光る湖

     小堺高志     FILE#2−23−02

季節的にもっとも雪の降る2月も中旬となりスキーシーズンもたけなわであるが、世界的に年々積雪量が減っている。私が子供の頃、故郷の新潟では、お正月には外には一メートル以上の雪が積もっているのがあたりまえの風景であったが、最近はお正月にも雪のない便りが続いている。ここカルフォルニアでもローカルのスキー場では暖かい日が続き、雪不足に悩まされ、いまだにオープンしていないスキー場もある。シーズン初めこそ良かったが、マンモスでも年が明けてから一月と二月の前半はあまり雪に恵まれず、新雪が待ちどうしいこの頃であった。

冬季オリンピックも中盤となった2月 15日、プレジデント・デーの三連休にスキー旅行に出発する。この週末は久ぶりのストームが来ると予報されている。サンタフェ・スプリングの原ちゃんの会社が今回の集合場所で、夕刻先に着いた私は佐野さんの到着を待つ。

佐野さんはコンドミデアムのオーナーの一人であるアナの妹ミヤをピックアップして連れてくることになっている。アナとミヤは日本人とアメリカ人のハーフで美人姉妹である。アナは既にマンモスに着いて9歳の息子と我々を待っているはずである。

途中モハベでいつものように他に選択の余地がないファースト・フードのマクドナルドに入る。もうこのあたりのファースト・フード店は行き尽くしているが、今回もまた期待するべくもなく、「今年になってもっともまずい味気ない夕食だ」と愚痴りながらフレンチ・フライを胃袋に流し込む。

途中ビック・パインのガソリンスタンドで3人とも5ドルずつカリフォルニア・ロッテッテリー(宝くじ)を買う。今回の”ピック6”という6個の当たりナンバーを予測するスーパー・ロットは貯まりに貯まって 1億8300万ドル〔約257億円〕というとんでもない額になっているのである。5ドルでも買わなければ億万長者へのチャンスはない。5ドルで夢を買う、そして例によって”捕らぬ狸の皮算用”を語り合う。今まで何度か人生を変えてきた観のある私でさえ「ああ、その257億円で人生をもう一度変えたい」なんて思うのであった。

プレジデント・デーの連休はどこのスキー場も一年でもっとも混む週末である。今回の我々の計画もスタートが遅かったせいもあり、最後までなかなか決まらなかった。ラスト・ミニッツ・ディールとよばれる寸前の投売り格安航空券でカナダなどに遠出をする計画、ラスベガス経由でユタ州に行く計画、レイク・タホに行く計画などが候補にあったが希望する日程で格安の出物がなかったり、ギャンブラー原ちゃんのコネクションをもってしても混んでいてカジノに宿が取れなかったりで、なかなか決定しなかった。最後に残った案がマンモス経由レークタホ行きであった。

レークタホには宿が取れなかったがカーソン・シティーのモテル6がとれた。カーソン・シティーは小さな街であるが、ネバダ州の州都である。ラスベガスやリノなど新興リゾート・カジノ都市の陰に隠れ、この連休にもあまり訪れる人もいないようで五日前でも宿の予約がとれたのである。値段も安く二部屋を2泊で約 140ドルである。しかしスキー場からは45分ほど離れるた位置になる。ロスから直接カーソン・シティーに走るのは約8時間半位のドライブとなりちょっと無理があるので、金曜はマンモスに一泊して翌日カーソンへ移動する計画である。マンモスのコンドはアンがすでに使用中であったが、無理をいって一晩だけリビング・ルームに泊めてもらえることになっていたのである。アンは夜中に着いた我々を快く迎えてくれた。

翌土曜日、3時頃までマンモスで滑って395号線を北上してカーソン・シティーに向かう。この街道は壮大な風景で美しく、走って飽きない。途中トパーズ湖畔で佐野さん曰く”場末の小便カジノ”に寄る。実際、トイレを使うだけの目的で寄ったのだから、まさにその意味では小便カジノである。2時間半くらいのドライブで薄暗くなる頃宿にチェクインすると値段の割に新しく清潔なモーテルであった。カーソンは395号線沿いに出来た細長い町である。それでも西部劇の時代にはこの辺一体で最大の町であったのであろうが、今日では小さな街の中心街に市役所でなく、いきなり州の行政街があるのが不釣合いに思える町である。ピザ屋さんに入ってビールを2ピッチャー空けてカジノで1時間半ほど遊んで就寝する。

朝目覚めて外を見ると道路が濡れている。予報通り山間部は雪かもしれない。早々に仕度をして40分ほど離れたサウス・レーク・タホにあるヘブンリー・スキー場に向かう。途中の山道から雪が降り出した。スキー場につくとますます激しく降ってきたが風がないので雪中のコンデションとしては最悪ではない。私はこのスキー場は3回目であるが、佐野さんは8年ほど前、ひと冬暮らしていたことがある。ここは2州にまたがる、実際はふたつの部分からなるスキー場で山頂からネバダ・サイドかカリフォルニア・サイドのどちらの州へもすべり降りることが出来る。我々はカリフォルニア・サイドから入り、何本か滑る。ここヘブンリーはずっと雪が降らなくて、今日は久しぶりの恵みの雪だそうである。かなり激しく雪が降っているが風がないので視界もあり、あまり気にならない。今朝からの積雪は10センチくらいか、もう少し積もると新雪らしくなるのであるが、このくらいだと急斜面にいくとターンの際簡単に新しい軽い雪が剥がれ下の古くて硬い雪にあたってしまう。

ネバダ側に行くと雪質はいくぶん良く、ギャラクシーという一番ながいリフトの下を滑るとグルームしてないところがほとんどでスキーヤーもあまりいなくて新雪にシュプールを描け、気分が良い。特に林に入ると新雪の吹き溜まりがあり、挑戦のしがいがある。マンモスと比較すると、ここは林が多く比較的中級者むけの斜面が多いようだ。昼食後さらにネバダ・サイドのいろんな斜面を試してみる。初めて滑るコースが多いので、スキーヤーにとってはそれが新鮮な楽しみである。ネバダ・サイドで一番人気のあるコメットと呼ばれるリフトが故障のため動いていないのでその隣のダイパー・エススプレスに乗る。途中に私好みのバンプがある。雪質がいいのでバンプの中でも結構スピードに乗ったままで細かいターンが切れる。テレビで観たオリンピックのモーグルのイメージが重なるが、スピードは事故、怪我の元、気を引き締めて安全なスキーを心掛けよう。それでも未知のコースが目の前に現れるとついつい力が入ってしまう。とりわけ年式の古いエンジンを持つ我々はあまり回転数を上げないように抑えて滑らないと後でガタが出ることになり、簡単に部品交換といかないためシーズンを棒に振ることもある。しかし今季の私はすこぶる体力・気力が充実しており、気持ちと身体を抑えるのももどかしく、二人の先をどんどん行ってしまう。

何時の間にか雪も小降りとなり、カリフォルニア・サイドに戻り滑っているとコースの途中から佐野さんと原ちゃんが林の中に抜けようとしている。それでは私も、と少し先にいた私が彼らの前をカットする形で先行して林の中に入る。すぐにかなりの倒木と石、岩が雪面に顔を出ていることに気づき。彼らに「良くないよ、戻った方が良いよ」と知らせるが、途中まで降りてしまった私は先に行くしかない。どこに向かって降りているのか私としては全く分らないが、谷を下る格好で林の中を障害物を避けながら降りていくと、二人のスノーボーダーと出会う。これ幸いと彼らの滑った方向へ行くとだんだんと障害物もなくなり、林間スキーを楽しめる余裕のある空間に出た。ほとんど荒らされていないので後半は楽しめるコースであった。林を抜けゲレンデに戻るとやがてリフト乗り場に出た。私の方が先に降りたようでこのリフト乗り場に二人の姿はまだない。コースの取り方は違っても二人ともここに降りてくるしかないように思え、しばらく待つこととなったが、やがて彼らが合流する。

佐野さんはこのスキー場で8年前ひと冬暮らしていたことがあり犯罪者になったら”土地勘のある男”という報道のされ方になろうが、信頼してついて行くと時たまこのように裏をかかれて本人も知らないところに連れて行かれてしまうこともある。

時間はまだ午後2時半をまわったばかりであるが二人は午前中のハードワークが堪えたか、先にベースに戻ってビールタイムに入るという。佐野さんは爆弾をかかえる年式の古い膝を労わっての判断と思うが、私はまだ滑り足らない。原ちゃんは単にビールが飲みたいだけであろう。彼らと下のバーで落ち合う約束をして私はもうひと滑りするためリフトラインに戻る。そのウオーターフォールというリフトから下をみると、真下に誘われる斜面がある。ゲレンデではなくリフトの下を整理するため林が切られて出来た狭く急な斜面である、幾分凸凹した挑戦のし甲斐ある急斜面であるように見える。リフトを降りるとまっすぐリフトに沿って降りていく。急斜面ながら雪質が良いので面白くリズムにのって思いどおりのショートターンが出来る。

ヘブンリーのカルフォルニア・サイドのベースに戻るには有名な”ザ・フェース”と呼ばれる最後のバンプだらけの長い急斜面と、それに続く”ガンバレル”を降りなければならない。”上級者のみ”という掲示が出ており、ほとんどの人は滑り降りずにリフトやゴンドラに乗って下に降りる。私は当然滑り降りるつもりで斜面の上に立つとちょうど今まで雲に覆われていたタホ湖の手前の雲が晴れ、湖面の一部が太陽に照らされ、青い水面が現れ光り輝いている。晴れていればここからは目の前に湖の全貌が一望出来、湖に向かって滑り降りることとなる。しばし雲の切れ間から見えるその美しさに見とれたあと、瘤だらけの斜面を滑り出す。

かなり荒れた大きなバンプの続く急斜面で、すでに新雪の雪が削られ下の固い雪が出ている。そして時たま新雪の雪だまりがある。雪質がひとつターンをするたびに変わる。地元の12−13歳の子供が4人、コーチに指導されながら降りていく。巧い、彼らはモーグルの英才教育を受けているようでこの難コースをリズムカルに滑り降りていく。横にモーグル用に切られた競技用のコースがある。この急斜面全体が見える下のロッジの前には観覧席まであり、大勢の観客がこの斜面を降りてくるスキーヤーを見ている。そんなコースを先ほどの子供達が順番に降りていく。すでに彼らの中には360度のXジャンプをこなす者もいて、将来オリンピックなどにでる選手に成長していくのであろう。マンモスにはこれほど長いパンプ斜面はないので、私としては面白くてたまらない斜面であるが、これを続けたら絶対に腰を壊すと思う。一日一本、真剣に滑るくらいが良いのであろう、すでに腰が痛い。

ロッジのバーに行くと二人がビールを飲んでいた。汗だくになってザ・フェースを降りて来たという。「あれ、リフトで降りたんじゃなかったの?」とからかうが運動の後のビールが美味い。

モーテルに戻ってしばらく休んだ我々は今夜もカジノに繰り出す。私は昨日の負けを取り返し、原ちゃんは25セントのスロットルで500枚、(175ドル)出した。2時間ほど遊んで3人でカジノ内のバーに寄りジン・トンックを4−5杯飲んで帰る。カジノのカクテルは安いが薄い、半ダースくらい一気飲みしないと酔えない。

月曜日の朝まだ暗い6時半に出発してマンモスへと戻る。ラジオのニュースで昨日のロッテリーで三人の当選者が出たと知ると、「お、それは我々3人のことだ!」とあくまで夢を見続けたい我々である。途中の峠は雪に覆われており、昨夜はかなり降ったようである。最初はマンモスの姉妹スキー場であるジューン・レーク・スキー場で滑るつもりであったが、リフト売り場でマンモスのシーズンパスで半額になると思っていたチケット代が半額になるのは金曜日だけと分り、マンモスとジューン・レーク共通の経営会社であるインターウェスト社の儲け主義を批判する佐野さんの一言で我々はマンモスに帰り滑ることにしたのであった。

マンモスに着いたのは9時を廻っていたが、さすがに月曜で、ほとんどの人はすでに帰路に着いているとみえ、駐車場も空いている。直接マンモスのスタンピー・アレイ・リフトの乗り口近くに車を止め、滑り出そうとするが、リフトに向かう私を尻目に、佐野さんと原ちゃんはミルカフェに直行、私は目の前に昨日から降ったという、40センチの新雪を見て朝食どころではない。体力万全のうえ今日は午後1時になったら帰路に着くかなければ成らないから、なおさら滑り続けていたいと思うのである。二人を残してリフトに乗ると、やがて目の前に山頂がみえ、そこにまだあまり荒らされていない斜面がみえたので、即リフトを23番に乗り換えて山頂をめざすこととなった。
山頂から2本、中腹のフェース・リフトでさらに3本くらい滑った頃、リフトの上から佐野さんが声をかけて来た。せっかく足手まといがいなくてスキー三昧を楽しんでいたのに。(これは二人には悪いけど、今回に関しては体力的にも半分本当の感想である、サスペンションに問題のある佐野さんと、すぐにガソリン?の切れる原ちゃん)先にリフトを降りた二人に追いつこうと思い、リフトを降りるや否や跳ばして彼らを探したが、見失ってしまった。後で聞けば私が彼らの目の前を追い越していってしまったとのことであるが、調子がいいとこんなものである。その後彼らがまだ滑っていなかった山頂に行って残った新雪斜面に挑むことにする。リフトに乗る前に彼らは「一度滑ってみて、
良かったらもう一度」と言ったので私は「一度滑ったらもう十分と言うと思うよ」と滑る前に早々と結論を出してしまったが、荒らされた新雪の斜面は結構難しく体力を使う。で、結果的にはやはり「一本でもう十分」ということであった。マンモスの雪質はレークタホより遥かによく、満足なスキー三昧であった。レーク・タホでは昨夜もこんなに降らなかったからこちらに戻って正解であった。

1時ごろまで滑って帰路に着く。途中ビショップ南のKEOUGH 'HOT SPRINGSにて温泉に入って疲れを癒す。 

ロスに戻ると翌日から気温はぐんぐんと上がり、観測史上この時期としては、記録破りの90度近い(摂氏30度以上)温度になったのであった。数十年後には沢山の雪を見るにはアラスカに行かないと見られないなどという時代が来るのであろうか?せめてこの後20年は宝くじに当たらなくとも恵みの雪を我々に与え続けて欲しいと思うのであった。