冬の初めに               小堺高志   file#99-11-30

季節はずれの暖かさに庭のブーゲンビリアが青い草木の中、強烈に自己主張をするように真っ赤な枝の先を太陽に向け、背伸びをしている。もう11月も終わろうとしている今、世界的な異常気象のせいか、季節感のないここアメリカ西海岸でも例年なら若干の紅葉、朝晩の肌寒さが冬の到来をつげるはずが、今年は冬らしさを感じさせるものが見当たらない。それでもアメリカに渡り25年目の冬が訪れようとしている。

今年も建国以来の収穫を祝う感謝祭が11月25日から4日間にわたりアメリカ各地で催され、人々は故郷へ、あるいは懐かしい人々に会いに移動を始める。私はいつもの中年3人組でこの冬初めてのスキー旅行を実行するべく予ねての打ち合わせどおり妻をほぼ一方的に説得したつもりで数日前から遠足にでかける小学生のように準備にいとまがない。小学生と違うのは酒類と美味いつまみの確保にかなりのエネルギーをそそぎ遁走することくらいであろうか。計画を立てたのは私の永年の親友、佐野さん、参加者は私と、1年ほど前から私達のスキー旅行に何度か参加しているギャンブラー原ちゃん。その他現地で参加する友達いろいろ。計画では11月24日の夜マンモスに着いて、11月25,26とマンモスで滑って26日の夕方から、リノに足を延ばし、1泊して土曜はレークタホでスキー、土曜の夜マンモスにもどって、歳と体調に相談して日曜は半日滑るか、直ぐにロスにもどるか決める。という事であった。ギャンブラー原ちゃんがいるし、佐野さんも相当なギャンブル好き、この2人は最近 月一くらいラスベガスに通っており、他に予約が取れなかったと言い訳しながら、しかっりとリノのカジノ付きホテルに予約しているので一抹の不安、「僕らスキーに行くんだよね?」「もちろん!」。

2人ともギャンブルと遊びがこうじてもっか独身、私も気を付けなければ。まー私の場合は理解ある妻に恵まれて ……。と書いておこう。

こうして11月24日、一応社会的にも地位ある我々、少し職権を乱用して午後2時半にはオフィスをあとに早引けして、サンタモニカの佐野さん宅から目的地であるカリフォルニア最大のスキー場マンモスへ。原ちゃんは日本からの居候を家に送って少し遅れて我々の後を追う。途中携帯電話でやり取りしながら北上するが、さすが1年で一番 遠出する人が多いという連休、フリーウエイの上でなかなか進まない。

いつもより二時間ほど余計にかかって、午後10時頃マンモスの佐野さんのコンドに到着、昨シーズンの 最後のマンモス通いは6月でしたから、5ケ月ぶりのスキー、待ちどうしかったシーズンの到来です。向かいのカール一家がサンディエゴから来ているので、みつからないようこっそりと荷物を入れているとやはりカールに見つかってしまい、即、酒盛りが始まってしまった。

カールが帰った後も3人で飲み続け、佐野さんが脱落し、1時に就寝、原ちゃんが2時に脱落して、私は余裕を持って最後に就寝、と思っていたのが、翌日起きるとビールビンとワインのビンが散乱し、気分はすぐれず。しかし外は無風、快晴のスキーびより。

9時半頃スキー場にたってはみたものの気分は強風状態、一滑りしたものの、胸に込み上げる物有り。「WAIT FOR ME!おーい待ってくれー!」の状態、午前中は降参して休み、午後から幾分良くなってなんとか滑り3時くらいにコンドにもどる。スキーシーズン初日としては思いがけない展開。しかし雪質は思ったより良い。

今夜は一応サンクスギィビング デナーということで、カールの一家と一緒に食事をすることに。

そう言えばちょうど1年前もほぼ同じ顔ぶれで同じ場所でデナーをとりましたっけ。カールがまたマグロの切り身とマヒマヒを2匹持ってきており、私が料理にかかる。カール釣る人、私料理する人。

今回の向うの顔ぶれはカールと奥さんのヴァージニア、カールの息子のエリックは3年ほどスエーデンにいっており、代わりにサンタバーバラからエリックの親友のニール夫妻、ニール夫妻はすでに我々と面識があり、彼は医者の卵。アメリカでは医者になるのに10年のコースを取らなければならないそうで、まだ半分すんだところの医学生である。その前は海軍で潜水艦のナビゲーターをしていたそうで、TVゲームのように画面を見ながらパイロットに そこへいけ、あそこへいけと海面下で指示を出し、日本の海上自衛隊と演習をした時の模様を面白く話してくれたものである。おかげで退役した後、授業料はすべて国が出してくれているとのこと。

さて、カール夫妻は夏中国に行って来たそうで、カール:「とても興味深い旅行だったよ。通訳が付いていたが、直接庶民と話す機会は英語が話せる人が少なくあまりなかった、しかしヴァージニアの後ろ姿を見て、彼らがなんと言ったと思う」我々:「パンダ!」カール:「ハハハ、スパイスガールだって言うんだよな、」我々:「 ……。」そこでヴァージニアが後ろを向く。確かに後ろから見ると金髪と髪型はイギリスの女性ロックグループのスパイスガールス、しかし体形はどうみても、……….. .パンダ。

カールが僕に写真をくれた。見覚えのある人と一緒にカールが写っている、後ろに客船、そうか、カールが映画タイタニックに出演した時の写真で、一緒に写っているのは、レオナルド デカプリオの恋敵役を演じた俳優、名前は知らないが映画のなかでは メインの役柄の一人、カールも一等船客の衣装を着ている。

もう1枚の写真には船一杯のまぐろ、漁船ではなく、メキシコ沖合いで釣ったスポーツ フィシングの成果だ、今回はマヒマヒを持ってきたが何時もはマグロを丸ごと一頭もって来てくれる。

私の料理を気に入っており、今度私の来る1月5日にかならず魚を持ってくるという、近じかカールはロス周辺で撮影があるので、タイミング良く魚があがったら、私の家に持って来てくれるそうだ。カールも彼の釣り友達も、釣りは好きだがどんどん大型冷蔵庫が一杯になり、マグロのシーズンになると捕った獲物をもてあましているので船が入ればいつでも友達から貰えるという。だいたいアメリカ人の魚料理方法なんて、焼くか炒めるか、ちょっと手が混んでスモークするかくらい。味付けは売っているバーベキュウソースをかけるくらい。私の様に来るたび違う料理がでてくるのは、驚きの一言のようだ。

翌日、体調 絶好調、朝からスキーも「 FOLLOW ME、俺に付いて来い」と言う感じ。晴れた空の下、友達と並んで滑るのは気持ちが良い。ニールはスノーボーダー、他は皆スキーヤー。もっとコンディションが悪いかと思っていたのにスノーメーキングマシーンのおかげで主なコースはほとんど開いている。しかし所々ベースカバーがまだ薄く、石のうえに乗ってしまい、ガリっと卸したばかりのスキーが悲鳴をあげる、おいおいかんべんしてくれよ。

3時頃、リノに向かって出発、二時間半で懐かしいリノのゲートをくぐり、ネオン輝くリノのダウンタウンへ。ホテルへ着くなりサウナに入ってい二日間の筋肉痛を癒す。夕食後に原ちゃんは一勝負しにカジノへ、佐野さんと私はダウンタウンに出て、他のカジノを1時間ほど覗いて戻るとちょうど原ちゃんがジャックポットを出したところ、2ドルのスロットルマシンで幾らになったか聞いたら、「今出たのが3000ドル、その前にすでに$400と$200を出している。」わずか1時間で100ドル札がポケット一杯。以下今回の旅行は原則、原ちゃんのおごり。「今日はなにをやっても負ける気がしないよ。」の言葉どおり、その後ブラックジャックでも勝って総額4000ドルくらいになったそうだ。

渡世人の彼らはその後フットボールのブッキングに、堅気の私はもともと200ドル以上使うつもりはありませんから遊びの範囲でブラクジャックをして55ドルの勝ち。明日のスキーにそなえベッドにはいる。佐野さんによれば原ちゃんは勝っていなければ午前3時4時までギャンブルをやり続けるそうだが、今回は目標額以上をすでに稼いだので明日のスキーに備えとりあえずは就寝。

翌日7時前に起きて、フロントにいってスキー場の情報を集める。ホテルの泊まり客ですでに昨日スキーをして今朝また出かけようとしている韓国人の団体がいたので、ノーススター スキー場の様子を聞くがどうもコンデションはマンモスほどは良くない様、今年はどこも雪足が遅い。どこに行ってもゲレンデ上の石ころに泣かされそう。とりあえず ノースレークタホ方面に向かう。途中4つほどスキー場を見ながら行くがなかなか雪のコンデションの良い所がなく、結局ノーススターにすることにする。長いゴンドラとリフトを乗り継いで頂上に立つと斜面の反対側にタホ湖がみえる。ながめは良いがゲレンデはメインの1本しか開いてなくて、中級者用の斜面だけ、ただ恐ろしく長い4キロくらいある。しかし退屈、「今日の目標はノンストップしかないね。」その目標を2回目にはクリアしてしまい、フットボールの試合の結果が気になる彼らはもう休憩を取りたいという。なぜかリフトに乗合わす人にロシア語を話す人が多い。ロシア崩壊後かなりのロシア人がアメリカに移り住んでいる。私はその後もノンストップで一人で1時間ほど滑っていると、頭上のリフトから私を呼ぶ声が、やっと渡世人がスキーに目覚めてくれたようだ。

さすがに長い斜面をノンストップで滑るとこたえる。佐野さんはジムに通って鍛えているので3人の中では一番年上だが、体力的には一番強い。しかし最近 膝の間接の軟骨が使いすぎで減ってきており時たま痛みをうったえる。ここでの無理が後で問題を生むことになるとは本人薄々感じていたらしい。スキーは2時くらいに上がり、マンモスへ戻る事にする。この辺は西部劇「カートライト兄弟」の舞台になった場所。やがて湖畔の美しい風景の中を走る、湖畔にはテニスコート付きの大きな邸宅が建ち並ぶ、まだネバダ州サイドなのでやがてクラシックなたたずまいの カジノが現れる。佐野さんによるとその昔、J.F.ケネディーとマリリンモンローがしのび会いをしたという、由緒正しいカジノだという。不倫でもカジノは由緒正しいのだ。

当然 博徒たちは寄って行たいと言う。こぢんまりとした湖の辺に立つカジノ、湖に面しいくつかの独立したコテージが並ぶ。なかなかケネディーも洒落た処を知っていたのだな。しかしここに来るまではどうやって世間の眼を欺いたのか、60年代のおおらかなアメリカの世相に思いを馳せる。30分ほどコーヒーを飲んで、原ちゃんのクラップにしばらく付き合い、また出発してうとうとしていたら車が夕飯のために止まる、外に出てみればカーソンというネバダ州の州都でまたカジノ、なんかやたら西部劇に出てくるような、老カーボーイとその奥さんという風情のカップルが多いところである。食後もうここが最後のカジノ、3人で同じテーブルに座り、1時間ほどブラックジャックをする。私は「堅気は固いね」といやみを言われながらも20ドルほど勝つ。ここからは間もなくネバダ州を離れカリフォルニア州へ、後はマンモスにまっすぐ帰還。まだ月も出ず美しい星空の下を走る。原ちゃんのスポーツユテリティーカーを原ちゃんが 運転している、突然原ちゃんが声をあげて急ブレーキを踏む、僕らの前を走る車にゆっくりと大きな白い影が道路左から重なり、避けたかと思った瞬間 “ドン”と鈍い音が聞こえ白い物体が前の車のルーフを超え、こちらに落ちてくる。エルク(大鹿)が前の車に跳ねられた。こちらの車はすでに速度を落としていたので左に避けられたが、目の前に美しい大きな牝鹿が道路に倒れ悶えている。牛くらいの大きさがあり、350kgくらいであろうか。前の車は少し走って止まるが、私達はどうする事も出来ずそのまま行き過ぎる、最近は殆どの人が携帯電話を持っているし、誰か適切な処置が出来る人が助けてあげるだろう。たとえたいしたけがでなくとも、自然界は過酷だ、生き延びるのは難しいであろう。

さて、こんな時 適切な処置とはどんな処置だろう?もし私たちの車で跳ねていたらどうするか意見を出し合ってみた。 曰く「鹿の肉は美味い」と私の意見。「蹄を持った動物は走れなくなったら殺すしかない」これは競馬の大家、佐野さんの意見、拳銃をもたないこのような状態ではどうするか「轢き直して楽にしてあげる。」 ……「それではあまりにも周囲からの印象が悪い」と非難。なんせ大きな鹿が道路を塞いでいるからそのままには出来ないだろう。その後ハンターを初め他の人に意見を聞いてみたところ以下の処置が正解と思われる。

州により法律が違うがまず後続の車の安全を考え、スピードを落とすよう現場手前で知らせ、ハイウェーパトロールか、国有林であればレンジャーに知らせる。その際まだ動物が生きていたら近づかない、たとえば鹿のキックは太い幹を割るほど強い、蹴られたらたまったものではない。

皆さんもオーストラリアではカンガルーに、アフリカでは象さんに、日本では人の飛び出しに気を付けましょう。

7時ごろマンモスに戻り屋外のスパにはいる。星空が美しい、悲しそうな眼をしていた牝鹿が気になる。

翌日7時に目覚めると、佐野さんは膝が痛くて今日は滑れないという。原ちゃんもテレビでフットボールを見ているというので、私だけ半日滑ることにする。「念の為、部屋のキーを持っていて。」という。念の為?再び一抹の疑問が ………

一人でゲレンデに出る、やはり雪質は今のところいマンモスがカリフォルニアでは一番良いようだ。モーグルを7本ほど滑る。この年齢でモーグルをやっている人はほとんどいない。体力は使うがこれが面白いんだよね、でも佐野さん、我々もそろそろ年齢相応の滑りに変えていかなければね。そうは思ってはいるけどゲレンデに出ると忘れちゃうんだよね。でもこれでシーズン初めからいきまりの4日連続のスキー、カールのようにいつまでも楽しめる内はスキーを続けたいね。

12時にコンドに戻るとカール達が帰り支度をしている。うちのコンドに入ると誰もいない、テーブルにメモが置いてある。

「掃除終っています。ランカスターの競馬場に寄っていきますので先に帰ります。」

………. 君達はスキーヤーではない、滑るギャンブラーだ。

何度も通いなれた395号線を一人で南へ車を走らす。マンモスが見えなくなり、シェラネバダ山脈の雪山を右手にみながら青い空の下に黄金に輝く草原の中を走る、しばらくするとアメリカ本土で一番高い山マウントホイットニーが白い雪の中に顔を出す。なんだかとても気分が良い。さてまた次の計画を立てなくちゃ。

SEE YOU AGAIN MAMMOTH!