スキーを楽しむ      小堺 高志 2011年2月7日 

 

佐野さんの捻挫も治り、去年のクリスマス以来 久しぶりの肝臓に悪そうなオリジナルメンバーでのマンモス行きである。

 

前回仮病(仮捻挫)の原ちゃんと、菊地の伸ちゃんが参加する。今週末の日曜はアメリカンフットボールのチャンピオンを決めるスーパーボールがあるので佐野さん、原ちゃんはまたスキーには気合が入らないのであろうが、肝臓機能の数値も良いし、楽しく、無理せず過ごせればいい。

 

佐野さんの所に7時ごろ集合。

UCLAの近くウエストウッドに最近出来たという天領庵という食堂に寄って出発前の夕食をとることにする。お店は金曜の夜ということもあり、結構混んでいる。ここはビール・ワインの持込の出来るお店なので先ほど買って来たビールを飲んで待つがなかなか料理が出てこない。最初に原ちゃんのラーメンがでて、原ちゃんが食べ終わってもまだ出てこない。やっと私と佐野さんが頼んださんま焼き定食が出て来たが一食分しかない。この期に及んで「すいません、さんま定食が一人分しかないので、さば定食ならすぐに出来ますが?」とおっしゃる。しょうがないから私がさば定食に変えて、また待つことしばし。
 

ここは学生街なので左隣は11人の中国人留学生の団体、右隣は日本人の研究者らしい3人組み、この3人、ワインを持ち込んでいるが、まだほとんど空いていないのに3人とも顔が真っ赤で進まない。飲むのを助けてあげたくなるのであるが、見知らぬ人で、そうはいかないがワインの減り方が気になるのである。最近多いという草食系の男の飲み方か?もっと豪快に飲まんかい!といいたくなる。

1980年代のバブルの頃はの東洋系留学生といえばほとんどが日本人であり中国系はいても中国からの留学生などほとんどいなかった。それが2000年代ごろから日本人の留学生は減り、中国人が急速に増えた。80年代のような向上心のある日本人はもうほとんどいない。最近の若者は海外志向がなく留学も、海外旅行も、、海外赴任も感心のない人たちがほとんどなのだと聞いた。80年代の留学経験のある経営者が社内の公用語を国際的に英語にしようと言っても付いていける人が少ない。向上心、好奇心のないところに進歩はない。これでは将来の日本の国力は落ちていくばかりであろう。ワインが豪快に飲めなくとも研究の為に留学している彼らは数少ない向学心ある若者なのである。

 

さて、テーブルを引っ繰り返そうかという頃、やっとさば焼き定食が出てきて来た。食べ終わったのは9時に近かった。マンモスに向かう時間としてはかなり遅い。それでも道路は比較的流れていて、満天の星空の下、マンモスに着いたのは真夜中1時40分であった。先に着いた伸ちゃんがビールを飲みながら待っていた。

豪快に飲む我々は、早くもワインを空けて、寝たのは3時過ぎであった。


隣の席でワインを持て余す客達と、中国人留学生達、待ちくたびれてやっと食事中の佐野さん、私のさば定食はまだかい?

 
先に着いていた伸ちゃんと、台所で焼酎のお湯割を作る原ちゃん。

翌朝8時半起床。

今日はビール、ワイン、焼酎のお湯割と万全の構えでスキー(?)に臨む。

滑り出したのは10時を回っていたが、雪が柔らかくなっている25番を滑り、久にぶりの9番リフトに乗ってみる。いつもは空いている9番リフトに予想外の長いリフトラインがあった。

 

9番リフトの下は以前は林の中を滑るコースであったが、だいぶコースが整備され人工の手が加えられ、一部は良いコースになっていた。滑り出しは急で雪が付いていなくて良くなかったが、ここはマンモスで一番長い斜面である。先週末に30cm降った雪がかろうじて良いコンデションを保っていて、コースの後半は充分に楽しめた。

今日の山頂は風があるので下部のグルームされたコースを中心に滑る。



8番リフトから9番フィルとに向かう

マンモスで一番長い9番リフト
 

昼休みにマッコイにいくと腰痛のため遅れて出てきた原ちゃんが到着していた。今日は何処も彼処も混んでいる。マッコイステーションもランチタイムでいっぱいである。原ちゃんが確保してくれていたテーブルに座り、夕べからの宴会の続きである。

マッコイステーションでの全員そろっての昼休みに参加して、飲むだけ飲んで一日の勤めを終えた原ちゃんはシャモニーへと引き揚げていく。

スキーの楽しみはスキーだけではない。気の置けない仲間とのこんな時間も楽しみの一部である。


最近,打ち首寸前の落武者ざんばら髪をやめ,すっきりと短く、髪型を変えた偽ロシア人ハラショースキー。むさくるしい男の隣にみた、可愛い耳を付けた女の子。

今回は佐野さんの体調が良くほとんど休む事無く一緒に滑れるのは嬉しい事である。関節炎、リユーマチ、捻挫と暫らく絶好調のなかった佐野さんである。あまり飛ばしすぎると後が怖い。

 

5番のリフトから瘤のあるウエストボールを通って一番下のスタンピーのリフト乗り場まで休みなく一気に滑ってみようという事になった。大体がウエストボールの瘤斜面を休みなく一気に滑った事もないのである。条件は「ともかく停まらないで滑る事」で、スローダウンしても前に進んでいれば良いと言うことである。それならばやれそうである。

 

5番リフトを下りて一斉に滑り出すが、一番疲れる所が勾配があり瘤のあるウエストボールである。体力を温存しながら瘤の少ないところを選び、時には大回りに滑る。大回りで休みながら二人の様子を伺うと、感心なことに、佐野さんは右側の瘤の多い方に行っている。伸ちゃんはすでに一回休んで停まっているし、イヒヒこれは楽勝である。

 

ウエストボールを抜けたら滑り易い緩斜面になる。右後方に佐野さんを確認しながらスピードに乗って滑り降りる。先に着いてリフト乗り場で二人を待つと、佐野さんが追い付いて来て驚いている。佐野さんは私が後ろにいるものと思っていたようである。

 

佐野さんは久しぶりのスキーらしいスキーをしたと満足そうで、キャニオンロッジへと引き揚げることにする。今日のお薦めコースである5番リフトの裏斜面の広いゴッドヒルを滑って8番に抜けキャニオンロッジに戻るつもりであるが、途中から左、左へと行かなければならないところを私は二人を見失い、イーグルの方に下りてしまい、イーグルリフトで引き返し、8番に抜ける事となった。

最後にレッドウイングの瘤斜面を気持ちよく滑ってキャニオンロッジで二人に合流する。

お疲れ様でした、なかなか良いスキーが出来た満足の一日でした。



コニースの上部は突風が吹いている、マンモスのマスコット、スキーを履いたウーリィーをゲット、中にスキーが上手い人が入っていてすいすいと滑っていく。アッパードライクリークと、瘤で苦戦中の佐野さん。


5番リフトから裏のコッドヒルの広い斜面へ。そして私はイーグルのリフトで戻らなければならなくなった。
 

1時間ほど夕食の用意をして、ジャグジーに行く。今日は豚肉のイタリアンオリーブオイル野菜炒めと、下ごしらえをして持ってきたヒラメの味噌漬け焼きである。ワインを飲みながら絶好調の佐野さんが明日は6時に起きて8時から滑り出すと張り切っている。これで今回のエッセイの題は決まった 『復活』である。



ベランダの外を除雪して光りが入るようにする。
 

翌朝、6時半に起きてハムエッグの朝食の用意をして皆が起きるのを待つ。6時起床はどうしたのか、なかなか起きてこない皆さん。7時半、ついに強制起床。

佐野さんは「今日は筋肉痛で体が痛いから滑らない」という。おいおい、昨日の勢いは何処に?題名変更しなくちゃ。『怠慢』?

 

伸ちゃんとゲレンデに出る。今日はアメリカンフットボールのチャンピオンを決めるスーパーボールがある日なのでフットボールフアンの佐野さん原ちゃんは3時半からの試合を観る為、マンモスを11時前には出たいそうで、今朝は滑れる時間は1時間半くらいである。

 

昨日と違ってゲレンデはガラガラ。いい天気である。朝のうちは雪が堅いのでグルームしてあるコースを滑る。まずは雪質を見るためローラコーストを滑ってみると、これが大当たり。柔らかいグルームで気持ちよく一気に滑り降りながら思わず笑顔。

続いてキャニオンロッジへ一度下りて、5番に行き3本滑る。ここもいい感じのグルームがされている。右へ左へと大きなターンからショートターンへガラガラの広いゲレンデを好きなように使って気持ちよく自由滑降する。

 

今日は気持ちよく滑る事をテーマにイージースキーに徹するが、ほとんど停まる事無く一気下りであるから、それなりに満足感があり、アドレナリンが出る。

5番の山頂からローラコースターのリフト乗り場までは結構な長さがあるコースである。アクトのモーグル斜面は瘤が深く、今日初めてコース途中で止まった。また最後にローラコーストを気持ちよく滑って、上がることにする。



がらがらのグルームされたゲレンデと、5番リフトからマンモスの山頂を仰ぐ。 

11時前に春のような穏やかな日差しの中、マンモスを後にする。

世界中で異常気象のニュースが報じられ、電話で話したシカゴのお客さんは先週は車が動かず出勤できない人が多かったと言っていた。12月にマンモスは記録破りの月間209インチ(5m31cm)の大雪を記録したが、春の訪れは意外に早いのかもしれない。
帰り道、春のような気候の中、パームデールからローカルの雪山が見える。
マンモスは来月まで来れないので、またローカルのスキー場でも滑ってみようかな



帰路の風景、ビショップからのシエラネバダ山脈、パームデールからのローカルの雪山を北から見た風景と、南のエルエー側から見た風景

 



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