青空            小堺高志    1月2日  2005年

 

12月23日から26日までクリスマスの4連休である。

12月23日午後、UCLAのメディカル センターに向かう私の心はどんよりと曇っていた。

 

残すところ今年も約一週間となり、いつもであればこれから迎えるクリスマスと新年という年中行事に心うきうきする時季である。しかし今年6月、10月と2度声帯に出来た腫瘍の手術を受けた私は一応、良性とは言われていたがその後なかなか違和感が抜けず、声枯れが残ったまの状態にドクターに不信を抱いていた。もう一度医者に見てもらわなければと思い、12月初めにセカンド・オピニオンを聞くため2度の手術をしたのと違うドクターにアポイントを取り見てもらった。するとまた再発していると言われ、すぐにUCLAのメディカル センターに紹介された。UCLAメディカル センターと言えば誰もが知るカリフォルニアでおそらく最高の医療機関であるが、返ってそんな大層なところに送られると言うのは最悪の場合を考えなければならないのかと不安がつのる。午後3時のアポイントに連休前の慌しく混んだ405フリーウエーを重い気持ちでウエスト・ウッドのUCLAに向かう。

すでに再発していると言われているので、当然3度目の手術を覚悟していた。手術となれば暫くスキーにも行けなくなるので、その前にもう一滑りと、診察を受けた後そのままマンモスに向かうつもりである。佐野さん、原ちゃんには冗談っぽく、「これでしばらくスキーにいけなくなるかも知れないから」と言っていたが、冗談でなく本気でそう思っていたのである。バーカー教授の診察を受け、発声の検査、スコープを入れての映像取りの後、診断はGranulomaと言うことであった。普段使わない英語であるから、実際は後で分かった事であるが、日本語では声帯肉芽種というのが診断された病名である。

原因は胃液が喉に上がるか、声の使いすぎで喉をいためたことから腫瘍が出来るらしいが、治療法はその場でBotulinum Toxinと言う日本でも簡単な、しわ伸ばしなどに使われる筋肉を緩めるボツリウム菌を喉仏に注射して、声帯を開いた状態にして休ませて、さらに薬で胃液の逆流を防ぐという方法で、1−2ヶ月で手術なしで回復するだろうと言う。声帯を開いた状態にするので、大きな声は出せなく、暫く囁き声での会話となるが仕事も、スキーも出来ると言う。今までの2度の手術は意味がなかったのか?次の予約は6週間後である。

実際に治るのにどのくらい時間がかかるのか、また再発の可能性はないのか等、不安はあるが、診断結果としては悪性ではなく、手術なしで治そうという事なので一安心ということである。現金なもので、途端に頭上に青空が広がったかのようである。「ビールは飲んでいいですか」と聞いたら、「一本ならいいでしょう」と有難いお言葉。

 

「さー、スキーに行こう!」

サンタモニカに行き心配してくれていた佐野さんに結果を報告すると、また一緒に滑れることを喜んでくれた。原ちゃんを待ち、6時15分ごろ出発する。30分ほど北に走ったシャーマン・オークスの日本食レストランで夕食を食べる。すっかり食欲も出て、しょうが焼き定食がとても美味しく感じる。途中で原ちゃんに運転を変わってもらって午前1時前にマンモスのコンド、シャモニーに着いた。

 

翌日はクリスマス・イブ、佐野さんはまたテニスで膝に痛みが出ていて今日のスキーは休みにすると言う。私と原ちゃんは26日に帰るが佐野さんはこの後1月3日までマンモス篭りなので時間はたっぷりあるから無理して滑ることはない。しかし、『佐野さん、せめて冬の間はスキーを取るのか、テニスを取るのかどちらかにしぼって膝への負担を軽くしたら?』と暗に冬はテニスをやらないように薦めるのであるが、テニスは相手がいるスポーツなので誘われるとついつい頑張ってしまうようだ。

原ちゃんとゲレンデに向かう。外は風もなく抜けるようなまぶしい青空である。

スキーにサングラスは欠かせない、今回の私はイチローとか日本のスポーツ選手が使い有名になったオークレイの新しいサングラスを持って来ていた。これでオークレイは3つ目になるが、そのうち2つはトーレンスの眼鏡店『パリ・ミキ』で買ったものである。今回はバック・オーダーになりオークレイの本社からの取り寄せとなり、かなり待たされたがその間パリ・ミキの皆さんには言い尽くせないほどの気遣いとサービスを受けた。皆さんオークレイを買うならトーレンスの「パリ・ミキ」でどうぞ。

 

大雪でスタートした今期であるが、このところ暫く雪が降っていなかったので周辺の雪も前回からかなり減っている。この状態では雪質は期待出来ないと思っていたが、滑ってみるとグルームされた部分は思ったほど悪くはない。連休のため人工雪もかなり造ったようだ。5番のフェース・リフトの下を滑っていると、早くも上のリフトから嘉藤さんが我々を見つけ声をかけてきた。一度滑って合流する。斉藤さん、マユミちゃん、沼ちゃん、そしてマンモスの地元に住むケーオーさん。挨拶の後、原ちゃんに、佐野さんは今日コンドで休んでいる事と、私の声帯が開いた状態にしてあるので囁き声しか出ないため、暫く大きな声を出せない状態であることを説明してもらう。ついでに私が話すときは隣の人が拡声器の役目をしてくれるようにお願いする。この拡声器が人により性能に違いがあり斉藤さんのは壊れている。私が言ったのと正反対の言葉が出てくる。

何度か会っている地元のケーオーさんが滑りながら私にエッジへの体重の載せ方のアドバイスをしてくれる。以前にも書いたが最近のカービング・スキーの正しい滑り方はエッジだけで滑り、滑った跡が左右のエッジ2本の線にならなければならない。昔流の滑りが身についている私などはついついスキーのテールを流して廻り込んでしまう。その滑った跡はいわゆる三日月型の連続になってしまうのである。ケーオーさんの理論は少し極端で両手を広げて山足のエッジ一本で滑ったりするものだからその格好から、嘉藤さんは『奴だこ走行』と言い、「格好悪くなるから、あまり真剣に聞かない方が良いですよ」と言ってくれる。でも「今までの滑りはそのままにして、もう一つ全く違う滑りを身に付けるつもりで」と言うケーオーさんのアドバイスはそれなりに参考になるのである。

今日はクリスマス・イブなのでモーテルに泊まる彼らを夕食後飲みに来るように誘って、彼らと別れてキャニオン・ロッジに向かう。最後に原ちゃんと8番リフトの下、レッドウイングに出来たバンプを滑ってあがりにする。あまり傾斜のない斜面であるが、今回は削られてかなり深いパンプが出来ていて私の好きなモーグル斜面になっている。結構まとまった滑りで一気に下りる。まーまーの滑りである。原ちゃんも頑張って下りて来る。今期の原ちゃんはなかなか積極的で滑りも良くなっている。

 

夕食後の7時前、皆さんがやってきた。佐野さんが得意のバッカ・マティーニでもてなす。ビール一本と言われている私はオリジナル・カクテルであるミルクビールで量を増やして参加。何のことはないビールをミルクで割った飲み物であるが、なんとなく喉に良さそうである。いかんいかんと思いながら私の解釈はすでに大瓶一本である。だんだん頭の中の瓶が大きくなってきた。

斉藤さんの女医さんに前立腺の検査を受けたときの屈辱的な話しなど楽しい会話が弾み、彼らは10時過ぎに帰っていった。その後の情報に依ればモーテルに帰ってから、マティーニで気持ち良くなった嘉藤さんのスキー談話が1時間続いたそうである。

 

クリスマスの朝9時ごろ、少し良くなった佐野さんも加わり、3人でキャニオン・ロッジから滑り始める。皆さん昨夜が遅かったのか、何処のリフト・ラインもガラガラである。佐野さんの膝の状態を見ながらスキー場の中を東から西へと移動していくことにする。佐野さんの今日の目標はマッコイ・ステーション。スキーは足の上げ下げがないので、思いのほか滑られるという。いつも1週間くらいで回復するから、もう2−3日すれば普通に滑られるようになるのであろうが、今は無理をしないことである。

5番リフトの乗り場でリフト係の若者が我々に「何処から来たんだい?」と声をかけてきた。原ちゃんがリフトに乗りながら「ロス・アンジェルス!」と当たり前にこたえる。するとリフトの上で佐野さんが言う。「原ちゃん、その答え方は面白くない、今度はもっと奇抜なのを行こうよ」と提案。次回聞かれたら「サモア」とか「ナイジェリア」とか意表を突く場所で答えようと言う。

その答えいただき、次にいつ使えるか分からないが、いつでも出せるように用意して取っておこう。

 

マッコイ・ステーションにたどり着いた佐野さんは休憩とフットボールのスコアを見るためテレビの前へ。私は原ちゃんとフェース・リフトに乗る。すぐに嘉藤組と会う。彼らのうち、斉藤さん以外は今日の昼で帰る予定になっている。

入れ替わりに佐々木さんという方が来て、斉藤さんは佐々木さんと同じモーテルに泊まると言う。その佐々木さんは仕事の関係で原ちゃんも知っている人だというが私は始めて会う方である。北海道のスキーヤーの一家で育ったかなり滑る人だと聞いている。やがて待ち合わせ場所のマッコイに来た佐々木さんを紹介される。私の名前を聞いた佐々木さん「ホームページ、スキー三昧の小堺さんですか?」と聞いてくる。嘉藤さんらから聞いて読んでくれているのであろうが、初めて会う方にそういわれると、彼は私達のことを会う前にすでにいろいろ知ってくれている訳でなんとなく嬉しい。昼飯もそこそこに佐々木さんは後一時間半で帰るという嘉藤さん達と滑るためゲレンデに向かう。

 

長い休みから我々がゲレンデに戻ると斉藤さんと佐々木さんが我々に合流、ミルカフェに下りる。私が先頭を行き、斉藤さんがすぐ後ろに付いて来るのが分かる。その後ろに佐々木さん、大小取り混ぜたターンでミルカフェを目指す。途中で止まって、初めての佐々木さんの滑りを見せてもらう、「今期初めてでまだ体力が付いて来ません」という佐々木さんであるがさすが道産子のスキーヤー、いい滑りをしている。

 

 

夕食後、2人がシャモニーのコンドに飲みに来る。私は囁き声しか出せないのが辛いが楽しい会話の聞き役に。斉藤さんの三角錐の文鎮のような安定感はそれを支える幅広い足にあると言う、なんでも縦と幅が同じ位あるという噂を聞いたことがある。足の裏を合わせてみると、確かに彼の足は他の人より小指一本分幅広い武蔵丸のような足をしている。

やはり悩みの種は履ける靴を見つけるのが大変なことだと言う。一番幅のある靴を買って、それからいろいろ自分で加工しなければいけないらしい。

 

26日は私と原ちゃんが帰る日である。天候は曇り。暫く3人で滑り、佐野さんと原ちゃんが休んでいる間に、斉藤さん、佐々木さんと何本か滑る。最後にウェストボールでモーグルに挑戦する。私はちょっと気張りすぎでリズムが取れずリカバリー出来ないまま無様な滑りで終わってしまった。佐々木さんは昔かなりモーグルを滑り込んでいたようで上手い。斉藤さんはちょっと大回りだが安定した固い滑り。

11時半ごろコンドにもどり、これからさらに1週間マンモスにとどまる佐野さんを残して原ちゃんと帰路に就く。ちらちらと雪が降ってきた、明日からかなりの雪が降るらしい。

 

その後5日間ロス・アンジェルスは雨の日が続き、マンモスは大雪に見舞われた。佐野さんは入れ替わり訪れるゲストとともに新雪を楽しんでいるようである。積雪の後の青空に映える雪山が脳裏に浮かぶ。

 

まだ回復には時間がかかるが、健康の大切さを改ためて感じているこのごろである。

皆さん新年おめでとう。今年も宜しくお願いします。