ぶつかり稽古   2011526日   小堺 高志

 

管首相が浜岡原発の停止を政治的判断で要請した。長い目で見れば正しい決断かもしれないが今、全国的に電力が足りない時にとっぴに言い出したことでこの弊害はさまざまな形で現れる。間違いなく日本経済の復興に電力は必要であるから復興が遅れる。本来なら原子力委員会、業界団体である電気事業連合とも打ち合わせて一番影響のないように進めるのが筋であるが、首相要請という実際は断れない要請をされ、浜岡原発は緊急停止を余儀なくされた。

事前に他の原発に影響の無い形で浜岡原発だけを廃棄する世論を作らなければならなかったが、最近になってこの管首相のパフォーマンスのような浜岡原発停止の発表は功名をあせった管首相が下ごしらえをしてきた人のアイデアをかってに取って内容もよく吟味せずに先走り発表したものだという。

いま全国の自治体から原発の危険性を指摘され安全性を示せなければ社会の流れは反原発になり、未曾有の慢性的電力不足を招いて経済の立ち直りを不可能にしてしまう。すべての原発は定期検査のあと自冶体の了解を得なければならず、それが出来なければぞくぞくと原発が停止してしまう可能がある。

管首相は専門家をアドバイサーとして雇いながら、まったくそのアドバイスを聞かないで政治的判断を政権延命の立場でするのでアドバイサーに愛想をつかされ辞任されてしまう。今回の件もそもそも要請であり命令ではないから自分には責任が及ばない。管首相の政治的判断とは政権延命のための判断でしかない。ご粗末な首相に早く辞めて欲しいのだが今の日本にこの事態を打開できる優れた政治家はいない。

日本は今、その国際的な地位をどんどんと落としている。経済は一流、政治は二流と言われた日本は今や政治・外交は三流に成り下がり隣国の中国、韓国、ロシア、北朝鮮事からはすっかり甞められている。さらには得意な経済分野でも2流国に落ちようとしていることに大概の国民は気づいていない。トラスト ミーとまで言って結局アメリカを裏切った鳩山前首相、姑息なやり方で政権延命に走り信頼をなくす管首相。なんとも表に出したくない政権担当者が続く。

 

若い人はもっと好奇心と向上心を持たなければならない。先日の記事で1990年ごろアメリカには日本からの留学生が5万人いて列国で一位であった。それが今では2万人に減っている。海外勤務を望む若者も減っている。今の日本を引っ張っている人の中には留学経験のある人が多い。実際国際企業は国内だけの市場での生き残りは難しく、社員採用も外国語を話せる留学生や外国人枠を増やし海外市場を目指している。。それなのに日本の若者の外国離れは明らかに国としての元気を失い、将来の国力の減速を予感させる現象である。

 

さて、不甲斐ない祖国に前置きが長くなってしまったが、これはスキーのホームページである。520日金曜、5月も後半になっているのに、今週の初めは朝方など肌寒い日が続いていた。マンモスでは今週も30cm以上の雪が降っている。

佐野さんが行けないというので斉藤さんとマンモス行きの予定を進めていた。

 

金曜の昼ごろ突然、羽鳥さんから電話がはいり、「今、サクラメントにいますが、今週末はマンモスにきますか?」と聞いてきた、彼はワシントン州に登録されている車の件でシアトルにいって、来週まで戻らないと聞いていたが、今その帰り道で、シアトルで落ち合った息子さんと週末にマンモスに寄って滑ってから戻るのだと言う。「それならこちらは二人だけですから、キャニオンロッジに泊ますか?」と聞いたら「そうさせていただけたら嬉しいです」というので4人でのマンモスとなった。賑やかでその方がいい。

 

マンモスに付いたのは夜中の1時10分。すでに羽鳥さん親子は到着していたが着いたのは夜中の12時ごろだったという。私にサクラメントから電話した後、ヨセミテ公園を横断してマンモスに来ようとしたら公園の入り口で「その道路はまだ開いていないよ」と、当然のように言われ、北にもどり、6時間余計にかけて我々の着く1時間少し前にマンモスに着いたのだそうだ。

実は我々の仲間内ではヨセミテ公園を横断してモノレーク近くに抜ける道路120号線は雪のため毎年5月の最後の週末であるメモリアルホリデーまで開かないのは常識である。まして今年は雪が多いのでおそらく6月の半ばまで開かない。

 

薄曇の土曜日、斉藤さんと先にゲレンデに向かう。駐車場は来週の連休を前に空いている。何本か滑るが、数日前に降った雪が踏み固められる前に溶けてスキーには非常に悪いコンデションである。なだらかな斜面では重くて柔らかい雪のため制動がかかり「おっとと」と、前につんのめるくらい減速してしまう。



朝から暖かく先日降った雪がべたべた。でも雪は今の季節として葉まだ驚くほどある。ゴンドラで山頂に向かう。
 

スタンピーのリフトを降りてフェースのリフトに向かう時にスピードは出ていなかったのだが、右側の斉藤さんとぶつかって飛ばされてしまった。斉藤さんの説ではその場にこけただけ、私の感覚的ではぶちかましで5メートルくらい飛ばされた。開脚する変な格好で前に転んだのでしばらく立てなかった、斉藤さんは普段からぶつかり稽古をやっているのでなんとも無いのが癪に障る。(どすこい系でなくホッケイ系ですが)

 

昔は体の柔らかさが自慢で、どんな変な格好で転んでもなんともなかったが、私の体もかなり硬くなっている。

幸い立ち上がって滑り続ける事が出来たが、斉藤さんに言わせると私が後ろに位置していたから私が悪いのだというが、私にもぶつかる寸前まで斉藤さんの姿は見えていなかったから、どう見ても左右から同時にぶつかったというのが真相である。これはどちらを信じるかと言う問題である。

 

ちょうどマッコイで休みをとっている時、パトロール員が負傷者の手当てをする様子を見ていた直後だった。斉藤さんは来年新潟のスキー場近くに移住するが、その前に今年スキーの一級を取った。ゆくゆくは新潟のスキー場でパトロール員になり余暇を過ごしたいらしい。そしてゆくゆくは倒れた女性がいたら強引にマウストーマウスで救いたいと言う壮大かつ、ふしだらな考えをもった仏の仮面をかぶった赤鬼である。斉藤さんのマウストーマウスなど女性が受けたら軽症が重症に、重症が危篤になってしまう。そんな赤鬼とぶちかましを受けた善良な市民である私のどちらの言い分を信じるかを世間に問いたい。



山頂ではまだ10メートルのポールが埋まっている、記念撮影をするスキーヤーたち。
 

羽鳥さんの息子、士朗君は大学生になったばかり、その年齢ではめずらしくスノーボーダーでなくスキーヤーである。それもジャンプやらレールやらをするエクストリームスキーヤーなのでほとんどをスノーパークで滑っている。彼はスキーのメッカ、コロラドの大学にいっているが、今は試験の後でもう夏休みだとか。コロラドの大学では、これから9月まで夏休みで、11月から春までは冬休みという噂は本当だろうか?それともお父さん騙されていない?

 

午後からさらに雪が重く滑り辛くなってきた。モーグルをしたかったのにそんなコンデションではなかった。


コンデションが悪く歯が立たなかったモーグル斜面、羽鳥さん親子と。

 

3時に上がって夕食の仕度をしてジャグジーに行く。今日のメニューはサラダ、ナスと豚肉の甘辛味噌仕立て、豚肉の野菜炒め、そして斉藤さんのマーボ豆腐である。

ワインが旨くてついすすんでしまう。斉藤さん私が酔って寝てしまったところを弄んで膝枕で写真を撮っていてくれた。「この写真はホームページに載せないと駄目だよ」と言われたが、誰が載せるものか。



インスタントでない斉藤さんがソースから作ったマーボ豆腐は最高でした
 

日曜、昨日より雲の少ない良い天気である。820分にスタンピーの駐車場に向かう。昨日よりリフト乗り場に近い好位置を確保したが、まだ昨日の斉藤関とのぶつかり稽古のダメージが少し残っている。昨日の稽古直後は股関節が痛かったが、今は股関節より右足の膝が痛い。

しかし、滑るのには影響はほとんど無く、休み無くノンストップで滑り続ける。今日の雪は昨日よりはるかに良い。

ショートターン、ロングターンを取り混ぜスタンピーとマンボのコースを中心に滑る。そして斉藤さんとビデオの撮り合いをして研究の材料に。ビデオに取ると自分の滑りの欠点がわかる。



コロラドの大学にスキーの勉強?に行っている士朗君


羽鳥さんのポルシェ。このスモッグテストのためにシアトルまで行ってきた。帰りの運転は士朗君。 斉藤さんが撮ってくれた運転中の私。

羽鳥さんは昔ドイツに赴任中、ポルシェに見せられ、今回その車の件でシアトルに行って来た。狭いポルシェの車内にスキー2セットと半端でない士朗君の荷物を合わせると、そうとうに頭を捻らないとすべて積みきれない。
先に出た私と斉藤さんは
帰りがけに街中のスポーツ具店のセールを覗いてみる。本格的なセールは来週のメモリアルウィークエンドからであるが、車用の雪払いの道具と膝のサポーターを半額引きで買えた。

それから395号線に戻ると前方にすでに出たと思っていた羽鳥さんのポルシェを見つけた。と言うことは今まで30分ほどどうやって荷物を全部積もうかと苦戦していたものと思われる。しかし後ろからでは助手席の人が見えない。「さては荷物をつむか、息子の士朗君を乗せるかで荷物を取ったな?」と想い様子を見るため並走すると助手席に羽鳥さんが座り、運転しているのは士朗君であった。「お!士朗君捨てられないでよかったな」

帰りは羽鳥さんの車と前後しながらエルエーまで走る。

明日からまた忙しい一週間が始まる。