雲の中    4月17日     小堺 高志

マンモスはついに一冬の積雪レコードを更新し、4月中旬となった今なお雪が降っている。4月7日にマンモスでスキーパトローラーが3名なくなったというニュースが入ってきた。マンモスは数年前火山性群発地震が発生した地学的には休火山である。マンモスのスキー場の一角には日本の温泉場で見るような蒸気とガスを噴出す場所が一箇所ある。そこはマッコイステーションの近くでロープが張られて赤い旗が立てられ、スキーヤー近づかないようにされているが、今回そのロープを張りなおすための作業をしていた2名のパトローラーが20フィートの雪のために出来たくぼ地に落ち、それを助けようとした1名もまた火山性のガスを吸い込み犠牲になった。普段は風で飛ばされてしまうガスが今年の大雪でくぼ地になったところに充満していたそうである。我々はそこに毒ガスが出ているのを知っているが、一般スキーヤーは知らない人が多いと思う。それもこのようなパトロールの人が毎日ロープをはり守っていてくれるからの安全である。なくなった人の中には地学のマスターの学位をもっている人、マスターを取る過程であった人もいて、自分の生活スタイルを優先してスキー場のパトロールを職業にするアメリカ人らしい生き方に共感するものがある。スキーヤーの安全を守るために命を落とした3人の冥福を祈る。

 

さて今回は佐野さんが日本、中国に行き、原ちゃんは不参加と言う事で以前一度マンモスに招待した事のあるマサミ、サトル夫婦を誘っている。レドンドビーチで二人をピックアップして6時半ごろ出発する。斉藤(細)ちゃんは息子のブライアンとその友達アレックスを連れて先にマンモスに向かっているはずである。また別グループであるが、嘉藤さんが一週間前から行っている。今回は今期最後の冬型の嵐が来るという事で予報では天候はかなり悪い。雨の中シャーマンオークスのいつものレストランで夕飯を食べてマンモスにむかうが、途中は雨が降ったり止んだり。それでもモハベの砂漠では雲間に綺麗な星空と地平線に満月が顔をだす。途中で斉藤ちゃんからマンモスに着いたと電話で連絡が入り、今夜は雪のはずであったがチェーンの必要は無いとのこと。当たらない天気予報であるが、いっそう、うんと外れてこの週末を晴れにして欲しいものである。

 

マンモス到着は12時半くらいであった。イースターの週末とあって駐車場は一杯である。風は強い。今週末山頂の風速は90マイルと言っているので明日は上部のリフトは動かないであろう。到着後しばらくはビールを飲みながら楽しく話をする。ロスアンジェルスマラソンのハーフマラソンに出場経験のある斉藤ちゃんによるとジムで体を鍛え続ける人やマラソンランナーのようなストイックなスポーツ追及者は自分の体をいじめるマゾ気のある人たちで、ある種の病気であると言う。確か10数年前にサンタモニカに住んでいた時 トライアスロンのスタート地点となったピアでみた競技者の中に ”I love pain!” ( 私は苦痛が好き!)などと言う物騒な落書きを体に書きつけた競技者がいたことを思い出す。その点スキーはいくら入れ込んでも、そんな悲壮感はない。しかし病的に入れ込むスキーヤーは私の周りには沢山いる。

 

翌朝、外はかなり風が強く雪がぱらついている。キャニオンロッジ内のアントンがやっているクレープ屋で朝食をとって、8時半にリフトラインに並ぶ。キャニオンロッジ エックスプレスのリフト下り場付近はいつも風の強いところである。少し雪も降っているため、視界が悪いのが一番の問題であるが、雨よりは滑れるだけ良い。風の影響の少ないローラコーストを滑ってから5番リフトに向かう。いつもなら5番、フェースリフトと、こちらから見えるのだが、今回は視界が悪く、近くに行かなければ見えない。行くと5番リフトは風のためか動いていなかった。しょうがなくスタンピーアレイに下りて何本か滑る。今日はかなり限られた低高度のリフトしか動いていないのでコース選びが難しい。いつものメンバーのスキーでは私が大体ペースメーカーで、コース選びも皆の希望を聞きながら私が担当することが多いが、今日は佐野さん、原ちゃんがいないので年配、酔っ払い用のペースでなく、若者用モードの速いペースで休み無く滑り続ける。しかしマッコイステーションから上は雲の中で下からはなにも見えない。今日の視界は平均で30メートルくらいであろうか。近くにあるはずのマッコイステーションも霧で見えない、さらに悪くなると、どちらに向かって滑っているか分からなくなるときがある。周りの景色が見えないと自分の正確な現在位置も分からない。斉藤ちゃんが「小堺氏ならマンモスの何処に瘤があるか目を瞑っていても分かるでしょう」と無理を言うが、実は私が一番苦手なのがこの視界の悪い条件下でのスキーである。取り分け先頭を行くと前方にスキーヤーや木が無ければ目の前の風景がすべて消え一瞬真っ白で何も見えなくなることがある。このホワイトアウト現象はまさに目を瞑っているのと同じ状態である。レースをやっていた人は視界が悪くても突っ込んでいけるようだが、私はいやである。

 

昼休みにマッコイステーションで嘉藤さんの一団を探していると斉藤ちゃんの所に連絡が入った。「今、ジューンレークにいます。こっちは良い天気ですよう、来ませんか?」

だって!ジューンレイクに行っていたとは探してもいないはずである。こちらは雲の中で苦労して滑っているというのに、裏切り者である。ジューンレークはマンモスから30分くらい離れているが直線距離にすればそんなにはない。ジューンレーク方面に怨念を込めてこちらから黒い雲が流れていく事を祈るのであった。

午後、キャニオンロッジ側に戻ってからは日が差して来て雪も柔らかくなり、スプリングコンデションになってきた。太陽が出て視界の問題がなくなったのでさらにペースをあげ滑り続けると久しぶりのスキーの斉藤ちゃんが脱落。若い二人はなかなか元気に就いてくる。折角来たマンモスで天候を理由にスキーを堪能できなかったのでは申し訳ない。一番コンデションの良いキャニオンロッジ エックスプレスの周辺でさまざまなコース取りをしながら午前中のフラストレーションをここで一気に取り払う事が出来た。二人とも基本に忠実な良い滑りをしているが、もっといろんな滑りに挑戦していけばスキーの楽しみの幅がさらに広がると思う。


 

コンドに戻ると停めていた私の車がない。管理棟のオフィスに行くと私の車が牽引されたという知らせが張ってあった。私が決められた新しい駐車許可証を車の前方に表示してなかったための牽引であるが、古い許可証は表示していた。シャモニーは今期から今までいた住み込みのマネージャーがいなくなり、マネージメント会社が事務的に管理するようになってしまった。ここにマネージャが居た時には、たまに食事を持っていってあげたりして交流があり人情があったのでこんな事は絶対になかった。新しい許可証を持っていながら表示し忘れた私が悪いのだが、古い許可証であっても大目に見ることが出来ないものかと、少し頭に来る。牽引代150ドルなりを支払い車を引き取ってきた。

 

日曜日、昨日よりさらに高度が低い所まで霧が掛かっている。それでも昨日開いていなかったフェースリフトが開いていたので行くと少し高度が上がっただけで視界はさらに悪くまさに雲の中にいる状態である。雪と霧でマンモスのコースを知り尽くしているつもりの私の知識を総動員してもこの状態で最善のコースを選んでゆくのは難しい。視界がきかないので12番リフトで林の中に入る。これで幾分風が防げて、周りに木があるので視界が白一色になるホワイトアウトはない。それでも風、霧、アイシーの3重悪条件のコンデションは続いている。天候はさらに悪くなっていくようで回復の望みはないが新雪が積もり続けているのが救いである。10時半くらいからローラコーストなど林に囲まれた中級コースは新雪が斜面についてきてだんだん滑り易くなってきた。午前中一杯滑り続け12時ごろ引き上げる。それでもこの悪条件下では良く滑れた方だと思う。

 

帰りの道路を雪が覆い始めていたが、マンモス市内からは雪もなくなり春の気配が感じられる395号線を下る。

ビショップで一番有名なお店である「シェリッツ ベーカリー」でサンドイッチを買って、混んでいる店内を避け、テークアウトにしてビッグパインの公園のベンチで遅い昼食をとる。先ほどまでの真冬の天候が嘘のように、ここは芽生え始めた新緑にかこまれ、紅白の梅に似た杏の花が咲き、穏やかな春の風が吹いていた。

今年はまだ山頂部には20フィートの雪が残り、メインロッジは一階まで埋まり、マッコイステーションは2階まで埋まっている。この嵐が過ぎるとスキー場にも春の気配がじわじわと押し寄せてくる事だろう。今年はすでに7月4日の独立記念日まで開業するとマンモスのホームページでは言っている。マンモスは例年全米でも一番遅くまで滑れるスキー場であるから、まだとうぶん春スキーを楽しめそうである。

やがて車は夏時間になって、日暮れが延びたフリーウエーを夕日を浴びながらイースターの雑踏の中に入っていく。つかの間の夢のように幻想的な雲の中の雪景色を思い出しながら、次のマンモス行きまで現実の生活に戻るのであった。