2011年1月25日
クリスマス以来、久しぶりのマンモス行きである。
数日前から張り切る私に反し、皆さんの反応が悪い。佐野さんは先日足首を捻挫してびっこを引いているので棄権だそうだ。つづいて斉藤さんは足首捻挫で棄権、原ちゃんも足首捻挫で棄権と次々に連絡がはいる。もう、皆さん頚骨でも捻挫しなさい!であるが、しょうがない。菊地さんは愛車がリコールになり修理のためマンモスいけませんという。嘉藤さんは今週末はマンモスのさらに先のレークタホでミーティングがあり、行かなければならないのでスケジュールの調整をして見ますという。あまり当てにならないので、「もし他に行きたい人がいたら声をかけてください」とメッセージを残しておいた。
すると2時間後位にタイミングよく去年のクリスマスにマンモスで会った羽鳥さんから電話が入った。「はとりです」、というので最初はよくわからなかったが、すぐにあの嘉藤さんの知り合いと言っていた羽鳥さんとすぐに思い出した。
「空きがあったら、マンモスに連れてってください」と言う。タイミング的にすっかり嘉藤さんが声をかけてくれたのかと話を進めていたが、後で聞いたら、たまたま電話したのだそうだ。それが金曜の午後であるから良いタイミングであった。
結局嘉藤さんは直接レークタホに向かうといので、羽鳥さんに家に来てもらい、トーレンスから二人で出発する。羽鳥さんは今は半分退職しているエンジニヤである。好きな車の話、昔 行った海外の話など共通の話題が多い。
午前1時にシャモニーに到着。駐車場には結構車が停まっている。
翌日8時半に起きて、朝9時半から滑りだす。このところ新雪が降っていないので雪は堅い。グルームされている中級コースを主に滑ることにする。
メインロッジに行くと先月12月中の積雪量がレコード破りの積雪であった事を祝う催し物が行われていた。指定された場所に雪だるまを作るとTシャツをくれると言うので羽鳥さんと雪だるまをつくる。これが、雪質が悪くなかなかくっ付かない。堅い雪をスキー靴で蹴飛ばして塊を取り、砕いた雪でくっ付けようとするが、乾いた雪はなかなかくっ付かない。ごまかして手軽に造った雪だるまでTシャツをゲット。
シャモニーの駐車場から歩いてキャニオン ロッジに行く。 雪像の前の 羽鳥さんと 私
メインロッジでは12月の記録破りの降雪を記念して雪だるまを造るとTシャツがもらえた。手前の雪の中に見えるのが我々が造った雪だるまらしきもの。
昼前に9本滑り、長めの昼休みをとり、午後は3時前に上がれるようキャニオンロッジの方に移動していく。先週マウンテンハイで15本滑った時の太ももの痛みがまだ完全には取れていない。マウンテンハイは山頂までリフトが1本でいけるので休む間がなくきつい。何時ものレッドウイングのモーグルは堅く、何時になく深いバンプ(瘤)が出来ていた。堅い瘤に飛ばされてしまい、あまり面白くなかった。
午後から8本滑り、3時前に上がる。シャモニーに戻り夕飯の下ごしらえをした後ジャグジーに行く。夕飯は鶏肉の香料とアンチョビ焼きを予定していたが、メニューを言う前に羽鳥さんに「食べ物の好き、嫌いありますか?」と聞いたら「しいて言えば、鶏肉はあまり食べませんね」といわれて、これは困ったであるが、じゃあ、少しだけ食べてもらって、もう一品豚肉の料理をつくることにする。ここで少しアクシデント、買い置きのあったトマトの缶詰を開けたら思っていたのと違うケチャップ状のトマトが出てきた。豚肉炒めを作るつもりが、シチュウ風になってしまった。まあいいか?
羽鳥さんはほとんどお酒を飲まない人で、私だけワイン、ビールと飲み続ける。しかしお酒を飲まないが話し好きな人で11時まで付き合ってもらった。私と同じ頃海外にでた一人であり、その後も仕事でアフリカのサファリラリーなど世界中いろんなところに行ったことのある人で話が弾んだ。
ゲレンデの羽鳥さんと、戴いたTシャツ、モデルは羽鳥さん
翌朝。
昨夜はゆっくり時間をかけて飲んだので二日酔いもなく、快適な目覚め。外は快晴。
昨日、「帰りに温泉に入っていきましょう」、と言っていたので、8時半には滑り出して、11時にはあがる予定である。
昨夜、うちのユニットのシャワー、台所の湯沸かし器が動いていなくてぬるま湯しか出なかったのを羽鳥さんがリセットして直してくれた。やっぱりエンジニヤは見方が違う。湯沸かしタンクに繋がる配線を辿って、リセットボタンを見つけ、リセットしただけで動きだしたが、そのボタンは我々では判らないパネルの中にあった。
朝飯を食べ、昨日より1時間早くゲレンデに向かう。今日のリフトラインはガラガラである。今日もスタンピー周辺のゲレンデを中心に気持ちよく早いペースで滑り続ける。
スタンピーの斜面はここマンモスで一番広い斜面で、何時も比較的良い状態に保たれている。斜度も中級者用で滑り易い。広い斜面を大きく使い、気持ち良くノンストップで滑ってしまったが、振り返れば羽鳥さんはそんなに遅れる事無くちゃんと付いて来てくれていた。
マッコイステーションで少し休憩。雪質はけっして良くないが、極端に悪いわけでもない。風もなく清清しい爽やかな天候である。ゴールドラッシュの右側斜面の雪が良かった。さて、温泉に入っていくので今日は何時もより早くあがる。
日曜は良い天気、ブロ−ドウエーのスノボーパークには大きなジャンプ台が作られ着地用の大きなエアバッグ
マッコイステーションの前で目の前の雪山とゲレンデを見ながら一休み
予定どうり、ビショップから10分ほど南にある温泉に40分ほど浸かって行くことに。相変わらず古びた施設であるが、それなりに絶え間なく客が入ってくる。日本人にとっては少しぬる目のお湯であるが永く入っていると汗ばんでくる。そこでさらにぬるい温泉プールに入るとちょうどいい具合にのぼせを調整できる。
温泉プールと温泉の部分とに分かれている
帰路、さらにインデペンデントの南にある日系強制収容所跡であるマンザナに寄ってみることにする。今年のお正月にTBS開局60周年記念の「99年の愛」と言うテレビドラマを観たが、たまたま羽鳥さんもそのビデオを観ていたのである。
これは日系人の歴史をドラマ化したもので、日系一世として移民してきた男がアメリカで家族を持ち、やがて第二次世界大戦の中で家族が日本とアメリカにばらばらになり、強制収容所に入れられる。その舞台がまさにここマンザナであった。
その頃、日本人の移民には新たなアメリカ国籍は与えられていなかった。ここマンザナからもアメリカ軍に入って日系人の存在を見直させるため志願して軍隊にはいった人達がいた。そんな人たちが集まった日系人部隊442連隊はイタリアで多くの戦果を上げ、やがて孤立していたテキサス大隊を救出する任務にあたる。勝てる見込みのない戦いに挑むが激戦の末、テキサス大隊を救出する事に成功する。救出した人数以上の犠牲者を出しながら「ゴーフォー、ブローク(当たって砕けろ)!」を合言葉に第2次大戦の最中、アメリカ軍隊の中でもっとも勇敢な戦いをした部隊として記憶に残されている。
大統領が442連隊のテキサス大隊救出に感謝の言葉を述べ、やがて戦後、この442連隊の戦時中の活躍等で日系人がアメリカの市民として受け入れられようになり、現代に至るのである。
マンザナには一時1万人を超えるアメリカ生まれで国籍を持つアメリカ日系人と国籍をもたない日系一世である移民が共に収容されていた。その事実を私はアメリカに来るまで知らなかった。それは日系人の歴史における大きな出来事で、5日間の準備期間しかなく、せっかく築いたすべての財産も仕事も社会的地位もなげうってトランク一つで指定の場所に集められたのである。そして、そこから全米に12箇所あった強制収容所に送られた。それはスパイ活動を封じるためという名目で人権を無視した西海岸からの強制立ち退き政策であった。マンザナは西は4000m級の山が連なるシェラネバダ山脈、西は草木の生えない山があり、その向側は乾燥したデスバレーへと続く。そこに挟まれたマンザナの南北は何10キロも続く姿を隠すところもない脱走不可能の荒地である。
そのころ戦争相手であったドイツ系、イタリア系の移民に対する強制収用はほとんどなく、日系人に対してだけの差別的で不当な大統領令であり、戦争が終わって帰った時には何も財産は残っていなかった。先人達はそこからまた努力して今の生活の基を築いたのである。
マンザナには復元された監視台、居住棟、集会所、食堂がある
居住区の建物とその中のベッド, 食堂からみえる荒れた土地ではかっては畑が作られていた。
台所と食堂とのテーブル、食堂の外見と、そこから見たシェラネバダの山々へ続く風景
1975年、私がアメリカに来た翌月位にサイゴンが陥落しベトナム戦争が終わった。その頃からアメリカで日本企業の大躍進が続くことになる。その後、アメリカは戦時中の日系人に対する処遇を謝罪し、一人2万ドルの賠償金を払っている。
勿論、充分な額ではないが、少なくともアメリカは非を認め、正義を保ったのである。
マンザナは、かってここに1万人もの人間の営みがあったとは思えないほど荒涼とし、乾いた風が吹いていた。
私が最初に渡米して滞在したリトル東京にはその頃、マンザナに収容された経験をもつ人が何人もいた。もし、生まれた時代が違っていたら、私もここに暮らしたかもしれないのである。
今、アメリカで「貴方は、なに人?」と聞かれたとき、中国人でも、韓国人でもなく「日本人です」と誇らしく答えられるのは先人達の尊い犠牲と努力の結果なのである。今の環境を築いてくれた先人たちに感謝しなければならない。
そして、後に続く日本人がこれから99年後も「私は 日本人です」と誇りを持って答えられるようにと願うのである。
何年も変わらない美しい夕焼けが帰りの車を包んだ。
完