白雪は招く     2005年2月19日     小堺 高志

 

1月28日、昨年のクリスマスから一ヶ月以上がたち、喉の状態はきわだった好転もないが、スキーに行くことにした。佐野さんとは電話で話しているが、会うのは1ヶ月ぶりである。この時季に彼とこんなに永く会わないのは珍しい。彼はクリスマスから正月、その後の週末などで今季10日間くらいは私より余計に滑っているはずである。今週は一度良くなった膝の持病をまた悪くしたうえ、このところ腹痛で食事もあまり出来ない状態だそうで、木曜になってやっと「かなり、良くなったので行ける」と連絡があり、「今回はお腹に優しい食事をお願いしますね」とリクエストされたのであった。

 

佐野さんの所に着くと、珍しく原ちゃんが私より先に到着していた。彼も一ヶ月ぶりのスキーで気合が入っているのか?ちょっと仕事で疲れ気味の私は前半の運転を原ちゃんにお願いして後部座席に陣取る。天候は雨が降ったり止んだり。マンモスは今日30センチ近い新雪が積もっているはずである。

ランカスターのキャロルに夕飯のため寄ると、結構混んでいて、席に座ってから料理がなかなか出てこない。「もう、このレストランは二度と来ない」と例により佐野さん。

彼の「もう来ないレストラン」のリストは毎年増え続け、二度と来ないと言ったレストランは395号線ぞいで10数軒になる。良くしたもので大体翌シーズンには忘れている。そうでないと行けるレストランがなくなってしまう。

ウエートレスとマネージャーがうるさい客に恐縮して頻繁に顔を出して「もうすぐですから」と詫びてくれる。やっと出た料理もアメ食はそんなに期待するほど美味いものではない。マンモスに向かう、途中の目立つレストランはほとんど制覇しているが、何処かに隠れた良いレストランはないものであろうかと食事のたびに思うのである。

 

やがて道路が白くなり、マンモスの街の入り口からチェーン規制がされていたが、マンモスの中心街を抜けたザ・ヴィレッジまでそのまま走り、坂道になる手前でチェーンを装着する。久しぶりのチェーンの出番であるがタイヤを新しくしたばかりなので、相対的にチェーンが短めになってしまったのでいつもより幾分時間がかかった。

私にとって1ヶ月ぶりのマンモスは様変わりしていた。スキー場の積雪は5メートルくらい、シャモニーの駐車場も雪に埋もれ、部屋の窓からは表が見えない。そこに更に2フィートくらいの新雪が積もっている。駐車場は何処も車で一杯、皆この白雪に招かれて来たのであるから想いは同じである。雪が降ればスキーヤーが集まる、ここでは当たり前の法則でマンモスの町は何処も彼処もすいているはずがないのである。

今回、ホワイト・マウンテン組の嘉藤さんが友人と明日の土曜早朝に着いて合流することになっている。

 

 

翌朝、8時ごろ朝食を食べていると、嘉藤さんが友人と到着。友人はノリ君といい、新潟の村上市の出身でコンピューターのプログラマーをしているという。ゲレンデで会う約束をして彼らは先に出発する。用意をしていると、原ちゃんが「これどうですか?」と変なヘルメットをかぶっている。思わず「今日は何処の現場ですか?」と言葉が出てしまう、紛れもない工事用の安全ヘルメットである。最近のスノーボーダー、スキーヤーは安全のためにヘルメットを被っている人が多いが、スッポリと頭部を包むスマートなデザインである。工事現場用のヘルメットはかぶりが浅くなんとも間の抜けた格好になってしまう。鏡で自分の姿を見た原ちゃん、苦笑いをすると、さすがにあきらめたようで、いつものスキー帽子姿でキャニオン・ロッジに出発する。

佐野さんは今回もテニス膝でびっこを引いている。真剣にもうテニスは止めたらと言っているのであるが、動けなくならないと止められないようである。そろそろ何かを犠牲にしないとスキーとテニスの両方を続けるのは無理な年齢になっていることを自覚したくないのだと思う。

キャニオン・ロッジに着くとまずはロッカーを確保してスキー靴に履き替えて、履いて来た靴を入れておき、スキーが終わったら、翌日までスキー用具を入れて預けておくのがいつものやり方である。今日は出発が遅かった上に混んでいて空いているロッカーがなかなか見つからない。彼らがロッカーを探している間、私は皆のスキーにワックスを塗ってあげることにして作業にかかる。作業といっても持ち歩いている携帯ワックスセットでワックスを手塗りして、スッポンジで擦るだけである。最後の原ちゃんのスキーにワックスを塗り始めてすぐ、手が滑って、エッジで人差し指の横を切ってしまった。一見、深そうであるが、血が垂れていてよく見えない。佐野さんに声をかけてファースト・エイドにいくと、意外と冷たく。「そこで傷口を洗って、このバンド・エイドを使って、自分で適当にやって」といわれる。傷は最初に思ったほどは深くはなく、痛みもない。それにしても、けが人をもう少し優しくあつかって欲しいものである。

 

その間にロッカーも見つかり、予定より遅れてやっとゲレンデに出るとリフト乗り場は長い列。その長い列に気後れして、とりあえず少しマイナーな8番リフトで上がることにする。このリフトはマンモスのリフトの中で数少ない古いままの設備で二人乗り、スピードも遅い。東側の25番リフト乗り場に向かって下りていくと、方々にふかふかの新雪が残っていて最高である。25番のリフトからはマンモスの半分がみえる。快晴で白雪がまぶしく光っている。雪の白さ、空の青さ、そして松の深緑、これが今日の99%を占める3原色、マンモスの色である。残りの1%くらいに色鮮やかなウエアーと人工的なコンクリートの建物の色が加わる。リフトを降りるとすぐに嘉藤さん達に会い、西側にあるマッコイ・ステーションの方へと移動する。5番リフトからマンモスの山頂部がみえるが、その広大なキャンパスにはもうすでに幾筋ものシュプールが描かれている。完全に出遅れているが昨夜寝たのが2時半ごろだから止むを得ない。

佐野さんの足の状態が気になるが、歩くのと違ってスキーは滑り方によっては上げ下げがない分、楽にいけるそうで、ちゃんと滑れている。

マッコイ・ステーションにたどり着いて、佐野さんは休み、我々はゴンドラで山頂に向かう。山頂のゴンドラ小屋を出ると、結構風が強く先ほど25番リフトからみたデーブス・ランにいく。斜面の上から見ると、遠目で見た以上に斜面はかなり荒らされている。嘉藤さんが先に飛び出す。そして私。リズムよく滑ると意外とこの斜面は短い。荒らされていて、短く滑りがいがない。25番リフトから見たのはここだったはずだが、遠目にみたスタイルの良い女性のようなもので、実際は近くによって斜面にたってみないと実態は分からないものである。喉を冷たい空気からかばってフェース・マスクをしていると、空気が薄いせいもあり呼吸が苦しい。一度マッコイ・ステーションに戻って休憩。昼休みも早々にまた白雪に招かれてゴンドラで山頂に。今度はゴンドラの真下のクライマックスをおりる。ここは最上級のブラック・ダイヤモンドのマークの付く急斜面である。ノリ君は『下手ですから』と謙遜するが何処にでも付いてくる。幾分簡単なコニースの方に向かったのかと思っていて、ふと振り返ればクライマックスにも付いて来ている。たしかに荒削りで上手くはないが下手でもない、中級者の上クラスの滑りで頻繁に転びながらもめげずにすぐに立ち上がる“だるまさん”のような男である。ブラック・ダイヤモンドに付いて来ているのだから転んで当然であるが良く転ぶ、体力はあるし、これほど前向きに挑戦し続ける“だるまさん”が上手くならないわけが無い。少し滑り込めば良いスキーヤーになること間違いない。それにしても嘉藤さん、私の意向は聞いてくるが、ノリ君には容赦ない上級者コースばかり選んでいる。

 

2時半ごろ全員がそろったのでチェア5のリフト下を横断するようにカットしてキャニオン・ロッジに戻ることにする。私が先頭を切り、16番リフト下の私の好きなモーグル斜面

THE ACTSの上で皆を待つがなかなか来ない。やっとノリ君以外の全員が揃ったが先ほどまでいたノリ君が見えない。ともかく皆で手分けして探しながら下りようということになりキャニオン・ロッジまで下りるがみつからない。佐野さんと原ちゃんはロッジで待ってもらい、嘉藤さんともう一度キャニオン・エクスプレスの16番でノリ君を探しに上に上がる。途中まで下りたが見あたらない。そこで、嘉藤さんから「このまま25番に行きましょうか」と悪魔の誘い。私に異議はないが、下で待つ二人は?ノリ君の捜索はどうなるのか?「まあー、見たところ、けが人が出た様子はないし、そろそろ戻っているでしょう」と彼、私も佐野さん原ちゃんはビールでも飲んで待っていてくれるでしょうと25番に下りることに同意する。朝とちがって適当に凸凹が出来ていて面白い。面白いがこの25番は長く、すでに一日、彼のペースで滑っているので体力的にかなりきつい。佐野さんと原ちゃんは適当に休んでいるが、私は一ヶ月以上運動らしい運動をしていないのに今日は朝からほとんど休みなしで上級者斜面を滑り続けているのである。そして、「嘉藤さん」と言う呼び名で呼んではいるが、彼は私よりひと回りくらい若いのである。私より体力があって当然。25番は結構長いコースである。互いに前後になりながら下まで下りて、もう一度25番に乗る。そろそろ皆が待ちわびている頃であろうから戻らなければならない。ここから林の中を滑って、8番リフトの降り口のところに出るという距離的には最短コースを通ってキャニオン・ロッジに帰ることにする。この森林コース、疲れた足で一日の終わりに滑るにはきついコースであった。すでに足が言うことを聞いてくれない。久しぶりにスキーにならないくらい足に来ている。しかし疲れているのは私だけでなく嘉藤さんも一緒なのを見て少し安心する。

8番リフトの下、レッドウィング、いつもなら好きなモーグル斜面をへろへろで降りてキャニオン・ロッジに行くと入り口のチェアに3人座って待っていた。ノリ君は思ったとうり、あの後すぐに降りて来たそうだ。私と嘉藤さんの捜索隊はノリ君探しに格好つけて、いるはずの無い25番まで捜索の手を広げて行ったわけである。要は私と嘉藤さんがもう少し滑りたかったと言うことであるが、結果的には充分すぎるほどの疲労感と満足感をもって戻ったのである。

 

シャモニーのコンドに戻って夕飯の準備をする。いつもなら飲みながらする食事の準備も、私は今回はほとんど飲まないようにしているので物足りない感じである。お腹をこわし、1週間で3キロやせたと言う佐野さんは、お腹に優しい病人食をリクエストしたはずであるがと見れば、マティーニなどを飲んでいる。

食事前にジャクジーに入ろうと行ってみるとメインのジャグジーは混んでいてとても入れる状態ではない。それではと、あまり知られていない裏手にあるジャグジーに向かう。幾分離れていて1分ほど寒い中を水着で歩かなければならない。中庭に切られた道はこのところの大雪で両側が2メートル近い壁になっている。幅が狭く向こうから太った人が来たら確実にすれ違いは出来ない。冷えた身体で裏手のジャグジーにたどり着くとやはり誰もいない。貸切状態なのは良いが、入るとお湯がぬるい。これでは、映像で見た、入ったらなかなか上がれないと言う「雪中で温泉に入る猿」状態である。

 

さて翌日、我々には珍しく、リフトが動き始める8時半にキャニオン・ロッジに着く。今日は12時前にあがって1時には帰路に就く予定である。

8番リフトであがって、昨日一番最後に滑ったレッド・ウイングのモーグル斜面を先頭で一気に滑る。私は絶好調である。昨夜は疲労した太ももを労わる為、整理体操をしておいたためか、あれほど疲れていた太もも部分に筋肉痛は残っていない。その後25番の青空の下グルームされた斜面を全員で写真撮影をしながら気持ちよく滑る。


青空の下先頭が私       雪に埋まったコンド       原、嘉藤、佐野、各氏と私

 

マッコイ・ステーション周辺を何本か滑ると佐野さんと原ちゃんは休憩、嘉藤さんが「小堺さんは休憩します?」と聞いてくるが今日は昼までの半日の勝負であるから休憩なしで目一杯行くことにする。ドロップアウト、スコティーと急斜面を攻め続ける私と嘉藤さんに、ノリ君は相変わらず、何度もコケながら付いてくる。もうそろそろ上がる時間が迫ったころ『14番に行きますか』と、また嘉藤さんの誘い。14番にいったら絶対に時間どおりに集合できない。今回は「メインロッジ経由でそろそろも戻りましょう」と説得、スコティーを下り切って、谷部を回り込み、平坦部に出てメインロッジからマッコイ・ステーションに戻り佐野さん原ちゃんと合流する予定で進む。その平坦部に入ったところで大コケをしてしまった。カービング・スキーはどちらかのエッジに乗っていると軽い弧を描き安定した方向性を保つが、まっすぐ進むと方向が定まらず不安定な状態になることがある。平らなところで安心していたのか、スピードも出ていたので片足をとられたと思ったら、いきなり前のめりに2回転位して「えっ、何で私がここで転ぶの?」という状態で、今期初めての本格的な転倒であった。私が年に1−3回転ぶのは近年このパターンがほとんどである。マッコイで皆に合流すると、転んだとき自分の手の甲で右目の下を打っているのが分かった、オークレイのサングラスの右レンズがずれている。帰ったら、またパリ・ミキ眼鏡店にお世話にならなければならない。(パリ・ミキさん、またオークレイと交渉してくれて、不良品として、新品と取り替えてくれました。有難うございました)

スタンプ・アレーを合流した全員で滑り、キャニオン・ロッジへと向かう。最後はまたモーグルを行きたいのでモーグル斜面の上で全員を待つ。私が行くとすぐ横を嘉藤さんが来る。斜面下で止まって見上げると、佐野さん、原ちゃん、その後ろを苦労しながらノリ君が下りてくる。佐野さんは無理をしているは分かるが、ちゃんとモーグルを滑れている。佐野さんにはせめて冬の間はテニスを止めて欲しいと言っているのだが、今度パロス・バロデスのテニスクラブに入るとか言う話も進んでいるようで、テニスを取るのか、スキーを取るのか?20年来のスキーパートナーである佐野さんにはテニスが出来なくなっても滑っていてほしいのである。キャニオン・ロッジ前の緩斜面、これを下りると今回のスキーも終わりである。嘉藤さんが「出来るだけ細かいターンで行きましょう」と提案してくる。ショート・ターンにはいると、後ろの嘉藤さんがリズムの声をかけてくる。「ターン・ターン・ターン・ターン、、、、、、、、、」だんだんそのリズムが早くなり、最速のショートターンは私の場合10秒間で28回のターンが切れる、もうこれ以上早くはならないと言うところで今回のスキーはキャニオン・ロッジについて終了となった。佐野さんも追いついて「お疲れ様」今回も良いスキーでした。

 

スキーから戻って数週間が経ち、今年は良く雨の降る年で、ロスアンジェルスにも何度か雨が降っている。ここに雨が降るとマンモスには雪が降る。雨は暫くスキーを自粛している身には辛い雪の知らせであり、白雪の招きである。友人の音楽家マキ君からメールがはいる。『今季は仕事が忙しくて滑れていません』ここにも雪山からの招待状に答えられないスキーヤーがいる。
雪山にいなくてもいつも心は柔らかい新雪を思っている。雪が呼んでいる、雪山が招いている。せめて時間を掛けてエッセイを書きながら、雪を思うこの頃である。