バック カントリー           2009224日      小堺 高志

 

マンモスに行く予定をしていた佐野さんから前日になって、今回は通風のためマンモスにいけないと連絡が入った。一年ほど出ていなかった通風が2週間ほど前に久しぶりに出たといっていたが、毎週末出歩いているので静養し回復する間がないようである。それでも来週はメキシコのアカプルコとかに行く予定が入っているようである。

 

そういう私もここ2週間ほど体調が悪く、先週末の3連休はお酒も飲まずにひたすら大人しくしていたのである。持病の逆流性胃炎はだんだん薬が効かなくなっている感もするが、ドクターによれば多分にストレスのせいもあるというので、ここはマンモスに脱出である。

金曜日になり、「佐野さんがいけなくなったら一緒に行きましょう」と先週から話していた嘉藤さんとマンモスに行くことにする。携帯にメッセージを残してくれていたが、私は午後からずっと大切なお客を迎えてのランチとミーティングが続き、やっと連絡が取れた時はすでに3時半、私の電話に出た嘉藤さんはまだアリゾナのフェニックスにいた。「これから飛行機に乗りますから飛行場から家に戻ってすぐに用意して7時半ごろ出発出来ると思います」。とのことで、まったく私の遥か上を行く熱心なスキーヤーである。

7時半、私と同じトーレンスにあるそう遠くない嘉藤さんの自宅にいくと車庫でスキー行きの用意が出来て私を待っていた。なんと2泊3日の出張から戻って、家に入らないままスキーの準備をしてマンモスに出かけるというタッチアンドゴーに奥さんもあきれていたそうだ。

 

サンタモニカの佐野さんの所によってパーキングのステッカーを受け取り、嘉藤さんの奥さんが用意してくれたお寿司を車中で食べながらマンモスに向かう。

今回のマンモスには、菊地さんがサンディエゴからの女性ゲスト二人を連れて明日の朝マンモス入りすると聞いている。それと前回もマンモスで会ったロブがまた木曜からマンモスに行っていると連絡を受けている。

 

しかし1時半、マンモスに付くと菊地さんが一人寂しく待っていた。何でも昨日までは80%の確率で来るはずであったゲストが20%の確率の方になってしまったそうである。それはいいが、食事係りの私はフレクシブルの対応できるよう食材を用意してきている。食材を持って帰るより食べきった方がいいが、明日の夕食は誰を誘おうか?

 

日曜の朝、8時半からのリフト始動時間に合わせて、キャニオンロッジに向かう。雪質は昨日までは良かったらしいが、昨日の暖かさでかなり溶けてしまっている。それが昨夜一度凍っているのでゲレンデにパウダースノーはない。何本か滑りながらスタンピーアレーのリフト乗り場に行き嘉藤さんの友達ラリーと落ち合う。

 

ラリーは北米最大のスキー場のあるカナダのウィスラー出身で元々カナダのナショナルスキーチームのコーチだったと言う凄い人である。来年オリンピックが開かれるウイスラーは1966年にオープンしたが、その日、最初のリフトが動き出したとき先頭の3台は関係者が乗り、一般客は4台目から。その4代目のリフトにラリーは乗っていたという伝説の人である。その後インターウエストに雇われ、インターウエストがマンモスに投資する時に責任者の一人としてマンモスにやってきて、11年になる。今はインターウエストを辞め、マンモスで不動産屋をして優雅に暮らしている。

 

ラリーは嘉藤さんと3年ほど前にリフト上で会い、一緒に滑ったらちゃんと嘉藤さんがすぐ後ろに付いて来たので何者かと驚き、さらに共通の友達がいたりで意気投合して付き合いがはじまったそうである。

しかし嘉藤さんは付いていけても私と菊地さんは付いていけない速さで、上から下までノンストップがラリーのスキーの基本であるらしい。私より5歳年上なのに ブラックダイヤモンドのデービスランの急斜面ををばんばん飛ばして行く。私はまだ腰が完全ではない、荒れたゲレンデで滑り始めてすぐに腰が少し重くなってきたので予防のため無理をせず10時にはギブアップして中腹のマッコイステーションで休憩にはいる。

菊地さんはさらに1時間山中引き回しの刑を受けた後、逃げるように引き揚げてきた。嘉藤さんも12時前にはラリーと一度別れてランチタイムでピットイン。何度か会ったことのあるパサデナスキークラブの主婦スキーヤー山口さんも加わりランチブレークを1時まで取る。午後からしばらく易しいコースを滑り、何時もレースに使われているタイムトライアルのコースが誰でも使えるようにオープンされていたので滑ってみる。短いコースであるが電光掲示でタイムが出る。慣れてくればもっと早くなろうが、リクレーションスキーヤーとしてはタイムではない、アフターファイブも含めていかに楽しく滑り、過ごすかである。


デービスランに滑る下りるラリー。             山口さん、嘉藤さん、菊地さんと私

 

ラリーが、14歳の息子アレックスを交え私達3人を午後からバックカントリーに案内してくれると言う。

山口さんも行きたそうだが、そのコースはマンモスの裏側ツインレークに抜けるコースで最後の所は湖から見えるが急で狭いシュートになっているのを知っている。「かなりの急斜面なので無理だと思いますよ」といったが、後で思えば、これは大正解であった。中級者の山口さんが行けるようなコースではなかった。

そのコースはゴンドラで山頂にあがり、山の反対側のツインレークに滑り下りるコースであるが、その最後のシュートには有名な岩で出来た天然のトンネルがある。

 

3時にゴンドラ乗り場でラリーとアレックスに会い、ゴンドラで山頂にいって、尾根伝いにデービスランの上まで行く。ここまでは何度も通ったコースである、しかしここからのコースが何時もと違う。コースを右向きに取り、山の反対側に向かう。

出だしはなだらかな斜面を行くが、最初からバックカントリーの雪のコンデションとしては最悪なのが判る。

 

先週末から火曜日まで降った150cmほどの雪があるのだが、昨日の暖かさで、その表面は5cmほど硬い凍った雪に覆われている。その表面の雪がスキーの重さで割れると10cmほど潜る。そこからは左右にスキーが振れないのでターンができない。ターンをするにはジャンプしてするしかないが、それもままならない。バランスを崩せば建て直しできないで転んでしまう。いったん転べば身体を起こそうと突いたポールは何処までも潜っていく。バックカントリーは自然が相手であるから良い時も悪い時もそのまま受け止めるしかない。林の中を左へとカットしながら行く。ジャンプターンもできないところはスイッチバックと横這いで進むことになる。


バックカントリーに出発,最初から滑りにくい雪質、だんだんと厳しくなってくる。
 

ラリーの14歳の息子のアレックスもこのコースは始めてであるそうだが、癇癪を起こしてもおかしくない年齢なのに、子供らしくなく、落ち着いて黙々と進む。

ラリーが全員に声をかけてくれながら先頭を行く。ラリーでさえもこのコンデションは経験したことのない悪条件だという。眼下に凍結して雪をかぶったツインレークが見えてきた。湖は完全に凍結して、その上に雪を被っているので雪面にしかみえない。すこし慣れて余裕がでたのか、その風景を見ながらすすむと、先を行ったラリー、嘉藤さん、アレックスが立ち止まっている。追いつくとそこは絶壁の上で、ここから下をみると急斜面の遥か下に大きな天然の岩で出来たトンネルが口を開けている。いよいよこのコースのクライマックスのトンネル抜けである。最後の長いシュートが湖面に向かって落ちている。シュートへの入り口は最高級の急斜面の上、岩が出ている。注意深く横滑りでおりていくが、かろうじて立っていれる位の急斜面である。写真ではこの状況を説明するに充分ではない。いつも思うのであるが、写真になると周りの基準となる垂直感がなくなり、斜面の勾配がなくなる。実際の勾配は写真で見るより遥かに急なのである。



下に凍結したツインレークが見える。トンネルに続くシュートへの入り口、出だしは立っているのがやっとの急斜面
 

転んだら停まらない急斜面で左右は岩である。注意深く、しばらくは横滑りで下りて行く。トンネルの中ほどで今までの通過者が横滑りで均してくれて一部分だけ雪質が良くなったので、5ターンほど出来た。噂に聞いたトンネルは大きくコースの上に張り出している。記念写真を撮り合った後、トンネルを抜けて少し左へ行くと、そのまま凍結した湖面に滑り降りて、湖の反対側にある駐車場に着いた。ここで約45分にわたる悪戦苦闘のバックカントリーは終点となる。雪質が良ければ面白いコースであろうが、今回はこれ以上の悪いコンデションは考えられないほどの悪条件であった。




これが噂のマンモス裏コースのトンネルである。

まともに滑られるところがなく、スキーとしては面白くなかったが、これだけの悪条件で無事に完走したという、達成感を少し感じたのであった。何よりも長年話に聞いていたマンモスの裏斜面にを行き、噂のトンネルをこの眼で見て通り抜けたのは新鮮な経験であった。

 

ここからは5時出発のビィレッジに戻るシャトルが出ているが、ラリーが昼休みの間に自分の車をこの駐車場に回していてくれた。湖畔のレストランのバーで完走の乾杯をする。ラリーのポルシェには全員は乗れないので菊地さんが彼らと一緒に行って車をとって戻ってくることになった。私と嘉藤さんはバーでさらにビールを飲みながら待つ。

やがて菊地さんが迎えに来てくれた。ここからコンドのシャモニーまでは7分ほどのドライブである。


トンネルを抜けるとこんな風景になる。凍結したツインレークに立つ菊地さん、乾杯をしたレストランのバー

 

ラリー親子とロブを夕食に招待していた。シャモニーのコンドに帰ったのが5時半少し前。招待客には日本食をご馳走するので6時半位に来るようにと伝えてある。1時間しかないがまだなんの準備もしてない。 菊地さん、嘉藤さんに手伝ってもらって大急ぎで寄せ鍋の用意をする。男の料理である、切った食材からレンジにかけた二つの鍋にぶち込んでいく。

サラダはキャベツを千切りにして色付けの人参、ピーマン、ハム、ゆで卵を入れて出来上がり。ドレッシングとして、ポン酢、塩、そばつゆ、ごま油、バルサミコ酢をかける。

各種野菜とエビ、鶏肉、牡蠣、豆腐、焼き豆腐、春雨などを入れ、鍋が煮立ったら味噌と故郷の辛味調味料「かんずり」をいれる「かんずり」とは故郷新潟は高田の隣町、新井の名物で冬の寒い日、何日か唐辛子を雪の中にさらし、辛味を増して柚子、糀、海の塩で練って4年間発酵させて出来た辛味調味料である。鍋物、刺身、蕎麦、おでん等の隠し味であり、料理の引きたて役として我が家では欠かせない故郷の味である。

 

ロブが来てワインを飲んでいるとラリー親子がやってきた。彼らは全員日本食が好きだから作る方も楽である。アレックスの好物は鮨だそうで「マクドナルドを食べてくれたら安いのに、鮨を食べさせると高い食事代になるよ」と言うラリーは自分でも日本食を料理するという。ロブの好物はしゃぶしゃぶやスルメである。急いで作ったサラダも寄せ鍋も皆に好評であった。

 

ラリーが言う「ここはアレックス耳を塞いでいてくれ」耳を塞ぐアレックスの前で若かりし頃の“出来事、出来心”を話すラリー、でも最後は「一番愛しているのは君のママだよ」と言うことを忘れない。ラリーは元カナダナショナルスキーチームのコーチという肩書きだけでも凄いのに、さらに数年間ハワイに住んでウインドサーフィンの世界ランキング13位になった事もあるというから、もてもての人生であったことは疑いもない。

 

ワインを5本空けて楽しい時間を過ごし、ゲストは帰っていった。佐野さんがいない方が楽しいねと誰かが言ったとか言わないとか。実際あのバックカントリに佐野さんがいたらどれほど激しい不平不満が出たことか、その点においては今回は佐野さん参加しなくて正解だったのかもしれない。私も体調万全でなかったし、佐野さん原ちゃんが休みではスキー三昧はいま全滅状態である。佐野さんの通風が早く直って元気に戻って来られる事を願うのである。そしてバックカントリーに憧れていた原ちゃんにもこのトンネルを抜けてもらいたい。今度は天候と雪が良い日に我々だけでも行けるであろう。



ロブ、アレックス、ラリーと寄せ鍋を突つく。 ワインは5人で5本空けたがもうワインがないので、焼酎を飲み始める
 

翌日、明け方から湿った雪が降り出した。視界が悪い。昨日の午前中ラリーと滑りまくった嘉藤さんは今朝は筋肉痛らしいが、ゲレンデに出ればまた元気に滑りはじめる。菊地さんも頑張っている。私はと言えば、今年になって4日目のスキーであるから体力不足と腰痛がいつ出るかという健康状態であるが昨日は3時間も昼休みを取って、バックカントリー以外ではあまり体力を使っていないので今日の二人に比べれば元気である。

10cmほど積もった雪の中を午前中滑り続けて、最後は8番リフトのレッドウィングとブルージェーという私の好きなコースで締めくくり、今回のスキーも無事に終了したのである。



お疲れの二人、視界悪し、元気なマンモススキー倶楽部のちびっ子スキーヤー達
 

帰りにマンモス市内にあるロビンのスキーショップにより、私のスキーをチューンナップに預ける。さらに先日オーダーしたストックレーのローターを来年モデルのカタログの上で確認させてもらう。

帰りにフリーウエー14番沿いにある Agua Dulce というワイナリーによることになった。嘉藤さんはここのメンバーだそうで3ヶ月に一度ワインを買っているので、今回も6本ピックアップしていくという。こんなところにワイナリーがあるのは知らなかった。メンバーと一緒に行った私にもワインテーストを無料でさせてくれた。ワインが欲しければメンバーの嘉藤さんに買ってもらえば4割引くらいでワインが買える。結構いい気持ちになるほどワインを出してもらい、私もテースティングで気に入ったワインを赤白一本ずつ買うことにした。

 

マンモスはまだ雪が降り続いている。今日明日で1メートルの新雪が積もるだろうと予報が出ている。あの雪の上にさらに雪が積もり、数日後にはまた新たなスキーヤーが新たなシュプールを描きながらあのトンネルに向かうことであろう。今回行ったマンモスの裏側はスキー場の管轄外であり、自分の責任での山歩きの扱いとなる。自然は時には厳しく、時には優しく人間を包み込む。コンデェションは悪かったが、運良く経験者であるラリーという最高の案内人でこのコースに挑むことが出来た。今まで何十回とマンモスに通いながら、このようなバックカントリーの機会がなかったのは、その場に相応しい経験有る案内人がいなかったからである。我々は初めてのコースに案内人なしで挑むほど無謀ではない。実際このコースで行方不明になったボーダーもいたのである。自然を舐めたらいけない。厳粛に自然と向き合った時、自然は美しい風景をみせてくれ、人は素直な気持ちでその風景に偉大な自然の息吹を感じることが出来る。

 

そういえばマンモスにいる間は体調が良くなっているのを実感した。腰痛も出なかったし、ワインも食事も美味かった。やはり本人がストレスと思わないストレスが人間社会にはあるのであろうか?そうだとすれば、病気を癒す力が自然にはあるということになる。もっと心の中に美しい雪山をいだいて都会で暮らすことにしよう。