スキーとスノーボード         小堺高志  FILE#1-19-02

慌ただしい師走であった。 12月8日に永年私のアシスタントであった、かのこさんが亡くなり。新しいアシスタント美保さんが入社し、やっと落ち着いてスキーに行けるようになったかと思った12月28日には佐野さんのお母さんが亡くなり、急遽29日に佐野さんは日本に発ち、年末をマンモスで過ごす予定をしていた私達は佐野さん抜きで28日から元旦までマンモスに行くこととなった。メンバーは原ちゃんと、名前だけはかねがね聞いていた彼の友達浜ちゃんと13歳の少年2人。

今回から私は新兵器のニュー・スキーを持って来ていた。ドイツのスキーメーカー VOLKLが造るMOTIONシリーズの上級モデルP50 MOTION MOTIONシステムは昨シーズンから話題になっている数メーカーが出しているスキーとバインディングが一体になったスキーのひとつであり、今までのようにスキーと金具を別々に買うという概念を破ったスキーである。スキーとバインディングを一体の物として設計することで、軽く、操作性を高め、足の動きを最大限スキーに伝えるように造られている。デモを乗らずに買ったが、スキーショップとスキーマガジンが勧めるスキーである。

それと今シーズン初めに買ったロシニオールのソフトブーツ、これもスキーブーツの今期の目玉であり、前面に従来ない柔らかい素材をつかったスキーブーツである。この二つで鬼に金棒、アル・カーイダにスティンガーミサイルである。(時節がら例えが悪いが、要はこれを持ったらさらにパワーアップという意味である)

今のシーズンのマンモスは雪に恵まれ、ここ 10年で今のところ一番積雪が多いと言われている。今回も着いた夜からが雪が降っており、予報によればこの4日間ずっと雪になりそうである。荷物を出して持ち寄ったアルコール類を数えれば缶ビールが62個もある。その他ウイスキー1本、日本酒8合、「誰がこんなに飲むんだい!」

一緒に行った浜ちゃんの子供とその友達はスノーボーダーである。このところスキーでなくスノーボードを始める子供が圧倒的に多い。すでにマンモスでもスノーボーダーが大勢を占めているように思う。この割合が将来的にどこまで変わっていくのかは判らないが、スキー派としてはスキーのほうが奥深く、冬季オリンピックでも競技としてはスキーがメインであることは今後も変わらないと思うのである。

初日、スノーボーダーの子供達を連れて16番リフトで中腹まで上がる。そこからミルカフェの方向へむかって初心者コースを降り始めるが、2回目だというスノーボーダー達はなかなか思う方向へ進めない。スキーヤーなら辛抱強く待ってあげ教えてあげる私も、ついに途中で「はい、下に降りたら解散、君達は自主練習」と言ってしまった。

雪質はマンモスとしては湿って重く、新潟の雪を思わせる。今朝はグルームしてない斜面が多く、深い重い雪はターンのきっかけをつかみ難く、スキーヤーにとりかなり高度なテクニックを要求される。原ちゃんの苦手とするところでもあるが、私のニュースキーはこんな雪質でもかなり良い、4日間乗った感想としては操縦性がオールマウンテン用のスキーとしてはザ・ベストにかなり近いスキーと言えそうである。エッジのグリップも良く、スパッと曲がっていく感じである。辛口評価をあえていえばアグレシブで速く、斜面によっては意識的にエッジでしっかり抑えていかないとスピードに付いて行くのが大変である。

少年達は夕方にはずいぶん上達していて、驚かされた。

 

今年最後のスキーのはずの12月3 1日には何をとち狂ったか原ちゃんが浜ちゃんとスノーボードに挑戦すると言い出した。朝私だけひと滑りして、スノーボードをレンタルして8番リフトのコースで練習しているはずの彼らのもとに行くと、思ったとおり、未だに緩斜面の中腹をばったばったと七転八起か八転七起か、転がりながら降りてくる原ちゃんがいた。その姿を写真に収めて、「はい、解散、自主練習」と二人を残して、子供達を連れて別コースへ。子供達の上達は著しく、私は幾分でこぼこになった中級者コースをニュースキーの感触を楽しみながら、人の3倍くらい細かなショートターンで降りていって振り返って彼らを待つ。すでに待ってあげているという感じでなくなり振り返れば大概彼らはすぐ後ろについて来ていた。彼らは短期間に中級者コースでは十分に私に付いて来られるようになっていた。この習得の早さがスノーボードがもてはやされ、スキーが初心者に敬遠される理由かもしれない。

初めてスノーボードを履くと両足を固定されるので、ちょっとバランスを崩すと転倒する。しかもスキーのようにストックを持たないためバランスを崩したら初心者にとりふんばり様がなく転倒するのみである。この両足を固定されるという非日常的な不安定さから来る恐さを 1−2日で克服したら、その後は上達が早い。スノーボードは幅が広いため体重の乗っているひとつのエッジをコントロールする事を考えればよく、エッジからエッジへの切り替えが体重の移動だけで出来てしまう。そのためスノーボードは滑る時の上下運動がほとんど無く、体力的にも楽である。スキーは最近カーブ・スキーと呼ばれる、頭とテール部分が幅広く、ウエストの細いスキーが主流となり曲がりに入るきっかけが取りやすくなったとは言い、モーグルやショートターンの場合などスキーを回しこむためにかなりの足の曲げ伸ばしがあり、これがそうとうな脚力を要求されるのである。さらにスキーヤーのあこがれ新雪を滑るにはスキーのインとアウト4本のエッジをある程度自由自在にコントロール出来る上級者でなければ無理である。そうなるには一般スキーヤーは10数年かかるであろう。一方スノーボーダーはグルームされていようが新雪であろうが雪と接する面が広く、浮力があるから関係ない、どんな雪質も同じテクニックで滑れてしまう。少年達を見ていると一般スキーヤーが4シーズンかからないと降りてこられない斜面を4日目で降りてこられるようになるという、スキーヤーにとり羨ましくも恐ろしい結果をみることとなったのである。

 

夕方、原ちゃんが「ターンが出来るようになったから見てください」なるほど、まだまだぎこちないが一日でここまでこられたら後もう2−3日スノーボードをやったらかなり普通に滑れるようになると思う。スノーボードの場合2−3日目がスキーと違って大きく進歩する時期だと少年達を見て思った。原ちゃんは今後スキーヤーをやめてスノーボーダーとなってしまうのか?この間まで「スノーボーダーはゲレンデの真中に座り込むわ、リフトラインに割り込むわ、まったくクラスがない」と言っていたはずの我々の仲間から裏切り者が出ようとは、「我々基本的にはスノーボーダーとはスキーに来ないからね」と、脅しておこう。

あんなにあったビールが三日目には冷蔵庫から、すでにほぼなくなっていたのである。単純計算をすればビールは3名 X 2日間 X 10缶=60缶で毎日10缶ずつ飲んでいたらわずか約2日間でなくなる計算だったのである。しかし3日目にはウイスキーも日本酒もなくなったのは予想外であった。それでも運動をしていたせいか二日酔いなし、我ながら感心するも、一人で飲んだわけではない。なにせビール党の原ちゃんはビール缶を半ダースほどバックパックに入れてスキーに望む。休憩のたびにビールが出てくる、勧められれば断れない私、今回のメンバーではハードなスキーはないので休んでは飲み、飲んでは滑るスキーヤーであった…・と反省。

牡蠣鍋を食べ眠くなった頃、夢の中で2002年の新年を迎えた。

10日後の1月 11日、日本から戻った佐野さんと原ちゃんの3人でマンモスに向かう。毎回夕飯はモハベあたりのファストフードで取ることが多いが、モハベのファーストフード店はほとんど行き尽くしたと思っていたが注意深く見ればまだ行っていないチェーン店でないお店があった。

そのバーガーショップに入るとメニューの多さに驚かされ、出てきたボリュームに圧倒される。一人前が大きな皿に山盛り、この類の事にはなかなか驚かない私が驚く量であるから冗談でなく3人前くらいあると思われた。ハラペーニョ(チリ・ペッパーの酢漬け)やサルサ(メキシカン・ソース)が取り放題。そこで食べたハラペーニョがいけなかった。その辛さで胸焼けし、以降食欲と飲酒意欲を無くしてしまった。

1月3日以来積雪が無く、暖かい気温のため昼間融けた雪が夜間に凍り、朝のゲレンデの雪質はかなり硬い。私のニュースキーはこんなコンデションでも良く雪面に食い込んでくれる。午後、佐野さんに私のスキーを貸してあげ、試乗してみてもらう。靴のサイズが違うので一本滑っただけであったが。靴もスキーもかなり気に入った様子。一方佐野さんのスキーを履いた私はエッジをシャープにチューンナップするようにアドバイス。とりわけ今回の雪質ではエッジが減っているとシャープなターンは難しい。私のソフト・スキー靴の素材の柔らかさが心地よいと言う。運動靴のようなスノーボード・ブーツは、いつまで履いていても疲れない、そんなスキー靴が出来ないものかと思っていたが、この靴は柔らかいため、かなり理想に近い。

夕飯は寄せ鍋で、材料は持って来ていたが、佐野さんが日本から持ってきた金山寺味噌で「もろきゅうりを食べたい」とかで、私が料理をしている間に彼らが買い物に。日本のキューリはないと思うから、ヨーロピアン・キュウカンバンを買って来てくれる様頼む。「ヨーロピアン・キュウカンバンって分る?」「なんとなく」「ズキーニを買ってこないでね」

「…・・」

寄せ鍋ももろキュウもうまかったが、私はビールが進まない。

前々回からコンドに置いてある携帯用の魔法瓶が見当たらなかったが、絶対に原ちゃんのバックパックに入っていると思い、原ちゃんにバックの中を調べてくれる様頼んでいたが、答えは「ありませんでした」。それが前回、魔法瓶を持って来て曰く「やっぱりバックパックに入ってました」。と、なんだそれは、絶対にあると思える場所まで特定して聞いていたのに!最近我我の間で歳のせいとは思えないが、ロッカーの鍵をなくした、コンドの鍵をなくした等々の物忘れ事件が起こり、その都度誰がなくしたか話題になってきたが、ここははっきりと原ちゃんのクレジットにつけておこう。原ちゃんが「佐野さんには黙っていて」というので、今回喉元が痒くなるほど我慢していたが、ここに書いてしまった。「原ちゃん、私は言わないとはいったが書かないとは言わなかったよ………」ハッハッハッ。

 

スキーヤーとスノーボーダーは今どちらが多いのか?リフトの上からスキーヤーとスノーボーダーの比率を数えてみることにした、スタンピーアレイの斜面で数えた結果はスキーヤーの方が少し多かった。斜面にもよるし、今回普通の週末なので若い人が少ないように感じているのでそのせいもあるかもしれないが、マンモスでは五分五分というところか? これがロス周辺ローカルのスキー場となったら、完全に6対4くらいでスノーボーダーのほうが多いであろう。

日曜は昼まで滑ってロスに帰るので時間的には3時間くらいしかない。高度の高い方が雪質が良いので主に上方の斜面を滑ることとなった。とうぜん最もむずかしいダブルブラックダイヤモンドの急斜面がほとんどであるが、エッジの効く雪でスピードがコントロールし易く、どうと言うことはない。バンプ斜面はスノーボーダーには滑り難いようで、挑戦するスノーボーダーは少なくなる 、急斜面でバンプがあるとさらにスノーボーダーは少なくなる。

 

前回絶好調であった私もハラペーニヨ以来、今回はビールが進まなかった。帰りがけに冷蔵庫をみればビールが大量に残っている。これでまた私のビール消費に関し、仲間内であらぬ噂がたつのであろう。私が飲まなかったので冷蔵庫が空かなかった、私が飲むと冷蔵庫を空ける、、、等々。これは所詮あらぬ噂であるから信用しないで頂きたい。だいたい私は山にはスキーに来るのであり二日酔いするほど飲まない。

今日は1月19日、今週末は家にいる。ここまでは文句のつけようのないスキー・シーズンであるが、一番降らなければならないここ2週間ほどローカルとマンモスに一度も雪が降っていないのが気になる。1月2 1日に休みの取れた佐野さん、原ちゃん、斎藤ちゃんは新雪を求め3人で来月から冬季オリンピックの開催地となるユタ州のソルト・レーク・シティーに発ってしまった。スキー三昧の私とはいい、家庭を持つ身、今回は見送る人となったのである。

私がいなくて大丈夫かなーと家で彼らをあんずる。雪道の運転は大丈夫であろうかとか、ビールやワインが残らないであろうかなどなど。無事に楽しんで来てくれることを祈りながらも今度は私も行けるといいなとちょっと羨ましく思うのであった。