雪かき        小堺 高志   2012年3月25日 

 

3月16日、セントパトリックの週末、久しぶりのスキーである。

今年は雪が少なく、前回マンモスで滑ってから、一番降る振るべき2月に合計で1メートル、3月になって30cmくらいしか降っていないのである。しかしこの週末には大型の低気圧が来て金曜の夜から山頂は100マイル(160キロ)の突風、1メートル以上の雪が積もり、激しい嵐になると言う予報である。

 

待望の雪ではあるが、これだけ天気予報で脅されて、それでもスキーに行きたいというのであるから、真っ暗な吹雪の中でチェーンを付けたり、駐車場で雪に埋まった車を掘り出したり、視界不良の寒い中で滑り、リフトを待つといった、それなりの覚悟をしてマンモスに向かわなければならない。

 

今回は佐野さん、日本から戻った斉藤さん、そしてミヤがメンバーである。ミヤはシャモニーのコンドの共同オーナーの一人であるアンの妹で日本人とのハーフであり、看護師である。

看護師でもいろんな資格があり、彼女は外科医のヘルパーであり、時には手術中の傷の縫合も行なう事の出来る資格を持っているのだそうだ。よって裁縫は得意らしい。南米のエクアドルへ口唇裂(みつくち)の手術のボランティアに行って70件の手術に立ち会って来たという活動家でもある。

 

嵐がくるのでなるべく明るいうちに出ようと、会社を早引けして午後3時にはサンタモニカを出発する。途中、助手席で車に揺られウトウトとしている斉藤さんに、「歳を取ると時差ボけがなかなか直らないようですね」といったら空きペットボトルで叩かれた。さらには首をコキコキ、「その太い首で頭を支えていても、首が凝るんですか?」と言ったらペットボトルで叩かれた。

日本ではほとんどコタツで寝て食べていたそうで、、、「あ、それで、、、」と斉藤さんのお腹を見ていたらペットボトルで襲って来た。

 

私もモハベで眠くなり、ガソリンを入れた時に運転を変わって貰おうと思い、斉藤さんに車のキーを渡す。トイレに行ってもどると、斉藤さんは変わらず助手席に座っていて、私がさらに1時間先のジャンクションまで運転することになったという。横暴な人である。外見が優しいが、中身は厳しく時に凶暴である、しかし懐は広くこのイジリがいのある人格者はなかなかのものである。それに絶対この人は私が突っ込んでくれるのを「ここだ、ここだよ」と目で訴えながら待っている。すでに退職し、夏前には日本に永住帰国する斉藤さんとこうしてマンモスに来れるのもあと数回である。

 

一方、佐野さんは最近NGが多く、すぐに「これは書かないでよ」と釘を刺すので、佐野さんらしい話が書けない。小学生のとき近所の年下の子に厳しく当たり指導し、彼をパイロットに育て上げた話などなど面白いのに、佐野さんのNGで没になった逸話が多いのである。

 

結局、眠気も覚め、ビショップまで運転してしまったのである。

外は暖かく、なかなか雪にならない。ビショップでピザ屋さんによりピザ、サラダ、生ビールで夕飯を摂る。ビショップを出てしばらくすると軽い雨になった。 

嵐の前の空模様、しかし なかなか降りださないままビショップのピッツァ屋さんで乾杯

 

9時にマンモスの街中に着くと待っていたようにパラパラと雪が降りだした。シャモニーの駐車場は空きがあった。この嵐の予報の中をスキーに来るのは相当な好きものだけであろうか。まだ駐車場の地面が見えていて、薄っすらと雪化粧を始めたところである。
 

荷物を降ろし、斉藤さんの日本からのお土産、新潟の菊水が出している地域限定季節限定販売のにごり酒「五郎八」をいただく。元々甘口の菊水のにごり酒であるからコクのある甘みと、滑らかなのど越しで美味い、でもアルコール度は 21度もある。外は激しく雪が降り出した。

永住帰国する斉藤さんが今年から日本で住むことになる新潟県六日町のスキー場のすぐ前にあるコンドの周辺を写したビデオを見せてもらう。

20年ほど前にリゾート用に開発された13階建ての建物で、ゲレンデのすぐ前、入り口はホテルのようにまだ新しく見えるし、共同で使えるお風呂も広く、きれいなコンド。車を買うくらいの破格の安値で買えたという退職後の斉藤さんの住処はたしかに良さそうである。


マンモスの市内に入ると雪になった、夜中に外を見ると激しく雪が降っている。
 

土曜朝、5時ごろ外を見るとまだ夜明け前なのに、雪明りで空が明るい。見るとベランダの外の私の車がかなり雪で埋まっている。昨夜までは道路が出ていたのにすっかり雪の中の風景である。除雪車が駐車場の除雪に動き廻っている。このままにしておくと明日車を掘り出すのはさらに大変になるので、朝飯前の雪かきにでる。

車は60cmほどの雪に埋まっている。車の中には今日使う私と斉藤さんのスキー板が入ったままで、雪かきを始めてみると朝飯前の一働きどころの雪量ではない。途中で一度お茶を飲みに部屋にもどり休憩。

私は何処かのにわか新潟県人で無く、ネイテイブ新潟県人であるから、雪かき、雪下ろし、雪踏みは子供のころからやっているが、雪国の人には避けられない重労働である。日本では今年の大雪でお年寄りだけの世帯の多い雪国の人たちの苦労が忍ばれる。

スキー場の方から人口雪崩を起こす大砲の音が聞こる。


朝早く起きると車は雪に埋まっていた。朝食前に雪かきをして車を掘り出す

車を除雪をして戻ると斉藤さんが豪華な朝食を作っていてくれた。

いつもは斉藤さんと来るときは、食材を手分けして持ってくるのだが、今回は私の家の冷蔵庫が故障中で修理用の部品が入る来週の水曜まで冷蔵庫に氷を入れて冷やしている状態である。よって、買い置きができず、アイスボックスも使用中のため、斉藤さんに全面的にお願いしてしまった。

 

9時ごろゲレンデに向かう。久しぶりの大雪であり、雪はまだ降り続けている。まずはローラーコーストの新雪を一本。ちょっとウエットなスノーであるが、辺り一面、たっぷりの新雪である。

途中で佐野さんがゴーグルを落としたと言うので全員でもう1ラン。落としたと思われるあたりにゴーグルは見つからなかったが、リフトの乗り口に誰か親切な人が届けてくれていた。

湿気が多く、こんな日はゴーグルの曇りに皆悩まされるが、私のゴーグルには小さなモーターとファンが付いていて、外気を換気させて曇りを防ぐ機能がある。去年買っていたが実際に使うのは初めてである。このコンデションでそれなりに機能しているようである。

大雪の中をゲレンデに向かう。すでにリフトは動き出していた。湿った雪が降り続く。
 

ウオールストリートの斜面をスタンピーに抜ける。先を行く斉藤さんを追いかける。深雪で幾分重い雪なのでリズムをつけて漕ぐようにターンをして進まなければならないから、かなり疲れる。中級者のミアもマイペースで付いてくる。



重い新雪の中をいく佐野さん。

青いジャケットがミヤ
 

今日はスキー場の上の方は開いていない。しかし何処も此処も新雪だらけなので充分楽しめるが、重い深雪をかき分けながら滑るのはそれなりに疲れる。運動不足で太ももが痛くなってきた。

 

11時半にマッコイステーションで休憩。斉藤さんが朝作ってくれたおにぎりを持ってきている。そして佐野さんが持ってきた魔法瓶の日本酒の熱燗とビール。


一日中止むことなく降り続ける雪は久しぶりである。でも風が強くないので何とか滑れる。


コンドにもどるとまた車が雪に埋まっている。今日2回目の雪かき。

2時にあがって、一度コンドに戻り、前回にもいった向かいのオーストリアン・ホッフのハッピーアワーに行く。グリューワイン(ホットワイン)で温まる。今日はセントパトリックデー。緑の物を身に着けて祝うアイルランドのお祭りで、アイルランド系の移民の多いアメリカでは結構盛大に祝われる。一般的にはアイルランド系のパブが込み合うのであるがマンモスにはアイルランド系のパブはないから何処のバーもそれなりに混んでいるであろう。緑系の服を着た人が入ってきてここも、段々と混んで来た。

 

グリューワインは赤ワインにいろいろ入っているのでアルコール度はワインより弱い。それでも1時間ほどで4杯飲んで、いい気持ちでシャモニーに帰る。外に出ると雪が止んでいた。


セントパトリックディーをオーストリアンホッフで音楽とグリユーワインで祝う

お尋ね者S氏とS氏。いつの間にか空きグラスがテーブルいっぱいに。





外に出ると雪はやんでいるた、シャモニーまでは歩いて数10メートル。今日は斉藤さんの特性カレー

 

翌日は朝から時たま強い突風と雪。またかなりの新しい雪が積もっている。

朝食を食べながらインターネットでリフトの状況をチェックし、8時半からいくつかのリフトが動き出したのでゲレンデに向かう。わずかな距離であるがタイミングよくシャトルバスが来たのでキャニオンロッジまで載せてもらう。

ゲレンデには夕べからまた20cmほど新たに積もっている。この嵐による2日間のトータル積雪は120cmくらいになる。温度計によれば今朝の温度は摂氏マイナス10度、昨日よりかなり寒い。16番リフトを降りると突風で雪が舞い上がる。天候が悪く視界が利かない。

 

比較的風の影響を受けないローラコーストを滑る。寒い。その分雪質は昨日より軽く、スキーにはいい雪である。昨日より気持ちよく雪の上にスキーが浮いている。薄日が射してきて、雲の切れ間に青空が見える。ローラコーストでコースを変えてながら、さらに2本滑る。最高に気持ちいいランである。今日の雪は今シーズンはもちろん、ここ数年マンモスで一番いい雪かもしれない。

ウオールストリートを2本滑って、キャニオンロッジへ方面へ戻り、ロッジの前の8番リフトを3本滑る。かなり限界に近く足に来ているが、丁度切り上げる時間になった。

さむー、しかし今日の雪は最高である。
 

今回、出かける前には大変な嵐が来ると言われ、ミアはお姉さんが心配して何度も電話をしてきていた。でも思ったほど大変な嵐ではなかった。雪は降ったが、意外と風の強い時間が少なかった事が大きい。結果的には嵐を覚悟でマンモスに来なければこの最高の新雪は滑られなかったということである。

やがて薄日が射し、青空が。
 

帰りがけ、前回作ったコンドの鍵を佐野さん、また失くしたかとバタバタしていたが、ポケットの中の飴と思っていたのが鍵だったという、佐野さんらしい落ちをいただき帰途に付く。来るときには無かった雪がシェラネバダ山脈全体を覆っている。

 

帰りの車中、斉藤さんは眠っている。時差ぼけを直すつもりはないようである。

春眠暁を覚えず。明日は春分、もう暦の上では春である。


行きとはすっかり景色が変わった395号線。LAに近づくとローカルの山も雪化粧していた。

 

マンモスから帰って2日後、実家の父が救急車で病院に搬送されたと連絡があった。痰が取れずに呼吸困難になったのが原因であったが、元々片肺の3分の2を取ってる上に肺気腫と肺炎で肺の機能が相当弱っていて、酸素吸入をうけている。93歳になり去年くらいから記憶もあやふやになってきた父であるが、私の自由な生き方を支えてくれた一番のサポーターであり、私の人生で一番感謝しなければならない人でもある。

医者には何時急変してもおかしくないと言われている。体力の弱ったここ数年は帰国のたびにこれが最後と別れを告げ、感謝の気持ちも伝えてある。遠く異国に住む者の宿命なのかも知れないが、
親の有難さをこの歳になってしみじみと感じる。




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