小堺高志 5−27−02
一週間前の週末、マンモスに10インチの新雪が降り、マンモスからのメールで閉山が一週間延びて6月2日になったと知らせがあった。しかし我々はこのメモリアル・ディーの連休が今シーズン最後のスキー行きと決めていた。
今回、頼さんと原ちゃんは北米でアラスカ以外での最高標高を誇るマウント・ホイットニーに登頂すべく、我々とは別に先に出発していた。私と佐野さんは5時半頃サンタモニカを出発してマンモスへ向かう。途中ホイットニーへの登山口であるロンパインに着いた二人から連絡が入る。これから食事をして、車で入っていける終点地のキャンプ場に向かうという。登頂の成功と健闘を祈る。
頼さんはこれが4回目くらい、原ちゃんはこれが成功すれば2回目の登頂となる。私は?と言うと、1)原ちゃんが登頂した。2)私の方が山では原ちゃんより体力があると言われている。3)よって原ちゃんが初登頂したことにより。私も登頂したと同様の評価を受けて当然である。
という強引な三段論法により「原ちゃんが登頂に成功したことにより、私も登れることが証明された」と仲間内には認めさせているのである。
マンモスの町は思ったより静かであった。連休のため何処も駐車場は一杯かと思って来たが、シャモニー(定宿のコンド)は まだ駐車場のスペースがたくさん空いていた。
土曜の朝は、佐野さんの「今の時期、スキー場は朝7時半から開いている」との偽情報に乗ることなく8時半のオープンに間に合うよう、ゆっくりの出発であった。この時期、朝のうちグルームした雪がちょっと柔らかくなった10時から正午くらいがスキーにはベストの時間帯である。それ以前は結構ガリガリで硬い雪質のためエッジが効かず面白くない、それを過ぎると雪は極端に柔らかく重くなりスキーが滑らなくなる。我々はスキーは午前中だけと決め、早目に切り上げるつもりである。
車を2番リフトの乗り場のすぐ近くに停められたので靴を履き替え、車から直接ゲレンデに出る。すこし滑って10時ごろ車に戻って休憩する。ビールを取り出し、開けたトランクに座ってビールを飲んで水分を補給していると、駐車場を行く車から「もうパーティーかい?」と声をかけられる。
「いやいや、ほんの一休み」誰が朝からパーティーをするか、我々はそこまでアル中ではない。あっ!原ちゃんはちょっと危ないかな?でも原ちゃんの名誉のために言っておけば、彼はハードリカにはほとんど手を出さず、ビール党であるから、もしアル中であったとしても軽い方であると思われる。しかし彼のビールが切れている時間は短いかもしれない。先日の健康診断で肝機能の2次検査にひっかかったと自慢していた。
原ちゃんの反論が聞こえてくるようであるが、私はどちらかと言うと短期決戦型、最近はグビグビと飲んでガーピーと寝てしまうので周りが思うほどは飲んでいない……と思っている。
メイン・ロッジに降り、いつもはレースのトレーニングに使われているコースを滑ると、ここだけ凄く雪質がいい。今の時期メインのコースは塩を撒いて固めていて、滑ると、ガリガリとする感じがあるのだが、ここは普段からレース用に雪を集め良く管理している上に深いグルームで掘り起してあるのでより自然の雪質に近いコンディションを今でも保っている。これは主にスノーボーダーが滑るスノーボード・パークのコースにも言えることで、スキー・レーサーとスノーボーダーが優遇されているように見える。競技会が開かれるからであろうが、それに較べるとスキー用の一般コースはグルームしてあっても耕し方が浅くガリガリなのである。「同じお金を払っている我々一般スキー客の滑るコースでも、もっと雪質に気を使ってくれよ」と言いたい、いや関係者の耳に届かない所ではいつも言っているのである。
12時ごろ滑り終えて駐車場で朝の休憩時と同じ格好で今日2本目のビールを飲んでいると、また先ほどの男が通りかかり、「やっぱり、あれからずっと飲んでいるのかい?」と言われる。我々は彼に”朝から酒を飲んでいるどうしょうもないスキー客”と思われてしまったことでしょう。、そうじゃない、我々はたまたま運悪く2度も飲んでいるところを目撃された純粋なスキーヤーである。タイミングの悪いところに来る男である。しかしスキー場でビールを飲む人はかなり多い。
日曜日、やはり最終日はモーグルで決めたい。今滑れるまともなバンプがあるのはウエスト・ボールの斜面だけであるが、この斜面の一番雪質が良い時間帯をつかむのが難しい。一般的にまだ誰も滑っていなければ扱い難い雪質だと思って間違いない。朝のうちは表面が荒れたまま硬く凍ており、ターンが難しく制動が利かず、結果的にスピードが出て飛ばされてしまうのでほとんどモーグルを滑っている人はいない。さらに誰も滑っていないと、午後柔らかくなっても雪が重くてモーグルの細かいターンにはきつい。ベストの状態の時はモーグラーが斜面に大勢集まっている事で判るが、今の時期そんなにモーグラーはいないからウエスト・ボールにたまに入るスキーヤーをみたり、自分が開拓者となって、滑って雪質をチェックしていかなければならない。朝のうち雪質を見ながら2本滑るが、まだ雪が硬すぎて思うように滑れず、面白くない。
昼近くなり、いよいよ今シーズン最後の一本。下からウエストボールを見ると、春の幾分汚れたゲレンデの真中に削られて白く見えているラインがある。ここがウエスト・ボールのモーグルのメインコースともいえる場所のフォール・ラインである。フォール・ラインとは上から水を流したとしたら、水が斜面を流れ下りるであろう場所で、スキーでは逃げないでまっすぐ谷に向かってショートターンを切りながら滑り降りるラインの事である。滑り込まれたモーグルのコースにはたいがい真中に王道ともいえるひときわ深い一本の線が刻み込まれて来る。ゲレンデの中央に幅2メートルくらいで下に向かってまっすぐに伸るフォールライン、その幅のなかで、何人ものモーグラーが同じラインを通るため削られて今の時期、春の汚れた雪面でそこだけ白っぽく見えているのである。そのゲレンデで一番深く難しいフォールラインであるこの場所を頭の位置を変えないで下半身のスキーだけをジッパーのように左右に振りながらいっきに滑り下りる者はすべてのモーグラー羨望の的である。
雪質は良い感じで適当に柔らかくなっている。途中で休んでいるとフェースの裏から回り込んできた佐野さんが合流する。佐野さんに先に行ってもらう。一番深いバンプの部分は避けながらも、無難に乗りこなし巧くまとめている。
モーグル競技ではかなり早いスピードで滑り降りるが、我々がそれを目指すには年齢的に無理であるし、スピードを追求したら怪我をするであろうからリズムを優先する滑りを目指している。そのためには何処でスピードを殺してスキーをコントロールするかが大切な要素となる。スピードを抑えるには雪面を削り雪とスキーとの間にエッジングによる抵抗を与えなければならない。滑るラインの少し上にスキーを持って行って、エッジで雪面を削りながらライン上でターンを終了する。その際下に向かって足を蹴るように伸ばす。足を伸ばすことによりスタンスを高く取り、次のバンプでのショックを吸収する用意が出来ることとなる。同時にスピードに遅れないように常にスキーの真上に上半身を置くように心掛ける事が大切である。
佐野さんが滑り下りたのを見届けて、私はここからまっすぐ中央のフォールラインに入っていく。雪が柔らかいのでリズム良く細かいターンでジップラインをなぞって行ける。完璧な滑りにはまだ自分で納得できない部分が多すぎるが、シーズン最後のモーグルとしては満足な滑りと言えるであろうか。自然が作った不規則な凸凹をそれでもかなりのスピードでフレクシブルに全身で乗り越えて行くのは大変な運動量であり難しいが挑戦のし甲斐があり、巧く滑れた時は快感である。佐野さんが「よかったよ」と声をかけてくれた。「いやいや、佐野さん貴方も良かったよ」とシーズン最後のエールを送り合う。
スタンピーアレーのリフトの下をショトターンで滑り降り、シーズン終了の挨拶「お疲れさん、来シーズンも宜しく!」
マンモスを出発してまもなく午後1時半ごろ、ホイットニーに早朝からアッタクしているはずの原ちゃんから電話が入る。ついにやったか、時間的にも丁度登頂した頃である。しかし電話は山頂からではなくロンパインからであった。ひたすら上へ上へと朝から山頂を目指していると思っていた頼さんと原ちゃんは悪天候の予想に下山を決意し、下へ下へと進んでいたようで昼にはロンパインに下りて来て、今は既に車で帰路についているという連絡であった。
その2時間後くらいにロンパインを通ると、そこから見えるホイットニーは下から見ると絶好の登頂日和にみえる。天候が崩れたのか、原ちゃんが崩れたのか、いずれにせよ元ヒマラヤ登山隊員の頼さんが適切な判断をしたのであろう。スキーでもそうであるが、自然を相手にする時は体力といろんな状況を判断して撤退を決意することも経験豊富なリーダーの大切な役割である。
下から見る雪山は美しい。山を覆う白雪も段々とその面積を縮小し、春の息吹を感じさせられるが、実際にその雪の上に立った時は自然との対話であり対決である。どんなに優しい顔を見せている時でも自然をあなどってはいけない。
雪山に見送られ395号線をさらに南下する。雪山ともしばしのお別れである。
今シーズンも30日間滑ることが出来た。
来年も良い雪に恵まれますように、一冬の思い出を胸にLAへと向かう。
終わり