小堺 高志 2010年2月17日
アメリカでは毎年2月の第3月曜日は、プレジデント・ディーといって、歴代の大統領の偉業を称える休日である。今年は2月15日の月曜が休みになり、3連休となる。佐野さんとユタのブライアンヘッドへ行く事になった。
毎年遠征をしていたが、2年前のヨーロッパ遠征以来、佐野さんの足の具合が良くなかったりで、しばらくスキーの遠出をしていなかった。ユタ州のブライアンヘッドに行こうと言い出したのは去年のクリスマスの頃であった。ブライアンヘッドなら直前の予定変更も可能である。最初は菊池さんが行くはずであったが、都合が悪くなり、次に斉藤さんが行くことになったが、またパンツの洗濯をしなければとかという、もっともな理由で断られてしまい、結局また定番の佐野さんと二人での珍道中ということになった。
ブライアンヘッドは今までに私は3回、佐野さんは5回行っている。ラスベガスから3時間くらい北、ユタ州でも一番南に位置するこぢんまりとしたスキー場である。エルエーからは時間的にはレークタホに走るくらい、8時間ほどのドライブでのはずである。
金曜は午前中で仕事を終え、早引けをして、12時過ぎには佐野さんのところに向かっていた。今日は折しもバンクーバー・オリンピックの開会式である。テレビでの放送は午後9時からなので、ラスベガスで寄り道をしなければホテルについて開会式を観られるはずである。長野オリンピックの開会式も、ソルトレークオリンピックも、4年前のトリノの冬季オリンピックの開会式も、いずれも佐野さんとマンモスへ行く途中、ビッグパインのバーで観ているのである。バンクーバーオリンッピクの会場となるバンクーバーの街は4回、ウイスラーのスキー場は過去3回訪れているので思い入れも深い。
今回のスキー旅行の宿泊先はホテルなので食事は作らないが、つまみとビール、ワインは持って行く。ユタ州の住民70%以上がモルモン教徒であり宗教的理由でお酒を飲まないため、アルコール類を売っていても、売り場が少なく探すのに苦労する。
佐野さんのところに付いたのは午後1時、最高の出だしである。予定では6時にはラスベガスに着いて、食事をしても9時半にはシダーシティーの宿に着くはずである。
10分ほどで佐野さんの荷物を積み終え、佐野さんが忘れ物が無いか部屋に戻って確認している。良い心掛けである。1時15分にサンタモニカを出発し東に向かう。
1時45分、我々はラスベガスとは反対のサンタモニカに向かって10号線を走っていた。この時間に西に向かって走っていてはいけない。
サンタモニカを1時15分に出た我々は混雑する10号フリーウエーを30分ほど走り、まもなくエルエーのダウンタウンに着こうかと言う時、佐野さんが「あ、大きなバッグ、入れてないよね。スキーウエアが入ったバッグを忘れてきた」と言う。「佐野さん、忘れ物ないか確認したよね」「イヤー、小堺氏が積んでくれたかと思って」
と言うことで、佐野さんの家に引き返しているのである。また戻らなければならない反対車線が混んでいる。車を降り家に入った佐野さんが、すぐに戻ってきて「無い、もう一度トランク開けてくれる」「あった!」「佐野さん、あなたもう人間辞めなさい」「今回は、人間辞めてサルで行く?犬で行く?」と言う訳で、今回は人間やめた犬の佐野さんとの旅である。
佐野さんは渡米して次の年に会った私のもっとも気の置けない友であり、付き合いはすでに35年になる。学生の時アルバイトをしていたレストランで出会い、一時はルームメイトでもあり、スキーメートでもあり、ずっと私の一番の親友である。供に楽しい時間をいっぱい過ごした私にとり何でも話せる兄貴的存在であり、時には世話の焼ける兄貴でもある。
気を使わない間柄とはいい、失礼なほど言いたいことは言わせて貰い、寛容な佐野さんに救われている。と言いながら、あえて言わせて貰えば、「佐野さん、忘れ物しないでよ、酔っ払わないでよ、スキー以外で足を酷使しないでよ、世話が焼ける!」
でもそこは、ほら、このエッセイには嬉しい話題を提供して、スキー三昧を盛り立ててくれる欠かせない役者が、佐野さんである。
10号線は混んでいる。1時間の遅れは大きい。1時間前ならまだこれほど混んでいなかったのにと、佐野さんに愚痴りながら混雑のフリーウエーをいく。それでも佐野さんまだ忘れた原因は「私が6割、小堺氏が4割」などといっている。「馬鹿いってんじゃないよ、どう考えても佐野さんが10割でしょう」大きなバッグに入れていたスキーウエアを二つの小さなバッグに詰め替えたことを忘れていたらしい。5時半、出発から4時間半、混んでいないフリーウエーを探しながら迷走し、結局いまだにエルエーからの走行距離75マイルのサンバラデノ郡のフリーウエーをノコノコと進んでいた。
15号線に乗り換えサンバラデノの峠を越えるとやっと動き始めた。ノロノロ運転で疲れた私は運転を佐野さんに代わってもらうためガソリンスタンドによる。トイレに行ってドアを開けたら開いた。そこはガソリンスタンドによくあるドアを開けると大用と小用が仕切りなしであるタイプのトイレで、普通は一人入ったら鍵をかける。ドアの向うにはメキシコ人のおじさんがウンチングスタイルで便器に座っていて、「イッツ・オッケー!いいから入れ、入れ」とその格好で招き入れる。結構ですと遠慮してドアを閉めようとしたら、すでに佐野さんが入っていて、おじさんの横で小用を営んでいる。それならばと、 佐野さんと変わって小用をたす。おじさん親切に使用中のところトイレを使わせてくれたのはいいが、臭いんだよ。ここはメキシコじゃないんだから、普通ありえんでしょう。イッツ・オッケイじゃないよ。今度からはちゃんとドアに鍵かけてくださいよ。それにしても佐野さんが入ってなかったら私は入らなかったよ。しょうがないか今回は犬だから。
運転を変わってもらい、暗くなったフリーウエーをおにぎりを食べながら北東へと走る。午後8時少し前にラスベガスの灯りが見えてきた。街はまた大きくなり新しいカジノの建物が増えている。私はずいぶん久しぶりだが、佐野さんは一ヶ月前に来ている。
8時半、ラスベガスの街を抜け、停まらずにそのまま走り続ける。道路は一度アリゾナ州に入りすぐに、ユタ州になる。ユタ州に入ると制限速度は75マイルになる。時速120キロであるが、実際は時速130から135キロくらいまではオーケーということになるので距離が稼げる。シダーシティーの宿に着いたのは大幅に予定の狂った10時半であった。いや、ここは時差があるので現地時間では11時半、すでにオリンピックの開会式の中継は終わっていた。誰のせい?人間でないワンちゃんのせいであるから誰にも文句はいえない。無事に着いたことを感謝し、お犬様と乾杯するのであった。
今回の宿はベストウエスタンホテルのスキーパッケージで三泊と、二日分のスキーリフト、朝食付で、二人で420ドルほど。部屋も広く、室内プールもある。これはかなりお得なパッケージである。宿からブライアンヘッドのスキー場まではさらに30分ほど離れているがシダーシティーの方が街が大きくレストランも選択できる。
ラスベガスの夜景。 チェックインする佐野さんと広い部屋で、ワインで乾杯
朝、1時間の時差があるので朝7時半に起きるがカリフォルニア時間ではまだ6時半である。
佐野さんの情報によればリフトは9時から動き出すというので、8時10分ごろスキー場に向かう。15分ほどフリーウエー15号線を北に走り、そこからさらに15分ほど山道を走るとブライアンヘッドのスキー場に着く。
快晴であるが、朝のうちは寒い。ユタ州のスキー場は温度が低いので何時も雪質がいい。まだ駐車場は数台の車が停まっているだけである。リフト乗り場のすぐ目の前に駐車し、9時から売り出しの始まったチケット売り場でホテルでもらった引換券をリフト券に変えてもらう。周りはまだがらがらに空いているが、リフトが動き出しているのでもう乗れるのだろうと9時20分ごろリフト乗り場に行くと、実際の開場は9時半からだそうであるが、係員が「でも、もうすぐ乗せるよ」というので5分ほど待つ。ぜんぜんその気はなかったのに9時から乗せていると思っていたので、計らずも我々はリフトラインの一番前に押し出されていた。
マンモスでリフト一番乗りなどといったら、相当気合のはいったスキーヤーであるが、ここのスキーヤーは皆のんびりとしている。我々はよほど気合の入ったスキーヤーと思われたであろうが、そんなつもりは毛頭ないのである。気が付けば、最前線にいた丸腰の老兵である。
ここは中級向けの斜面がほとんどである。斜面の長さも最長で2キロくらいしかない。まずは山頂に上がって一番メインのジャイアンツステップスを滑ってみる。何せ一番乗りであるからグルーム(雪上車にロ−ラーをつけて引き回すとかたまった雪が砕けて柔らかくならされる)されたゲレンデには誰もいない。一本目は気分良く一気降りで飛ばしすぎてしまった。マンモスの混雑したゲレンデとは大違い、雪質も良い。「いいね、やっぱりスキーはこうでなければ!」さらに隣のリフトで山頂に戻る。
この辺の山は全然険しさが無く、周辺りの山々もなだらかに見えるが、実はブライアンヘッドの山頂は海抜3000メートルもある。よって、頑張って滑ると、結構呼吸が苦しくなる。山頂から見る風景はほとんど人の住まないユタの大自然である。青空が美しい。
朝食を摂ってスキー場へと向かう。
まだ数台しか停まっていない駐車場、ゲレンデの目の前である一番乗りしたリフト
10時半にはもうロッジで休憩。ビールを買ったらキャッシャーの若い女性が「IDを見せてください」と言う。嬉しいじゃないか。アメリカでは21歳にならないとお酒を飲んではならないし、売ってはならない。未成年者と思える人にIDカード(身分証明書)である運転免許証の提示を求める。それにしても帽子を被っていたが、私にIDカードを聞いてくれるとは嬉しい女性である。隣にいた佐野さんが、「彼は40年ぶりにIDカードの提示を求められたから喜んでいるよ」などと大げさに言うものだから、周りの人たちが皆笑っている。「あれはジョークだよ」と言う佐野さん。モルモン教徒はジョークを言わないと信じたい。
マンモスではそんなに滑らない佐野さんが今日は頑張って滑り続けている。
向かい側にもう一つの山、ナバホピ−クが見える。リフトで繋がっているので、一度向うも滑って見なければと、行って見る。ナバホの山は全体に初心者向けで一気にすべり降りる。遠くから見たとおり、ちょっと斜面がなだらかすぎた。2本滑ってブライアンヘッドに戻る。
やっぱり今日はグルームした斜面が気持ち良い。中級斜面はほとんどグルームされているが、グルームされていない斜面もあるので規模の割にはいろんな斜面を楽しめる。ジャイアンツステップルのリフト右下の斜面はここのスキー場で一番の上級者向けのコースか。荒れているが滑りがいのある斜面に見える。その斜面を滑ってみると、雪は柔らかいが前回の降雪から4日ほどたっているので、凸凹感は否めない。足に力を入れて気合を入れて滑るので結構こたえる。でも面白い。
3時にあがってシダーシティーに戻る途中、道路脇で 鹿肉のビーフジャッキーを売っていたのでつまみに買って来た。
まだ誰もいないゲレンデを滑る。山頂から見えるのは何処までも広がるユタの大自然
ゲレンデ前の車の中で一休み、向かいに見えるのがナホバピークのゲレンデ
さて、昨日オリンピックの開会式を見損ねた我々は今夜8時からの女子モーグルはぜひ見たい。夕方30分ほど街のメインストリートを散歩して、飲みながら食べられるところを探したが、みつからない。ここユタ州の住民はほとんどがモルモンなのでアルコール類いは飲まない教えである。我々が探す冷えた白ワインを飲みながらというレストランはメインストリートで見つからなかった。ワインは部屋にあるので、結局マーケットのグロサリーでサンドイッチを造ってもらい、さらにカニコロッケ、サラダなどを買って帰ってテレビを観ながらの夕食になった。鹿肉の乾し肉は脂身が少なく、牛肉に似ていて美味い。
女子のモーグル、メダルが期待された上村愛子は惜しくも4位。4年に一度のオリンピックでメダルを取るのは大変なことである。愛ちゃんも1年前にオリンピックがあったら、金メダルが取れていたと思う。オリンピックの年に世界最高の実力を維持するのはその時がアルリートとしてのピークと重ならなければならない運もある。メダルの色がなんであれ、オリンピックのメダルを取るか取らないかは人生の記念碑として大きな違いがある。だから愛ちゃんの4位という順位はアスリートとして一番悔しい順位なのである。
佐野さん曰く、オリンピックのメダルは種目によって大きさを変えるべきだ。大体ショ−トトラックなどあんなに種目があってメダルの数が多いのが気に食わない。モーグルなどは首が重くなるような30cmくらいの大きなメダル。ショートトラックとかカーリングのネダルはコインくらいの大きさがあれば良いね。
シダーシテイへの帰り道、街中を散歩して、この町の開拓者の銅像に話しかける佐野さん
日曜日、今日も快晴。
昨日学習した私と一匹のワンちゃんは昨日より1時間遅い出発である。
昨日は駐車場の一列目であったが、今日は2列目、それでもゲレンデまで20メートルくらいである。昨日良かったロウレッテのリフトをに乗る。朝一のグルーム斜面は最高に気持ち良い。
佐野さんが隣で張り切って滑るので私も気合を入れて滑る。後で聞けば私が飛ばすので佐野さんは私に引っ張られて無理を強いられた被害者だという。ハハハである。マンモスでは休憩が多い佐野さんにしてはずいぶん休み無く滑っている。
15号線を北に向かうと4時間ほどでソルトレークに到る。空いている朝のゲレンデ
張り切って滑り続ける佐野さん、ゲレンデは中級者用が多い
後ろで日本語が聞こえた。ここでは珍しい日本人の女性4人組に会ったので話しかけてみるとラスベガスに住む方々であった。この辺の大都会であるベガスからはここまで3時間でこられるのでスキーヤーはベガスからの人が一番多い。エルエーからのスキー客は滅多に居ないはずである。
午後からは意識的にグルームされていないコースを滑ってみる。ここは何処を滑っても、マンモスでいろんなコースを滑っている私にはそんなに難しいコースではない。
さらにここが滑り易いのは、なんといっても雪質。一日快晴になって温度があがると雪質がぜんぜん変わってしまうマンモスと違い、気温が寒いので、いつでも雪質が良いからである。
午後、佐野さんとはぐれたが、狭いスキー場だからリフトの上からすぐにみつかる。佐野さんが滑っているのがみえる。今日の佐野さんはかなり挑戦的にグルームしてないコースも滑っている。最後の3本は佐野さんとはぐれたまま積極的に、ここでは一番難しいコースを選んで滑ってみる。荒れていても雪がいいからショートターンで攻めのスキーができる。大概が一気に滑り降りられる長さの斜面なので楽である。ここではそんなに上手いスキーヤーはいないからそれなりに目立てる。最後の一本を決めて降りると佐野さんがロッジの前で待っていた。満足の2日間であった。
メインロッジと、ゲレンデの中央グルームされていないコースを滑る佐野さんをリフト上から見る
ホテルに帰って、ジャグジーと温泉プールに入る。誰もいない貸し切り状態である。さて今日はレストランでは飲めないのでワインとビールを、部屋で駆けつけ3杯でなく、駆けつける前に3杯飲んでから夕食にでる。
食事は昨日あたりを付けておいた道路のすぐ向かい側のステーキとシーフードのチェーン店シズラーである。出掛けに佐野さんがフロントの女性に話しかけてなかなか動かない。シズラーには55歳からのシニア用のデスカウント・メニューがある。佐野さんが「またIDと言われるかな?」まあ今回は55歳かどうかのIDであるが、佐野さんは問題ないでしょう。
シニア用の魚料理とサラダバーの組み合わせをオーダーする。シズラーのサラダバーは10数年ぶりであるが昔から有名である。食べ放題の各種サラダと、果物、ソーセージ、鳥のから揚げ、スープ、アイスクリームなどなど、それだけで充分であるが、さらに我々はヒラメのメインデッシュがくる。ここで携帯用の醤油を持って来ている。やっぱり何処に行っても魚には醤油でしょう。サラダバーは食べ放題であるからシニアメニューの料金でよく食べる客だと思われたかもしれない。次に来る時にはシニアは65歳位に年齢が引き上げられているかもしれない。
宿に戻ると今日は男子のモーグルをやっている。冬季オリンピックで私が一番みたい種目である。女子モーグルも凄いとおもったが、男子はとにかくスピードが早いし、ジャンプが多彩で高い。この切り返しの速いターンで安定感ある滑りはとても人間業とは思えない。バネが付いたような滑りであるが、実際はスピードと段差からくる大きな重圧を下半身で吸収して潰されないようにターンごとに足を伸ばしているのである。オリンピックを見ながら心地よい疲れに何時しか眠ってしまった。
室内プールとジャグジー、シズラーのサラダバー
連休最後の月曜日、エルエーに帰る日である。軽い朝食をとって宿をチェックアウトする。
カリフォルニア時間で8時半に出発する。来る時には暗くて見えなかったユタの山々が綺麗にみえる。ここから北に4時間も走ればソルトレークである。さらにこの周辺にはザイオン、ブライスと有名な国立公園が1時間くらいの距離にあるし、ベガスに向かう途中から東に入ればグランドキャニオンの北側の淵に出る。
途中で通るアリゾナ州は峡谷になったところを走る。名もない場所であるが迫力のある風景である。そしてネバダ州に入ってマスキッドというにある小さなカジノで45分ほどブラックジャックを遊んで、またベガスに向かう。
ユタの大自然、 この向うはグランドキャニオンである。
峡谷を抜けるとカリフォルニアに入る。
とつぜんラスベガスのカジノホテルのビル群が現れる。ストリップストリートを車で通り抜ける。不景気とはいい、バレンタインディーの3連休であるから混んでいる。またまた新しいカジノが増えているが、ストリップ通りはずっと混雑してのろのろ運転である。ここにはイタリアも、アラブも、エジプトも、パリもニューヨークもなんでもあるお伽の国である。しかし、週末のここへ来るまでの道路の混雑と、来てからのラスベガスの混雑はどうにかならないものか。
ラスベガスのストリップ沿いのカジノ群
ベガスを抜けてカリフォルニアとの州境、ステートラインにあるアウトレットの中に『好楽』というラーメン屋さんがある。ここで味噌ラーメンと半チャーハンを食べる。やっぱり日本人でよかったと感じる時である。
帰りの道路がまた混んでいる。佐野さんが知る裏道を使い、帰宅下のは午後7時であった。
最近は遠出するにも道路が混んで時間が読めない。結局、行きも帰りも約10時間くらいのドライブとなった。それでも半分は佐野さんが運転してくれたし、たまには違うスキー場を滑る楽しみは大きい。
都市部に交通の沈滞があるとはいい、アメリカは郊外にいけばまだ人の住まない大きな土地がある。国土の広さを実感する10時間の運転であった。
2月半ばは、まだスキーシーズンの真っ盛りである。良い雪と、楽しいスキーに出会うと、またスキーにはまってしまう。
スキー三昧はまだまだ続く。
何処までも続く道路と向け道の旧ルート66号線は1950年代まで幹線道路であった。
オートバイの旅行者、帰りの15番はまた混んでいた
完