夜明けの詩     2005年11月20日     小堺高志

暖冬の気配である。11月になったが、まだ暖炉の種火も付けてないし、気候は例年に比べ明らかに暖かい。このまま行くと今季の積雪量が気になるところである。寒くて湿気の多かった昨シーズンのマンモスはオープニングの前に大雪が降って私の知る限りではベスト3に入る最高のシーズンであったが、今のところ今シーズンの雪はあまり期待できそうにない。それでもマンモスのオープニングの日はすでに以前から11月10日と決まっていたので、たとえ雪に恵まれなくても人口雪でオープンする。

 

オープニングディーの前日、マンモスで約30センチの積雪があったと、嬉しい知らせが入った。今年の11月11日はベテランズ ディー、佐野さんは斉藤ちゃんとその息子ブライアンと供に前日の木曜からマンモスに行っている。金曜が仕事であった私は金曜の夕方出て、一日遅れで合流するつもりであったが、考えたら一人での長距離運転は疲れる。とりわけ金曜の夜は道路が込んでいて仕事の後の6時間の運転は酷である。そこで土曜の早朝3時半くらいに出て、8時くらいにマンモスに着くと言う予定に変更した。5時間くらい寝たら途中で眠くなることもない。

 

午前3時起床、途中で食べるため前夜に作ったおにぎりを持って3時35分にトーレンスの家を出る。マンモスまでは正確に330マイル(530キロメートル)ある。まだ真っ暗であるが道路が空いているので運転は快適である。サンタモニカまで20分、パームデールまで1時間15分と順調に進む。モハベを過ぎてまもなく、5時25分ごろから最初の太陽の光が届き、右側の山影の向こうが、かすかに明るくなって来た。やがてオレンジ色が強くなり遠方の山が黒いシルエットとなる。オレンジ色に変わった地平線の上方にはまだ紺色の空に星座が広がっている。その空が徐々に薄紺色から空色に変わり、星が塗り消されると、今日は雲ひとつない晴天であることを知らされる。

やがて山の上にまぶしい太陽が顔をだす、反対側の山肌が山頂から徐々に茜色に輝きだす。その茜色の輝きがすぐに薄れてしまうと、車は14号線を青空の下、強い太陽の光を受けながら北へ走っていた。季節はちょうど晩秋、すっかり夜が明けたシエラネバダ山脈沿いに秋の名残を探しながらのマンモスへのドライブとなる。時たま道路沿いに日に照らされた眩しいほどの黄金色の紅葉が残っており、めったに見ない朝方の風景を楽しみ、おにぎりをほおばりながら快適に走り続ける。いつもと違い、追い越す車も対向車もほとんどいない。


        

 

8時20分頃マンモスに着くと佐野さんたちは朝食中であった。今回は先に来ている斉藤ちゃんが料理を担当してくれるというので、私は食材を持って来ていない。ゲレンデのコンデションを聞くと方々に障害物が顔を出してはいるが、コースを選べば前日の降雪で、雪質は結構良いという。しかしまだ限られたリフトしか作動していないのでリフトラインは通常より長いということであった。

 

歩いていけるキャニオンロッジはまだオープンしていないので車でメインロッジに向かわなければならない。久しぶりに見るマンモスは青空の中、雪を抱いて輝いている。メインロッジ近くの道路の両側にはすでにかなりの車が止まっている。スタンピーのパーキングに車を止めてシャトルバスでメインロッジまで送ってもらう。マンモスはイントラウエスト社が数年前から経営していたが今年の夏、その75%の株を東部のスターウッド キャピタルと言う名前からして、投資会社が買い取り、経営権が移っている。投資会社がリゾート地でやろうとすることは決まっている、不動産の価値をあげて、数年で高く売り抜いて引き上げるのであろう。我々のためにどんな経営方針を出してくるのか興味のあるところであるが。メインロッジに行ってまず気づいた事はロッカーの料金が1ドルから倍の2ドルになっている事であった。今までは25セント硬貨を4個、そのまま入れていたのだが今季からはそれ用のトークン(代用硬貨)を買って入れなければならない。斉藤ちゃんがトークンを買うために20ドル紙幣を入れたら、お釣りもなく20ドル分すべてトークンで出てきた。これはコーラが飲みたくて自動販売機でコーラを一つ買おうと大きい紙幣を入れたらおつりがすべてコーラで出てきたようなものである。一度入れたお金はすべて懐に入れて出すものは何も出さないと言うことか。私の計算ではこれだけで年間50万ドルくらいの増益である。さらに今年のシーズン中の週末のリフト代は70ドルである。マッコイさんがこのスキー場を売ってしまってからマンモスの物価は年々高くなっている。今のところ我々昔からシーズンチケットを持っているものは優遇してくれていて我々はシーズンチケットを500ドルくらいで買えるようになっているがこれも何時まで続くか疑問である。新しい経営方針はこのロッカー料金が倍に変更されているのを見ただけで分かった。行く行くは一人一人のスキーヤーにスキーを運んでくれる人が付いてくれると聞いたコロラドのベールスキー場のようにするつもりであろうか。

 

ゲレンデに出るとすでに大勢のスキーヤー、スノーボーダーが長いリフトラインを作っている。しかし昨日より作動中のリフト数が増え中腹までのリフトが4本とゴンドラが山頂まで動いている。ブロードウエイのリフトで上に上がり、フェースリフトに乗り継ぐため、約200メートルの斜面をリフト乗り場に向かう。ここ数年この200メートルの斜面が初すべりの最初のターンの場となっている。フェースリフトから見るフェースの表斜面はまだ地肌が出ている。ほとんどチョイスがないが一本目はフェースの裏側を下りてみることにする。ところどころに石ころが転がっているので場所によっては気をつけて石ころをよけながら滑らなければならないが、先日降った柔らかい雪がまだ残っている。時たま隠れていたり、数が多過ぎたりで避け切れないで石に乗ってしまう。ずいぶんスキーの裏が傷ついているであろうが、今日のコンデェションではしょうがないことである。毎年のことであるが私の場合シーズン第一日目は靴が馴染んで来るまで、何でこんなに疲れるのかと思うほど足に来る。途中で足の痛さで何度か止まりながら2本滑るとかなりへろへろである。

ゴンドラで山頂まで行ってみるとコーニスの滑り出しは一部地面が出て、10センチくらいの石ころが沢山転がっている。それでも後半の3分の2は結構雪が付いている良い感じであるが其処につくまでにずいぶんスキーの裏を石ころで削ったようである。

斉藤ちゃんはスノーボーダーの息子を探しに下に降り、佐野さんは10時半を回ったらもう休もうと言う。今日は彼の好きなフットボールの好ゲームがいくつかあるそうで、ともかくテレビが見たいようである。アメリカでは土曜日はフットボールの日で朝からゲームの中継がある。佐野さんは今の季節になると東部時間に合わせた朝7時のゲームから見始めて、夜9時までフットボールを見ていても飽きないというフットボール狂である。今日から中腹にあるマッコイステーションがオープンと聞いていたのでマッコイで休もうと思ったが、まだ開いていない。暫く待って11時のオープンと同時にテレビの前の一等席を取ると、佐野さんはもう動くつもりはないようである。しかし今日は11時半からメインロッジでオープニングを祝う無料シャンペンの振舞いがある。私はいまだ飲めないし、昼食の場所はどちらでも良いが斉藤ちゃんがメインロッジで我々を探しているはずである。私が下に降りて斉藤ちゃん親子を迎えに行くことにする。なにせ今回は斉藤ちゃんの作ってくれた豪華な昼飯は佐野さんのリュックにはいっているので、食べたければ彼らもマッコイまで上がってこざるを得ない。

メインロッジまで滑り降りて彼らを探すとまずブライアンが見つかった。そしてすぐに斉藤ちゃんが我々を見つけてくれたので上に上がって昼食をしようと誘ったら、斉藤ちゃんはメインロッジにもっと良い席を確保していた。目の前にプラズマテレビが2台と普通のテレビが数台あり、いろんなゲームを見られる先シーズンはなかったスポーツバー形式の場所が新しく出来ていた。その中でも一番良い場所で、どう見てもマッコイの佐野さんの待つ席よりこちらの席のほうが良い。結局 私がマッコイステーションに佐野さんを呼びに戻ることに。「佐野さん、今回はあなたの負け、下に行こう」半信半疑で付いてきた佐野さんも斉藤ちゃんの確保した場所をみて納得したようである。

持ってきたカリフォルニア巻きとサーモンスキン巻きの豪華な昼食を食べていると嘉藤さんが日本から来ておられるお母様とサンタバーバラからの知り合いの夫婦を案内してちょうど今、着いたところだと顔を出して紹介された。サンタバーバラ経由でマンモスまでは直接来るより3時間は余計に運転して来ているから約9時間の運転は疲れているであろう、嘉藤さんは今日は滑らないという。

午後からフットボール中継に夢中で動かない佐野さんを置いて斉藤ちゃんと何本か滑る。少しずつ足が靴に慣れて来たがまだ痛い。初すべりは一生懸命滑るためのスキーではない、これからのシーズンに備えて雪山で良い空気が吸えて足慣らしが出来れば満足である。

早めにスキーを切り上げてシャモニーにもどり久しぶりにジャグジーに行ってみると、今期からシャモニーのコンドもかなり変わっていた。まず住み込みのマネージャーが居なくなり、マネージメント会社に普段の管理を任せるようにシステムが変わり、管理棟にあるリクレーション ルーム、サウナ、トイレも模様変えされ綺麗になっている。なぜか女性トイレと男性トイレの場所が昨シーズンと入れ替わっている。危なく間違えるところであった。今日はあまり客が居ないから良いが、絶対に間違える人が出てくると思う。これはわざと間違える人も居るかもしれないぞ。

       

翌日、斉藤ちゃんの親子は滑らないで帰るというので、朝から豪華に豚汁と刺身の朝食を食べて佐野さんとゲレンデに向かう。今日、夕方 私は子猫をもらいに行く予定があるので我々も、11時にはマンモスを発たなければならない。がむしゃらに滑ることない、佐野さんも「今日は3本も滑れば良いか」と言っている。

昨日と比べ今日はリフトラインも短い。フェースの裏側がまずまずのコンデェションである。少し私の好きなバンプが出来ていて、靴の締め付けからの痛みもなくなって来て、少し斜面を攻められるようになってきた。シーズン初めはともかくスキーの真上に乗ることを心がけ、使わなかった筋肉を慣らし行くことである。今季はあまりトレーニングをしていないが、シーズン前にどんなにトレーニングをしても実際にゲレンデに出て筋肉を使うと最初の2日間は筋肉痛が残る。

3本滑って佐野さんは「わしはもう良いよ」と言うが、時間を見たらまだ9時40分である。「ちょっと早いからもう一本付き合ってよ」と付き合わせる。もう帰るつもりでいたら斜面 途中で嘉藤さんと会う。昨日紹介された鈴木さん夫妻と一緒である。鈴木さんは日本からの人であるがサンタバーバラに家を持っていると聞いた。かなり年配の方なので、すでに退職され優雅に暮らしておられる方とお見受けした。嘉藤さんのお母様は高山病で休んでいるという。マンモスは麓でも2千メートル以上あるので年齢にかかわらず高度になれない人は高山病が出ることがある。私も20数年前一度出たことがあるが、脈拍が普段の倍くらい異状に速くなり、呼吸が息苦しく短くなる。高度の低いところに降りたらすぐに治るそうであるが、そのままだと軽いものでも、2日くらいこの症状が続くようであるが、その後 私は一度も出ていない。

そこで私がいつも始めて会った方に言う一言「一本ご一緒しましょうか?」佐野さんはすでに一本余計に私に付き合って、滑り終えたつもりがもう一本増えたので、またまたしょうがないと言う顔をしている。でも佐野さん今年は膝の具合は良いそうであるから肉体的には問題ないはずである。一緒にフェースリフトに戻り裏側に下りる。鈴木さんご夫妻も無理のない滑りで降りてくる。年配になっても夫婦で滑られるというのは、大概どちらかがスキーに付き合わなくなってくるケースが多いのでスキーヤーとしては見ていてうらやましくもある。皆さんに挨拶をして、我々は帰路につくことにする。

 

原ちゃんは一ヶ月くらい前に腰のヘルニアの手術を受けた。長年腰痛に苦しんでいたので、これがうまくいけばスキーでも格段の体力、進歩を見せて貰えるはずであるが、先日縫った所がほころびて来て再度縫合手術をしたそうである。腰痛の方は良くなっている様で傷口の縫い直しのようであるが、お針子さんに上手い下手があるように外科医にも絶対に上手い下手があるはずである。技術的なことを言えば、外科医より毎日裁縫をしているお針子さんの方が縫う事に関しては遥かに上手いのかも知れない。腕の良い外科医に当たるか当たらないかは、かなり運によると思う。

そういう私は12月12日に私の喉の病気の根源と思われる胃液が喉に上がるのを防ぐ“ファンダプリケーション”という横隔膜の上に上がっている胃の入り口を下に下げて固定する腹腔鏡を使った手術を受ける。2週間の自宅療養と言われており、マンモスに戻れるのは1月の後半になるかと思うが、今までの喉のときとは違うドクターなので上手く行ってくれることを祈る。この手術で今後、完全に喉の病気からも開放されるのであればそれはまさに私にとって健康面での夜明けであり、夜明けが見えてきた今、その先には明るい太陽と眩しい雪山が待っているはずである。

帰りにビショップで佐野さんお勧めのガレン ロウエルという人のギヤラリーに寄ってみた。登山家であり写真家であるガレンは3年ほど前に奥さんと共に飛行機事故でなくなった。彼が世界中で撮った写真は美しかった。ほとんどが自然を撮ったものだが、中に岩山の上にちょうど出た満月の中に両手を挙げて立つ彼の姿を、奥さんが撮ったと思われる写真があった。それは彼の自然に対する思いを凝縮したような印象的な写真であった。満月の向こうには常に夜明けと自然の恵み太陽の暖かさがあるのである。