暖冬             2006年12月3日    小堺 高志

11月も後半になり、サンクスギビングの連休となったが、暖かい日々が続いている。マンモスは11月9日にオープンしているが、雪が少なくて今季はオープニングの週末にはスキーに行かなかった。この連休が我々の今季の初滑りである。

サンクスギビングはここ数年マンモスで向かいのコンドミニマムのカールの一族とディナーを共にするのが恒例になっている。家内は日本から友人の親子が来ており、私の留守の間、女同士予定を立てている様子。私としては、今年は幾分気を使わずスキーに行き易いということになる・・・か?

 

雪不足のため参加メンバーは少なく私と佐野さん、原ちゃんのレギュラーメンバーだけである。マンモスから夏の間使っていた4人乗りのゴムボートを持って帰るため、原ちゃんの新車、トヨタのFJクルーザーを出してもらう。

昨夜ロングビーチのクインメリーのレストランに客人を案内して遅い時間に帰った私は、幾分寝不足で後部座席で眠らせてもらう。

夜中の1時に着くとドアの前にカールの大きなアイスボックスが置いてある。中にはマグロが何頭か入っているが、解体は翌朝にして、まずは寝る前にビールを一杯。

翌朝、6時半に起きてマグロの解体にかかる。50センチくらいのマグロ3頭と60センチ位のマグロが1頭、計4頭の解体に1時間半かかった。これだけ有ると中落ちは贅沢に家の猫用に冷凍して、落ち帰る。9時半ごろ向かいのカールが顔を出したので、一年ぶりに会うバージニアとも挨拶をし、今夜のサンクスギビングデナーの打ち合わせをしてから初滑りのためゲレンデに向かう。

  

 

今季は暖冬でマンモスは自然の雪に恵まれず、人工雪でメインロッジ前のブロードウエイと主にスノーボーダー用のサンダーボンドの2本、そして我々が乗ることのない初心者用のデスカバリーのリフトしか動いていない。それでも3日くらい前からやっと温度が十分に下がり人工雪を日夜造り続けているので、この連休にさらに何本かコースがオープンするはずである。

人工雪も自然の雪と同じ雪質である。温度さえ下がればスノーメーキングマシンはかなりの量の雪を造れるが、本格的に造ると一晩で何万ドルものコストがかかる。そのため人工雪は自然の雪が降るまでの繋ぎであり、客の数と天候を見ながらの経営的判断で雪を造る量を決めているようだ。まだ所々石ころが転がるゲレンデであるが、結構良いコンデションの所もある。初すべりは季節初めのトレーニングのつもりで滑れたら良い。何本か滑ると雪に乗る感覚が戻ってくる。
   

 

最近韓国人のスキー客が目立つ。10年ほど前はほとんどいなかった。今回は駐車場にハングル文字のはいったバスが何台か停まり、眼に入るオリエンタルのほとんどが韓国人である。今日はおそらく日本人の10倍くらいの韓国人が来ている。スキーに限らず我々日本人はアメリカの移民としても今では完全なマイナーである。人数が少なくても民族としてのブランド力を維持できたら良いが、最近の“ゆとり教育“とかで、日本は自らその地位を後続のアジア諸国に譲ろうとしているので、そのブランド力も怪しくなりつつある。日本に10年遅れて韓国が来て、つぎに来るのが中国であるから、10年後にはマンモスのゲレンデも中国人が押しかけているのかも知れない。その他、今までスキーをしなかったインド人、イラン人などもぼちぼちと見るこの頃である。
今季はプリシーズンでリフトが3本とゴンドラしか動いていないのにリフト券は一日63ドルである。クリスマス以降のメインシーズンからは一日券は73ドル になる。お金のかかるスキーはゆとりのバロメーターであるので、韓国も豊かになって来たと言う事であろう。

長い昼休みを取り、メインロッジでビールを飲んでいるとカールがやってきた。

ところでカールが佐野さんに電話で「今回はブラジルから孫が来ているので一緒に連れてくる」と言っていたので、いろんな推測が飛び交っていた。「と、言う事は、昔カールがブラジルに行った時出来た子供の子か?」「じゃー、エリックには異母兄弟がいたと言う事で、何のことはないカールもエリックと同じような事をしていたわけだ」「それにしても、バージニアがよく許したね」などなど。

そのブラジル人ウイリアムを紹介された。今日がはじめてのスノーボードであり、雪を見たのも今日が初めてだという。17歳と言うが、見てくれはすでに二十歳くらいのクールな青年である。アメリカンスクールに行っているそうで英語も話す。そこでカールから事の真相が明かされた。ウイリアムの父親は20年前、留学生としてサンディエゴに滞在しており、エリックの友達でもあり、カール夫妻をアメリカの両親と呼ぶ関係であった。よってウイリアムはカール夫妻にとり“孫”と公言する間柄であった訳だ。なーんだ。カールの18年前のブラジルでの色恋沙汰を期待していた我々はちょっとがっかりである。

 左からカールとウイリアムス

 

2時にはあがって、嘉藤さんを通して新しいスキーを頼んでいるロビンのスキーショップに行く。嘉藤さんお勧めのストックリー(STOCKLI)のスピリットというモデルを頼んでいた。ストックリーはスイスのスキーメーカーで一本一本手造りのスキーのため、あまりマーケットには出ていないし、ディラーも少ない。これも9月にオーダーを入れて取り寄せてもらった物である。しかしまだゲレンデが荒れているので、このスキーで滑るのは十分に雪がゲレンデを覆ってからである。支払いを済ませたが、次回にブーツを持って来てバインディングをつけてもらうため、しばらくロビンに預かって置いてもらうことにした。

 

午後6時にカールのところでサンクスギビングのディナーを催が、カールの息子エック達が10時にならないと着かないので、スゥエーデン人のマリアを加え、今年は昨年と比べて半数の7人でのディナーである。食事の前に例年通り各自が感謝の言葉を述べる。私は過去2年間の喉の病気が今年90%くらいまで回復し、ワイン、ビールを飲めるようになった事と、心配して私の回復を祈ってくれた人たちに感謝の言葉を述べた。バージニアの七面鳥と私のマグロの刺身、その他マグロ三昧の各種料理を食べながら謝肉祭となった。昨夜遅く着いて今朝は朝からスキーをして、疲れている我々は騒がしいエリックが着く時間を避け、10時にはドアをロックして寝ていたのである。

   
バージニアと

 

翌朝、昨夜遅く着いたエリック、シンシア、彼らの友達ゲーリーとセラに挨拶する。ゲレンデで会う約束をして彼らは先にメインロッジに向かう。エリックは4月に、スキーでジャンプをした時に転んで複雑骨折をした。2ヶ月前にやっと歩けるようになったばかりなので留守番である。右足の膝の部分が15個に砕けるという大怪我で、マンモスの病院で手術を受け、10日間入院し2ヶ月をベッドで過ごして、2ヶ月を車椅子、2ヶ月を松葉杖、最近やっと杖なしで歩けるようになったがスキーをやれるようには戻らないであろうと言われているそうである。最近のスキーのバインディングは良くなっており、足をひねっての怪我は少なくなったが、打ち処、落ち処が悪いと常にハイリスクのスポーツであることを忘れてはならない。特に最近は急停止のできないスノーボーダーがぶつかって来ることがあるので自分で気をつけていても、事故に巻き込まれる可能性もある。

 

スノーメーキングマシンの活躍で二日目の今日はフェースリフトの裏側のコースが開いていた。これで滑降距離が2倍になり、かなりスキーらしいコースを楽しめるようになった。さらにいつもレースの練習に使われるファショネーションがオープンした。昨シーズン、マンモスはかなり儲かったはずなので今年は暖冬をカバーすべく、大いに人工雪を造ってもらいたいものである。

昼にカール、シンシア、セラの3人と落ち合い午後から何本か一緒に滑る。セラはスゥエーデン人でスノーボーダーであるが、かなり上手い。綺麗なターンで先を行く彼女をスキーで追いかける。

今日も早々と上がり、帰りにビレッジにあるシュアフットというスキー靴の専門店を覗いてみる。ここはオーダーメードのスキー靴を作ってくれるお店である。用具の中でもスキー靴が合わないのは一番辛い。そして自分の足にあった履き心地の良い靴を見つけるのも難しい。特に日本人の足に合う靴をアメリカで探すのは日本で探すのと違う。日本人は一般に幅広、甲高といわれているが、同じモデルの靴でも、日本で売られる靴のインナーブーツは平均的日本人の足のデーターを集めて作っているが、アメリカでは当然アメリカ人の足のデーターに基づいて作られている。それをオーダーメードでぴったりと合う様に靴を作ってくれると言うのは魅力であるが、値段は普通のスキー靴の2倍以上もする。もう少し市販の靴を試してみて、良いのが有ったら買って、その後どうしても合わなかったらインナーブーツだけここで造って貰う、というのがベストかもしれない。スキーのための出費は厭わぬが、インナーブーツだけでも500ドルするのである。

   
シンシアと佐野さんのツーショット       原ちゃんのポニーテール

 

夕飯は昨晩の残り物でカールの所と合同で食べる事になったが、うちの部屋で4時半くらいからハッピーアワーなどといって飲み始めたのが、そのままディナーの流れになっていく。シンシアとセラはスウエーデン人で金髪美人であるが、セラは黒髪が好きだと嬉しい事を言ってくれる。白髪の混じってきた我々では役不足であろうが、30数年前の北欧で黒髪が崇められた時代の流れが現在のスェーデンにまだ残っていることを知り感激。しかしこの二人、平気で人前で下着姿になり着替えをするし、自分の靴下の臭いをかいで恍惚とするセラ、やはりスウェーデン人はちょっとクレージーでおかしい。なにしろ長く寒い冬を室内でパーティーをして過ごす国民である。夏は何をしているかといえば屋外でパーティーの国であるから一年中飲んで騒いでいることになるスウェーデン人は、皆パーティーアニマルである。

  

9時ごろマグロの頭、骨などを持って恒例のコヨーテにサンクスギビングデナーをあげるため裏山の林の中に皆で行く。わずかな距離であるが登り坂はきつい。餌を木の根元に置いて、エリックが持ってきたナイトビジョン(赤外線夜間可視鏡)で見ると、暗闇の中でも薄緑色に風景が見える。昨夜は直ぐ近くでコヨーテが吠えていたのに今夜は反応がない。ちょっと時間が早すぎたか?それでも野生のコヨーテは20マイルを一晩で移動し食べ物を探すというので直ぐに見つけることであろう。

その後もエリックの友達が2名さらに加わり、私はハードリカは手術以降飲まないが、後で見れば大量のビールとワインの他にウオッカ、焼酎、ジン、などのハードリカが4本も空いていたのである。

   
                   子犬を抱えたセラ
  
 コヨーテの森に入る 
            任務終了

 

3日目は、朝からスノーメーキングマシンがかなりの台数 稼動している。原ちゃんがはぐれて、何本か滑った私と佐野さんの前にブロードウエイとスタンプアレイの間にあるマンボが、まもなく開きそうな気配を見せている。パトロール員が張られた進入禁止の立て札を外しだしたのを見て、開くのを待つ事にした。パトロール員に聞くとキャット(雪を均す雪上車)が作業を終え、安全が確認されたらオープンするという。15分くらいと言ったが今すぐにでも開きそうである。佐野さんと待っていると気配を嗅ぎつけたスキーヤー、スノーボーダーが続々と集まってくる。待つ事10分ほどで、無線のやり取りをしていたパトロール員が挙げた手を横に流してゴーのサインで全員が滑りだす。直滑降で飛ばして行く連中にはかなわないので佐野さんと3-4番手くらいに付けてシーズン初めのマンボのコースを滑降した。

   

しばらく後、さらにマンボの隣のコースがオープンしたので滑り降りると、スタンピアレイのリフト乗り場の方へ向かっている。このリフトはまだ動いていないのを知っているが、どうなるか分からないまま、スタンプアレイのリフル乗り場に向かって滑り降りる。最悪の場合はシャトルバスでメインロッジまで戻れば良いとの覚悟のうえであるが、リフト乗り場に数人の列が出来ている。これって、もう直ぐここのリフトがシーズン始めての乗客を乗せ始めるという事か?だめもとで列に着いた私らの前には5人のスキーヤーが待っていた。10分くらい待つとリフトが動き始め、私と佐野さんはシーズン3列目のスタンプアレイのリフト乗客となった。
   

 

原ちゃんが遅れ気味で元気がない、まだ昨年手術した腰が痛いのかと気遣うが、聞けば痛いのは腰ではなく、ふくらはぎだという。なんだ、それは単なる運動不足と不摂生から来る筋肉痛じゃないか。気遣って損をした。普段一番運動をしていないのは原ちゃんである。シーズン初めにスキーに来る時は少しは体力作りをしてから来て貰いたいものである。

 

一年くらい掛けてシャモニのコンドをアップグレードしていた改装工事が終わりに近づき、昨日ついにジャグジーがオープンした。昨晩はまだ温度が低くて入られなかったが、夕方はじめて新しいジャグジーに入る。その横の、共同のリクレーションルームでフットボールの試合を見た後、カラオケ、ダンスパーティーをしようとエリックが企画しており、料理、ドリンク、プレイステーション3、カラオケセットを運びこんでいる。ここには今年から60インチの大型テレビが設置されている。

雪が少ないと、連休にも関わらず、シャモニーのユニットは半分くらいしか使われていない。私らのコンドの隣には人が入っており、ベランダに出ていた女性にエリックが話しかけている。「隣のユニットの3人が夜パーティーをしていて、うるさいでしょう?」なにを言うかエリック、昨夜、うちのコンドで一番煩く騒いでいたのは貴方だろうが!あきれた奴である。

バージニアが作ったスパゲティー、サラダ、私の魚料理と豚肉のしょうが焼きを戴いた後、フットボールにはあまり関心のない私はシンシア、セラ、マリア、ウイリアムと共にカールのコンドでしばらく話したりゲームをしたりしていた。ハードリカを飲まない私も美女に囲まれビールとワインそして日本酒が少しはいり、気持ち良くなってきた。やがてリクレーションルームでカラオケが始まる。カラオケは国際語である。と、言ってもエリックが持ってきたものでソフトがこちらの物だから、日本の曲があるわけがない。ちょっと古いアメリカの歌やロックがメインである。私も久しぶりに踊ってみる。昔取った杵柄、エンジンがかかるのは遅くなったが、ダンスは得意である、、、、あった。いまだにローリング ストーンなど懐かしいクラッシックロックがかかると自然に体が動き出すのである。若い時体操で鍛えられたお陰か、体は20代の人に負けずに動いている。佐野さん、原ちゃんはすでに引き上げていたが、そのうち他の客も加わり、15名ほどでのダンスパーティーになり、段々と興が乗ってきた私も「グレートダンサー!」などといわれ調子に乗り、しばらく歳を忘れて楽しく体を動かして汗をかいたのであった。
聞けば、この後、解散したと思ったパーティーアニマル軍団は街に繰り出し、もう一騒ぎしたと言うから、おそろしい。

  
スウェーデン美女軍団にかこまれ、これは既婚者としては禁断のショットか?

  
他のユニットの人も加わりパーティーは続く

 

翌日、体が痛いとスキーにいかない原ちゃんにメインロッジに送ってもらい、佐野さんと朝2時間みっちりと滑る。フェースの裏が良い。11時20分スタンプアレイの駐車場に滑り降りると、タイミングよく原ちゃんの黄色い車がピックアップに来てくれた。

もう少し雪が欲しいが、それでも楽しく滑ることができた4日間、シーズン初めとしてはこんなものであろう。昨年のようにクリスマスには雪に恵まれた状態になることを祈る。

私達が帰って月曜から嵐になったが、降雪は6インチ、全山オープンにはまだまだ足らない。