“ブラック ダイヤモンド”     file#00-3-30      小堺高志

3月10日、金曜日、サンタモニカの佐野さんの所に夜7時という、いつもより遅い時間に集合した我々は又してもマンモスへ向かった。メンバーは久しぶりに参加した原ちゃんと、いつもの佐野さん、ラッシュアワーを避けた時間に出たため、道路はほとんど混んでいない。

途中のモハベで夕飯のためファーストフードのウェンディーズに寄り、スパイシーチキン バーガーをたべる、時間も夜10時を廻っているため、お店の中が汚れっぱなしで汚い、「もう2度と来るものか!」、と3週間前にも同じ事を同じ場所で言った覚えがある。もう一度、「こんな店、もう2度とくるものか!」

マンモスまであと40分というこのあたり一番の街、ビショップを過ぎるとまもなく道路は山間部に入り、標高が上がる。原ちゃんの車に付いた外の気温を示す温度計がどんどん下がり始め、やがて24度(−4℃)を示す。 2日前に 雪が降っているので、これは良い兆候である。雪質がそのままパァウダーで残っている可能性が高い。
ところがマンモスに近づくにつれ気温はどんどん上がり、マンモスに着いたらなんと外気は真夜中を廻っている時間だと言うのに7位にまで上がってしまった。ちょうどマンモスとビショップの間に停滞前線があったようである、しかも北のマンモスの方が温かく夜中なのに屋根から雪解けの雫がぽたぽたと落ちている。パァウダースノーがいきなり水溜りの水である、まさに「パァウダーの夢、水に流れる」 である。

翌日 7時ごろ起きゲレンデに向かう、天候は快晴、暖かい一日になりそう。グルームされたゲレンデを何本か滑り、山の最高部へ行く。全体的にこの暖かさで雪が重い、こんな時は怪我が多いコンデションである。マンモスのコースは6段階に難易度が表示してあり、ダブル ブラック ダイアモンドとランク付けされる最難度の斜面も含め、ほとんど滑っているがその中で一ヶ所だけハングマンとよばれる文字どおり、人がぶら下がるような急斜面だけ降りていない。だいたい斜面は下から見上げるより、滑り降りる上部から見降ろす方が倍くらい急で、でこぼこも大きく見える。ダブル ブラック ダイヤモンドだと「二階から飛び降りろと言うのか!」といった感じの滑り出しである。

そんなダブル ブラック ダイヤモンドの一つDROP OUTと呼ばれる急斜面を滑る。急斜面ではターンの終了ごとに両スキーのエッジを均等に使い安定感をあたえるのが基本である。結構基本どおり上部の急斜面部分をクリアーし、安心して細かいターンにはいってすぐ、右足のスキーが重い雪の塊に取られた。谷側へ真下を向いた状態で左のスキーだけでふんばることとなるが右足がついてこない、右のバインディングが外れ、身体はそのまま頭から谷側に投げ出される格好となり顔面を少し打ち、20メートルほど流されて止まる。まず「はずれたスキーを取りに戻らないといけないな」と上をみると、ちょうどそのスキー板がこちらに向かって滑り落ちてくる。うまい具合にキャッチしてそのスキー板を雪面に刺し、身体に付いた雪を払おうとすると、雪面に赤い血がぽたぽたと垂れている。冷静に状況を判断すると、鼻を打って鼻血を出したらしい。隣のゲレンデから廻り込んで来た佐野さんが下のほうから声をかける。、大丈夫だと合図を送る。幸いたいした出血でなく、すぐに鼻血も止まった。スキーでこれまで怪我らしい怪我もせず40数年滑ってきた私は鼻血を出したのもスキーではこれが初めてだと思う。以降我々はこの斜面をブラディーノーズと呼ぶことにした。

佐野さんと私は DYNASTAR SPEED SXという同じモデル、長さのスキーに乗っている。リフトを待つ間に同じスキーを履いたスキーヤーが声をかけて来る。「おい、このスキーはどうだい、いいよねー」、我々「いいんじゃないかい!」私がスキーマガジン等で評判を見て選んだスキーである。そこで佐野さん日本語で「我々のはあんたのよりお金っかかっているんだからね、一緒にしないで欲しいね。」とつぶやく。

そう、スキーに妥協を許さない我々はロス中のお店を捜して、希望のサイズがなかったのでメーカーから直接取り寄せて、75ドルほど余計にお金をかけているのである。

佐野さんとスキーにかよって20年以上になる、その間の彼の進歩著しく6年ほど前に免許皆伝を与えて以来、今や滑りではどちらが師匠かわからないが、佐野さんは今だに私のことを「私のスキーマスター」と紹介する。私との出会いなしに彼のスキー狂いの人生は語れず、スキーの面白さを教えたのも私だという自負はあるので、あえてスキーに関してはいつまでも私が師匠挌で居続けるだろうし、彼は私にとっては常にベストスキーメートである。

運動不足の原ちゃんが幾分遅れ気味である。後日、「おじさんと筋肉トレーニングをやっているようなスキーだった。」と E-MAILが入ってきたが、まさにこの歳で体育会なみのハードなスキーを続けている人はマンモスでも少ないと思う。スキーは初心者用のコースを流している時と上級者用斜面を気合をいれて滑るのとでは運動量が3−5倍も違う。ましてマンモスの頂上は11,053フイート(3,370メートル)ある。空気中の酸素も平地の70%位になる。そこを滑るのであるから、普段から体力維持に務めなければ出来ないことである。それが出来なくなったときは我々も初心者コースで日光浴をしながスキーを楽しむことにしようと決めている。

翌週の3月17日、金曜日、我々はまたしてもマンモスに向かっていた。月明かりの中、シェラネバダ山脈の雪山が左手に墨絵のように浮かび上がる、山上には星空。同行者は佐野さんと我らが釣り師で元ヒマラヤ登山隊員の頼道さん、彼は今回、4月末に迫った釣りの解禁日の下見と写真を撮るための参加である。原ちゃんは今ごろフロリダで日光浴か。でも仕事で行っているし、先週日焼け止めをせずにスキーをして雪焼けで顔がやけど状態であったからホテルでおとなしくしているはずである。

実は今回はハングマンを滑るという一つの目標を持っていた。、ハングマンは最難易度の

急斜面 ダブル ブラック ダイヤモンドの中でもシュートという左右を岩に囲まれた狭い部分を持ったマンモスでもっとも難しいコースである。以前に一度上から覗いて「止めとくか」とあきらめた事が有る。いつの間にかマンモスでここだけが滑っていないコースになっていた。この様なリスクのあるコースを滑る時は雪のコンデションと、技術に基づく自信がなにより大切である。今日は雪質も体調も良い。午前中いろんなコースを滑り、午後ゴンドラでスキー場の最高地点に降りた私は佐野さんにハングマンを狙っている旨をつげ、別コースに進む。その時点ではまだ半々の可能性、びびったら止めておくべきであろう。

コースの上に立つと昼でも日陰になるほどにえぐれた滑り口が足の下に見える。何度か滑った他のコースの滑りだしも似たような処はある、でもそれ以上に急斜面が長い。スキーのエッジの跡があるということは急勾配でもエッジは効くということだ。恐怖心はない、いける。

ハングマンの入り口

滑るり出すポイントを決め、頭の中で最初の数ターンのシミュレーションをする。そしてゆっくりとスキーは滑り出す。最初の最急勾配部分は定番どおり斜めに入る、思ったとおりスキーのエッジは十分に効いている。そのまま落差で3メートルくらい下がった所に最初のターンのポイントがあるがここは一度傾斜が緩くなるのでそこまで行けば1つ目のターンは問題ない,無事に通過する。2−5番目くらいのターンが一番難しい急斜面にある。転ばなければ怪我をする事はない。急斜面で大きなターンは取れない、クイックなジャンブターンが必要である。慎重に1つ1つのジャンプターンを切りながら滑る。両足のエッジが雪面を捉えている。左右に岩の有るシュートに入る、シュートは十分な広さがあったが思いがけなく少し雪をかぶった岩がコース上にみえる。かろうじてその岩をよけてシュートをクリアーする。以後は急ではあるが滑り易いコースに出る。その斜面も段々となだらかになってくる。

滑り終えれば、まーこんなものかと言うことでスキーとしてはリスクがあるだけでけっして面白いスキーではなかった。マンモスのコースはすべて制覇したという、話しの種に降りたにすぎない、あまり意味のないスキーであったとも感じる。満足感としては難しいモーグルを上手く滑れた時の方が遥かに大きい。

今日は晴天で春のような気候である、佐野さんと合流し、この気候でのスキーを堪能する。気温が変われば雪質も変わる、暖かい気候の重くスローな雪質には、またそれなりのスキーの楽しみ方がある。深いモーグルで  “ I HATE YOU ! “ と言われる。「なんでそんなに上手く滑れるの、にくらしい!」という最高の誉め言葉か。

翌日の日曜日は朝からみぞれ交じりの強風が吹いている。また来れるさ。と余裕の我々は

早々とあきらめ、帰途につく。右手にマウント ホイットニーをみながら登山家の頼さんに登山の話しを聞きながら車を南に走らせる。都会で育った頼さんは中学生のころみた雪山に見せられ「いつかあの尾根に立ってやるぞ」と思ったのが彼をヒマラヤまで導いた原点であったという。私も27年前にカトマンズにはいる峠でみた屏風のような雄大なヒマラヤ連峰の姿が思い浮かぶ。自然に囲まれて少年時代を過ごした私は山の頂上に対するこだわりは全く持たない。、変わりに自然の中で遊ぶことに関しては知らず知らず父などから教わり、ものごころ付いて冬は当然雪が降るものと思っていたあのころ、最初に持った30cmほどの長さのスキー、1つ違いの兄と通った裏山、それが私のスキーの原点かもしれない。そこには最終的な“山頂”といった目標はない。しかし終わる事のないチャレンジとその過程で得る、満足感。この素晴らしい自然のなかの運動を教えてくれた人、環境に感謝したい。

いつのまにか季節はもう春であった。