モーグル軍団      小堺 高志     2009年5月27日

 

日米協会の主催のある会合に出席する機会があった。ゲストスピーカーとして、井原ロスアンジェルス総領事がいらしていた。本物の外交官と同席するのは初めてであったが、その見識と存在感に関心させられた。ロスアンジェルスの総領事というポジションは将来、駐米大使などのポジションに続く外務省のエリートコースである。また外交官は日本の政府を代表して日本の政治、経済、文化はもちろん、エコ問題から世界情勢にまで精通していなければならない。

今回、連邦政府や州政府の関係者も来ていたが伊原総領事の存在感は卓越しており、まさにエリート中のエリートであった。こういう人を見てるとやはり官僚の退職制度がある限り、優秀な人材を国の中核に集めるためには天下りなど退職後の旨みあるいはそれに変わる優遇策があってもいいのかなとも思うのです。

 

さて5月最後の週末はメモリアル ホリデーで3連休となる。そしてマンモスではまだスキーシーズンが続いている。今回、1年ぶりに私、佐野さん、原ちゃんが揃う、それに斉藤()さんが加わり、楽しいスキーになりそうである。

 

原ちゃんと斉藤さんは二人で斉藤さんの車で夜10時ごろエルエーを出てくるというので、私は佐野さんと6時ごろサンタモニカを出発する。佐野さんは2月から痛風に悩まされ、ずっとスキーに来られなかった。何時もなら痛風の痛みは1―2週間で退く。しかし今回は薬を飲み、食べ物に注意してもなかなか痛みがとれない。医者に行って血液検査を受けたところ痛風の原因になる尿酸はほとんど出ていなくて、関節炎の可能性が強いと言われ、関節炎の薬を処方してもらったところかなり好転したようである。

 

3連休の金曜日、郊外に抜けるまでは道路が混んでいる。

それにしても郊外にキャンピングに向かうアメリカ人はボート、自転車、オートバイ、家具、などなど、引越しをするのかと思うほどの大量の荷物を積んでいる。何せ去年目撃したジャグジー(屋外お風呂)まで持ってくる人がいるのだから。まだ何となく不況感の漂うご時世では連休には近場でバーべキューかキャンピングー!が一番経済的な休日の過ごし方かもしれない。どちらも食費の実費とガソリン代しか掛からない。昨今、お金がかかるのは無駄な買い物と必要以上の贅沢であるが、スキーに必要な出費は抑えない。

 

今週末は土曜日は快晴、日、月曜は時たま雷雨という予報である。夜中の12時ごろ着いて、寝ていると明け方に突然の雷音。目を覚ますと横にヘルメットを被って寝ている人が「鉄のヘルメットは雷の中、危ないですよ」と言おうとしたら、斉藤さんの見慣れた中途半端なスキンヘッドで、雷は斉藤さんのいびきであった。そういえば夜中の3時くらいに二人が着いたような覚えがある。

 

朝8時半ゲレンデに、向かう。爽やかな天候である。

午後からは私と斉藤さんがスキー班、佐野さん、原ちゃんは釣り班と、分かれるので車2台で行く。佐野さんは久しぶりのスキーなので様子を見ながらのスキーである。以前より良いが、まだ足首が腫れていて痛そうである。原ちゃんはまだ手術後の回復期で腰痛を抱え、今回の釣り班とはイコール障害をもったリハビリ班でもある。



ゲレンデへ出発、マッコイで休むお三方、フェースリフトとウエストボールのモーグル斜面、まだ雪は沢山ある。
 

今の時期、アメリカで開いているスキー場は他にないと思う。雪があっても客が集まらなければスキー場はしまる。スタンピーアレーを下りると、夜間の冷気で硬く凍っていた雪が陽に照らされ柔らかくなりかけている。この状態でのスキーは結構好きである。いま開いているゲレンデはマンモススキー場全体の4分の1くらいである、そして連休が終わるとこのスタンピーアレーのコースも閉まって、メインロッジからのアクセスだけになるが、6月15日までの営業が決まっている。

 

佐野さんと原ちゃんが遅れ気味である。先に行ってと言うので、斉藤さんと滑る。10時にはすでに皆さん休憩中であったので私も加わる。中腹にあるマッコイステーションからゲレンデを見ていると目の前のウエストボールのモーグル斜面にそろそろモーグラーが出てきた。3人に乗せられて私だけ様子を見に行く事になった。ウエストボールは前回同様、かなり深い溝が出来ている。しかし前回の教訓でイメージトレーニングは出来ていたので、まだ疲れていない今のうちのモーグルは結構自信がある。

リズムに乗れば深い凸凹でも何とかいける。最初の滑り出しが肝心である。最初はゆっくりスピードをコントロールしながら。段々とリズムが速くなるがそれ以上速くならないように何処かで制動をかけなければならない。スキーの前部に体重を乗せ、雪面を押し返すように心掛けるが、まだまだである。何とかスキーの速さに付いて行くのでいっぱいいっぱいであるが朝のうちは身体が動く。

 

このモーグルコースをある程度軌道をはずさないジップライン(ジッパーのように真っ直ぐ)で滑る事が出来たらから大したものである。マッコイステーションで私の滑りを見ていた3人の所に戻ったら、良かったよと言ってくれた。コースの半分くらいまで休まず、軌道から外れずにこのコースを滑れた満足感は高い。

その後全員で2度ほどウエストボールのモーグルコースを滑る。原ちゃんが短い距離であるが、頑張って久しぶりにモーグルを診せてくれた。原ちゃん、なかなかいいんじゃないかい、でもまだ無理をしないようにね。釣り班は11時前に上がっり釣りに行った。


モーグル斜面への入り口、久しぶりに足を庇いながらの佐野さんと斉藤さんの勇姿

 

ウエストボールのモーグル斜面に出るには中腹にあるマッコイステーションの目の前のフェースリフトで上がる。リフトを下りて正面の斜面に自然に出来た瘤を滑りながら左へ左へと行くとウエストボールに出る。ボールというくらいだから元々はいくぶん谷になったところに雪が吹き込んだ場所である。真ん中に深く刻まれたモーグルコースが出来ていて、その周りも瘤(バンプ)だらけの斜面である。滑り出だしは少し緩い斜面から始まり、中腹で少し急になり 深いバンプになる、後半はまた少しずつなだらかになりながら斜面が終わる。

 

リフト乗り場で比叡さんと会う。斉藤さんは何度か会っていて知っているスキーヤーである。私は見かけた事はあるが、正式に挨拶をしたことがなかった。この人40代で100日マンモスで滑っていると言うスキー三昧を地で行く人である。競技スキーやスキーを職業にしている人以外で年間100日滑っている人はほとんどいない。半年マンモスで滑って後の半年は日本でトラックドライバーをして資金を貯め、冬はマンモスで滑るという暮らしをこの10年ほどしているそうである。スキーの面白さにはまったのは30歳になってからというから、たいしたはまりようである。100日滑って、靴墨を塗った位真っ黒な顔をしている。

一緒に何本かモーグルを滑る。彼もかなり上手いがここには何人か凄いモーグラーがいる。時たま見かけるモーグル軍団を率い、コーチをしてる凄い人がいる。只者ではないキャリアを持っている人と見受けるが、この斜面を凄いスピードですっ飛んで行く。まったくレベルの違う人である。

 

腰が痛くなってきた、脚も痙攣を起こしそうである、斉藤さんと1時にあがる。やっぱりモーグルが上手くなるには体力とパンプに挑戦する回数である。私は何時もまだ疲れていないその日の一本目が一番良い様である。明日また頑張ってみよう。


真っ黒に日焼けした比叡さんとモーグル軍団、そして手ごわいモーグルコース
 

今日は斉藤さんが食事当番をやってくれると言うので任せて、私はビールを飲んでうたた寝である。食事の用意ができ、斉藤さんとジャグジーに行って戻っても釣り班が帰ってこない。普通あの二人が戻らないのは釣れないからである。どんな言い訳をするのか聞いてみたい。

予測が当たり、8時5分前に戻った二人は魚の代わりにビールとワインを買って持ってきたが、私のきつい一言「はい、横井正一さんは帰ってきた時なんて言ったんですか?」、「恥ずかしながら、帰って参りましたでしょう〜!」横井さんにはちゃんとした理由があったが、魚釣りは釣れなくとも夕飯に間に合うように帰ってきて欲しいと苦情。

 

そういう訳で今日は予定していたトラウト(鱒)料理は無かったが斉藤さんの中華料理が2品。

鱒に酒を飲ますと鮭(さけ)になると言い張る斉藤さん。そして鱒に飲ませた酒は枡酒となるそうな。相変わらずのオヤジギャグであるが感心するのは次から次へと出ること出ること。

 

日曜は5時半には皆起きてしまった。佐野さんと原ちゃんは今日はスキーをやらず、釣りに行くという。スキー場は今の季節は朝7時半にリフトが動き始め、2時に終了する。

10時にならなければ雪が硬くて滑れないと言っているのに、なぜか一人張り切る斉藤さん。 「早く行かないと、駐車スペースがなくなりますから」などと早々と準備をして急かせるので、ついつい私も言われるままに準備し、7時前に連れだされた。

7時15分にはガラガラのスタンピーの駐車場に着き、「あれ、まだリフト動いていませんね」などとおっしゃる斉藤さん。当たり前である。リフトは7時半からと言っているのに、「7時といいませんでした?」などとおっしゃる。7時半に動き始めたリフトにのって、1本下りてみるが、がちがちに凍った斜面はエッジもまったく効かず面白くもなんともない。「まだ凍ってて、硬いですね」などとおっしゃる。当たり前である、少なくともモーグル斜面は10時にならなければ雪が硬くて滑れないと昨日からいっている。「でもポジショニングの練習にはなるでしょう」などともおっしゃる。


朝早うからゲレンデにむかう、ちょっと早く着きすぎでしょう。リフトラインに美しい蝶が2匹

2本滑って私は唯一開いているメインロッジで時間待ちしますと斉藤さんと別れてメインロッジに入る。メインロッジの暖炉の前にはソファーが2つ置いてあり、ここがスキー場で唯一、横になって休めるスポットである。ココアを買って横になり、うたた寝をしながら9時半まで時間を過ごす。朝早くからすっかり斉藤さんに引っ張り回されてしまった。

モーグルの斜面に出てみると、だいぶ柔らかくなっているが、もう少しである。刻まれたコース以外はすでにスキーヤーが滑っているので柔らかくなっている。斉藤さんと合流し、滑っていると、やがてモーグル軍団が出てきて横滑りをしながらモーグルコースの整備を始めたので私も手伝う。このモーグル軍団には10歳の女の子が一人いる。リーダーからモーグルのエリート教育を受けていて、凄くうまい。この歳でこれだけ滑れる子はまずいないだろうから、このまま伸びたら、8年後にはオリンピック候補になるだろう。

 

大きな瘤であるがリズムに乗ると気持ちよく滑られる。相変わらす朝の2本は調子の良い私。一番下で見ていた軍団の一人に「いいよ、今度は一番上から休み無く」などと言われたが私の体力では一気は無理である。何歳かと聞くので、正直に答えると、親指をたててGood! のサインを返してくれた。

斉藤さんはいままであまりモーグルをやってこなかったが、今期から少しずつモーグルの面白さにはまりつつある。スキーにも常に挑戦する目標があると遣り甲斐がある。モーグルに関しては私の歳になっても上達して行くのがわかり面白い。

しかし、我々のモーグルはいかにスピードを殺して瘤を滑るかのスキーである。競技モーグルはスピードを競うため、ほとんど直線のラインをすっ飛んでいく。そんな本格的な滑りが出来るモーグラーはこの軍団のリーダーを含め、この斜面にも2−3人しかいない。

 

体力があれば、もっと滑り込めるが、モーグルはなぜこんなに疲れるのか?冷静に考えれば酸素が薄い上に身体全体に余計な力が入っている、そして力むから普通の呼吸が出来ていないのである。普通の呼吸をしないでこの激しい運動をするのであるから疲れるはずである。無駄な力を剥いて、楽に呼吸が出来たらずいぶん滑りも良くなるはずであるが、今はそんな余裕はない。上手く滑れた時でも、コース半分くらいで体力的に続かずコースアウトしてしまう。ともかく連続して現れる瘤に遅れないようスキーに乗って行くのがやっとという、ハードなスポーツである。

休みながら8本モーグルを滑ったら腰も労わらなければならないし、もう充分である。


マッコイから見たモーグル斜面の全景、上から見るとこんな。モーグル軍団のリーダーと10歳の少女

 

スタンピーアレーで斉藤さんと交代でビデオ撮影をすることになった。私のデジカメのビデオ機能はズームを使うと画面が粗くてだめであるが、ズームを使わなければまーまーのビデオが撮れる。正面から滑る姿を撮って、目の前を抜けて後ろ姿を追う。これを3度ほど撮るとスタンピーの一斜面が撮れる。交代して斉藤さんにも撮ってもらう。若い頃は商業カメラマンをしていたと言う多才な斉藤さんであるが、朝の時間表はいただけなかった。

 

1時40分にあがって、そのまま街へスキーのセールを冷やかしに行く。このメモリアルデーの週末は街中のスポーツ具店が、衣類、年式が古くなったモデルのスキー、デモで貸し出していたスキー、スキー靴などを50%前後引のセールをしている。何軒か周って私はスキーソックスを買った。イタリア製のスキーソックスが9ドルであった。

コンドに戻って3時すぎ、早々と釣り班が帰ってきた。「お、今日は成果があったか?」と期待したが、今日も「はずかしながら、帰ってまいりました」であった。昨日、今日と一日7時間、良く辛抱強く、成果のない釣りが出来ると感心する。

 

魚が釣れなくとも、今日の夕飯のメインは魚料理である。タラの切り身を昨日から味噌、みりん、にんにく、に漬けてある。それに小麦粉をまぶして炒める。焦げ目が付いた時が出来上がりである。それを大根おろしをサイドに食べる予定であったが、買っておいた大根を忘れてきていた。

最後の仕上げだけ残して4人でジャグジーにいく。爽やかな春の空を眺めながらのジャグジーは気分がよい。ジャグシーでビールを飲み楽しく過ごした後、部屋にもどってワインと食事。酔った原ちゃんが「隣の若者を呼んでみようか」と言う。何でもすぐ隣の68番のユニットにすでに一ヶ月滞在している若いスノーボーダーのカップルがいて、時たまパテオでタバコを吸っていると顔を合わせるらしい。
じゃー飲みに来ないか誘って見ようということになったが、誰が誘いに行くか?原ちゃんが行ったのでは怪しい酔っ払い。佐野さんが行ったのでは眉唾物。斉藤さんが行っては何か下心ありそうであるし、ここは無難な小堺氏という事になり、私が行ってドアをノックしてみる。「どなたですか」と言うので名乗ると、ドアが開き女性が出たが、「良かったら一緒に飲みませんか」と誘うと「今日、彼はスノーボードで怪我をして、寝ているので折角のお誘いですが」ということであった。

最近、酔っ払い達が、「どうもスキー三昧のウエブで、小堺氏は自分だけ良い子になっている、事実と異なるとこが多々ある」などとのたまうのを耳にする。その不満は即座に却下。私のエッセイは法廷の記録係のように、正確で事実に沿った物であると自負している。大体この写真を見ていただけばどちらの言っていることが正しいか分かっていただけると思う。


酔っ払いの某社支店長殿と某中小企業会長殿、私こんな人友達じゃないですと言いたい。8時ごろやっと日が暮れていく。

 

三日目は8時半くらいに斉藤さんとゲレンデにいく。今日は車も少なく、この時間でも楽に車をリフト乗り場の近くに停めることができた。雪も柔らかくなりかけで良いコンデション。昨日もこの時間で良かったのである。

10時になるとモーグルのコースも柔らかくなってきた。4本ほどモーグルを滑ると3日目で腰にきつい、そろそろ終了の時間である。

私はもし付き合ってくれる人がいれば、スキー場が閉まる前にもう一度滑りにくるつもりであるが、斉藤さんはこれがシーズン納めとなる。

 

11時に上がってコンドに戻るとまだ釣りの二人は帰っていない。

12時に二人がもどるが今日も成果なし。政府の予算削減で放流の魚数が確実に減っていると思う。それにしても二人が猟師でなく、釣り師で良かった。

 

残り物で昼食を済ませ、1時前に帰路に付く。私は佐野さんと街中のスポーツ具店により、佐野さんのスキー靴を探してあげる。今、佐野さんが履いている靴はもう6年ほど前、私と同じモデルを買った物で、かなり古くなっている。佐野さんは来期は足が良くなって元気に滑れるよう祈りながら60%割引のロシニオールの靴を買った。


まだ雪はいっぱいある。モーグル斜面の比叡さんとシーズン最後の斉藤さん

まだシーズンは続いているが、今期は腰通の手術を受けほとんど滑られなかった原ちゃん、痛風と関節炎のためシーズン後半を滑れなかった佐野さんは、スキー三昧とはいかない不本意なシーズンであったと思う。私もシーズン始めには腰痛でここまで滑られるとは思っていなかった。怪我や病気のため思いっきりスキーが出来ないことほどスキーヤーにとって辛いことはない。
原ちゃんが少しずつ滑れるようになっているのが嬉しいニュースである。佐野さんは関節炎が治まり来季は
新しいスキー靴で滑れるように皆で祈っている。スキーもスキー仲間も逃げないで待っているから、焦らずにじっくりと治して欲しい。

この後、6月に入ってもう一度マンモスに滑りにいきたいと思い、佐野さんに連絡をとったが、6月のシャモニーのコンドミニアムを確保してなくて、今回が今期最後のスキーとなってしまった。それでも全米でももっとも長い7ヶ月のスキーシーズンに感謝して来シーズンを待とうと思う。

今期も私のスキー三昧にお付き合いいただき、有難うございました。