2006年5月5日 小堺高志
マンモスは年間積雪記録を更新した。大雪のため春先の雪崩を心配していたところ、マンモスのクライマックスで雪崩が発生したというニュースが入った。幸い犠牲者はいなかったが、クライマックスは上部ゴンドラの真下のブラックダイヤモンドの斜面である。スキーは常に危険の伴うスポーツだという事を忘れてはならない。取り分け春先に大量の雪が降ったときは注意が必要である。春先の雪崩はあらたな雪が降り雪質の違う雪同士の接点で摩擦がなくなり滑り落ちる表層雪崩と、雪面の下、地面との間に雪解けで大きな空洞が出来て、それがある時、突然崩れて雪崩を起こす全層雪崩というものがある。何処でいつ雪崩が起きるかの予測は難しくスキーヤーに出来る事は限られる。パトローラーが人工雪崩を起こしたりして安全の確保のために働いてくれているが、自分の身を守るのは自分だという自覚を常に持たなければならない。山間部の多い日本の雪国では雪崩の起こり易い場所というのは地元の人は知っていて、その場所では大声を出さないように静かに通りすぎるよう言い伝えられている。スキー場では大概上方にいるスキーヤーが雪崩の起こるきっかけを作っている場合が多いので、春先は急斜面であまり大勢の人が一度に滑る状況は避けた方が良いだろう。十分に間隔をあけ、異常な斜面の変化や音をチャッチできるよう常に回りに気をはらい的確な状況判断が出来るように備えていたい。
4月最後の週末、今回はカリフォルニアの南端メキシコに近いエル セントロから佐野さんと仕事の付き合いのある菊池さんが参加する。佐野さんは昼近くすでに出発していて、私は原ちゃんと6時ごろにトーレンスの私の家を出て食事をした後、7時ごろマンモスへ向かう。
シャモニーの宿に着くと寝ていた二人を起こして、初めて会う菊池さんと挨拶する。北海道生まれの彼は4月にして、すでに摂氏38度という灼熱の地であるエル セントロから久しぶりの雪山に来てすっかりリラックスしている様子。私の ホームページ ”スキー三昧 イン カリフォルニア”を読んでいて、私の事は会う前からある程度ご存知。
翌日は一時落雷という天気予報がまたもや外れて朝から快晴、日焼け止めを塗ってゲレンデに向かう。まだ驚くほど沢山の雪があるが、今週末でキャニオンロッジは閉まってメインロッジだけになる。雪はあってもスキー客は減っていくので、人件費との兼ね合いで閉められるのであろうが、もったいないと思う春スキーヤーは少なくない。
マンモスは初めての菊池さんを案内してまずは5番リフトへ、暖かいので朝の2時間が一番滑りやすい雪質でその後は春の柔らかい粗目雪となっていく。
ゴンドラで山頂に上がり、23番リフトに降りて山頂に戻り、裏側の斜面に下りようとすると後から着いた佐野さんが「そこは閉まっていると言っているよ」と言うが目の前に見える斜面は魅力的で良さそうに見える。私が先に下りてみると良い感じで滑られる。上にいる3人にオーケーの合図を送ると3人も下りて来る。山頂裏側の大きな斜面は我々の先に3−4人の姿が見えるだけの、貸切り状態である。ここで気が付けばよかったのだが、私はさらに他の3人を急かす様に先を行く。途中で少し滑りにくい雪質があったが、「春スキーはこのくらいのコンデションもこなさないとね」などと言いながら、さらに行く。もうひと滑りで斜面が終わると言う所で止まって彼らを待つが、後方200メートルほどで止まった3人は下りてこない。何か合図をしている。おかしいなと思いながらも、またゲレンデでビールでも飲んで休んでいるのかと思い、彼らを待つため左に移動していくと13番、14番のリフトが見えた。なんと両方とも動いていない。クローストという意味は斜面が閉鎖と言う意味でなく、この斜面のリフトが動いていないと言う意味だったのである。私の理解ではこの2本のリフトが動いていなければ登って戻るしかメインロッジに戻る方法はない。携帯無線で原ちゃんに連絡すると、すでにこの裏側のコースから上に戻るリフトが動いていない事を知っていて、「じゃー、歩いて上って来てください。我々はここから少し上ってメインロッジに向かうコースに出ます」とのこと、すでにここまで下りてしまった私は覚悟を決めて、スキーを担いで斜面を登り始める。ここは高度があるのでゆっくり登っても呼吸が乱れる。どのくらい登ったか振り返ってみると、直ぐ近くに歩き始めた足跡がついている。先ほどから30メートルほどしか登っていないではないか!オーマイゴットという言葉はこんなときに言えばうけるのであろうか?上まで登るのは大変である。呼吸を整えていると現地のスキーヤーが来て「このまま林の中をカットしていくと、登らなくてもメインロッジに戻れるよ」と教えてくれた。この林の斜面を横切る事は無かったので私も知らなかったがこれ以上登らないで良いのは救われた思いである。結果的には他の3人も私と同じくらい斜面を登ったと思うのだが、原ちゃんは以前からクロスカントリーをしたいと言っていた。クロスカントリースキーとは雪原や雪山をスキーで歩いて自然を楽しむことであるが、言うだけでなかなか実現させられない原ちゃんには今回は良い機会であると思うのであるが、なぜか私のコース選びの失敗の結果、クロスカントリーをさせられた事に不満があるようである。メインロッジに向かって林のなかを横切っていくと彼らの進む道が見えて、時たま50メートルほど先を行く彼らの姿が林の間にちらりと見える。やがて合流して私もやっとコースに戻る事が出来き、そこからはなだらかな斜面がメインロッジまで続く。メインロッジで彼らに合流、なかなかに厳しいクロスカントリーであった。念願のクロスカントリーが出来てさぞかし原ちゃんも満足かと思うのであるが、なぜか嬉しそうでない。
メインロッジの窓からはスノーボーダーのジャンプ台やハーフパイプが目の前にみえる。そこを若いスノーボーダーやスキーヤーが豪快な技を決めていく。今日は地元の連中が大勢出ている。マンモスからは前回のトリノオリンピックに何人ものオリンピック選手を出しているので、地元のボーダーが滑る時はオリンピック級の演技が当たり前に見られるのである。
休憩後ウエストボールの瘤斜面を滑り、2時ごろ早めにあがる。
青空の下、春スキー
シャモニーに戻るとケンさんとその友人ポールが来ていた。ケンさんは日系人でサンタバーバラの高校の教師であり、シャモニーのコンドの共同オーナーの一人である。少し話した後、彼らを夕飯に招待して、我々はツインレークに行ってみる。今日はフィシングの解禁日であるが、今回原ちゃんだけが釣りの用意をして来ている。今日は夕飯の食卓に虹鱒の塩焼きを添えてくれるそうで、我ら期待の釣り師である。ツインレークは一番近くにある湖で車で10分くらい、マンモスのスキー場からもすぐである。予想に反し湖はまだほとんど雪に覆われていた。少し出た湖面に釣り糸をたれる原ちゃんを残し、我々は湖沿いに雪の上を歩いてみる。雪の上に冬眠からさめた熊の足跡が沢山みられる。雪原に少し顔出した湖、山の岩肌、聳え立つ木々、その上方には青い空、自然がかもし出す美しい風景を楽しみながら40分ほど雪の上を歩く。これで戻れば原ちゃんが2−3匹の魚を釣って待っているはずであったが、結果は空振り、収穫0匹。まだ魚は雪があるため冬眠中か、あまり活発に動いていないようである。その対岸の岩肌の見えるシュートになった急斜面を数名のスノーボーダーが下りて来る。これが噂に聞いていたマンモス山頂からツインレークに下りるコースの終点であった。去年はこのコースで道に迷い、両足を凍傷で失った若者がいた。天候が悪いと山では何が起こっても不思議ではない。
コンドに戻って1時間ほどで6人分のすき焼きの用意をおえる、料理の早さが信条である。ジャグジーに入って出てくると30分ですき焼きも完成。まもなくケンさんとポールが来た。彼らは昨日までここに泊まっていたが昨夜から我々と入れ違いで直ぐ近くの友人ケーリーの2.5ミリオン(2億円)の’豪邸に移っている。
コンドにはいつもあらゆる種類のお酒が置いてあるが、今日は大七の日本酒一本とワイン、ビールなどがあるが、菊地さんが日本から手に入れたと言う焼酎「いちこ、スーパー」を持ってきてくれていた。「いちこ」はこちらでも手に入るが、濃紺の瓶に入ったスーパーと言うのは初めてお目にかかった。少し飲んでみたがマイルドで美味しい焼酎である。
佐野さんは先日友人の結婚式のため日本経由で中国 大連に行って戻って来たばかり。なんでも大連は東京の5倍もある大都会だったと大きな大陸と中国のパワーに圧倒されて帰ってきた。さらに中国では「カンペェイ!」と言ったら持っているグラスを飲み干さなければならないという恐ろしい所であったという。
その夜、静岡のわさび漬けとすき焼きでワインを空け、一升瓶を空け、真打のいちこスーパーでカンペェイを繰り返すと次々と空瓶が増えていく。
そう言えば大連は日露戦争の舞台であり、乃木大将率いる日本軍が時の大国ロシアを打ち負かした場所である。昼間のクロスカウントリーの疲れが出て原ちゃんが早々と8時にはその場に撃沈。9時半、菊地さんが静かに海底にフェードアウト。アメリカ軍はさすがに強かった、ケンさん、ポールが10時に帰港。最後まで頑張った佐野さんが10時10分無事にベットに帰還。ほとんど戦闘に参加せず被弾していない私も佐野さんの帰還を確認後帰港。かくして 凄まじい戦いは終わり後には空瓶が散乱していたのであった。
翌日も快晴、7時半に皆さんを起こし、キャニオンロッジエクスプレスのリフトから滑り始める。昨日はマンモスの西側斜面で思いがけないクロスカウントリーをしてしまい皆さんの不評を買ったが、今日は22番から東側斜面をめざす。日当たりの良い東側斜面はグルーミングの跡がちょうど良い硬さに戻り、快適なゲレンデスキーが出来た。9番リフトで山頂に戻ると途中で後ろのリフトの原ちゃんが「ここ良さそうですね」と声をかけてくる。隣の佐野さんも一本下りたいと言うので、9番斜面を下りてみる事にする。9番リフトはマンモスでもっとも長い斜面で入り口は急斜面、途中から林の中を行く林間コースになる。グルーム(整地)していない自然のままのコースは良いコンデションの時はあまりない。さて9番斜面の上に出るとリフトから見るよりはるかに傾斜がある。斜面を横切りさらに東に行き、まずは私が滑り始める。ゲレンデは荒れていて堅く、滑りにくい雪質である。止まって上を見上げると他の3人が苦労して下りて来る。「佐野さん、やはり9番は簡単なコースではないよ!」。9番のコースにはいつも見てくれで騙されてきた。日本人としては大柄の菊地さんは195センチの板を履いている。さらに久しぶりのスキーでの2日目とあって、かなりお疲れの様子。菊地さんを待ちながら徐々にグルームしてある斜面に導いてゆく。9番は私の第一選択ではなかったので、これで昨日のクロスカントリーの件はお相子である。マッコイステーションで休憩の後ウエストボールでモーグルに挑戦。深いコブが出来ていて難しいが、私にはこの雪質でのモーグルが一番面白い。
午後の春の日差しの中を南下して、日常生活の待つ都会へと向かう。つかの間の自然との交わりは気持をリフレッシュしてくれた。