雨のウィスラー   小堺 高志    3月27日 2007年

 

3年ぶり4回目のカナダ、ウィスラーへの遠征である。暖冬で雪の少ないカリフォルニアに対し、北のカナダでは記録に残るほどの大雪だそうである。今回は佐野さんと私がロスから、そして日本から貞やんが来て現地で合流することになっている。貞やんは私がアメリカに来て直ぐに出会い、一緒に中南を旅した友である。彼との出会いは私のホームページの「夏の風」をご覧頂きたい。その後、彼は数年間、私のスキーパートナーであった。

今回は、5泊6日のスキー旅行であるが、実際は15日の木曜は一日働いてフライトは夜中の9時8分の出発なので実質5日間である。予約の段階からウィスラーのリザベーション・センターのリサと言う人にお世話になっていて。滞在中にディナーに招待している。

 

夕方6時に佐野さんをサンタモニカでピックアップして空港に向う。空港のパーキングからのシャトルバスの中で貞やんから電話が入った。彼はすでにウィスラーに着いていて、外は軽く雪が舞っているという。我々はまだここからウィスラーへ8時間くらいの長い旅である。

テロ対策で空港のセキュリティーはさらに厳しくなっている。靴を脱がされ、バンドを外され、スーツケースのロックはかけないように言われる。テロから身を守るには自分の荷物は守れないようである。

 

2時間半の夜間飛行で飛行機は着陸態勢に入る。バンククーバーは雨である。荷物を受け取り夜中の12時半、迎いに来たバンに乗り、ウィスラーに向う。真夜中なのでさすがに乗客は私と佐野さんだけ、ドライバーはオーストラリアからワーキングホリディで来ている若者であった。オーストラリアもカナダと同じ旧大英帝国連邦の一国であるので、ビザの審査は比較的簡単で取り易く、ワーキングホリディーで半年間働ける。その後、最高3年まで延期出来るという。途中のスカミッシュ辺りから雨が雪に変った。これは良い、かなり激しく降り続ける雪に、心はすでに明日のゲレンデにある。2010年の冬季オリンピックを目指し、途中の道路は方々で一方通行となり、拡張工事をしている。そのためウィスラーに着いたのは午前3時。宿はホテルではなくコンドなのでフロントデスクもないし、大きな看板が出ているわけではなく分かり難い。すでに部屋に入っている貞やんの携帯に電話をするが彼の電話番号は日本の番号を表示していて、そのまま掛けなおしたのでは通じない。建物は分かったが入り口から上に行くエレベーターのドアが鍵が無いと開けられないようになっている。チェックインは貞やんがすでにしてるが、ロッジに入るためのキーを持っていない我々は、入れない、連絡もとれないという状態になってしまった。真夜中であるがどこか連絡が取れるはずであると、ドライバーが方々に電話をしてやっと、夜間チェックインのオフィスの場所が分かり佐野さんに荷物の番をしてもらい、雪の降る中、私がドライバーと数ブロック離れたその場所に歩いて向う。すでに道路には10cmほどの雪が積もっている。そこで鍵の入ったロッカーのコンビネーション・ナンバーを貰い、やっとキーを手に入れた。ドライバーに感謝してチップを渡しエレベーターに乗り込む事ができた。

 

部屋番号は312号室、貞やんとは日本で会って以来3年半ぶりの出会い、佐野さんは10年ぶりくらいだと思う。しばらく話をしてベッドに入ったのは4時であった。うとうとして7時前に起床すると外は雪。今回の宿はビッレジの中のマーケット・プレースと言うこの辺で一番大きなマーケットの近くで、周りには酒屋さん、レストラン、土産物店などなんでもある便利なロケーションであるが、ゲレンデに出るには10分ほど歩かなければならない。これがスキーを持って歩くには、なんとも中途半端な距離である。ゲレンデへはシャトルバスで向う事にしてシャトル乗り場に行くと、雪はいつからか、雨に変っていて暖かい。

  
貞やんと再会

第一日目はウィスラーサイドのゴンドラであがる。高度があがれば雪に成るかとゴンドラの外を見てるが、いつまでたっても外は雨のままでゴンドラの終点であるラウンドハウスについてしまった。数時間でこんなにコンデションが悪くなるとは思わなかった。おそらく朝方になり急に風向きが変わり暖かな空気が流れ込んだと思われる。そこからさらに上に行くリフトは動いていないので今日は雨の中でのスキーとなりそうだ。

最初の一本はエメラルドと言うリフトの下の中級用斜面を下りてみるが、昨夜降った20センチほどの雪が濡れて重い。これでパウダーであればパラダイスであるが、雨の中のスキーは最悪である。聞けば昨日までは最高の雪質で良かったという話であるが、3月半ばはカナダ遠征にはちょっと遅かったのかも知れない。暖かくても雪は沢山あるので雨さえ降らなかったら春スキーを楽しめるのであるが。

そのままラウンドハウスで遅い朝食を食べる。今日は金曜の上、雨なのでさすがに食堂もリフトラインも空いている。貞やんはこのスキー場は始めてなのでもっと良いコンディションで滑れたら印象も変るだろうが、雨ではどうしようもない気分も暗くなる。ハーモニーを滑る。ハーモニーにはかなりのまだスキーヤーに荒されていない昨夜の雪が残っているが、朝からの雨に荒らされていた。ターンには重く、時たま急制動がかかる滑り難い雪である。

もう一度ハーモニーで上に上がりラウンドハウスまで戻ろうとしたら急に視界が悪くなり風が吹き硬い細かな雪粒が顔面に当たる。ゴーグルを取り出しているうちに二人を見失ってしまった。そのままラウンドテーブルに戻り、電話を掛けるが山の中のため電波が届かず、佐野さんの所にも電話が繋がらない。無線機は見える範囲でしか届かないので応答なしである。しょうがなく一人で何本か滑る。ラウンドハウスの辺りから下は雨である。雨で緩んだ雪は重く滑りにくいが、滑って固められた斜面は幾分滑りやすくなっている。しかし我々がカナダまで求めてきたコンデションにはほど遠い。ジャケットは新しいので防水機能が保たれているが、手袋は絞れば水が出そうなくらいびしょびしょになってきた。


    
朝食を食べ                      雨のゲレンデへ 

    
雨に濡れたウィスラー                下は雨雲、上も雨

ビッレジまで下りたらやっと電話が通じるようになった。仕事の電話と、貞やん、佐野さんから何本かメッセージが入っていた。すでに二人はびしょ濡れで宿に戻っていた。まだ雨の残る中、宿に向ってビレッジのメインストリートをスキーとブーツを持って歩く。ここのリゾートは一部マンモスのオーナーと同じなのでマンモスのシーズンチケット保有者である私たちはここでのリフトチケットは半額である。しかしマンモスよりここのリゾートは格が上であり、ビッレッジも綺麗で大規模である。マンモスはここを手本に高級志向で改善中であるが、スキー場内の物価はマンモスのほうが高く、混雑するだけであれば、客のための改善ではなく、投資のための経営である。

似た様なヨーロッパ風の建物が並ぶ中で自分の宿を見つけるのは大変かと思ったが、幸い見覚えのある場所に行き着き、無事に帰ることが出来た。暖炉の前に濡れたものを乾かし、マーケットに夕食の買い物に行く。日本食も最低限そろっている。幾分食材はロスから持ってきているがリゾート地なのでビレッジ内のマーケットでの値段はマンモスのボンズよりは高い。買い物は米ドルでも、カナダドルでも、どちらでも出来るが、米ドルが安くなった今は殆ど両替による利点なくなってしまった。

 

貞やんが昨夜バンクーバーからここに来るシャトル・バンの中に日本から持ってきた日本酒を置き忘れた事に気づき、運行会社に問い合わせていたが、夕方見つかったと連絡があり受け取りに行って来た。アメリカならもう飲まれていたかもしれない。昨日のドライバーといい、カナダに住む人は自然にも、人にも優しい。明日はもっと良い雪と、更なる良い思い出が欲しい。

 

翌土曜も朝から小雨、いよいよ 今回のスキーは天候から見放されているようである。天気予報でも今日は一日中、雨時々曇りである。昨日びしょびしょで帰ってきたので今日は朝マーケットに寄って99セントでビニールの袋のような雨具を買い、上に羽織る。今日はブラックコンのゴンドラに乗り、上に移動していく。このスキー場は麓でウイスラーとブラッコンのサイドに別れ、それぞれの山に向ってゴンドラが出ている。昨日ほどではないが今日もゴンドラの外は雨で濡れていて、山の下部半分では今日も雪になりそうもない。

ゴンドラを降りてエクスレーターのリフトに乗り換え、その次にグレーシャーのリフトに乗り継ぐため私が先頭で300メートルくらい離れたリフト乗り場に移動する。貞やんは直ぐ後ろに来たが佐野さんが待っていても来ない。貞やんには『先に行っていて』と言ったそうだが、視界が悪いので、どうも違うリフトに乗ってしまったようだ。集合場所を決めていたので先に山頂近くのホーストマン・ハットに向う。開いたばかりの山小屋のような雪にうまった休憩所にはまだ一人も客が居ない。従業員が先ほどから長電話を掛けている。昨日もはぐれて今日も朝一番からまたはぐれているから、なんとも学習しない我々である。小屋の中で貞やんと10分くらい待って、外に様子を見に行くと、お尋ね者佐野さんが小屋の向かいでマップを見ている。大きな声を出せない私は持っている笛を吹いて、佐野さんを呼ぶが気が付いてくれない。何度か笛を吹きながら近づくが、周りの人が気づいているのに、肝心の佐野さんは私が3メートル近くまで近づいてやっと私の笛の音に気が付いた。聞けばやはり違うリフトに乗ってしまい、一度下りて我々を追って来たそうである

さすがに高度の高いここでは雨は雪になっている。ここから下りられるセェブンス ヘーブンに下りる事にするが、滑り出しの部分の視界が悪い。このコースは私の大好きなコースであるが、下に下りるには5本くらいのコースのチョイスがある。凸凹も見えず、そろそろと中級者用の滑り易いコースを追っていったらセブンス ヘーブンのリフト乗り場ではなく、ジャスパーの上に出てしまった。

  
雨具を着ていざゲレンデへ          雪は沢山ある、しかし雨
 

昼食の後、再び今度はセブンスのリフト乗り場へ直接ショートカットをする方法をとる。ここのリフト乗り場は雲が懸かっていなく、うっすらと明るく、ラインも混んでいない。上部は雲の中で視界は悪いが、下部のリフト下に良い瘤が出来ていて視界もまずまずであるので、このリフト乗り場の直ぐ上にある瘤斜面を滑りたい。どのコースを下りてここにくるか検討しながらリフトでうえに上がり、滑り始めるがこの悪いコンデションの中でも一番良いコースを選ぶのはかなり難しい。今回は私は大人しくしていたら、佐野さんがコースを選んで先を行くので付いて行くと気が付いたら瘤斜面を迂回して、セブンスのリフト乗り場にすでに降りてしまっていた。セブンスのリフトでまた上に戻り、私が先頭でコース選びをしていき、三度目の正直、ついに念願のリフト乗り場上の瘤斜面にでた。雪は適当に柔らかいのでモーグルにはまーまーのコンデションであるが2日目の午後で、年が明けてから今年一度しかスキーに行っていなかった私の足はかなり疲れている。佐野さんは今シーズンすでに私より12日間くらいは多く滑り込んでいるし、こちらに来る4日前にもマンモスから帰ったばかり。貞やんもこの日のために何度かスキーに通い、テニス、スポーツクラブなどで鍛えている。私の体力が一番劣るのかと思う。同じコースをもう一度、今度はもっと上の方からリフト下のコースに入って行く。一部は急で狭いシュートになっているがこのくらい挑戦的なコースも視界がよければ面白い。これで雪が良かったらという『たら話』であるが、今回は「雨が降らなかったら」「もっと雪が軽かったら」とここまでは『たら話』が多いのである。適当に柔らかくなった斜面はそれなりに面白いが、私が落ち着くところは「もっと強靭な足があったら」である。

20数年前には頻繁に私とスキーに行った貞やんであるが、一緒に滑るのはマンモスで滑って以来7年ぶりくらいか。久しぶりに見る貞やんのスキーは進歩していた。カービングスキー用に膝が前に出て安定感が増した滑りをしている。香川でスキークラブに入って、良い指導者とスキーに行っているのが分かる。

   
セブンスへ向う 貞’やんと佐野さん
 

今日もびしょ濡れで帰り、食事前に時差ぼけで居眠りをしている貞やんを置いてビィレッジの散策にでる。今日はセント・パトリックデーなので緑の服や帽子を身に付けた人たちで何処のバーも繁盛している。お店を冷やかしながらビィッレジの中をゲレンデ方面に向う。途中で買い物をして、バーに入って一杯ビールを付き合う。なかなか洒落たお店が多く、さすがに世界的なリゾートである。今年はヨーロッパも暖冬のため雪が少なく、例年ならスイスにスキーに行く階級の人たちで、わざわざここまでスキーに来ているヨーロッパ人も多い。

  
オリンッピクの宣伝用ボブスレー前で    ビッレジを散歩
 

3日目の朝、雨はほとんど降っていない、張り切る貞やんのたずなを絞めつつ佐野さんを起こして急いで朝食をとり、歩いて10分ほどのゴンドラ乗り場からゴンドラに乗りランドハウスに向う。今日は山頂まで行くリフトが開いているのでウィスラーの最標高まで上がれた。麓で700メートルほどしか標高がないので、ここは最高峰でも2182メートルである。その高度はいつも行くマンモスの麓、キャニオンロッジの高度であり酸素が濃いのを感じる。

  
ビレッジ内をゲレンデに向う         ゴンドラから村を見る

山頂は温度が低く雪質もまーまーに保たれているが、下に下がると途中から重くてハードパックの雪に成る。数本かすべって今日は11時半からのガイドツアーに参加することにする。上級者コースでガイドをしてくれる人はチャーリーと言うカナダ人。このスキー場の無料ガイドツアーはすでに4回くらい参加させてもらっているが、いつもその日のベストのコンデションのコースを案内してくれる。参加者は私達を入れて6名、他の3名は全員イギリス人であった。今回は山頂から主に裏側のコースを案内してくれた。私がチャーリーのすぐ後ろに付いていくが、タフなスキーヤーである。数年前まではスキースクールで教えていたそうだが、今はこのガイドの方が楽しいという。1時間半くらいで終わると思っていたツアーはたっぷりと2時間半、ほぼ休み無く滑り続けるハードなものであった。シンフォニーの林の中のコースは今度雪の良い時に戻って来たいと思った。

   
貞やんと私                     ツアーをしてくれたチャーリさん

ツアーを終えて休憩をすると時間はすでに2時半になっていたが二人はこれからブラッコンに行きたいとかと言い出した。私は帰って夕飯の買出しと準備を始めなければならないので先に下りることにする。今日はお客を招待しているのである。

下に降りると私はかなり疲れ切っていた。足を引きずるように宿に帰りつくとマーケットに買出しに行く。二人があれからブラッコンに向ったとすればかなり急がないと4時のリフトが止まる時間までに山頂まで行き着けないだろうと思っていたら、5時半ごろ二人が帰ってきた。やはりブラッコンに行くには時間が足らなくて、一度上に上がってそのままビレッジに下りようとしてクリークサイドと言う、ビレッジより10分ほど手前にあるもう一つの上り口の村に下りてしまったという。そこに降りるコースは長い長い瘤斜面であったという。疲れ切って降りたはいいが、ビレッジに戻るリフトがすでに止まっており、現金の持ち合わせが無く、小銭をかき集めてさらにおまけをしてもらってバスでビレッジへ戻って来たという。

 

7時に寄せ鍋と何種類かのおつまみを用意してサラと、婚約者エイティアンを迎える。サラはウィスラーの予約センターで今回の私達の予約を取ってくれた女性で、最初私がメールでやり取りを始め、その後 佐野さんが何度か電話で話して食事に招待したのである。つい2ヶ月ほど前に雪山の中でプロポーズを受けたというサラは佐野さんと貞やんが今日迷い込んで行ったクリークサイドに婚約者のエイティアンと住み、エイティアンはスノーボード、ハイキング、マウンテンバイクを愛する素朴で性格のいい人である。カナダ東部のフランス語圏の出身で彼の両親はカナダ人といっても英語をまったく話さないそうだ。貞やんが持って来てくれた日本酒を飲みながら、しばらく楽しい時間を過ごす。しかし私は疲れから来たのか、寒気がしてきて9時半ごろには途中でダウン。その間に彼らに翌日の夕飯に招待されていた。


サラとエイティアンのカップル

4日目はまた雨が降っている。私はぐっすり寝たせいか、疲れが回復し、かなり元気になっている。ゴンドラでウィスラーに上がると途中から雪になった。今日は幾分湿っぽい雪ながら、10cmくらいの新雪が積もっている。ミッドステーションまで新雪を滑る。出だしが遅かったのですでに荒されているうえ、雪が重いのでターンするのに少しテクニックがいる。それでもカナダに来て初めての深雪の感じを味わえて満足である。奥のシンフォニーのリフトは動いていないのでエメラルドのリフト乗り場に何本かの違うコース選択をして滑る。まだ十分なモーグル斜面が出来ていないのが残念であるが、かなり足に来ているのでモーグルの斜面があっても気合を入れて滑られるのはショートコースに限られる。


   

やっと雨でなく雪だ


雪の中の私

今日は昨日招待したサラとエイティアンに逆に招待されている。夕食の用意をしないで良いのでしばらく時間があまり、お土産を買いに1時間ほど街にでる。6時半ごろタクシーを呼んでもらいクリーク・サイドにある二人のタウンハウスに向う。予定より早く10分ほどで着いてしまい、家の前でうろうろする我々をエイティアンが見つけ迎えに来てくれた。彼らの住まいは狭いながら小奇麗に整理されエイティアンは家具を自分で作り、地下室を土砂を掘り自分で作っていた。オリンピック景気でこの辺の不動産も以上に値上がりしているそうである。彼らの友達アンバーも参加してステーキを焼いてくれた。窓一杯に雪山が見える。ディナーテーブルからベッドまで家具を何でも自分で作ってしまうという器用なエイティアン、自然を愛し暮らすカナダの人の生活にふれる。カナダに来る人は多いが、こんな現地に住む人に招待され付き合える機会のある人は少ないであろう。サラは本来、両親はアメリカ人で、世界を旅して、1年間台湾で英語教師をしていたことがあるそうである。そういうのは佐野さんの得意分野であるが、やはりそういうインターナショナルな臭いを持った女性だからこそ初対面でも友達になるのに抵抗がなかったのだと思う。


   
今日のシェフはレティアン外は

   
サラとエイティアンの家で食後の一時

カナダ最後の朝、外にはひらひらと小雪が舞っているが良い天気の予感。昨夜は11cmの積雪があったとテレビで言っている。今回で最高の天候と粉雪が待っていると思うと、このまま帰るのは惜しい。昼間までに戻るとして3時間は滑れる。急遽、私は一人で滑りに行く事にした。9時半には宿を出て空港に向わなければならない貞やんに別れを告げ8時ごろ宿を出てゲレンデに向う。スキー場は8時半にオープンする。

山の上は少し雲が掛かっているが概ね良好な天気である。チケット売り場でブラッコムの裏の氷河に下りるためのT−バーがオープンするかどうか尋ねるが、『開くと思うが、まだ決定されていない』と確たる返事がもらえない。こちらは滑られる時間が3時間しかないので、それならばと昨日滑ったウイスラー側に向う事にする。8時半からのはずが8時15分にはゴンドラに人を乗せ始めた。予定の時間よりいつも遅れるマンモスのオペレーションに慣れた私には驚きであるが、ここですでに先頭より15分遅れを取ってしまった。

ラウンドハウスに着いて外に出るとまずは昨日滑ったエメラルドの右寄りのコースを行く。比較的人が少ないコースかと思ったがすでにかなり荒らされている。それでも所々に新雪が残っている。欲を言えばもう15センチ新雪が欲しかった。この量ではまだ下の固い雪面が時たま感じられるし、風の強いところでは吹き飛ばされてほとんど雪が付いていないところもある。

新雪ハントをしながらハーモニーの方へ下りていくと、ハーモニーのリフトはまだオープンしていない。もう一度エメラルドに戻り滑っていると、山頂に向うピークのリフトが動き出したのが見える。リフトラインにはすでに50人ほどが並んでいて、客を乗せ始めるのを待っている。私も列に並ぶが、パトロール員が10人ほど断続的に上がっていくが、なかなか一般客を乗せ始めない。時間制限のある私はそれでも辛抱強く20分待った。もう諦めようかと思った頃、歓声が上がって、やっと乗せ始めた。途中まで上がると、このリフトの先頭集団がヴァージンスノーにシュプールを付けながら下りてくる。我先にと先頭を切って滑り下りる若者達はかなりのスピード狂である。

  
やっと顔を出した青空             新雪だ
  
われ先にと一番で滑り降りるスキーヤー

山頂に付いて私はミッドステーションへ下りるコースを取る。思った通りこのコースで降りた人はまだ数人しかいない。山頂付近は風で雪が飛ばされていて、硬い雪面がむき出しで期待したほどでないところがあるが、林の中に入った所からかなり雪の付きが良くなり、気持ちよく新雪を滑りながら下りていく。日が差してきたので途中で何枚か写真を撮り、ミッドステーションからラウンドハウスへ戻る。途中のリフト上で佐野さんから連絡が入り、ゴンドラ乗り場に来ているという。「もう一本滑って、後30分くらいで下に降ります」と、連絡してエメラルドのリフトの下を滑る。ここには少し瘤があり、良い感じで新雪が付いている。スキーの速さに遅れないように最後の気合を入れて滑る。瘤斜面をショートターンで気持ちよく制覇できた。これで今回のカナダ遠征は満足である。すでに佐野さんに伝えた時間に遅れていので、そこから長いコースをノンストップで麓まで一気に滑りおりる。11時35分にゴンドラ乗り場に着くと、佐野さんが目の前で待っていた。お疲れさまでした、そして今回も楽しいスキーでした。終わりよければすべて良し。雨に祟れたカナダ遠征であったが、最後の2日間は太陽が顔を出してくれた。連続5日間疲れ切るまで滑りまくったスキー三昧の日々であった。願わくば、次回は1週間くらい来たいものである。


   

   
自分の滑った跡(左)を振り返る       絶景である
 

急いで宿に帰ると本当はチェックアウトは10時なので、すでに部屋の掃除が始まっていた。着替えて荷物を持って部屋を後にするが、まだ空港行きの車がピックアップしてくれるまで1時間もある。一階にある電話屋さんで荷物を預かってもらってマーケットプレースをひと回りして、カフェに入って軽い昼食を取る。ヴィレッジ内には方々に小さなお店があり、とても洒落た料理を出している。このお店の従業員は全員若い女性、豆のスープとケサデリアが竹で編まれた入れ物に入って出て来た。

戻るとタイミングよく車が迎えに来てくれた。客は全部で5名。前の席に品の良い英国紳士が座っている。車が動き出すと、後方にウィスラーが姿を現している。帰る日にやっと天候が良くなるとは皮肉である。山に別れを告げ、また戻る事を誓う。ドライバーが途中で時たま絶妙の案内をしてくれる。そのうち、話好きの英国紳士、ホテルに財布とパスポートを忘れた事に気づき電話して次のシャトルで空港に送ってもらうように手配してもらっている。人ごとながらはらはらである。

我々にとっては以前バンクーバーから何度も通った見慣れた風景であるが、途中の村、スカッミッシュで見る大きな絶壁が映画「クリフハンガー」の撮影現場であったことをドライバーが教えてくれた。バンクーバーの市内に入り、懐かしいスタンレーパークやダウンタウンを過ぎると、街にはいたるところに桜が咲いている。「忘れ物があったら、すべて私の物となります』と言うドライバーのトークに送られて空港に下りる。

   

フライトは午後6時の出発であるから、まだたっぷりと3時間も待ち時間があることになる。どうやって時間を潰そうか、まずはアラスカ航空のカウンターに行くとすでに受付をしているのでチェックインを先に済ませ、荷物を持ってそのままアメリカの入管で手続きをするため先に進む。ここの空港はちょっと複雑で空港内にはアメリカの税関、入管の出先があり、バンクーバーの空港を発つ前にアメリカヘの入国手続きが済んでしまう。私が税関用の書類を記入している間に佐野さんは先へいった。後を追うと、姿が見えない、通路横の部屋から佐野さんが私を呼びとめる。どうやらアメリカの入管で引っ掛かってしまったようである。「グリーンカードが破れていて止められたので待っていて」という。

すこし先に行って佐野さんを待つが、なかなか来ない。自分の荷物を見れば、いろんなタグやら航空会社のシールが張られている。こんなのが沢山有ると間違え易いと思い、目立つ奴を何枚かはがして捨てる。さらに佐野さんを待つが来ないので先に荷物を預けてしまおうと荷物を差し出し、ここで行き先を書いたタグを貼ってくれるのかと思ったら、「この荷物はタグが無いので受け取れない」といわれ「ギョ!」それでは、さっき取って捨てたのがLAX行きを示したタグだったのか?これは後の祭りである。アラスカ航空に連絡をしてもらうと「そちらに係員を送るからそのまま待つように」とのこと。それが待てどもなかなか来ない。佐野さんも来ない。痺れを切らせてもう一度業務用電話を借りて連絡を入れると「そちらに向っているという」さらに待つこと10分、佐野さんが釈放されて出て来た。グリーンカードを提示した時、係員の女性入管員が佐野さんのグリーンカードが妙に膨らんでいる事に気づき指摘された。グリーンカードはプラスチックの間に密封されているが、その密封が解けて隙間が出来てその隙間から24アワーズ(佐野さんの通うスポーツクラブ)の会員証が出て来た。それだけのことであるから係員によっては問題にもしないケースであろうが、この女の入管員はねちねちと「この前にはいつ入国したか」とか聞いてくる。そして「このカードは再発行を受けるか市民権に変えなければならない」といわれたと言う。さらに「永住権で20数年も居たら、市民権をなんで取らないのだ」と聞かれ思わず「よけいなお世話だ。お前のようなアメリカ人になりたくないからだ」と言いそうになったという。

 

さてもう一度アラスカ航空に連絡すると「そのままタグなしで出してください。係員がタグなしの荷物が来るのを待っています」という。宛名を書かずに葉書を郵便ポストに投函するようなものであるが、ここはしょうがないとカナダ人を信じ言われるとおりにして待合室へと向う。途中で一杯ビールを飲んで。場所を変えて夕食変わりにチャイニーズを摘みながらビールをもう一杯。84番の待合所はすぐ隣であるが客を乗せ始めるのは5時半からのはずであるが5時35分に気づけば待合室には人がいない。ゲートに行くと「ミスター佐野と小堺か?」と行くなり名前を呼ばれ「あなた方が最後の乗客だ」といわれる。まだ搭乗を始めて5分、出発まで20分以上あるはずなのにどうなっているのであろう。中に入るといつの間に乗ったのか席はほとんど満席に近い。席に付いてしばらくすると、「10分前ですが、出発します」と言う。我々がもっと速く来ればさらに後5分くらい早く出れたという感じである。しかし我々は悪くない、予定より早く出る飛行機なんて初めて乗った。

そして飛行機はロスの空港に45分早く着陸したのである。荷物の受け取りにかなり待たされたがタグなしで出した荷物も無事についていた。しかしなんとなくロスに付いたら皆、無愛想に感じてしまうのは旅行者に優しいカナディアンホスピタリティーの後遺症であろうか?

 

我々が帰って1週間くらいしてニュースで、ロス空港の荷物係が乗客の荷物から貴重品を抜いていて11人が逮捕されたというニュースを聞いた。「やっぱり」と言うのが感想である。何しろテロ対策のため鍵を掛けずに荷物を出すのであるから、泥棒には最適の仕事場である。あるいは泥棒になってくださいという仕事場である。やはりカナダの方が人間が優しい様に思うが、これは自然に接する人間は優しくなるという説を裏付ける事であろうか。

今年のスキーシーズンは後一ヶ月くらいで終わってしまいそうである。カナダで最後の日に滑った新雪の感覚が思い出される。あの感覚を求めて雪のある限り 通い続けるのであるが、いい条件にめぐり合えるのは10回に一回である。スキーの下で感じる雪の柔らかさを思い出すと心が安らぎ優しく成るのである。
また雪山が呼んでいる。まだまだスキー三昧は続く。