カナディアン・ホスピタリティー   file#3-3-01

三日前までロスは大雨であった。街から見えるローカルの山々が真っ白に雪化粧している。短期間の積雪としては近年にない大雪でローカルのスキー場では 5フィートもの積雪で除雪が間に合わず従業員が仕事場に行けなくて開けられなかったスキー場もあったという。

2 17日からのプレジデント・デーの3連休に合わせて一日の休暇を取り、 かねてよりあこがれのカナダのウイスラー・スキー場に216日から19日、34日のスキー旅行を遂行する。

出発前夜の木曜からサンタ・モニカの佐野さんのところに泊まる。その夜は永年の友人でベニスで寿司屋 "HAMA"や寿司アカデミーを経営するトシのところに行き、ご馳走になる。「来週はパリに行ってフランシス・レイにディナーに誘われているよ」と言っていた。フランシス・レイは70年代に活躍した作曲家でビジネスとは関係ないと思うのではあるが、有名人のコネクションを将来のビジネスに結び付けるトシは相変わらずバイタリティーのある男である。

翌朝フライトは朝8時出発のユナイテド・エアラインのはずであるがチェックインのためカウンターにいったら「チケットにはユナイテドとあるが実際は共同運航の関係にあるエア・カナダのフライトになる」と告げられる。出発まで40分しかない、そのエア・カナダのゲートはロス空港内の位置関係で言えばこのユナイテドのターミナルからまったく正反対の位置にある。そんな事は事前に言ってほしい、出発直前に聞くのは心臓に悪い。一刻も早く移動しなければならないが港内バスを待っていたのでは何時来るか分からない。目の前に止ったシャトルのドライバーに交渉して5ドルで反対側に連れていって貰うことに。ラスト・コールでチェック・インして飛行機に乗り込む事が出来、一安心。我々は間に合ったが、この時 我々のスキーがこの飛行機に乗っていなかったとはつゆ知らず、単純に間に合ったことに安堵したのであった。

カナダには中国人の移民が多い、そして英語とフランス語が公用語で当然中国語は公用語ではないが、我々の席は中国人の乗客に囲まれるような位置で周りの中国人は皆英語を話せないようである。よってスチュワーデスに「ムッシュー・ノン・ノン・ノン」とかと注意されている。佐野さんもシート・ベルト着用のサインが出ているのにの我慢できずトイレに立とうとして「ムッシュー・ノン・ノン」

以降この旅行の間 我々の間でも、事あるごとにその言葉が飛び出すのであった。

飛行機はレークタホの上を通り、予定道り10時半ごろバンクーバーの空港に到着する。私は2回目、18年ぶり、佐野さんはわずか2ヶ月ぶりのバンクーバーである。外には雪が降っている。後で聞けば極寒の国カナダでも、バンクーバーは海流の影響でカナダのリビエラと呼ばれるほど、温暖な気候で雪が降ることはほとんないのだそうである。

荷物受け取りの場所に行きスーツケースを取り、スキーバックは別の場所に出てくるので、そちらに行って、スキーの出てくるのを待つが、なかなか出てこない。荷物受け取りの近くには、他の空港では見たことのないエア・カナダのカウンターがあり、「こんな所に何のためのカウンターかね ?」とのんきに佐野さんと話していたのであるが、そのうちに「ロスからのエア・カナダの荷物はすべて出た」と言う。しかし我々のスキー・バッグはいまだ見当たらない。 周りを見れば同じフライトに乗っていた顔見知りの数人が同じようにスキーを待ってうろうろしている。そのうち、例のカウンターの前に列が出来始め、やがて我々もこのカウンターが行方不明の荷物のクレーム・カウンターであることを知る。

係員は我々の心配をよそに、こんなことは日常茶飯事の出来事と事務的にクレームを処理していく。明日からスキーを予定している我々にとり、スキーが届かないでは済まされない問題であるが、「早速に荷物のあり場所を突き止め、次の便でこちらに送り、あなた方の滞在ホテルに送り届けましょう、もし間に合わない時はレンタル・スキーの領収書を持ってくれば、その料金もお支払いいたしましょう。」という。カナダに着くなりさっそくのカナデアン・ホスピタリティー (カナダ流 もてなし)である。

スキー・バッグなしで幾らか身軽な我々は両替をしてレンタカーのオフィスに向かう。両替は $1.00 U.S. $1.50 CANADAであった。早くも気分的にちょっと得した気分。

レンタ・カーは前もって予約していたが、カウンターのお姉さんがなかなか商売熱心で「保険はどうしますか ? もう8ドルで車種のアップ・グレード出来ますが? ガソリンは買い取りにしたほうが外で入れるより安くなっていますが?」と、勧めるのである。8ドルといえばアメリカドルで言えばわずか5ドルである。先ほどの両替でアメリカドルの強さにすっかり気分を良くしていた我々は「みんな行ってみましょう」とキャデッラクにアップ・グレードしたうえ、すべてのオプションをつけて貰うことに。さて請求書を見ると、そこに有名なカナダの税金が3種類くらい付いて、最初にカナダのレンタカーは安いと思った料金は、丁度2倍になっていたのである。 「まー、旅先ではよくあること、良いでしょう」

さて運転は、市内は前回の旅行でバンクーバーの地理はすべて分かると嘯く佐野さんが、私はスキー場への運転の担当と役割分担をする。佐野さんがまず運転席に座っていざ発進しようとするがサイドブレーキが戻らないという、いろいろ探したがサイドブレーキのリリース・レバーらしきものが見当たらない。キャデラックも古い年式は乗ったことがあるが、新しいタイプは乗ったことがない、かといって人に聞くのも高級車に乗り慣れていないようでしゃくである。奮闘すること約 10分、やっとギヤを入れると自動的にリリースされることがわかったのであった。なんだかやで到着から空港を出るのに二時間半が経っていた。

小雪の中、地図を見ながらダウンタウンに向かう。すでにウィスラーは 2週間くらい積雪がなかった事を知っている我々は、「これは明日は,新雪だ」レンタカーにチェーンが付いていないのが不安である。ランチをとってスタンレーパークの手前、ヨットハーバーに囲まれた WESTIN BAY SHORE HOTELにチェックインする。ホテルは市内でも一等地にある、眺めの良い一流ホテルである。我々はある伝手で破格の値段を貰っているのだが、まともに泊まったら,相当な値段を取られるはずである。が、なんとここに日本の埼玉の私立高校の生徒が200人ほど修学旅行で泊まっている事を知ったのである。

おもわず「なにー、親のすねをかじる高校生の分際でカナダに来て我々と同じホテルに泊まるとは、甘やかすにもほどがある、君たちがこんな所に泊まるのは 32年早い」」と心の中で思うのであった。しかし、この感覚はその後カナダの人たちに聞いても誰もが32年早いとは言わないが、ほぼ同じ感想を述べるのであった。

チェックインして、スパに行って汗を流す。まだ誰もいなくて貸し切り状態である。室内温泉プールからは外のヨットハーバーと、その向うにスタイレー・パークが見える。やがて夕焼けとなり、我々はビールを求めてホテルのバーへ向かう。当然ここはカナダのビールであろう。話好きなバーテンダーがいて、お薦めのレストランを聞くとイングリッシュ・ベイを眺める "ボートハウス"を勧めてくれた。ダウンタウンを一廻りしてボートハウス"にいくと、まず客層の良いのに驚いた、ついでウェートレスのカナディアン・ホスピタリティーに感心し、地元の生牡蛎が旨いのに感心する。ホテルに帰ると顔馴染みのドアマンが「あなた方のスキーが届いていますよ」と教えてくれた。もう一度バーによってナイト・ドリンクを飲んで翌日のスキーに備えて就寝する。

翌朝、 6時に起床すると外はまだ真っ暗、ドアマンに送られて私の運転でウィスラーに向かう。カナダはさすがに30分も郊外に走ると大自然の真っ只中という感じで道路以外あまり人間の臭いのしない自然が私達を向かえる。前も後ろもほとんどウィスラーに向かう車のようだ。左に入り江、右に山を見ながら走ると、やがて空が明るくなってきた。雨も止み40分ほど走った私たちは入り江から離れ森林地帯を走る。ウィスラーまでは車で一時間半位と聞いているが、昨日バンクーバーが雪だったので当然、ウィスラーの近くになったら雪道だろうと勝手に思っていたのだが雪が降った形跡がない。昨夜はチェーンの心配をしていたのに雪を道路に見ないまま、スキー場が見えて来た。始めての私達はとにかく前の車に付いて行くしかない。パーキングに車を入れるとスキー場は歩いてすぐ、目の前にゲレンデが見える、右側がウイスラー、左側がブラックコンという二つのスキー場が下部で一緒になっており、同じチケットでどちらでも滑れる。山の上の方は見えないので大きいとは聞いているが、どのくらいの規模のスキー場なのか実感として分からない。チケットを買いにカスタマー・リレーションの事務所に行く。ここは我々のホーム・スキー場マンモスと経営する会社が同じで我々の持つマンモスのシーズンチケットを見せるとチケットが半額になるのである。一日券がアメリカドルで$20ドルであった。

さてまずはウィスラーのゴンドラであがれ所まで上がってみようと用意をしていると、カメラをロッカーに入れてしまった事に気付き、佐野さんに一声かけてカメラを取りにもどる。ゴンドラの乗り場に行くが佐野さんが見当たらない。探しながら一度ゴンドラ乗り場のすぐ手前まで 行って,やはり気になりもう一度戻る。その時, 佐野さんは私を見つけて後ろから声をかけていたのだそうだが、そのまま私がゴンドラに乗ったと思って次のゴンドラに乗っていたそうである。上についた佐野さんは私がいないので、呼び出しをして貰おうと思ったらしいが、「その様なサービスはない」といわれ「大きな山だからおそらく帰りのパーキングまで会えないないだろう」とまで言われたそうである。

一方私はもう一度最初に佐野さんと別れた所に戻って探すが見つからないのであきらめてゴンドラに乗る、分かれる前に朝飯を上で食べようと言っていたので上のカフェテリアで合えるだろうと望みをかける。ゴンドラは八人乗で、どんどん上に上がって行くが終点がみえない、かなり乗っていたと思った時ステーションに着いたので、降りようとすると周りの人が「まだまだ、ここは中継点で まだゴンドラの三分の一位の地点だ」というマンモスならこのくらいで山頂に着いている、思わずその大きさに仰け反るのであった。どうやらまだ象さんの足の辺りを登っているらしい。後で聞けば佐野さんはここで一度降りてしまったそうである。ゴンドラはさらに上に上がり、向かいにブラックコンのゲレンデのほぼ全景がみえる。話に依ればブラックコンの方が玄人好みとの事だが、まだ象さんの尻尾にぶら下っている状態で皆目大きさが分からない。

ゴンドラを降りると佐野さんが降り口の前で待っていてくれた。とりあえず朝食を取りながら作戦を練る。ゴンドラの到着点の上にさらにマンモス位の山があって、そこがウィスラーの山頂らしい。ここまで上がるとしばらく雪が降っていなかったと言っても、雪質はそんなに悪くない。ここからもっともポプュラーなゲレンデと思われるエメラルドを何回か滑る、下まで行かないのであるが結構な長さがある。マンモスと違って人気のあるコースも半分くらいはグルームしないでモーグルの出来るバンプがしっかりと残してあるのが嬉しい。バンプの凸凹はリフトで上から見ると影が薄れ、大したことなく見えるが、斜面の上から見下ろすと深い凸凹がさらにくっきりと浮かびあがり、大概のバンプを滑り慣れない人は見ただけでビビッテしまう。その50CM−1Mくらいの落差のあるバンプをスキーで舐めながら、滑り降りるのであるから、その衝動を吸収するのはかなりの体力を要求される。

リフトを乗り継いで山頂に立つと周りの山々が見える、この地点が標高 7160フィート、向かいのブラックコンの山頂が7494フィートである。高度的に言えばこの山頂がマンモスで言えば麓である。そのためか空気が濃くマンモスより呼吸が楽に感じる。この日のためにマンモスで高地トレーニングをしていたようなものかもしれない。山頂からどちらに降りたら良いか迷いながらも、とりあえず一度一番下まで降りてみようと言うことになり一番西にあるウィスラー・クリークへ降りるコースを取ってみる。始めて山頂からベースを目指す訳だが、適当にバンプもありモーグルの好きな私には変化に富んだ面白いコースである。ところが下りても下りてもゲレンデは続く。ここの最長コースは7マイル(11.27 キロ)と聞いた。マンモスでも3マイルで後半はちょっとだれぎみの斜面になるから、このように滑りがいのある7マイルは世界にもそんなにないはずである。そのため、このスキーのメッカにはアメリカはもとよりヨーロッパ、 日本、と世界中からのスキー客が訪れている。いい加減くたびれた頃、やっと下に街が見えた、終点はまだまだ先らしい。しかしこの位のところから固く凍った雪質で流して滑るしかなく、あまり面白くない、これで新雪だったらどんなにすばらしいスキー場だろうと思ってしまう。

再び上にゴンドラとリフトで上がってランチを採ってウィスラーの東斜面を何本か滑る。向かいに陽にあったブラックコンの山頂部分が見える。また長いゲレンデをウィスラー・ビレッジに向かって一番下まで下りる。途中からはるか下方にパーキングが見えるが、これは本当に大きなスキー場だと実感する。この日から我々は、マンモスは大きなスキー場だという言葉を封印しよう思った。下まで下りてまだ少し時間が有るので、ブラックコンのゴンドラに乗ってみる、こちらは中継地点がパーキング地帯にしかないので降り間違えることはなかったが、ゴンドラから降りて、さて今どの地点にいるのだろうとゲレンデにある地図を見たが、分からない。当然これだけゴンドラに乗って来たのだから山の中腹地点を見ていたのであるが、改めてゴンドラの乗降地点を確認したら我々は山全体から見ればまだホンの麓にいるのを知り驚くのであった。ブラックコンはウイスラー側より凸凹のバンプが多くこれは私にとり面白い、しかし下まで下りたらもう 3時半でリフトの終わる時間であった。

心地良い疲れで、満足してバンクーバーへ戻る。

ホテルに戻った我々はサウナで今日の疲れを癒す、と言うよりサウナの後のビールが目的であるが。汗をかいてホテルの向かいにある CARDERO'S レストランのバーに行く、このレストランは18年前に来た時にもあった。なかなか洒落た海面の上に建ったレストランでと生ガキを一ダースずつ頼む。ここカナダはアメリカ以上に食文化が洗練されており、盛り付けのセンスは良いし、フランス料理の上品さを保ちながら様々な世界の料理の良い部分を取り入れているようにみえる。ここで佐野さんがちょっと無理なリクエストをしてみる、「ぽん酢を作ってくれ」と言ったのであるが、もちろん「それは何だ」と言われる。「ライス・ビネガとしょうゆソースを合わせたシーフード用のスペシャルソースだ」と説明すると。シェフに頼んであげると言う。ビネガと醤油だけではたいしたものは出来ないが、ここはシェフの腕の見せ所、そして出てきたのはバルサミコ酢を醤油で合わせた立派な味のポン酢で、我々を満足させるものを作ってくれたのであった。バルサミコ酢(イタリアン・赤ビネガ)を使うとはなかなか出来るシェフであろう。ここでまた親切なカナデアン・ホスピタリティーに感謝しながら生牡蛎をいただく、生ビールが旨い。帰り際、佐野さんが2メートルは有ろうかという背の高いウェーターとすれ違いざまぶつかりそうになり、得意の会話「上の天候はどうだい?」と聞くウエーターは「ちょっと空気が薄いよ」と答える。

 その後、イェール・タウンに繰り出す。ここはダウンタウンにある今若者に人気のナイトスポットで、いわ        ば煉瓦作りの倉庫街を何ブロックか洒落た雰囲気の街に作り直した場所である。ダウンタウンには、どこも

夜間にも関わらず歩行がたくさんいる、シアトルから車で 2時間しか離れていないのにアメリカとの治安の違いを見せ付けられる思いである。

翌朝、再び 6時半にウイスラーに向かう、今日はバンクーバーは雨であったがウイスラーに近づくと雪に変った。ウイスラーは朝から2週間ぶりの雪であった。朝一番にブラックコンのゴンドラに乗るつもりであったが雪のため昨日より15分ほどゲレンデに出るのが遅くなり、ゴンドラにはすでに長い列が出来ている。空いているリフトでウイスラーの中腹まで上り、510センチほどの新雪を楽しむ事にする。リフトの下を地元の10代のスキーヤーが一人、見事なシュプールを描いて滑り降りていく。そこはまだ岩や倒木の障害物が一杯の所でもう1フィート降らなければ、かなり腕に覚えのある人でも降りようと思わない場所である。その若さがうらやましい。

アイスバーンに降った新雪は積雪が少なく、すぐに剥がれてしまう。上の方に行かないと新雪を楽しめないようである。昨日滑りまくったせいか太股に筋肉痛が残っている。一度降りてブラックコンのゴンドラに並ぶ、狙いはブラックコン山頂直下の 7th Heaven と呼ばれる斜面。ゴンドラとリフトを3つ乗り継いで山頂に出ると、フォッグがかかって視界が悪い、少し皆に就いて降りていくと、視界が開け、そこからは10センチ位の新雪でコンデションの良いモーグル斜面の連続であった。斜面はそんなにきつくはないが大きなバンプが並んでいる。私にとって最も望むコースである。グルームされたコースも取れるのだが、この歳になっても簡単なコースと挑戦のし甲斐のあるコースがあると大抵、厳しい方を選んでしまうのである。コースが面白いと、ついつい年を考えずに飛ばしてしまう。昨日のスキーですでに老体に支障が出ている。私は太股と背中、佐野さんは腰と膝、どちらが厳しいか競い合いながら滑る。とりわけモーグルは膝を使うので年式の古いショックアブゾーバーを持つ我々は大変である。そしてついに私より年式が1年古い佐野さんのショックアブゾーバーが休憩を要求し、佐野さんは1時間ほど休むという。

私だけさらにこのコースを 2回ほど滑って山頂で落ち合うことにして滑り始める。途中雲が動き雲間から日差しがもれ、こちら側の7th Heavenを照らす、丁度その時,メインのコースからはずれた森に切られた誰もいないコースにいた私は、目の前が急に眩しく照らされ、そこに、 その名の通り、スキーヤーにとり 『7つ目の天国』へ続くとも思える風景が現れた。こんな風景を見てこの斜面は名付けられたのであろうと、しばし、その美しさに見とれてしまった。2本滑って山頂に戻ると佐野さんが待っていて一緒に反対側の谷へ滑り降りる。

後ろ髪を引かれる思いで、スキー場を後にするが、これで雪が良かったら、いよいよブレーキが効かず、老体を 5日間もいたぶったら本当に体を壊すだろうと思ったのである。世界中からスキーヤーが来るにはそれだけの訳がある。この魅力に取り付かれ住み着いてしまった人もたくさんいる。スキー場のレストラン等ではワーキング・ホリデーのビザで働く日本やオーストラリヤから来た若者を何人か見た。まさにスキーのメッカに触れたと誰もが思う所である。帰り道バンクーバーとの中間点にある唯一の村、スカミッシュでパブを見つけ生ビールで乾杯。パブを出るとまもなく夕日が入り江を照らし、絵画のような美しいカナダの自然を見せてくれた。

夜、佐野さんが仕事の関係で知っている船会社に働くニックを呼び出す。ニックは日本人とノルーウエー人の混血で、佐野さんは前回バンクーバーに来た時に会っている。そして実は彼の実家はかなりのお金持ちでウイスラーにも 別荘を持っている。"にも"であるからフロリダ"にも"あるし他にも別荘を持っているそうである。そして我々は今回その別荘を使わせて貰えるはずであったが、お父さんがすでにレンタルに出していたために、我々にオーケーを出していたニックはお父さんと言い争いまでしたそうで、我々はバンクーバーのホテルを予約することになったのである。

BMW で迎えに来てくれた彼の案内でグランビル・アイランドのレストランに食事に行く。ここもウオーターフロントのお洒落なスポットである。食事の後チャイナタウン、ガスタウンを案内してホテルに送ってくれた。今度来る時の滞在先はウイスラーの彼の別荘であろうか? 定番のホテルのバーに立ち寄るとバーテンダーとウエイトレスが「今日は暇で、あなた方の来るのを3時間待っていた」と言ってスペシャル・ドリンクを作ってくれた。

明日はチェックアウトであるがチェックアウトは何時でも .良いという。居心地の良いホテルである。

バンクーバー最後の朝はダウンタウンに散歩に行き、昼ごろチェックアウト、スタンレーパークのティーハウスでランチをとって 30分ほど郊外のローカルのスキー場をのぞき、佐野さんの希望でサスペンション・ブリッジに行く、私は前にも行ったことがあるが、思ったより幅があって怖くない。サイドの金網を取ればかなりスリルのある観光地としてもっと客が集まるのにと提案したい。

帰りの飛行機は又してもムッシュー・エアラインであった。ロス空港に着いたのはもう真夜中に近いというのに、この連休を方々で過ごした旅行者でまだ空港はごったがえしていた。外は雨降り、皮肉なことに雪を求めて北にいったカナダは近年にないドライな冬で、ここカリフォルニアは私たちがカナダに行っている間にさらに数フィートの積雪を見たのであった。

まだまだスキーシーズンは続く。