の中級レベルのグループだという。係員が「このグループを案内するのはこのスキー場の大ベテラン、ミスター・ヒューです」とヒューさんを紹介する。小柄な一見かなり年配の方で、「ベテランはいいけど一緒に滑るって言うが大丈夫かな」と失礼ながら佐野さんにつぶやく。簡単な説明の後「ちょっと軽い瘤斜面もいきますが、皆さん大丈夫ですか?」とヒューさんが一応参加者のスキー技術のレベルをチェックする。皆、結構滑れる人達のようで、我々以外の4人はほとんど一人で参加している。奥さんが今日は休みだとか、仲間とはぐれたとか、一人で滑るより楽しく、新しい発見があるかと思ったといった参加者達である。
「それではエメラルドのリフト乗り場まで降ります」といって滑り出す。ヒューさんの横にいた私がヒューさんの後ろを滑ることになった。かなりのお歳だと思っていたヒューさんを追い始めながら私はすぐ後ろの佐野さんに言う。「佐野さん、この人は只者じゃないよ」
マンモスでは“ホスト“と言えばスキー場の道案内をする近所のお年寄りが多いが、同じ“ホスト“と書かれたジャケットを着ているヒューさんが滑り出して私にはすぐに分かった。この人は引退したインストラクターである。美しい安定したフォームで私の先を行く。なかなか止まらない。やっと止まったとき、ヒューさんに聞いた、「ここで何年滑っているのですか?」その後の話を総合すれば、彼はスコットランドの出身で今64歳、ここウイスラーで1960年代まだあまりスキー場として開発されていない時からインストラクターをしており、引退後はこのツアーのガイドをしているという。ビジネスとしてスキー教室で教えるより純粋にスキーを楽しめるこの仕事が好きだという。少し立ち止まってその辺の説明をした後、主に中級レベルの斜面ではあるがどんどん先を行くヒューさんを追う。なかなか停まってくれない。よほど若いころ鍛えていて、さらに今も毎日滑っていなければこの体力は維持されていないであろう。だいたい我々が普段3回休むくらいの距離を一気に滑るので、他のメンバーも感心しつつも、心の中では「もう、停まってくれ、これは中級レベルじゃーないだろう。上級者レベルだよ」と思っているのである。その後も何度かリフトに乗って滑り続ける。
原ちゃんが佐野さんと話す。「なかなか停まってくれないからきついね?ところでこのツアーの時間はどのくらいなの?」・・・このツアーがいつまで続くのか誰も知らない。
そして次に佐野さんがヒューさんと一緒のリフトに乗って私と原ちゃんの前で話しているので、当然その質問をしてくれたと思い、リフトを降りるなり「佐野さん、何時までだって?」と聞いたら「いやー、違う話をしていたので聞き忘れた」とのこと。いつ終わるとも知れず、私は何とかヒューさんのすぐ後ろをトレースしながら遅れずに滑っている。うまい人の後ろを滑るのはそれはそれで楽しいのであるが、やがて佐野さん、原ちゃんが弱音を吐いてくる。「もういいよ、これで私たちは上がらせてもらうから」と言った時、やっと解散の挨拶が出たのであった。丸々2時間休みなく滑りまくるツアーであった。そしてヒューさんは我々に強烈な印象を残して去っていった。
64歳であんな滑るが出来るのだと、また目標が出来てしまった。
2時間ぶりにラウンドハウス・ロッジで休む、ここのレストランにはワーキング・ホリデーで来ている日本人の学生が働いている。このスキー場には大勢の日本人スキー客がいるが基本的にはここで会う日本人は日本から来たスキーヤーであり、ヨーロッパのスキー客もヨーロッパからのスキーヤーである。日本に住む人は何を言いたいのかと思うであろうが我々がいつも滑っているマンモスでは日本人といえば、そのほとんどがカリフォルニアに永住している日本人のことであり、日本からマンモスに滑りに来たという人はほとんど会わないのである。マンモスで出会うヨーロッパの人たちもそのほとんどがカリフォルニアに永住しているヨーロッパ人という暗黙の了解に近いものがあるのである。
さて、山を下りて帰るときが来た。ロッジを出てメインのコースを滑り降りる。先ほどから比べてもかなりの雪が積もっている。スキー三昧で疲れた体を労わる様に最後の滑りを楽しみながらウイッスラー村への長いゲレンデを滑り続ける。お疲れ様!
バンクーバーでのホテルで最後の夜、程よく酔って眠りに付いた夜中の3時半に突然ファイヤー・アラームの音がホテル中にけたたましく鳴り響いた。だいたいが警報の誤作動の場合が多いが、ここは11階、飛び起きた私は念のために廊下に出て非常口を確認したりするが、きな臭さはない。他の部屋からも宿泊客が顔を出す。やがてその中の一人が「フロントに確認したが誤作動ですぐに警報は止まるといっている」との情報がもたらされ、やがて警報が止まった。部屋に戻ると私の相棒二人はまだベッドの中、この騒動で目は覚ましているが私から様子を聞くだけでベッドから起きる様子はない。「まー、これが本当の警報だったら、君たちは助からないだろう」
翌朝、いつものように私が一番早く起きコーヒーを入れる。二人が起きないので一人でコーヒーを持って海岸に散歩に行く。幾分風が強く、小雨が降っている。先日歩いたお気に入りの場所をもう一度歩いてみたかったのである。とうとう今回は青空のバンクーバーを見られなかったが、それでも十分にこの街の良さを再確認させてもらえたと思う。
10時半ごろチェック・アウトし、いつものアテンダントに送られてホテルを出発して、観光地ガス・タウンに向かう。何軒か土産物屋を冷やかすが、名物のスモーク・サーモンなどは思いのほか高い。店番をしている若い日本人によればカナダではサーモンとか、蟹、牡蠣は買う物ではなく採るものだと言う。なんでも産卵の時期になればバンクーバー市内の小さな河にもサーモンはいっぱい上がってくるので、サーモンは入れ食い、蟹はバスケットを沈めておけば入ってくれるし、牡蠣は1時間も走った所でバケツに何杯も拾い放題という、「本当かいな?」と思うのであるが、大自然の中にわずかな人間が住むカナダの自然は奥深いのである。
観光スポットのグランビル・アイランドにいって昼飯ならぬ、昼ビールでカナダの旅を締めくくる乾杯。その後空港に向かう途中また雨が強く降って来た。スキー場は今日も雪が降っていることであろう。空港でもう一度、締めくくりの乾杯。
カナダのスキー場では一度もこけなかった私であるが、不覚にも車をこけさせてしまうという落ちを付けてしまった。いろいろあった5日間であったが、何よりも驚くほど大きな自然の中でスキーが出来たことが嬉しい。また戻って来ることを誓い、アデユー・カナダ。
その後、なかなかエッセイのカナダ編が完成しないまま4月になり、4月5・6日とマンモスで季節外れのパウダー・スノーを堪能して帰って来た所である。イラクでは米英連合軍のバグダットへの進撃が続いている。こうなった以上、早期にイラクが降服することを望む、これ以上戦争が長引けば長引くほど憎しみが増すと思う。スキー場にはイラクで戦う兵士と同年代の若者たちが大勢、新雪を楽しんでいた。私も含め、戦争と関係なく日常生活を楽しむ人たちがいる。この平和な生活が続くうちは良いが、スキー場に向かう途中のモハベで空軍基地へ向かう食料を運んでいると思われる数え切れないほどのトラックのコンボイを見た。戦争の影は確実にアメリカ社会を蝕みつつあるのである。国連での調停に失敗したパアウエル国務長官がその影響力を急速に失った今、ブッシュ、チェイニーの正副大統領とラムズフェルド国防長官のタカ派3人組にブレーキを掛けられる人はいない。視点を変えてみれば米英軍はイスラム社会への侵略者であり、悪の枢軸以外の何者でもない。この軍事行動が数10人のオサマン・ラディンを生むといわれている。時には立ち止まり「行くか戻るか」考えて欲しいのはこの3人組である。