100回目の絆   20111230日   小堺 高志

 

今回は私のスキーエッセイ『スキー三昧』の100編目記念となる。

元々私が佐野さんをスキーに誘いローカルのスキー場に通い始めたところからオリジナルメンバーとしてのスキー三昧が始まった。

それまでもスキーに行くたびにメールとして知り合いにエッセイを送っていたが、マンモスに行くようになり、新しいスキー仲間が増え、そのスキーエッセイをホームページにしたら、と言われ、その気になり、2000年にホームページ『スキー三昧 in カリフォルニア』の開設となったのである。
それから12年、毎回のスキーでの気の置けない仲間との楽しい時間と人との出会いを記録に残し、伝えたいという思いで書いてきた。その間、若い時に海外に飛び出した時の旅行記を載せたりして、段々と内容が増え、充実して来た。気が付けば、
今回エッセイも100編目になった訳で、これは私の人生の記録でもある。佐野さんをはじめ、多くの良い仲間と出会え、スキーの面白さを知り、これまで健康でスキーに通い続けられたことは人生の大きな喜びである。

 

昨年は記録破りの大雪であったが今季のマンモスは雪が少なく、12月になってもほとんど降っていない。それでも人口雪で今回はキャニオンロッジもイーグルロッジも開いているようである。

私のクリスマス休暇は23日からの4連休である。いつもならその前の日の仕事が終ってから出発するが、今回はその日は佐野さんの会社のクリスマスパーティーであり、原ちゃんが23日に半日仕事であったため、出発時間はサンタモニカの佐野さんのところに正午の集合であった。斉藤さんは来年の春に日本に永住帰国するためクリスマス前で退職し、今は自由な身で、昨夜我々より一日はやくマンモスに入っている。

 

予定より少し遅れてサンタモニカを出発。この時間にマンモスに向かうことはほとんど無い。連休の最初の日なので道路は混んでいる。いつもの九州ラーメンでランチを摂ってマンモスに向かい走る。冬至を過ぎたばかりで、夕暮れははやい。5時前にインデペンデントのあたりで夕暮れとなる。車のラジオからはクリスマスソングが流れ、道路の横に時たまクリスマスの飾り付けをした家々の灯りが見える。

 

ビショップでワイン、ビールを買い込み、マンモスに着いたのは午後6時半頃。斉藤さんは昨日の夜着いてすでに一日滑っている。

いつもなら到着は真夜中で初日はいつも寝不足だが、今日は夕方から斉藤さんの「いないないBAR」で、おつまみをいただきながら、ゆっくりとワインを飲んだ後、斉藤さんの用意してくれたマツタケご飯と皿うどんをいただく。

 

さらに持ってきたDVDを見ながらお酒が進む。酔っ払った佐野さんは2度も歯磨きをしているし、私は途中で居眠り。


っ夕暮れのシェラネバダ山脈、台所の斉藤さんと、マツタケご飯です。
 

休養たっぷりで翌朝8時に私のスキーを取りに街中のロビンのお店に行く。チュンナップのために前回来たときから預けっぱなしにしていたのである。そのまま斉藤さん、佐野さんとキャニオンロッジの駐車場からゲレンデに出る。原ちゃんは後でゆっくり来ると言う。

 

連休だと言うのにずっと新雪が降っていないので訪問客は少なく、予想に反しゲレンデは空いている。今のところはほとんどが人口雪によるカバーである。ローラーコーストを一本滑って、今季から新しい高速リフトになった5番リフトにのる。

 

5番リフトはキャニオンロッジとメインロッジとの中間にある割合と人気のあるコースであるが、今までは古く遅いリフトであった。それが今季から快適な4人乗りの高速リフトになっている。乗り場も30メートルほど右に移動しコースも少し長くなっている。これはマンモス久しぶりのヒットである。



スキーを履く佐野さん* 新しく今季から新装オープンした高速5番リフト 雪の無いアッパークリークの谷間
 

無風で気温は低く、人口雪のゲレンデのコンデションは悪くは無い。でもやはり雪の量は少なく、主にメインロッジ周辺でのまだ限られた場所でのスキーとなるコースから外れたらまだ土が出ているところばかりである。久しぶりに佐野さんが気合を入れて滑っている。二人の後を写真を撮りながら追う。



5番の滑り口、ここから先で大きく左に曲がっていく*スタンピーの斉藤さんと、*私
 

いつも見慣れている雪を被った斜面は表情が優しく写真ではどんな勾配の斜面かわからなくなるが、雪の付いていない今、目の前に見えているダブルダイヤモンドの斜面はごつごつの岩肌の絶壁である。こんな斜面を滑っていたのである。



5番のゲレンデを下から見た* 新しく出来た5番の乗り場*ゴンドラの真下がダブルビラックダイヤモンド(最高難度)のクライマックス
 

早目の昼休みにマッコイステーションにいくとガラガラである。人口雪で最低限のカバーはされているとは言い、儲け時のクリスマスの連休にこれでは、やはりスキー場は雪が降ってなんぼんの商売である。
 

持ち込みのビールとおつまみのスモークト・ソーセイジで乾杯。今日は原ちゃんがマッコイまでたどり着けず追加のビールはなしである。昨日滑った斉藤さんが言っていたとおり、午後1時を過ぎると表面のグルームされた柔らかい雪が飛ばされ急にコンデションが悪くなった。


マッコイステーションへ*今日は頑張っている休憩中の佐野さん*コースの外れは雪が無い

早々と
1時半にはあがり、ジャグジーに入り、飲み、食事をし、名画サウンド・オブ・ミユジックの映画を見て、ゆったりとしたアフタースキーの時間を楽しむオジサン達である。



明日はクリスマス、サンタさんも滑っている*キャニオンロッジに下り、お疲れのお二人*いないないBARの今日のおつまみ。
 

クリスマスの朝、夜明けとともに起き、8時過ぎにゲレンデへ。

シャモニーのコンドからキャニオンロッジの中を通らないで駐車場の一番手前から直接ゲレンデに出れば、歩いて3分でゲレンデに出られる。

リフト上で斉藤さんがトイレに行きたいというのでポールのグリッブ部分で膀胱を押してあげたら、、、、暴行された。その仏顔、凶暴に付き注意である。

 

リフト上で、「むかし話は良く聞いて正確に書くように」と斉藤さんからお達しがあったが、「家具屋に嫁に行ったかぐや姫」の話は長い内容は聞いただけで書く気がしないのである。



クリスマスの夜明け*歩いても2分のキャニオンロッジの駐車場*この坂を上ったらもうゲレンデである、右側から2棟目がもうシャモニーのコンドである。
 

昨日よりは風が強い。気温が低いので朝のうちはグルームされた斜面がいい感じである。5番リフトで前回会った西脇さん、降旗さんと兎さん(?)にあう。(すみません、今度あったら名前覚えますね)

 

5番からフェースリフトへ移動する。人口雪で作られた移動用だけの斜面がつるつるで狭くて滑りにくいがこれはしょうがない。


こんな風にいきなり雪がある*22番の斜面、ここもダブルダイヤモンドそういえばここはずいぶん滑っていない*同じくブラックダイヤの。クライマックス


5番リフトの上から、遠くにレールクローリーが見える*雪の付いていない23番リフトの左がドロップアウト、右がワイプアウト。人口雪をかなり作っている

11時ごろにマッコイステーションで昼休み。 

今日はビール3缶でいいといった佐野さんがすでに飛ばしている、そのうえこの貴重なビールを私の目の前でこぼしてくたりするのである。

やっぱり飲み足りなくて、バーにビールを買いに行く、マンモスの地ビールを買う。一杯が2杯、3杯が4杯と、結局生ビールを何度か買い足していい気分になってきた。

 

西脇さんと一緒に来ている兎さんは前回会ったときはモモンガさんだったし、昨日はネズミさんだったという、かぶり物収集家です10種類くらい持っているそうだ。

西脇さんは28日が引越しで元旦に7年半の駐在を終え、日本に帰国する。西脇さんは関が原の出身というから、ご先祖は関が原の戦いの後、鎧、兜、刀を拾い集めて財を成したらしい。帰国後の幸せとご活躍を祈ってお別れする。



西脇さんと振旗さん*被り物収集家のうさぎさん*化けの皮の剥がし合いをする私と斉藤さん、つかみどころのない頭に完敗です

しばらく滑った後、佐野さんが先にあがるというので、車のキーを渡し斉藤さんとさらに滑り続ける。今回は運動不足でかなり太ももに来ていて、太ももが痙攣しそうである。午後1時くらいになると今日も途端にコンデションが悪くなり、8番を最後に滑って2時ごろにあがる。

 

キャニオンロッジの駐車場に戻ると私の車がまだある。シャモニーまでは歩いてすぐなので問題ないが、キーを持った佐野さんはどこに行ってるのか?帰って電話をいれるとどうも知り合いと会ってさらに飲んで、どこかでよっぱっらって眠っていたらしい。



ウイリーは人気者である。サンタはここではおまけのようなもの。この姿でスキーをするが相当に上手い上級者が入っている
 

26日、今日は佐野さんも原ちゃんも滑らないと言うので斉藤さんと8時半のリフトが動く朝一番からゲレンデに立つ。今日も17番リフトからローラーコースへ抜け、5番からスタンピーへと移動する。朝一番はグルームされたコンデションがエッジが効いて気持ちよく滑られる。ミルカフェに抜けるゴールドラッシュと呼ばれる初心者用のコースが雪質がよく、軽く流して滑ると気分爽快の一本であった。

 

今日は11時にはあがるつもりなのでそれまで休み無く目いっぱい滑り続ける。斉藤さんと一緒に滑る機会も、もうそんなには無いのである。斉藤さんがビデオカメラを持って来ているので交互に撮影をするゲレンデはどこも、今日は昨日よりさらに空いている。雪が少なく、ゲレンデの所々に砂利のような小石が時々転がっているのが気になる。もうひと雪降ってもらわないとフルカバーのコンデションにはならない。しかし年末までの天気予報にも嵐の来る気配は無い。

 

10時半にキャニオンロッジへの帰り道をとる。途中斉藤さんがローラコーストのリフトの上から、リフトを降りて左側の方を指差し「こちらを通って帰りましょう」という、つるつるの斜面を降りてキャニオンロッジエクスプレスのリフト降り口の方に向かう。しかし、途中で一部雪が溶けて砂利道のようなところに出てしまった。カチカチの雪面で止まれないまま乗り上げてしまった。

うそー、せっかくチュンナップしたスキーが一発で傷だらけになってしまった。「誰だ、こんなコースを選んだのは、責任者出て来い!」という場面であるが、当の本人は自分だけ砂利の手前でとまり、知らぬぞんぜぬ仏面である。

 

11時にシャモニーに戻ると居残りの二人がすでに掃除を済ませてくれていた。斉藤さんが帰宅前のラーメンを作ってくれる。昼食の後、2台で395号線を南下する。右にシェラネバダ山脈を見ながら雪よ降れ降れの気持ちである。

斉藤さんのあの左側を下りましょうという誘いに乗ってしまった私*帰路のコウソウジャンクションでもう1度じゃれ合い。

  

さて、波乱の2011年の終わりに、先日読んだ武田鉄矢さんの話すお母さんの話を皆さんにも伝えたい。

武田鉄也のお母さんは、博多でずっとタバコ屋さんをしながら3人の子供を育てた肝っ玉お母さんであることは知られたているが、彼のお姉さんは神戸で小さな小料理屋をやっていた。阪神淡路大震災の時、店も自宅も被害にあい、気落ちして博多に戻ってきていた。

 

そこで「もう博多に帰ってこようかな」という姉に母は『神戸に帰れ、店が傾いているなら、傾いているなりに商売を続けろ、お店は一度閉めたら元の木阿弥。明かりさえ灯していれば客は「やってる、やってる」といって入ってくると』

母は戦争中、B29の空襲をうけ博多が丸焼けになったときでもタバコを売っていた。昭和はそういう時代だった、戦争で300万人が死んで原爆を2つ落とされても次の日からみんな働いたんだと母は言う。 

 

姉は言う。「震災後、毎日握り飯やねん」

そうしたら母が言った。『何をいいよるとか。戦後の事をかんがえてみい。芋ひとつ盗んで斧で頭割られて死んだ人間も何ぼでもおる。並んどきゃ握り飯がもらえるなんてそんな不幸が世の中にあるわけが無い。不幸というのは、いくら歩き回っても握り飯ひとつ手に入らない事を不幸という、並んで握り飯を二個もろうてそれは「不幸」と言わん』

その後、母は姉に向かってパッと乳房を出し、乳を吸えという。『乳を吸うところからもう一度早回しで成長して、それで神戸に戻れ』と。乳房をだしたところはもう年老いたオラウータンですよ、70過ぎた婆さんですからすっかり垂れ下がって。その母の乳房を姉が吸い始めたそして、『鉄矢、お前も来い』。男って母親の裸は見たくないものですから、「俺はよか」と言ったら、母は罵倒する「だけん、おまえはつまらん」って。

 

戦中、戦後の混乱の中を生き抜いてきた女性独特の生命力を感じる。

戦後以降、日本にとり最大の混乱の2011年であった。その2011年もまもなく終ろうとしている。
災害、震災に負けず、新年に明かりを灯すのは一人ひとりの心のあり方であり、家族との、友達との、しいては日本人として、人と人との絆であると教えられる話である。これからも世界のどこででも、誇りを持って日本人ですと言える国であって欲しい。

 

新年が皆さんにとり希望に満ちた良い年でありますように祈り、100編目のエッセイの筆を置きたい。