晴れのち嵐     2月27日  2007年

 

季節的に一番雪が降らなければならない1月2月に今年は雪が降らない。暖冬のため積雪は例年の半分以下であろうか?

年末以来1月に一度もスキーに行かなかった私は、2月2日に急にスロプラスティーと言う喉の手術を受けた。声帯はその上部にある筋肉で声帯を開閉して声を出すが、私の場合その声帯の下部が少し緩んでいて、それを補うため声帯上部の粘膜が強くぶつかりすぎる。それが声帯上部に刺激を与える事になり、2年前に腫瘍を作った原因の一つになったと考えられるとドクターバークは言う。もしこの手術を受けられるなら受けた方が良いだろうと言われ、急に予定が空いていた翌日の手術をお願いしたしだいである。今回の検診でも腫瘍の再発はないということで、その点に関しては安心したが、この手術はプラスチックの小さな板を声帯の下部両側に外側から埋め込み、声帯を狭め、声を無理なく出せるようにするというもので、手術後の今は喉仏の下に約6cmの傷跡がある。その傷跡もやがて消えて見えなくなると思う。

まだ幾分声を出し難い感じは残っているが体力を落とさないように、そろそろ体を動かしている。さらには3週間後の3月の半ばにはカナダのウイスラーへ3年ぶりの遠征を予定している。遠征前に少し滑り込んでおきたいのであるが、あまり時間がない。

手術から3週間が過ぎた2月最後の週末、久しぶりに佐野さんとマンモスに向う。今回はメキシコとの国境の町、エルセントロから8時間かけて久しぶりに菊地さんが参加することになっている。原ちゃんはラスベガスに行っているため不参加。向こうには嘉藤さんの一団と、サンディエゴからカールと義理の娘シンディーが来ているはずである。

前日の木曜にマンモスはやっと待望のまとまった積雪が40センチほどあり、この週末の予報は土曜が晴れ、日曜は雪の可能性が少しあるが曇りと言うことで、新雪の後の天候に恵まれた週末になるはずである。

 

土曜日の朝は天気予報どおりのすばらしい青空である。雪はまだパウダーで残っていて、申し分ないスキー日和であるが、体力的には2ヶ月間のブランクは、ほとんどシーズン初めと同じ条件である。8番リフトから25番にまわり5番に行くと早速リフトラインで嘉藤さんと彼の友人日比谷さんに会った。一緒に23番で山頂にいって、コーニーを滑る。私は運動不足で膝にまだ力が入らない。その上、今季に買ったニュースキーのストックリ・スプリットは速いスキーで私を置いて、先に行こうとする。普通の斜面では問題ないが、この速いスキーに急な瘤斜面で付いて行くにはかなり強靭な下半身が必要で、モーグラーの様な早い滑りが要求される、もう少し体力を付けて慣れる必要があると感じる。

友達と会うため一番東のリフト乗り場であるイーグルに戻るという嘉藤さん達と別れ、しばらく滑った後、11時半、マッコイ ステーションに入って、ランチのための席を探す。今日は混んでいてなかなか席が見つからないが、運良くスキースクールの子供達の団体が席を立とうとしていて、8席のテーブルを確保出来た。

やがてカールとシンディーが我々を見つけて加わると、まだ3席残っている。嘉藤さんと日比谷さんが来ても一席残る。そこに一人の男が「ここ開いていますか?」と聞いてきた。一人だと言うので「どうぞ」と言うと、彼はリュックから材料を取り出して、その場でサンドイッチを作り食事をはじめる。佐野さんが話しかけて持参の日本酒熱燗を勧める。アメリカではかなり前から日本食ブームであるが、お酒を知る人は当然日本食を知っていて、そのほとんどが頻繁にお寿司をたべる裕福な層の人達である。案の定 「日本食、寿司は大好きだ」という。何処に住んでいるかと聞くと、『ベルエア』という返事に佐野さん思わず「エックスキューズミー!」ベルエアはベバリーヒルスに隣接するゲートコミュニティーでベバリーヒルスよりワンランク上の超の付く高級住宅街である。

ガーソンと名乗る彼の職業を聞けば“弁護士”であった。聞けば聞いた事のある事件の弁護をしている。英語で弁護士はロイヤーであるがアメリカでは同時にライヤー(嘘つき)とも紙一重であるといわれている。O.J.シンプソンの裁判にみるように誰が見ても勝てるはずのない裁判を、我々から言わせれば嘘八百を並べたて、その能力で乗り切り、無罪にしてしまう有能な弁護士には莫大な報酬で仕事が舞い込んでくるのである。彼も著名な弁護士の一人、いやな種類のお金持ちであるが、話してみれば手作りのサンドイッチを食べているくらいだから質素な人で、なかなか面白い人であった。彼は我々より一足先にゲレンデに戻った。

 

食後、カール、シンディーを交え、五名でゴンドラに乗り山頂に向う。ゴンドラを降りて外に出てスキーを履いていると、目の前に昼に一緒だったベルエアの弁護士がいる。当然一緒に滑りましょうと言うことになって、裏側の14番へ滑り降りる。裏に廻って石の上を滑ってしまった前回と違って、昨日降った雪が付いていて、少し重いが気持ちよく滑られる。


  
新雪の残るゲレンデ               カール
 

ここで佐野さんのニュースキーと交換して滑り比べてみる。佐野さんは去年の暮れに私と同じメーカー、ストックリのSCを買った。彼のスキーブーツとはサイズもメーカーも同じなので何時でもスキー板を交換して滑る事が出来る。SCはスラローム用のレーススキーである。私がオールマウンテン用のスプリットで速く感じているので、それ以上にレーススキーは速いだろうと勝手に思い込んでいたが、スラローム用のスキーだから当然ショートターンはし易いし、私のスキーのように速くないのでしっかりスキーに乗れて良い感じのスキーである。佐野さんの私のスキーに乗った感想はやはり、「速いねー」であった。SCと比べると私のスキーのほうが慣れるのに時間がかかりそうである。

ガーソンは小柄だが疲れ知らずのスキーヤーであった。彼のペースに乗せられて3時半までたっぷりと滑り、帰りに家のコンドに飲みに寄らないかと誘う。


    
シンディーと弁護士ガーソン          常夏のエルセントロから参加の菊地さん


快晴にご満悦の佐野さん
 

酒を飲ませればなかなか砕けた弁護士である。苦労人でもあり、苦学してUCLAを出て29歳で弁護士になり、我々よりかなり年上の67歳というが、歳の割に体力があるのは週に3回ベバリーヒルのスポーツクラブで鍛えている所為か。結婚して離婚して、二人の娘がいるが今は豪邸で一人くらしのようである。しかしスキーでヨーロッパに10回以上行っているし、アメリカの大概のスキー場は行っているというユダヤ系のセレブである。

佐野さんは、もし脳溢血になったら半身不随になってまで生きたくはないというのが意思である。そこで彼を知る人たちにお願いであるが、もし佐野さんが脳溢血で倒れる事があったら、半身不随の後遺症が残らないよう、その場にいた人が彼の頭をしっかりと揺すって止めを刺してあげて欲しい。その結果、自殺補助罪といったややこしい事になったときには有能な著名弁護士ガーソンが日本酒一本で弁護をしてくれるはずである。

 

今回は珍しく外に食事に出ようということで、最初からつまみ以外の食材は持ってこなかった。私はまだアルコールは飲めない。ジュースとミルクでお付合いであるが、ついつい杯が進む。いや本当にジュースとミルクで、である。

4時から飲み始めた彼らは日本酒、ウオッカ、焼酎、ワインと明日の事を考えないで飛ばしてくれる。お陰で8時には佐野さんとガーソンはすっかり出来上がり、その間にシンディーとカールが交代で顔をだし、食事に出かける元気はもうない。やはり食材を盛ってくれば良かった。結局、インスタントラーメンと適当に冷蔵庫の残り物で夕飯を済ませてしまった。

 

久しぶりのスキーで9時半には寝てしまった。しかし、がぶ飲みした水分の所為か、夜中に何度かトイレに起きる。そのたびに外を見ていたら朝方4時くらいから外は強風で雪が降り出した。天気予報では今日はまだ嵐が来るとは言っていなかったが、夜明け前からの突然の嵐である。6時には外の車は20CMくらいの雪に覆われていた。ハムエッグを作り朝食後、チェーンの装着のため8時前にシャベルを持って車を掘り出しに外に出る。積雪はすでに30CM近くある。今日の天気予報はわずかな雪の可能性という事であったが、嬉しいはずれである。降り続ける雪に「この嵐ではゆっくり出れば良いね?」という佐野さんに「こういう時こそ新雪を滑るチャンス」と急がせて8時半にはキャニオンロッジに着いた。昨日とは打って変わった嵐ではあるが、視界は20-30メートルほどあるから結構滑られる。何よりも私はこの深さの新雪を滑るのはかなり久しぶりであるので興奮している。前回石を踏んで痛んだスキーの裏面を直してもらうためキャニオンロッジ内のスキーショップに昨夜から一日預けていたスキーを受け取ってチケット売り場の階に行くと、ガーソンが約束どおり我々を待っていた。まだリフトは人を乗せていない。私が行った時にはすでに佐野さんがガーソンに「この嵐では、我々は様子をみて、少し滑るだけだから先に行ってくれ」と言ってしまっていた。私は久しぶりの深雪に滑る気満々であるが、どうも佐野さんは二日酔いか、昨日頑張りすぎたのか、気合が入っていない。

  
雪の中をスキー場に向う        吹雪の中リフトが開くのを待つ

まもなく8番リフトだけ15分遅れくらいで人を乗せ始めた。このリフトしか開いていないから、ともかくリフトラインに並ぶ。リフトの下は降りたてのふかふか雪が待っている。どのコースを選ぶか?この雪の深さでは幾分傾斜があったほうが良い。ここでの私のコース選択はブルージェーである。ブルージェーは最後のところがかなり急で、8番のリフトラインのところに降りてくる。膝までの深さの雪は新雪としては一番面白いかも知れない。取り分けこの最初の一本目はまだあまり荒らされてなく、場所を選べばほぼヴァージンスノーの膝までの雪を滑られて最高である。
佐野さんもこの雪を滑れば文句のあろうはずがない。菊池さんもアトミックのカービングスキーに変えてからスムースなショートターンをしている。後はストックを付く手の上下運動を少なくすればもっとカッコ良い滑りが出来るのであるが、身に付いた癖は意識しながら時間をかけて直して行かなければならない。雪が降り続けているが、林の中なのでかろうじて視界は確保されている。膝までの深雪はやはりスキーはこうでなければと思わせる気持ち良さである。しかし3本ほど滑って佐野さんと菊池さんは休むというので私だけ滑り続ける。雪が激しく気温も朝より更に寒くなってきている。リフト待ちが長いが、ここで止めるのは勿体無いと滑り続ける。一本滑って菊池さんが合流するが佐野さんはもう先にコンドに戻るという。さらに2本滑って我々もコンドに戻った。

  
ブルージェーを行く佐野さん
 

午後1時15分ごろシャモニーのコンドを雪の中出発するが、出て直ぐに交通渋滞に巻き込まれる。裏道を通って街中のメイン道路に出るが、そこから全然前に進まない。沈滞と言うより停車である。数多くマンモスに来ているが、いくら雪が降っているとはいい、ここまでひどいのは初めてである。原因としては事故の可能性を考えるが、ここは2車線の道路である。事故だとしても、直ぐに一車線は開いて、のろのろと進むのが普通である。2マイルほど行けば道路は395号のフリーウェイー入る。この混み方はフリーウェイーに入っても続いているのであろうか?

いろんな可能性を考えつつ、あらゆる場合を想定して対策を考えるが、原因が分からないのでしばらく様子を伺うことにする。やがて対向車からの情報で事故ではないというのは分かったが、原因は視界不良による自然渋滞と言うことになるのか?

その後、少しずつ前に進む、時たま前の車がかろうじて見える位に降り続ける雪で、視界を遮られる。フリーウェイーの少し手前に右手から合流する道路がある。そこにパトカーが2台止まっている。視界の悪い中、信号機のない交差点での混乱と、パトカーによる交通量を制限しながらのフリーウェイーまでの先導が原因であった。その後この混乱は夕方6時くらいまで続いたそうである。


  
フリーウェーまでの長い道のり       前の車のテールランプを追う
 

我々が帰った翌日月曜と、火曜で更に45cmほど新雪が積もり、2月後半にしてやっと十分な雪に恵まれたが、カルフォルニアでは平年と比べると今季の積雪、降水量は観測史上2番目に少ないそうだ。50年ほど前に今季より少ない年があったそうだが気象学的には最近の温暖化現象で来年から平年並みになるという事はなさそうである。年間平均気温が1.5度上がっただけで世界中で異常気象現象が現れてこんなにも影響を受けている。2050年にはこのままだと平均気温が5度あがると予測されている。その時はスキーをするにはアラスカまで行かなければならなくなるのであろうか? 50年先の事は他人ごとながら、やはり美しい青空と、白い雪山は永遠にあり続けて欲しいと思う。晴れもあれば嵐もある。嵐があるからこそ晴れ空の有り難さも分かるのであるが、人類に優しい自然の恵みが続くことを祈る。