春の空から

小堺高志     file#5-1-2000

イースターの週末となり学生達、家族連れ等がマンモスに向かう、我々もサンタモニカの佐野さんの所に集合してマンモスに向かう。佐野さん、原ちゃんが一緒である。

ここでマンモスについて改めて説明してみよう。マンモスはロスから北へ325マイル、車で約5時間の距離にあり、アメリカでも有数の規模をほこるスキー場である。リフト数26本、ゴンドラ 2本、山頂の高さ3369メートル。山頂から約1000メートルの標高差にわたって滑降斜面数150本という、大きな山全面がスキー場となっている。平均年間降雪量9メートル73センチ、例年11月後半から6月一杯くらいがスキーシーズンとなる。スキー客の約7割はロスアンジェルス、サンディゴ等南カリフォルニアからのスキーヤーである。我々の常宿はキャニオンロッジと呼ばれるベースの1つから歩いてすぐの所にあり、ロス周辺のローカルスキー場が閉まった今はスキー道具もマンモスに置いたままである。

春スキーの醍醐味は私にとり、モーグルである。モーグルは自然に出来た凸凹を滑り降りる主にアメリカで生まれたフリースタイルのスキー技術であり。日本では昔は単に“こぶを滑る”といっていたものが約20年くらい前から注目され始め、最近はオリンピックの種目にもなっている。競技に使われる凸凹は人工的に作られた凸凹であるが、バンプと呼ばれるゲレンデの凸凹はスキーヤーが斜面の雪をスキーで削り続ける事により、自然に出来てくるものである。特に急斜面の凸凹は最も難しく上級スキーヤーの腕の競い合いの場でもある。そしてかなりの運動量が要求される。

今の季節、朝のうちは“シェラネバダ山脈のセメント”といわれる固い雪質でモーグルには適さないため、無理をせず中級者用斜面を滑りながら雪質が柔らかくなるのを待つ。

最高難易度であるダブルブラックダイヤモンドのひとつである 22番リフトの横を滑る。ここは長い急斜面のバンプの連続で体力的におじさん泣かせの斜面である。佐野さんが行く、原ちゃんが行く、二人とも苦労している。重心を常にスキーの真上に持ってくる事を心掛けながら滑る。腰が引けてはスキーのコントローロールをなくしてしまう。

   22番リフトの上で           中年3人スキーヤー

春とはいえ、山の気候は変り易い。午前中青空に白く輝いていたマンモスの山頂を午後、雲が被う。我々が乗ったゴンドラがなかなか出発しない、やがて山頂の天候急変のため我々の乗ったゴンドラが今日最後の山頂行きであるとのアナウンスがある。山頂におりると視界が20メートル位しかなく強風が吹いている。しかし例え視界20メートルであれ、かって知ったるマンモス、注意して視界のきく所まで無事に降りて来れた。真冬にはたまに視界ゼロという状況がある。視界ゼロの状態では動いていると自分が真直ぐに立っているかどうかも感覚的に分からなくなる。そんな時は止まって視界が良くなるのを待つしかない。

佐野さんが最近読んだスキーの本に「スキーヤーの醍醐味の1つはリフトの真下を視線を浴びながら滑る事である」とあったという。かなり腕に覚えがないと様にならないが、何を隠そう私も好きで時たま意識的にやる。そんな話しをしながら下を見ると16番リフトの真下にリフトを通すために林の中に切られた狭いコースがある。

「佐野さん、ここ滑ろうか。」

斜面の上に立つと上方は結構急でバンプの凸凹も深く難しいコースである。滑り始めると木陰になったガリガリの固い雪と、日のあった柔らかい溶けた雪質とがターンごとに交互に現れる難しい雪質。車に例えれば、堅い雪はアクセルを踏んだ状態で、柔らかい雪はブレーキを踏んだ状態である。膝を柔らかく使ってなんとか無難にこなす。振り返ると佐野さんも何とか滑っている様子。やがて私に追いつく。

スキーから戻るとまず30分ほどで食事の仕度をして、(今夜は牡蠣鍋である)コンドのスパに温泉気分で浸かり、サウナで筋肉をほぐすのが常である。またリクレーションルームには卓球台、ビリヤード、ゲーム機などがある。着替えてから玉突きをしに行くと10歳位の少女が二人でビリヤードをしている。親が教えたのであろうか二人ともなかなか上手い。我々に場所を譲ると何処かにいってしまった。

3人でエイトボールをする。白い玉を最初に打って、番号の若い玉から落として行くゲームである。やがて最後のボールが残った状態でそのまま終わらせてはもったいないので、一番難しい取り方をするという遊び方をしていた。そこに前の二人の少女が戻ってきて観戦を始めた。私の番である、我々は彼女達が思う簡単な取り方はしない。わざわざ数クッションつけて打つ。その旨を彼女たちに告げて、ミラクルショットを狙う。私の打った球は数クッションして狙い玉にあたり自分でも驚くほどホールまでわずかな距離を残して止まる。惜しい、周りからどよめきが起こる。この一打で彼女達は我々のことを只者ではないと思ったはずである。ついで原ちゃん、今まで外し続けていた原ちゃんがさらに超難しいショットを狙う。そして……ミラクルショットついに出る!入ってしまった。

我々も驚いたが少女達はもっと驚いたようす。 只者でない我々とゲームをして欲しいと言いだす。佐野さんが申し出を受けようとしている。

私と原ちゃんが止める。

「佐野さん、ダーメ ダーメ 潮時、潮時、これ以上やったらボロしかでな

い。」かくして今夜、少女達は家族に言うはずである。

「今日、玉突きの超上手いとっても素敵なおじ様3人に合っちゃった。」

翌朝快晴であるが原ちゃんは筋肉痛で休み。風が強くシエラネセメントの溶けるまでゲレンデのミル カフェでコーヒーを飲みながら過ごす。そこに一人の老スキーヤーが入ってくる。顔には深い皺がきざまれ、ゆっくりとした動作で、どう見ても周りのスキーヤーとはかけ離れて高齢でおられる。隣の人が尋ねる 「失礼ですが何歳でいらっしゃいますか?」良く聞き取れないが80何歳と答えておられる。 

おーい、聞いたか原ちゃん、80歳代の現役スキーヤーだぞ。君は筋肉通で休みだって?そうか、身体を動かし続ければ80代でもスキーは出来るのか。また目標が増えてしまった。

一日の最後の滑り、後ろで佐野さんがトレーシングをしているのに気付く。トレーシングとは前を滑るスキーヤーの後ろを離されない様に同じシュプールを描きながら追う事である。気を入れたショートターンに入る。私はショートターン・小回りターンはかなりの自信を持っている。私が気を入れて滑れば佐野さんといえどもあまり私をトレーシング出来る人はいないはずである。滑り終えて佐野さんにトレーシング出来たかと聞いたら出来たと言う。

1つくらい飛ばしているかも知れないが、ちょっとショック。佐野さんもすっかりいいスキーヤーになった。師匠格の私としても更に頑張らなければ。

翌週末は釣りシーズンの解禁日である。先週のメンバーに斎藤ちゃんを交えてマンモスに来た。我らが釣りの師匠、頼さんはホームページ作りに忙しく参加しなかった。

私達は午後 2時ころまでスキーをしてそれから釣りをする予定である。我々の中で佐野さんは頼さんも一目置く釣り師である。上手い下手は別としたら私も釣りは何回も来ている。他は頼さんを頼りにしていた素人しゅう、マンモスに着いてから教本だヴィデオだと始める始末。

スキー組と釣り組に分かれて行動するが、やはり最後に笑ったのはスキーの後わずか1時間半ほどで限度数を釣り上げた佐野さん。そして私も1時間半で一匹。他の二人は二日がかりで一匹ずつ。なんでも 一番小さいのを選んで釣っていたとの言い訳。

ぽかぽかとした春の空の下、モーグルと釣りを堪能して帰路につく。途中注意していたのに私としては久しぶりにスピード違反のチケットを切られてしまった。これが話しには聞いていたがアメリカならではの航空機による取り締まりであった。砂漠の中、他の人より5マイルほど速く走っていた私を春空の彼方より見ていた人がいたそうな。

これを天からの声として、これから安全運転を心掛ける事としよう。